HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

第11回 被災地復興支援チャリティ・コンサート~歌い つなぐ想い…東京混声合唱団を迎えて~

【日時】2025.3.11(火) 14:45~[14:00 開場|途中休憩あり|16:45終演予定]

【会場】ミューザ川崎シンフォニーホール

【出演】

 指揮:松井慶太 ※当初発表の出演者から変更になりました
 パイプオルガン:松居直美
 ジャズピアノ:宮本貴奈
 合唱:東京混声合唱団
 ピアノ伴奏:鈴木慎崇
 司会:山田美也子

 

【プログラム】


[黙祷・トーク(登壇:松井慶太、松居直美、宮本貴奈 司会:山田美也子)]

 

①オルフ:おお運命の女神よ[合唱]


②メンデルスゾーン:Dank sei dir Gott合合唱


③J.S.バッハ:主イエス・キリストよ、われらを顧みて BWV709[オルガン独奏]

 

④メンデルスゾーン:オルガン・ソナタ 第5番[オルガン独奏]


⑤モーツァルト:アヴェ・ヴェルム・コルプス[合唱・オルガン]


⑥木下牧子:鷗 混声合唱とパイプオルガンのための(作詞:三好達治)[合唱・オルガン]


⑦Waltz for Debby (編曲:宮本貴奈)[ジャズピアノ弾き語り]


⑧What a Wonderful World (編曲:宮本貴奈)[ジャズピアノ弾き語り]


⑨Sakura and Blues(さくら) / Yagi-Bushi Samba(八木節)


⑩Song Circle "Japonism and Jazz"から(編曲:森田花央里)[合唱・ジャズピアノ]


⑪村松祟継:いのちの歌(作詞:Miyabi)[合唱]


⑫小田美樹:群青(作詞:南相馬市立小高中学校平成24年度卒業生/編曲:信長貴富)[合唱]


⑬菅野よう子:花は咲く(作詞:岩井俊二)[合唱・出演者全員]

 

【感想】

 今日は2011年3月11日の「東日本大震災」からまる14年が経った追悼記念日です。 ミューザ川崎でその追悼・復興支援チャリティ・コンサートが催されたので、出席しました。開演時間近にホールに入ったら、三階まで多くの参加者が詰めかけていました。オルガン下のP席は使われていませんでした。実はこの演奏会の指揮は、当初秋山一慶氏が振る予定だったのですが、今年1月に突然逝去されてしまい、代わりに若い松井慶太さんが指揮することになりました。マエストロ秋山の演奏会はこれまで何回も聴いた事が有りますが、遠目で拝見した限りでは、外見も仕草も話振りも、将にジェントルマンそのものといった風で、同じ斎藤一家のマエストロ小澤の弟分にあたるそうですが、その生き方は全く異なる様に思われました。実直清廉なオーケストラ指揮は、マエストロ秋山の記憶を、多くのクラシックファンの心に永遠に残して行くことでしょう。安らかにお休み下さい。

 さて今日の曲目は上記した様に、ピアノ伴奏の合唱曲中心に組まれ、それに加うるに、ジャズピアノとパイプオルガン演奏が有りました。何れも出会いや別れ、追悼や追憶、賛美や感謝に関係する曲が殆どで、最後は観客も交えて全員での『花は咲く』の大合唱となりました。この歌は今では古典的とも言える程の日本中で歌われている歌であり、今回歌うに際し、配布プログラムの終わりに歌詞が書いてありました。

その歌詞の一節、❝花は 花は 花は咲く 私は何を 残しただろう❞が、ぐっと心に刺さりますね。

 演奏会が終了して、会場からロビーにかけて、義援金の募金のコーナーが幾つかあり、参加者が多く並んで詰めかけていました。

指揮者の松井さんも集めていました。ジャズ・ピアニストの宮本さんは、その隣でピアニカを吹いていました。

 それにしても、14年経った今日現在、被災を受けた福島県、宮城県、岩手県などの太平洋沿岸の市町村の復興は余り進んでいないとも聞きます。丁度帰宅した今夜のテレビ番組では、多くの局で、復興の様子を放送していました。それによると、一部帰還住民がかなり増えた地域もあったり、新しい産業復興の萌芽があったり、入ってくる移住住民も現れたりしている様ですが、全体としては復興が遅々として進まない状況だと言えるでしょう。何ぶん福島原発のデブリがほとんどそのまま残っていますから、これは危険です。何十年もそのままにしておいたら新たな大地震が来ないとも限らないし、又災難のもとにならないとは限りません。今日の放送で、大船渡の被災住民が「14年前に津波で被災して家を失い、再建したと思ったら今度は山火事で焼けてしまった。これは津波の様な次世代に言い伝えてはこなかった、考えても見なかった災害ですと」話していた様に、人知を超えたところに災難は降りかかってくる訳ですから、「備えあれば憂いなし」の備えは、❝十分に❞どころか ❝十二分に❞ いや、❝二十分に❞備えることも考えなければならないという事を示唆しています。(この意味から、震災による津波から原発等を守る防波堤の予想高さの設計を、福島原発で設計した高さの1.2倍、或いは2倍にして置けば、津波で原発の危険が発生することはなかったのに、それは過大設計だ等と言う浅はかな経営者が決定権を握っていたので、国民は悲惨な目に合うことになるのです。挙句にそうした経営者が自己責任も取らず、裁判で無罪を主張し、そして又裁判官も無罪判決を出すという呆れた現象が起きてしまう日本の現状では、被災地の復興等、東日本大震災に限らず、能登半島地震災害の復興なども遅々として進まないのは当然の帰結です。歴史に学ぶことは無いのでしょうか?80年程前、戦争で焼け野原になった都市災害から14年経った1960年頃は、東京他の大都市の復興は着実に進みつつあったのではないでしょうか。それがその後の高度経済成長時代に繋がっていくのです。勿論、時代が違えば、多くのファクターは全く異なるし、世界情勢のファクターも変わって来ます。しかしそうしたファクター分析を緻密にその筋の日本の専門家はやっていないのでしょうか?計算経済学でノーベル賞を取る米国人もいる位ですから、科学的アプローチで社会現象を解析することは不可能でないと素人目には映るのです。ファクター分析を細かく行い、電子計算機で科学的に自然現象に迫って成果を上げている分野は多々あるのではないですか?例えば天気予報など。復興政策にそうした科学的アプローチが若し出来れば、少しは進展する様な気がしますが?駄目かな?ファクター自体が多過ぎて、しかもファクターのデータ蓄積が少ないかも知れない。科学的アプローチが出来ないのであれば、あとは根性しかないかな。「絶対、所得倍増計画は出来るし、やって見せる!」「日本列島改造計画は必要だしやらなければならない!」とド根性で叫び国民を説得し、強い牽引力で日本を引っ張っていく指導者はいないのでしょうか?このままでは、「日本列島沈没」です。