都響スペシャル
【日時】2025年2月11日(火・祝) 14:00〜
【会場】東京文化会館
【管弦楽】東京都交響楽団
【指揮】エリアフ・インバル
【出演】
〇グリゴリー・シュカルパ*(バス)
〈Profile〉
1989年サンクトペテルブルク生まれ。2007年にグリンカ合唱大学を卒業後、サンクトペテルブルク国立音楽院で歌手として、また合唱指揮者として研鑽を積む。サンクトペテルブルクの第1回エレーナ・オブラズツォワ国際コンクール、ヤルタのシャリャピン国際コンクール、サンクトペテルブルクの「クラシック・ロマンスの3世紀」国際コンクール、クルスクのスヴィリドフ声楽コンクールで入賞。
シュカルパは19歳でサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場にデビューし、ヴェルディ『ナブッコ』の囚人役、『クリスマス・イブ』のパチューク役、ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』のミチューカ役、『カルメン』のズニーガ役、ヴェルディ『ドン・カルロ』の修道士役、ベルリオーズ『レ・トロワイヤン』の兵士役などを歌った。ダニエル・バレンボイム、ズービン・メータ、ワレリー・ゲルギエフ、ユーリ・テミルカーノフ、ジャンアンドレア・ノセダ、ミハイル・タタルニコフ、ユストゥス・フランツ、ミハイル・アグレストといった著名な指揮者と共演している。マリインスキー劇場のアンサンブルのメンバーとして、スペイン、イスラエル、ドイツ、リトアニアでツアーを行っている。
シュカルパは2015年9月よりベルリン国立歌劇場のメンバーであり、『魔笛』のザラストロ、『イル・トロヴァトーレ』のフェランド、『リゴレット』のスパラフチーレ、『セビリアの理髪師』のバジリオ、モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』のマゼット、シュトラウス『ナクソス島のアリアドネ』のトルファルディーノ、『タンホイザー』のビテロルフ役で出演している。
〇エストニア国立男声合唱団*The Estonian Nalm Choir
〈Profile〉
1944年にエストニア人指揮者・作曲家のグスタフ・エルネサクスによって設立。ルネッサンスから現代音楽まで幅広いレパートリーを有す。「世界中で最も知られた男声合唱団」と評され、これまでにエストニアをはじめ、北米.、アジア、ヨーロッパ等世界各国で7000 回以上のコンサートを行ってきた。2004年には同国を代表する指揮者、パーヴォ・ヤルヴィによるシベリウスのカンタータ集の録音でエストニア初となるグラミー賞を受賞している。2011年-12年のシーズンよりミック・ウレオヤが首席指揮者・芸術監督を務める。現在、国内外で年間50-60回の公演を行うと共に、 エストニア国営放送のための放送録音や、ドイツェ・グラモフォン、ソニー、フィンランディア、アルバ・レコード、バージン・クラシックスほか主要レーベルでCDをリリースしている。
【曲目】
①ラフマニノフ:交響詩《死の島》 op.29
(曲について)
セルゲイ・ラフマニノフ(1873~1943)の交響詩《死の島》は、アルノルト・ベックリン(1827~1901)が描いた同名の絵画から受けた印象に基づいて、1909年に作曲された。ベックリンは、スイスのバーゼルに生まれた象徴主義の画家で、『死の島(Die Toteninsel)』は彼の代表作だ。どんよりとした空の下、一艘の小舟が島に着こうとしている。島には険しい岩山がそびえ、中央には背の高い数本の糸杉と、祭壇のような建築が見える。小舟には、白い服で全身を覆う人物が直立し、ほかには舟の漕ぎ手と棺が見える。不気味な幻想性と神秘性とを感じさせる絵だ。
ベックリンは、1880年から1886年の間に、ほぼ同じ構図で色彩や細部が少しずつ異なる『死の島』を、少なくとも5度描いた。このうち1点は第二次世界大戦(1939~45)中に焼失したが、4点は現存している。この絵は、20世紀の前半には非常に人気があり、レーニンやフロイト、ヘッセといった著名人から庶民まで、多くの人々がこの絵に魅了され、複製画や絵はがきを買い求めた。ベックリンの熱心なファンだったヒトラーは、オリジナルのひとつを購入し、最初は別荘に、後には官邸にそれを飾った。
ラフマニノフが『死の島』を見たのは1907年で、実物ではなく白黒の複製銅版画だった。後年になってラフマニノフは実物も見ているが、彼はその色彩が気に入らず、「もしも最初に実物を見ていたら、おそらく《死の島》は作曲しなかっただろう」と述懐している。初演は作曲者自身の指揮で行われ(他に交響曲第2番とムソルグスキー《はげ山の一夜》が演奏された)、大きな反響を呼んだ。この曲の出来には作曲者も満足しており、1929年にはフィラデルフィア管弦楽団を自ら指揮して録音を行っている。
②ショスタコーヴィチ:交響曲第13番 変ロ短調 op.113《バービイ・ヤール》*
(曲について)
ソ連の最高指導者だったヨシフ・スターリン(1878~1953)没後の“雪解け”の流れは、1956年のソヴィエト共産党第一書記ニキータ・フルシチョフ(1894~1971)のスターリン批判で決定的となる。そうした中、1961年に気鋭の反体制詩人エヴゲニー・エフトゥシェンコ(1933~2017)はソ連のユダヤ人問題を扱った詩「バービイ・ヤール」を発表した。キエフ(キーウ)近郊の渓谷バービイ・ヤールは独ソ戦中にナチがユダヤ人を大量虐殺した地だが、それはまたソ連のユダヤ人問題の象徴でもあり、国内の反ユダヤ主義の高まりの中でこの事件に触れることはタブー視されていた。
当然ながらエフトゥシェンコの詩は大きな論争を巻き起こしたが、この詩に感動したドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906~75)は、これを歌詞とした声楽付き交響詩を着想、1962年4月にこれを仕上げた。そしてさらに構想を膨らませ、エフトゥシェンコの他の4篇の詩(うち1篇は書き下ろし)にもとづく4つの楽章を追加、こうしてユダヤ人問題にとどまらずソ連の諸問題に触れるバス独唱とバス合唱付きの5楽章の交響曲第13番を同年7月に完成させる。かつてプラウダ批判(1936年)やジダーノフ批判(1948年)で辛酸を嘗めたショスタコーヴィチだが、雪解けの中で敢然と体制批判的な交響曲を書き上げたのだ。
しかしいくら雪解けとはいえ、こうした内容の作品を当局が黙認するわけがなく、初演に向けて様々な妨害工作がなされる。そうした状況の中で予定のバス独唱者が立て続けに辞退し、頼みのエヴゲニー・ムラヴィンスキー(1903~88)からも指揮を断られた。初演は1962年12月18日だったが、初演当日にも指揮者キリル・コンドラシン(1914~81)に当局から降板への圧力がかかり、また予定のバス独唱者はこの日急遽ボリショイ劇場での代役を命じられて降りてしまう。しかしコンドラシンは当局の要求を撥ねつけ、バス独唱はいざという時のために待機していたヴィタリー・グロマツキー(1928~)が務めることとなり、最終的に当局も渋々初演の許可を出したのである。初演は大成功、会場は聴衆の大喝采に包まれ、作曲者と詩人に惜しみない拍手が送られた。
しかし人々のこうした熱狂ぶりは当局をさらに硬化させた。初演後程なくエフトゥシェンコが圧力に屈し、ユダヤ人問題をぼかすべく「バービイ・ヤール」中の歌詞を自ら変更してしまう。ショスタコーヴィチは反対したが、作品自体お蔵入りになる恐れもあってやむなく妥協し、出版は改訂歌詞を取り入れた形で行われた。しかしもちろん彼自身それを認めていたわけでなく、近年は本日のように初演稿で演奏されるのが一般的だ。
【演奏の模様】
①ラフマニノフ:交響詩《死の島》 op.29
〇楽器編成:フルート3(第3はピッコロ持替)、オーボエ2、イングリッシュホルン、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン6、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、シンバル、大太鼓、ハープ、弦楽
疑似二管編成弦楽五部16型(16-14-12-8-8)
〇 全体は3部形式
1.イ短調の主部
2.変ホ長調の中間部
3.イ短調の主部
全体の流れは、以下の様です。やや明るさを取り戻す2があったとしても1、3は暗く不気味で、総じて憂いを帯びた暗めの音が支配的な音楽でした。
「主部は、重々しいテンポ(レント)の8分の5拍子で、暗い海を静かに進む舟を表すような5音の上行音型が、少しずつ形を変えながらひたすら繰り返される。そこに断片的な旋律が重なっていくが、それらのいくつかは、ラフマニノフがいくつもの作品で使用したグレゴリオ聖歌《怒りの日》の、「ドシドラシソララ」という旋律と関連している。音楽はいくつかのエピソードを挟みつつ進んでいき、クライマックスに達する。
ここまで繰り返されてきた5音の音型が止み、金管が《怒りの日》の最初の4音「ドシドラ」に基づく不気味なコラールを吹くと、変ホ長調の中間部に入る。ここでは、第1・第2ヴァイオリンの第1・第2プルト(計8人)が、わずかに明るい、しかし不安に満ちた主題を歌う。作曲者によると、この部分はベックリンの絵とは離れた独自の補足であるという。これが高まっていき、緊迫感に満ちた頂点に達すると、突然静かになり、「ドシドラ」が弦で繰り返されたあと、オーボエがもう1度だけ中間部主題を歌う。
再び管楽器が「ドシドラ」に基づくコラールを吹き、8分の5拍子の主部が回帰する。今回は、前半の主部に比べるとずっと短い。この部分では、次第に下降していく音型が頻出する。曲の終わり近くでは、これまで「ドシドラ」の4音で暗示されるにとどまっていた《怒りの日》の「ドシドラシソラ」旋律が、チェロと低音木管楽器にはっきりと現れる。」
インバルの指揮は、これまで何回も指揮して来た都響の持ち味を十分引き出さんとばかり、いつもの手練れた振りの中に決然とした意思表示が見て取れました。
またラフマニノフのオーケストレーションが実に巧みで、あの華麗なピアノ曲を作った同じ人とは思えないくらい。そこに流れる底流には、矢張り信仰の二文字、死者に対峙する生ける人間としての恐れ慄く真摯な気持ちです。それが現出していると感じました。
それにしても彼は、同タイトルの絵画を見て、曲想が浮かんだそうです。どんな絵だったのでしょうか?調べてみると次の様なものでした。
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ベックリン作『死の島』
『死の島』(しのしま、ドイツ語: Die Toteninsel)は、スイス出身の画家アルノルト・ベックリン(1827年 - 1901年)の代表作の絵画。ベックリンは1880年から1886年の間にこの謎めいた主題で繰り返し作品を描いており、作品はそれぞれ少しずつ異なっている。20世紀半ばのヨーロッパでは非常に有名になった絵であり、ナボコフの小説「絶望」にも「ベルリンの家庭という家庭でみることができた」という記述があり、郵便はがきのデザインとしてもたいへん人気があった。フロイト、レーニン、クレマンソー、ラフマニノフ(交響詩『死の島』を作曲した)、ヘッセたちもこの絵を好んで飾っていたことで知られるが、この絵や作者のもつペシミズムや死のイメージはなかでもアドルフ・ヒトラーおよびナチスの理想と共鳴することになる。
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上記絵の解説を読むと、何だかおどろおどろしい感じもしますが、実際に絵を見ると、何てこと無いとも思うのです。(鑑賞眼がない?キリストの信仰がない日本人故か?)
小舟は死びとの棺桶を運んでいる、その先には、墓場を示唆する糸杉の林、岩山は入口以外は壁の様に立ちはだかり、あたかも死者の魂を逃がさない風。
どうも、ラフマニノフは白黒写真の絵を見て、感銘を受け作曲した様なのです。他の色彩画だったら曲を作らなかったとまで語っています。確かに白黒だと様々にイメージを膨らませることが出来ますからね。(それが白黒写真や白黒映画の良さに通じる事でしょう。)でもたったこれだけの白黒写真画から、よくもあの様な大建築の如き音楽作品を作れるものだと、感心する事しきりでした。矢張り神の存在が大きいのでしょうか?
②ショスタコーヴィチ『交響曲第13番』
〇楽器編成:ピッコロ、フルート2、オーボエ3(第3はイングリッシュホルン持替)、クラリネット3(第3は小クラリネット、バスクラリネット持替)、ファゴット3(第3はコントラファゴット持替)、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、トライアングル、カスタネット、ウッドブロック、小太鼓、タンブリン、シンバル、大太鼓、シロフォン、グロッケンシュピール、タムタム、むち、チャイム、ハープ2、ピアノ(チェレスタ持替)、弦楽5部(コントラバスは5弦)、バス独唱、バス合唱
〇全五楽章構成
第1楽章「バービイ・ヤール」アダージョ
第2楽章「ユーモア」アレグレット
第3楽章「商店にて」アダージョ
第4楽章「恐怖」ラルゴ
第5楽章「立身出世」アレグレット
今回は初演版の楽譜での演奏の模様。
ショスタコーヴィッチの交響曲を聴くと大抵、時の権力の圧力や、彼が如何にそれに耐え、当局の攻撃の矛先をそらすかに腐心したかという話ばかりで、考え様によっては、何と苦労の多い天才だったのだろうと同情してしまいます。今回の交響曲第13番もまた、同様な話で、この曲は1961年作曲というのですから、例えば交響曲第2番は1927年頃作られ、その数年後には当局が前衛音楽弾圧の政策により、演奏がされなくなってから実に35年近くもこうした弾圧に晒されて来た訳です。良く耐え忍べたと思う位。それには彼一流の才能というか知恵があったからだと、今回の13番の演奏を聴いて強く思いました。各楽章の模様は以下の「詳細」の通りです。ソリストの歌詞にも合唱の歌詞にも、直接批判的表現が露骨にされた箇所は無きにしもあらずですが、大抵の場合、逆説的な表現、ある時は婉曲に擬態的な表現で、ある時は言っていることは、一見白の様でも良く考えると黒だという巧みな表現が多く含まれているのです。この演奏の初演を聞いた人々はきっとショスタコの隠し絵のからくりを見破り、大興奮した事でしょう。今日の日本の、東京の、ほとんど弾圧等受けていないと言っても良い市民達が聴き終わった後の興奮振りも、物凄いものがありました。
これにはインバル・都響の相当な高みにあることを示した演奏のみならず、ソリストとして、かなりの長時間を一人で歌い切ったロシア人バス歌手グリゴリー・シュカルパの活躍も寄与しているし、合唱国バルト三国の一つエストニア国立合唱団の好演も地道な味わいを加えていた、これ等三本の矢の総合力の結果で得られたものと思います。
それにしても現下の情勢では、ロシア本国では、この曲の演奏は不可能なのでしょうか?良く分からない。
「詳細」
第1楽章「バービイ・ヤール」アダージョ どこか不気味な金管の対旋律を伴う低音楽器群の重々しい第1主題(バービイ・ヤール主題)で開始され、バス合唱が“バービイ・ヤールに記念碑はない”と歌いだす(ちなみにかつて記念碑建設運動を封じ込めたのが当時ウクライナ共産党第一書記だったフルシチョフ)。続いてバス独唱が“私は今、自分がユダヤ人のような気がする”とユダヤ人の苦難の歴史に思いを馳せる(のちにエフトゥシェンコが変更してしまう箇所の一つ)。速度が速まる第2主題では合唱が“血は流れ、床の上に広がる”とユダヤ人虐殺を歌う。やがてアンネ・フランクについてのエピソードが若干緊張を和らげるが(ただし低弦は不気味に蠢く)、そこに近づくファシズムの足音は急速に勢いを増し、管弦楽による第1主題の暴力的なクライマックスに至る。それが静まり、沈んだ合唱の後、独唱が何百万もの死者の叫びに言及(この部分をエフトゥシェンコはファシズムに勝利したロシアの偉業を讃える歌詞に変更した)、最後は第1主題で劇的に閉じられる。
第2楽章「ユーモア」アレグレット どんな権力からも自由なユーモアを謳い上げるシニカルなスケルツォで、ショスタコーヴィチの風刺精神が生かされている。途中(開始から約3分半)には管弦楽で自作の《イギリス詩人の詩による6つの歌曲》中の「処刑台のマクファーソン」を引用して、陽気に処刑台に向かうこの歌曲の主人公の精神こそユーモアであることを示唆する。冬宮への行進場面での革命歌の引用など、様々な楽想が走馬灯のように出現する楽章だ。
第3楽章「商店にて」アダージョ 苦難に耐えて逞しく生きるロシア女性をテーマとした緩徐楽章。バービイ・ヤール主題に関連する低弦の陰鬱な序奏に始まり、独唱が歌いだす。カスタネットとウッドブロックの刻みに続くピアノと弦のピッツィカート上での合唱の語りの後、この楽章の主要主題がクラリネットに出現する。全体に暗く静かに展開するが、終わり近く“女たちの釣り銭をごまかすなど恥ずべきこと”と歌われる部分で激しく高揚、その後静まって独唱による男の自虐的な一節を挟み、序奏主題の再現を経て途切れなく次の楽章へ。
第4楽章「恐怖」ラルゴ 冒頭テューバに現れる主題を中心に既出の諸主題を用いて、人々を苦しめた恐怖政治を陰鬱な響きで表現する緩徐楽章。土木作業や戦場を表現する場面では行進曲的な曲調が現れた後、アレグロに転じ“新しい恐怖”が語られ、壮絶な頂点を築く。その後、静かに合唱が恐怖は過去のものになりつつあることを再度歌うのだが、その音調はそれが果たして現実か自問しているかのようでもある。最後に詩人個人の抱く恐怖が語られ、次の楽章にアタッカで続く。
第5楽章「立身出世」アレグレット これまでの気分を一新する柔和なフルート二重奏の冒頭主題に始まる。その後の弦のたゆたうような音型とファゴットのおどけた動きからなる主題も重要で、これに導かれて独唱が歌いだす。歌詞に則したアイロニカルな曲調でもって、権力に屈せず信念をもって真実を追求する真の出世を語っていくフィナーレで、既出の主題に関わる楽想も活用しつつ、途中冒頭主題によるピッツィカートの一節(開始から約5分)や管弦楽のフーガ(約6分半)も挟みながらロンド風に発展、最後は緩やかなコーダに至り、ヴァイオリンとヴィオラのソロ二重奏による冒頭主題とそれに続くチェレスタの響きのうちに静かに全曲を閉じる。