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ペトル・ポペルカ/N響『ツェムリンスキー&シュトラウス&ドヴォルザーク他』を聴く(追記有り)

○第2031回 定期公演Aプログラム1日目

【日時】2025. 2.8.(土)18:00 開演 〜
【会場】NHKホール 
【管弦楽】NHK交響楽団

【指揮】ペトル・ポペルカ  

   

     <Profile>

 楽壇から熱い注目を浴びるチェコの気鋭、ペトル・ポペルカがN響の指揮台に初めて登場する。ポペルカは2022年に東京交響楽団にマティアス・ピンチャーの代役として出演し、センセーショナルな成功を収めた。24年に首席指揮者兼芸術監督を務めるプラハ放送交響楽団と来日し、覇気にあふれた名演を披露してくれたのも記憶に新しい。ウィーン交響楽団では24/25シーズンから首席指揮者に就任するなど、急速に活躍の場を広げている。

 N響との共演にあたって、ポペルカは意欲的なプログラムを用意してくれた。ツェムリンスキーの「シンフォニエッタ」で始まり、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」で終わるという、“ダブル・シンフォニエッタ・プログラム”だ。間にはさまれるのは、ラデク・バボラークの独奏によるリヒャルト・シュトラウスのホルン協奏曲第1番と、ドヴォルザークの交響詩「のばと」。前半がウィーン・プログラム、後半がチェコ・プログラムの二部構成ともみなせる。バボラークのソロは今回も、大きな喜びと驚きをもたらしてくれることだろう。

 ツェムリンスキーの「シンフォニエッタ」を聴く機会は貴重だ。後期ロマン派スタイルの作品で知られている作曲家だが、この曲は新古典主義の様式をベースにした後期の作品。一方、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」は、金管楽器の壮麗なファンファーレを特徴とする独創的傑作。両者の性格はまったく対照的だが、ポペルカはN響とどんなサウンドを生み出してくれるのだろうか。

 

【独奏】ラデク・バボラーク(ホルン)     

   

  <Profile>

音楽一家に生まれ、8歳でホルンを始める。1989年から1994年までプラハ音楽院ベドジヒ・ティルシャルに師事し、1994年には、難関として知られるミュンヘン国際音楽コンクールで優勝。音楽院在学中の18歳の時からチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者を務め、以来、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団サイトウ・キネン・オーケストラベルリン・フィルハーモニー管弦楽団などの首席ホルン奏者などを務めた。2009年12月に、2000年から務めていたベルリン・フィルの首席奏者の座を辞し、退団。

バボラークの尊敬する、ホルン界の巨匠ヘルマン・バウマンは「彼の演奏は我々を18世紀の祝祭的な雰囲気へと連れていってくれる。チャーミングで柔らかな音色はこの上なく耳に心地よく響き、その演奏の繊細さと表現力の豊かさはホルンという楽器を最高に歌わせ、その解釈は自然な力とナイーヴな素朴さを生み出す」と評している。テレマン、ハイドン~モーツァルト、リヒャルト・シュトラウス、サンサーンス、現代音楽まで幅広いレパートリーを持ち、「世界には、自分よりももっと技術的に優れたホルン奏者はたくさんいるが、自分の強みは“なんでもやる”ことです」と語っている。

 

【曲目】

①ツェムリンスキー『シンフォニエッタ 作品23』

 

(曲について)

 黄昏(たそがれ)の時代を迎えつつあったハプスブルク家のお膝元、オーストリア=ハンガリー帝国の都ウィーンに生まれ、「世紀末」あるいは「世紀転換期」の音楽文化の担い手となったアレクサンダー・ツェムリンスキー(1871~1942)。そんな彼が、ハプスブルク家の帝国も滅亡し、ナチス・ドイツの脅威が忍び寄るなか、1934年に手掛けたのが《シンフォニエッタ》である(なおツェムリンスキーは、そうした激動期の1911年から1927年にかけて、プラハの新ドイツ劇場の楽長を務めていた)。
 一聴すればわかるように、そこにはツェムリンスキーが大きな影響を受けたマーラー(1860~1911)の交響曲にも通じる、濃厚な官能性や頽廃美(たいはいび)が溢(あふ)れている。自らの作品(《弦楽四重奏曲第2番》《メーテルリンク歌曲集》など)を引用することで、私小説的な性格を与える試みも、マーラーが交響曲でしばしばおこなっていたことだ。
 ただしツェムリンスキーの場合、「シンフォニエッタ」つまり「小さな交響曲」というタイトルが示すように、交響曲の可能性を極限まで押し広げたマーラーとは異なっていた。咽(むせ)ぶがごとく芳醇(ほうじゅん)な響きのなかに、時折彼の弟子であったシェーンベルク(1874~1951)を彷彿(ほうふつ)させる怜悧(れいり)な現代性が、比較的小ぶりなオーケストラによってもたらされるのもその表れ。3つの楽章それぞれに、「きわめて活き活きと」「バラード:きわめてゆったりと、だが引きずらずに」「ロンド:きわめて活き活きと」と、耽美(たんび)的な沈潜よりも、ある程度以上のスピード感が求められている点も、時代の変化を明確に感じさせる。(小宮正安

*ツェムリンスキーについて

 ウィーンにて多文化的な家庭環境に生まれる。父方の祖父アントン・ゼムリンスキ (Anton Semlinski) はバルカン半島ヴォイヴォディナ出身のアシュケナジムユダヤ人で、ハンガリーからオーストリアに移住し、おなじくユダヤ系オーストリア人の女性と結婚した。ゼムリンスキ夫妻はいずれもローマ・カトリック信者であった。そのためツェムリンスキーの父アドルフは、カトリック教徒として洗礼を受けている。ツェムリンスキーの母クララ・セモ (Clara Semo) はサラエヴォ(現・ボスニア・ヘルツェゴビナ)出身で、セファルディ系ユダヤ人の父親と、ボスニア出身のムスリムの母親との混血であった。ツェムリンスキーは、両親がユダヤ教に改宗したため、ユダヤ人として養育された。また父親は、祖先に授爵された者がないにもかかわらず、姓の前に前置詞フォン (von)」を添えるようになり、また Semlinski ではなく Zemlinszky と綴るようになった。

少年時代からピアノを始めて、休日にはシナゴーグオルガンを弾くようになり、1884年にはウィーン音楽院にも入学した。ピアノをカール・チェルニー門下のアントン・ドーアに師事し、1890年にピアノ科で表彰される。その後まもなくロベルト・フックスに作曲を師事し、作品を書き始める。

ツェムリンスキーは、ヨハネス・ブラームスの有力な後押しに恵まれた。『クラリネット三重奏曲 ニ短調』作品3(1896年)を出版するようジムロック社に推薦してくれたのもブラームスだった。1895年にツェムリンスキーが結成したアマチュア・オーケストラ「ポリュヒュムニア」 (Polyhymnia) において、チェリストとして入団したシェーンベルクと出会う。2人は親しい友人となっただけでなく、後にシェーンベルクがツェムリンスキーの妹マティルデと結婚したことから、義理の兄弟となった。ツェムリンスキーはシェーンベルクに対位法の指導を行なっているが、これは結局シェーンベルクが受けた唯一の公式な音楽教育となった。ツェムリンスキーの門弟はほかに、アルマ・マーラーカール・ヴァイグルエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトらがいる。

1897年変ロ調の交響曲がウィーンで初演され、成功を収めた。1899年にはウィーン・カール劇場の楽長に就任。1900年グスタフ・マーラーウィーン宮廷歌劇場にてオペラ『昔あるとき』 (Es war einmal...) の初演を指揮すると、作曲家としての名声はさらに高まった。

 

②R. シュトラウス『ホルン協奏曲 第1番 変ホ長調 作品11』

(曲について)

 マーラーやツェムリンスキーと並び、「世紀末/世紀転換期」の音楽の旗手となるリヒャルト・シュトラウス(1864~1949)。ただしこの協奏曲は、そうした音楽の基となったワーグナー(1813~1883)からの影響を大いに発揮する以前の1882年から1883年にかけて作られ、モーツァルト(1756~1791)などのホルン協奏曲をも彷彿(ほうふつ)させる「保守的な」作品と言われることもある。
全編に溢(あふ)れる典雅な響きや、「アレグロ」「アンダンテ」「ロンド:アレグロ」という古典派以来の協奏曲の形式に則って書かれている点など、「天才少年」として鳴らしたR.シュトラウスが、「神童」モーツァルトの伝統に倣った若書きの作品とも捉えられるだろう。R.シュトラウスの父親自身が大のワーグナー嫌いで、保守的な音楽を好んだホルン奏者だった(彼自身、ホルン協奏曲を書いている)ことを考えると尚更である。
ただし、やがてワーグナーに傾倒し、交響詩をはじめ当時の音楽界から超モダンと見なされる作品を書くようになったR.シュトラウスだが、徐々にワーグナーの巨大すぎる影に悩み始めてゆく。またそれを打破する手段として、進歩進化を標榜(ひょうぼう)するワーグナーを生み出した19世紀的な価値観を離れ、当の19世紀がともすれば前近代として批判のやり玉にあげてきた18世紀、つまりモーツァルトの時代に彼は着目するようになっていった。折しも、世紀が変わった20世紀初頭の話である。となると、この《ホルン協奏曲》も、そうしたR.シュトラウスの新たな視点を、先取りするものだったのかもしれない。(小宮正安)

 

③ドヴォルザーク『交響詩〈のばと〉作品110』

(曲について)

 ドヴォルザークは1896年のはじめに最初の3作品の交響詩を仕上げた後、数か月の時間を空けて4作目となる本作に取り掛かった。1896年10月から11月にかけて作曲されたこの作品は、1897年1月に改訂された後の1898年3月20日にブルノレオシュ・ヤナーチェク指揮により初演された。

先行する3曲同様、曲の筋書きはカレル・ヤロミール・エルベンのバラード集『花束英語版)』中の一片である同名の詩から採られている。楽曲は葬送行進曲の間にスケルツォが挟まれる形式となっている。

 

④ヤナーチェク『シンフォニエッタ』
(曲について)

大オーケストラのための《シンフォニエッタ》は、当初は「軍隊シンフォニエッタ」や「ソコルの祭典」と呼ばれていた。シンフォニエッタは、元来「小交響曲」といったほどの意味があるが、本作はもともと軍楽として構想されたためもあり、伝統的なソナタ形式ロンド形式は斥けられており、交響曲としての性格は失われている。しかしながら本作はヤナーチェク独自の堅固な構成の典型例となっており、各楽章の素材は冒頭の動機から導き出されていく。ヤナーチェクの《シンフォニエッタ》で目立っているのは、金管楽器のみで演奏される最初のファンファーレを基礎とした、いくつかのヴァリアンテである。

*ヤナーチェクについて

モラヴィア(現在チェコ東部)出身の作曲家(1854-1928)モラヴィア地方の民族音楽研究から生み出された発話旋律または旋律曲線と呼ばれる旋律を着想の材料とし、オペラをはじめ管弦楽曲、室内楽曲、ピアノ曲、合唱曲に多くの作品を残した。そのオペラ作品は死後、1950年代にオーストラリアの指揮者チャールズ・マッケラスの尽力により中部ヨーロッパの外に出て、1970年代以降は広く世に知られるようになった。

 

【演奏の模様】

①ツェムリンスキー『シンフォニエッタ 作品23』

〇楽器編成:フルート2 (ピッコロ1)、オーボエ2(イングリッシュ・ホルン1)、クラリネット2 (Eョクラリネット1)、ファゴット2、

ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、ティンパニ、シンバル、小太鼓、トムトム、トライアングル、タンプリン、グロッケンシュピール、シロフォン、ハープ1、弦楽五部14型(14-12-10-8-6)

〇全三楽章構成

第1楽章 Sehr lebhaft                                         

第2楽章 Ballade:Sehr gemessen[poco adagio ,doch nicht scheleppend 

第3楽章 Sehr lebhaft

 

 ツェムリンスキーの作品は、オペラ『フィレンツェの悲劇』を、新国劇場で三日前に観、聴きしたばかりです。その時は沼尻指揮・東フィルの演奏で、近代的響きというよりも、後期ロマン派R.シュトラウス的響きをも感じました。しかし今日の作品では、かなり奔放に楽器の組合せを色々と変化させて、強弱・テンポも予想を遥かに越える、どちらかと言うとロマンティックな曲と言うよりも、近代的な自由奔放な響きの箇所が多く、活力は感じたものの、聴き終わった結論としては、自分にとっては、「タイプ」でないということでした。(コンマスのソロ音やOb.の美音があちこちに散りばめられキラリと光っていましたが。)何か音のご馳走、山盛りに、食欲も減退しゲップが出て、仮想満復になった感じがしました。

 今回の指揮者ペトル・ポペリカは、チェコの新星として注目され、次世代を担う人材として期待されています。確かにそのN響を牽引する指揮振りはエネルギッシュにその片鱗を見せ、この曲の雑多・複雑な調べの絡み合いを解きほごし、相当整理して響かせていたとは思います。この身振り手振りも含めた大きなスケールの指揮は、後半の交響詩やシンフォニッタの方がより発揮されました。

 

 

②R. シュトラウス『ホルン協奏曲 第1番 変ホ長調 作品11』

〇楽器編成:独奏ホルン、Fl.(2)、Ob.(2) Cl.(2) Fg.(2) Hrn.(2) Trmp.(2) 弦楽五部

〇全三楽章構成

第1楽章 Allegro

第2楽章 Andante

第3楽章 Rondo

    冒頭の第一声からしてバボラークは、堂々とした寸分のスキのない、恰もこれから狩りが始まる合図のファンファーレの如き、広い空間に広がりを持った音を、会場一杯に響かせました。合いの手を入れるポペルカ・N響の調べも後期ロマン派というよりも古典派的響きを有しています。ひとしきり長い合の手を経て再び頭を擡げるバボラークの調べ、つい口ずさみたくなる様な心地良い旋律です。コンマスのソロが、掛け合いました。Hrn.変奏部では速い上行旋律を交え、Vc.(2)の伴奏を伴いながら、比較的低音域で滔々と鳴らしていました。安定度抜群。度々上行する速いパッセジの連続を難なくこなし、オケの後奏は、リズミカルなテーマソングを、指揮者は比較的抑制的にオケを牽引していた。

 次楽章の冒頭からバボラークは、ゆっくりと滔々とした調べを静かに繰り出し、オケは弱奏でそれに寄り添っていました。CL.やFl.、Ob.の合いの手、するとソロHrn.は強い調子で明確な発音、Pizzicato奏が拍子を取り、Hrn.は上行を度々繰り返していました。ソリストは一貫して立奏ですが、動きは少し、比較的体を安定させて楽器を支え、Va.+Vc.の低音弦の間奏に続き、短調ぽい調べを弱奏してこの楽章を終えました。

 次楽章、弦楽がジャッジャジャーン、ジャッジャーンと管群と掛け合って弱音を立てると、バボラークはこれまでに無い速いテンポで、時々跳躍音を上に繰り出しながら、かなり強い調子の調べを鳴らすと、弦楽の弱い刻み奏やFl.(2)の合いの手の上でさらに音量を上げるソロHrn.バボラークの演奏は、旋律奏の完璧性の他にその音楽性、つまり音楽の解釈と表現が天才的と言って良いでしょう。終盤のほぼカデンツアと言って良いほどの、オケの弱奏音が耳に入らぬHrn.の調べだけが際立つ一人舞台は、将に達人、ヴィルトゥオーゾの為せる技でした。

 今日は、これで半分の演奏です。休憩後二曲(つまり計四曲)の演奏も楽しみとなって来ました。

 尚、バボラークはアンコール演奏を、それも普段のオケでは絶対と言っても良い程聴けない様々な音質(弦で言えば重音演奏の様な音、速い跳躍音、弱音器付の様な音、パッセッジの中での連続音色変化)を立てる超絶技巧曲を吹きました。恐らくピアノ曲か何か元があって、Hrn.用に編曲されたものでしょう。今日はNHKは休みで電話が通じないので、後日確かめて曲名が分かれば追記します。

 演奏後は、本演奏の時も含めて大きな拍手と歓声が上がっていました。

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(追記)アンコール曲名: バボラーク作曲『狩のファンファーレ』

 

 

《20分の休憩》

 

③ドヴォルザーク『交響詩〈のばと〉作品110』

 この曲はチェコの民話の一つから❝ある女が夫に毒を盛って亡き者にし、そのすぐ後に別の男と結婚する。1羽の鳩が夫の墓の上にとまり毎日のように悲しい歌を歌う。良心の呵責に耐えかねた女はついに自殺を図り、川に身を投げて溺れてしまう。❞というストリーを交響詩化したものと謂われます。

 このストーリーは確かツェムリンスキーの「フィレンツェの悲劇」のストーリー、❝夫婦の夫人が夫を裏切って浮気をし、恋慕の男(若い貴族)と夫との決闘に発展して、夫が若い男を殺してしまう❞という男女のにんじょうざた(刃傷沙汰)の裏返しの様な物語だと思いました。指揮者はチェコ出身ですから、後半のプログラムは自国の代表的二人の作曲家を当てたのでしょうけれど、選曲の際「フュレンツェの悲劇」が頭をよぎった可能性も有るかも知れない(ヤナーチェクの選曲はドヴォルザークの「野鳩」を初演した指揮者、ヤナーチェクを連想したのでしょうけれど)。

〇楽器編成:Fl.(2)(うち1人はPicc.持ち替え)、Ob.(2)、Cl.(2)、bas-Cl.、 Fg.(2)、Hrn.(4)、Trmp.(2)、Trmb.(2)、bas-Trmb.(Tub.持替え)、コーラングレ、Timp.、Tria.Tumb.Symb.大太鼓、Hrp. バンダTrmp.(3)、弦楽五部

 曲構成は以下の様に五部からの標題音楽です。

〇全五部構成

1Andante, Marcia Funebre 4/4拍子 ハ短調 

2Allegro - Andante 2/4拍子 イ長調

3Molto vivace-Allegretto grazioso 3/4拍子 ハ長調

4Andante 4/4拍子 ヘ短調

5Andante, Tempo I - Più Lento 4/4拍子 ハ短調

 

 ゆっくりと静かな音楽が流れ出ました、第1部です。。木管の調べに弦楽が斉奏で合わせています。何か物悲しい響きを有します。それもその筈「葬送行進曲」だというのですから。Ob.がいや増しに哀切を籠めて吹くのでした。弦楽アンサンブルが一層その響きを悲痛なまでに盛り上げ、Trnb.が何がしの哀悼のファンファーレでしょうか、大きな音を立てるのでした。 N響奏者もかなり指揮者に慣れその個性を飲み込んできた模様で、結構大きい仕草で各パートに指示を出すポペルカの変化に、機敏に反応していました。

 配布のプログラムノートに依ればこの死者は、喪主の妻により毒殺された夫だというのですから、サスペンスドラマ並みです。しかしメインテーマに差し挟まれるTrmp.Fl.2Vn.などによるテンポの速いタラタラタラタラと下行する合の手は何か葬送の列を遮っている様な感じ、これもプログラムノートによれば、葬列を率いる殺人者の夫人の偽善性の暗示という事でしょうか。曲全体としては、ドヴォルザークの親しみ易く分かり易いオーケストレーションがスムーズに耳から聴いている体に吸収され腑にストンと落ちる思いでした。

 続く3部では、新たな若い男の出現をバンダのTrmp.の調べが表し、結局喪主の女はその農夫と再婚するのですが、この辺りは冒頭の切なさは影を潜め、むしろ明るく軽快で、歩みも軽々とした印象の箇所でした。

 続く第4部では冒頭のしめやかな調べが調性を変えて再出現、Fl.が野鳩の鳴き声を模し、隠れた女の犯罪と罪を暴いて鳴いているというのです。世界的に鳩は平和の象徴とは謂われることが多いですが、ポアロみたいな悪事を暴くことの象徴にもなるのですね。(←感心!)ここでOb.に似ているがもっと低くて深い音が響きました。演奏者が見えませんでしたが、後で調べると、バスクラリネッットの調べでした。場面に良く合っている響き。

 最終場面6では、野鳩の鳴き声に心を射られ自らの罪の重さに耐えかねて死んでしまった女の魂を浄化する美しいコンマスのソロの調べはとても清明で将に浄化作用を感じさせるものでした。この場面は、野鳩に姿を借りた大きな存在(神)のなせる技と、ドヴォルザークは言いたかったのかも知れません。

 

④ヤナーチェク『シンフォニエッタ』

 先ず会場では楽器奏者の椅子が追加された模様で、奏者が入場着席すると、舞台の最上段には横一列の金管部隊が並んだのには「オー」と少しびっくり。全部で13人います。向かって左(下手)からTrmp.(9)、Bas-Trmp.(2)、Ten.-Tub.(2)の13人の金管バンダ部隊です。会場外では有りませんがバンダというらしい。これとは別に通常位置にTrmp.(3)がおります。それからTen.-Tub.(2)はユーフォニアム(2)で代替されていました。

〇楽器編成:フルート4 (ピッコロ1)、オーボエ2 (イングリッシュ・ホルン1)、クラリネット2 (Esクラリネット1)、バス・クラリネット1、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン4、テューバ1、ティンパニ、シンバル、グロッケンシュピール、ハーブ1、弦楽、パンダ:トランペット9、バス・トランペット2、テナー・テューバ2(今回はユーフォニアムで演奏)

 

〇全五楽章構成

①第1楽章「ファンファーレ」:アレグレット Allegretto変ニ長調、4分の2拍子

②第2楽章「城塞(シュピルベルク城)」:アンダンテ Andante変イ短調8分の4拍子

③第3楽章「修道院(ブルノの王妃の修道院)」:モデラート Moderato変ホ短調2分の2拍子

④第4楽章「街路(古城に至る道)」:アレグレット Allegretto、変ニ長調、4分の2拍子

⑤第5楽章「市庁(ブルノ旧市庁舎)」:アンダンテ・コン・モート~アレグレット Andante con moto — Allegretto、変ニ長調、4分の2拍子

 

 先ず冒頭の①ファンファーレは、上記の最上段金管部隊により一斉に斉奏されました。ユーフォニウムが、ゆっくりとした先導で誘うと、Trmp.群が何パートかに分かれて、調べを繰り返し繰り返し鳴らしています。Timp.がやはり繰り返し繰り返し、拍子を取っていました。

②城塞では、金管の立てるもやもや音に続き、弦楽の速いテンポのアンサンブルが、管楽器の合いの手を受けながら、Pizzicato奏、コル・レーニョ風や弓奏の多様な奏法を駆使して、城内の喧騒を表現したのではなかろうかと思われました。何せこの曲は、チェコの独立運動にかかわっている曲だというのですから。タラララタラララという速い合いの手の囃し音が面白い。指揮者はかなりせわしく忙しく演奏パートの方を彼方此方と向き直り拍子を取っていました。終盤部ではOb..とHp.との掛け合い、いやOb.より重い音なので、Eng-Hrn.かも知れません。(席から見えない)最後はテンポアップで軽快な旋律が一気に駆け抜けました。

③修道院では優雅な弦楽奏が流れ、変奏しながらここでもEng-Hrn.の音、それからOb.の冴え冴えした合の手にTrmb.の思い音が重なり、Fl.と思しき素早い合の手も入りました。終盤は弦楽斉奏の後急速テンポ化、全管全弦の強急奏にPicc,の急速.等変化に翻弄される修道院の状況が甲斐間見えた気がしました。

④(バンダでない)Trmp.(2)による速い小振りの調べが鳴り響き、Cb.弓奏が合の手を入れます。今回の「シンフォニエッタ」では、あちこちでCb.の力強い演奏が目につきましたが、この指揮者ポペルカは元々Cb,奏者だったといいいますから、この部門の演奏はしっかりと押さえていたのでしょう。Trmp.のテーマは繰り返されHrn.(4)でもフガート、木管楽器、弦楽奏にまで伝播して、主導権はTrmb.(2)のアンサンブルに行きつ戻りつ、街路を行き交う人々の様子を表現したかったのでしょう。

⑤最終の市庁舎では、冒頭と同じ最上段バンダ部隊が活躍するのですが、それに至る前に美しいFl.ソロが弦楽の支えを受けて鳴り響き、またEng-Hrn.等の美しい調べがリレーされて、Cl. Picc.に引き継がれると、やっと最後の祝典的バンダのファンファーレの渦がTimp.のリズムに乗って賑々しく繰り返されて終わりを迎えるのでした。この曲風から推量すると、独立愛国運動は成功裡に終わったのでしょうね、きっと。

 

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