【日時】2024.11.24(日) 17:00〜
【会場】ミューザ川崎シンフォニーホール
【管弦楽】バイエルン放送交響楽団
【指揮】サー・サイモン・ラトル(バイエルン放送交響楽団 首席指揮者) Sir Simon Rattle, Chief conductor
〈Profile〉
納得のカリスマ性、実験することへの愛、現代音楽への献身的な取り組み、社 会的・教育的な事柄への多大なる関与、そして真摯な芸術性、これらすべてが、 リヴァプール出身のサイモン・ラトルを、現代で最も魅力的な指揮者の一人にし ている。
2023/2024シーズンよりバイエルン放送交響楽団及び合唱団の新しい首席指 揮者に就任したサイモン・ラトルはバーミンガム市交響楽団時代(1980-1998年) に同楽団を世界的な名声へと導き、自身も国際的に高い評価を獲得した。2002 年から2018年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者、2017年か ら2023年までロンドン交響楽団の音楽監督を務めながら、ウィーン・フィルハーモ ニー管弦楽団をはじめとする世界の一流オーケストラにも定期的に客演するなど 長年の関係を保持している。
これまでにバイエルン放送交響楽団と録音した、リヒャルト・ワーグナー: ≪ラ インの黄金≫、≪ワルキューレ≫、≪ジークフリート≫、マーラー: 「大地の歌」そし て「交響曲第9番」は、ディアパソン・ドール賞、スーパーソニック・ピッツィカート賞、 そしてグラモフォン誌のエディターズ・チョイスに選出され、高い評価を得ている。
【出演】チョ・ソンジン(ピアノ)
(Profile)
1994年ソウル生まれ。6歳でピアノを始め、11歳で初めてリサイタルを行 う。2009年浜松国際ピアノコンクール最年少優勝。2011年チャイコフスキー 国際コンクール第3位入賞。2012-15年にパリ音楽院でミシェル・ベロフに学 ぶ。2015年第17回ショパン国際ピアノコンクール優勝。翌年にドイツ・グラモ フォンと専属契約締結。2023年サムスン湖巖賞受賞。これまでベルリン・ フィル、ウィーン・フィル等世界有数の楽団と多数共演。指揮者ではネルソン ス、ラトル等と定期的に共演を重ねている。今シーズンはモーツァルテウム管 とのザルツブルク音楽祭へのデビューや、BBCプロムス、カーネギーホー ルへの再出演など多くの公演を予定する。圧倒的な才能と生来の音楽性を 持ち、同世代の最も優れた才能を持つひとりとして名を成している。
【曲⽬】
①ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第2番変ロ長調 作品19
(曲について)
変ロ長調 作品19は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが1786年から1795年にかけて作曲したピアノ協奏曲。「第2番」とされているが、実際は第1番よりも先に作曲されている。
従来は1793年頃から作曲とされていたが、近年になって作曲は1786年頃(あるいは翌年)から着手されたことが判明しており、順列としては、ピアノ協奏曲第0番 変ホ長調(WoO.4)の次に作曲に着手したことになる。また本作には4種類の改訂稿が存在し、これらの改訂稿はそれぞれボンに住んでいた時期(1790年頃,作曲者は当時20歳)から1798年(当時28歳)にかけて施している。完成は1795年3月になされ、初演は同年の3月29日にウィーンのブルク劇場で催された慈善演奏会にて、ベートーヴェンのピアノ独奏によって行われた[注釈 3]。この初演は作曲者にとって初のウィーンでのデビューであった。
カデンツァはベートーヴェン自身により1曲書かれ、81小節ある。これは後援者のルドルフ大公のために1809年頃に書かれたとされる
②ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調WAB 109(コールス校訂版)
(曲について)
1887年、アントン・ブルックナー (1824~1896)は、せっかく完成させた「交響曲第8番」が指揮者ヘルマン・レーヴィからの不評を買い、たびかさなる改訂を続けたため(しか も過去の自作にまで手を入れたため)、完成後すぐに始められた「交響曲第9番」の作曲は長期にわたって中断される。再開されたのは、ようやく1891年になってからであった。
その後も作曲の筆は遅々として進まない。1894年までには第3楽章まで完成していたが、 ブルックナーは自身の健康の衰えを自覚していたのか、もしこの作品を完成させることなく 自分が亡くなったならば、第4楽章の代わりに、自作の「テ・デウム」を最後に演奏してほ しい、と、ウィーン大学における和声法講義の最終回で述べたと伝えられている。衰弱する一方の作曲家に、この作品を最後まで完成する余力はなかったが、1896年10月11日、死の当日も第4楽章 の作曲に取り組んでいた、と言われている。第4楽章は冒頭の172小節は完全にオーケストレーションが終了しており、スケッチも400ページ以上が残されているため、後世の作曲家や音楽学者によって、補作が試みられてき た。とはいえ、それまでの楽章の完成度が高く、現在ではブルックナー「未完」の大作とし て、3つの楽章だけが演奏されることが多い。
3つの主題を用いるソナタ形式で第1楽章を始めるブルックナーの作曲技法は、この作品に よって最終的な完成形へと至った。とくに展開部で再現部第1主題を縦横に用いる手法は洗 練の極みを見せている(それ故に再現部では第2・3主題のみが扱われる)。主和音の上にナ ポリの六度和音を重ねる壮大な終結部は、まさに神の栄光を感じさせる荘厳な響きに満ちて いる。複合三部形式による第2楽章・スケルツォも初期から基本的には変わらないが、他の 交響曲に比べると民族的・歌謡的要素が背景に引き、トリスタン和音を含むワーグナー的書 法が大胆に採り入れられているといえようか。だがなによりも充実の響きを聴かせるのは第3楽章だろう。9度の跳躍を含む第1主題はどこか「第5番」最終楽章第1主題にも似て、神へ の痛切な訴えにも聞こえる。本来は終楽章で先行作品の引用を用いるブルックナーではある が、この楽章最後にミサ曲の主題、あるいは「第7番」 「第8番」で用いられた主題を引用しているのは、これに続く楽章をもはや完成できない、とどこかで悟っていた故なのだろうか。
未完なので、作曲者による別の「稿」は存在しない。1903年に出版された「初版」は、 フェルディナント・レーヴェによって数々の変更が加えられ、いわゆる「改竄版」と呼ばれ ている。旧全集ではアルフレート・オーレルがこの作品の校訂を手がけ (1934年)、レーヴェ によって施された改変を除去し、もとの形に直そうとした。ノヴァーク版(1951年)は、 オーレル版とほとんど差異がない。その後、ウィーンで発見された筆写譜を参考に、ベンヤ ミン・グンナー・コールスによる新たな版がブルックナー協会から出版されており (2000 年)、今回の演奏でもこの版が用いられる。第4楽章の断片を完成させる試みは、現在もさま ざまに継続中である。
なお、20世紀に近くなっても、完成した作品を身近なひとに献呈する習慣は残っていた が、ブルックナーの献呈先はかなり特殊だろう。「第7番」はバイエルン国王ルートヴィヒ2 世、「第8番」はハプスブルク皇帝フランツ=ヨーゼフ1世だった。この世でもっとも尊い、 神に近い存在に自作を捧げた(そしてその献呈はどちらも受け容れられた)のだが、「第9 番」ではついに、「愛する神へ」捧げられている。この白鳥の歌をもって、ブルックナーは ついに愛する神のもとへとたどり着いたのだ。 (広瀬大介)
【演奏の模様】
【曲⽬】
①ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第2番
〇楽器編成:独奏ピアノ、フルート1、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、二管編成弦五部8型(8-8-8-5-3)
〇全三楽章構成
第1楽章 Allegro con brio)
第2楽章 Adagio
第3楽章 Rondo, Molto allegro
チョ・ソンジンの生演奏を聴くのは二度目です。ヤマカズさんが、バーミンガム市響を率いて来日公演した時に、ショパンの2番のコンチェルトを聴きました。その時の【演奏の模様】の記録を見ると、
❝ソンジンの演奏は、一言で言うと、これ程麗しく美しい2番はこれまで聴いたことが無いというものでした。これは1番と違い余り演奏される機会が少ないせいもあります。要するに1番とは比較にならない位聴く機会がこれまで少なかったのです。そしてつい1番と比べてしまうので、自分の気持ちでは評価が下がってしまうのです。ところが今日の演奏を聴いていると、1番と比較しても甲乙つけ難い位魅力的な演奏でした。❞
とその美しいピアニズムに感心した事、また
❝特に弱音の扱い方に魅了されます。第二楽章のピアニッシモ等巧みな音量の変化で、❝ピアニッシモ王子❞と呼びたくなる程。この楽章以外でも、全体的に弱音の響きは繊細かつ微妙な変化の匙加減が見事でした。❞
とも付け加えていました。今回はベートーヴェンでしたが、その演奏を聴くと、これ等と全く同じ感想を抱きました。勿論演奏は完璧と言って良い傷の無い演奏。アゴーギクと デュナーミクを駆使した表現はピアノから弾き出せる美の極致と言っても過言でないと思います。
しかしヤマカズ・バーミンガム市響との演奏では、
❝ただしオケの強奏に対抗して強いタッチで弾く箇所、例えば第3楽章の始まりから速いテンポのリズミカルなPf.の動きに合わせて弦楽奏者(殊にVn.奏者)は、弓の根元を使って力一般運弓して大音のアンサンブルを張り上げているのに比すれば、ソンジンの強打鍵はやや物足りないというか、何か優しい穏やかな雰囲気を脱ぎ捨てられない育ちの良さみたいなところがあり、この感じは最後まで覆ることは有りませんでした。❞
とも感じた事でした。これまた今回にも当て嵌まりました。その時はさらにアンコールで弾いたラヴェルの演奏は、力強くパワフルで
❝ところがこの評価は取り下げざるを得ない場面にぶつかったのです。~中略〜ソリストアンコール曲を弾き始めたのです。多分ラヴェルだとは推測出来ましたが、初めて聴く曲なので曲名は分かりません。この演奏が非常に力が籠っていて、しかも強弱の変化に富み、テンポも色々と変化するのです。その底辺に漲っているパワフルな雰囲気を彼は力一杯表現したのでした。そうか、曲によってはこの様な演奏も出来るピアニストなのだ❞
と前言の一つを撤回したのでした。しかし、これについては今回のベートーヴェンの演奏では撤回出来ません。何故かと言うと、今回のベトコン2の演奏では、もっともっと強打健で迫力ある力を漲らせた演奏が必要な箇所も複数あるからでした。第1楽章のカデンツァ部など。例えば働き盛りのアルゲリッチの演奏他(Beethoven - Piano Concerto no.2 Bb op.19 - Argerich M.,Mahler CO,Abbado C. - June 2000 - Ferrara これが完全な演奏とは必ずしも思いませんが。)の様な荒々しさも残る強い演奏。
一方こうした事の他に今回特に考えたことは、ピアノが昔のハープシコード等に比して格段に、飛躍的に改造され進歩を遂げたことが、弾きやすい楽器、存在感のある響きを持つ楽器として、楽器の中に君臨すると言っても良い程の存在感を有することになった、その蔭に犠牲となった側面もあるかな?という事でした。つまり音の粒の事です。現在では殆どの演奏家特に若いピアニストの演奏を聴くとレガート奏法で滑らかスムーズに速いパッセジも難無く弾きこなし、素晴らしいテクニックを示す場合が珍しく在りません。今回の演奏もそういう意味では現代の代表的な演奏の一つと言っても過言ではないでしょう。でも過去(若しくは現存する)の巨匠と呼ばれたピアニストの録音を聴くと、打鍵で発する音一つ一つの粒が違うのです。特に速いパッセッジでそれが明確に現われます。バレンボエム、ゼルキン、バックハウス等の発音は、例えれば電気釜と土鍋の違い、謂わんとすることは、電気釜で炊いた白米はそれなりに美味しいし、炊き立てを刺身と共に食したらこんないいことはありません。でも土鍋で条件を最適化して炊いたご飯はふたを開けてみると白米の一個一個の粒が本当に「立って」いるのです。それを食べてみて炊飯器との差異は明らかです。美味なのです。(最近はうちでも土鍋で炊くことが多いです)。列挙したピアニスト達の音は明確に一つ一つがはっきりと存立し、特に速いパッセッジでそれが際立ちます。それで思い出したのが、旧態とのそしりを受けるかも知れませんが、「ノンレガート奏法」。その本元本山のグールドの2番の演奏を聴いてみました(Glenn Herbert Gould (1932-1982), Piano Leonard Bernstein (1918-1990), Conductor Columbia Symphony Orchestra)。そしたら粒が立っているどころか、ピアノの蓋を開けて、打鍵される度に、自己主張して持ち上がり、下がるハンマーを見る思い。明確に音一つ一つが自己主張していました。当然のことながら切れ味がとても良い音、スッキリ感、清涼感があります。(ただゆっくり、ゆったりした旋律では、少し味気無さもあるかも知れませんが) 兎に角自分として言いたいことは、速いパッセジをもう少し歯切れ良く耳に届いたらいいナーと妄想しただけなのです。
演奏が終わると、完売満員の客席からは大きな拍手が鳴り響き、その観客の歓呼・喝采に答えたピアニストは、アンコール演奏を弾き始めました。
《アンコール演奏曲》ハイドン『ピアノソナタ53番』より第3楽章。
この曲は上記した昨年の「演奏会のアンコールのラヴェルの曲とは違って、テンポは速いリズミカルな曲なのですが、大変美しく今回の本演奏の調べの美しさに列せられる上品な演奏でした。
チョ・ソンジンは、既にベルリンフィルとの共演もこなしていて、その様子は、ベルリンフィル・デジタルコンサートホールで観ることが出来ます(有料)。
今後益々活躍することが期待されます。
②ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調(コールス校訂版)
〇楽器編成:フルート4オーボエ4クラリネット4ファゴット4ホルン8(第5 - 8ホルンはワーグナーチューバと持ち替え)トランペット4トロンボーン4バス・チューバ1ティンパニ1 四管編成弦楽五部16型(16-14-14-10-8)
〇全三楽章構成
第1楽章Feierlich, misterioso(荘重に神秘的に)
第2楽Scherzo. Bewegt, lebhaft - Trio. Schnell(スケルツォ。軽く、快活に - トリオ、急速に)
第3楽章Adagio. Langsam, feierlich(アダージョ。遅く、荘重に)
先ず最初に強調したいことは、このホールの構造はスパイラル構造であり、どの方角の座席からもステージまでの距離は大きな差が無く、謂わば帽子を逆さにしたカンカン帽子の様な形状をしているのが大きな特徴です。そのメリットは「音響がいいこと」です。この音響の良さは今回も実感しました。今回はチケット販売日の状況から必ずチケットを取るという目標を立てたので、ネット手続きがうまくいき、上階席でしたが、ステージからほぼ正面の席を得ることが出来ました。そこで聴いた音も見晴らしも随分と良かった。
第1楽章トレモロの響きが次第に大きな音に鳴って行くと金管群が堂々と分厚い斉奏を響かせ次第に全管弦の全奏に至りそれが下行していきました。これは将にブルックナーの醍醐味、何か神がかった印象を抱かせます。その後Fg.の合いの手が入ると曲相が変わり、弦の穏やかな調べ(第2主題)が滔々と流れCb.がずっしりと低音部を押さえて、非常に耳当たりが良いアンサンブルが温かさを醸し出しました。続いて1Vn.中心のアンサンブルにFl.が合の手を入れ、さらに⇒弦楽⇒Hrn.⇒Vc.アンサンからゲネラル パウゼ(以下G.P.と略)に至りました。弦楽の美しさも素晴らしい。この楽章でも何回かG.P.と何回かの曲相の変化があり、この楽章だけで25分近くもかかるという壮大な建築物がっそそり立った感がしました。
この9番は以前から何回か生演奏を聴いていますが、何と言ってもこの第2楽章、スケルツォ楽章の非常に特徴的な強奏部が印象的です。冒頭Pizzicatoの下行音が響き、木管の曖昧な弱音がよりそい、それが何回か繰り返されました。Pizzicato奏はかなり速いテンポで鋭い音を弾かせている。そうしたかと思いきや、Timp.の囃しと共に全弦楽が、力一杯の弓奏でジャジャジャツジャ ジャジャジャツジャと一斉に強奏に転じ、その間には木管音も伴った弱奏でターラララ ターラララという高音曖昧旋律の弦楽アンサンブルを挟みながら、更なる強奏が弦楽から金管群を巻き込んで、広がるのでした。このテーマと言うかパッセッジ群はその後、この楽章に於ける大きな息使いとして何回も顔を表すのでした。
第3楽章、1Vn.アンサンがゆっくりと低音から高音さらに低音へとうねるが如き重い動きを見せます。ラトル・バイエルン響の高音の弦楽奏と金管群の斉奏のゆったりした調べの神々しさはピカ一でした。暫しG.P.の後のOb.の演奏がこれ又素晴らしい調べでした。 背景ではHrn.の静かな調べが響き、途中からVc.アンサンブルの太い調べが鳴り始めるとFl.音が合の手を入れ再度Hrn.が滔々と鳴らされるのでした。
またこの楽章ではワーグナー・テューバ(W.T.と略記)が大活躍でした(2楽章から登場)。舞台中央寄りに二人づつ雛壇を右方上に2段Hrn.奏者が並び(2×2=4人)さらにもう一つ上段に二人のW.T.奏者、その(向かって)左に横一列で2人のW.T.奏者(2+2=4人)が並びました。Hrn.の音とも違ったやや地味なW.T.の音は、弦楽奏に散りばめられると深味の有るアンサンブルに変身です。荘厳なコラール風の主題が挿入されした。第1楽章第1主題を暗示したこの主題をブルックナーは「生との訣別」と呼んだそうです。この9番及びその中の(未完の4楽章をも含め)終盤の楽章で一歩でも天上の世界に近づきたいと願う、自分の死を予感した作曲家の最後の憧憬の気持ちの表れだったのでしょう。
ラトルが一呼吸置いて方からタクトを勢いよく振り下ろすと、全オケは強奏に転じ暫し管や弦楽の弱奏が差し挟まれますが(これがまた麗しい美しい調べなのですね、ウットリ)、この楽章が一番長大で、30分近くこうした強・弱を交えた緩やかでゆっくりとした進行がもうこの世の雑然さとは切り離されたかの様な日常離れした雰囲気を醸し出していましたが、人によってはこの辺りは眠気を催すかも知れません。
次第に盛り上がる全オーケストラ、最終部の強奏では天と地がひっくり返るのではと思われる程のオーケストラの鳴らす上行する轟音に、一種魂の叫びを感じるのでした。弦楽奏など一途にトレモロの強奏音を同じ調子で続けるのみ、まるでミニマル音楽のようです。ラトルの腕が横に開かれ手を止め、それら全体を一旦終させると、最後は、Ob.の弱いソロ音が響く中、→ Hrn.→ 弦楽弱音奏→Ob.→Fl.と静かに推移し、また自身の交響曲第8番第3楽章の冒頭や第7番第1楽章の第1主題などが、回想され、平穏なとても気持ちいい雰囲気の中、最後はHrn.とW.T.の調べで閉じるのでした。これがブルックナーの目指した神の国に近づく事だったのでしょうか。
演奏が終わってラトルがゆっくりとタクトを降ろすのを待った満員の観客は、万来の拍手と歓呼でその演奏を讃えました。
いつまでも鳴りやまない拍手のソロカーテンコールに応え、再度舞台に登場して歓呼に答えたラトルでした。
尚、今回のラトル・バイエルン響の来日演奏会は、サントリーホールでもあるので、聴きに行くつもりです。