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ネルソンス指揮・ウィーンフィルatサントリーホールを聴く(11/13)

【日時】2024.11.13.(水)19:00~

【会場】サントリーホール

【管弦楽】ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

【指揮】アンドリス・ネルソンス

<Profile>

 ボストン交響楽団の音楽監督、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスターとして、両楽団間の先駆的な連携のリーダーシップを発揮し、今日の国際的な音楽舞台で最も著名で革新的な指揮者として位置付けられている。ボストン響とは、ショスタコーヴィチ交響曲全曲と『ムツェンスク郡のマクベス夫人』の録音プロジェクトを行い、4つのグラミー賞を獲得している。ラトヴィア国立オペラ管弦楽団のトランペット奏者としてキャリアをスタート。その一方で指揮も学びはじめ、2003~07年までラトヴィア国立オペラの音楽監督を務める。これまでにベルリン・フィル、ロイヤル・コンセルトヘボウ管などとも共演、ロイヤル・オペラ・ハウス、バイロイト音楽祭などにも定期的に出演。ウィーン・フィルとはベートーヴェンの交響曲全曲録音を行ったほか、20年1月にはニューイヤー・コンサートを、22年にはシェーンブルン宮殿でのサマーナイト・コンサートを指揮した。

 

【独奏】イェフィム・ブロンフマン

  <Profile>

 今日世界でもっとも敬愛されているピアニストの一人である。その卓越したテクニック、力強さ、そして並外れた抒情性は常に称賛を受けており、各地の音楽祭への出演や、オーケストラ、指揮者との共演、さらにはリサイタル・シリーズの開催など、世界中の楽壇から求められる数少ない音楽家の一人である。旧ソ連タシケント生まれ。イスラエルでは、ピアニストでありテル・アヴィヴ大学ルービン音楽院の学長でもあったアリエ・ヴァルディのもとで学んだ。アメリカでは、ジュリアード音楽院、マールボロ音楽学校、カーティス音楽院で学び、ルドルフ・フィルクスニー、レオン・フライシャー、ルドルフ・ゼルキンに師事した。1991年にアメリカの器楽奏者にとって最も栄誉ある賞のひとつであるエイヴリー・フィッシャー賞を受賞。さらに2010年には、世界最高レベルのピアニストに与えられるジーン・ギンベル・レーン賞を、15年にはマンハッタン音楽院から名誉博士号を授与された。

 

【曲目】

①ベートーヴェン『ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 作品37 』

(曲について)

  ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが遺したピアノ協奏曲の一つ。ベートーヴェンのピアノ協奏曲中唯一の短調である。1796年に当楽曲のスケッチを開始、当初は『交響曲第1番ハ長調』初演と同日付である1800年4月2日の初演を目指していたが、この時点では冒頭楽章しか出来ていなかった。

それから約3年後にあたる1803年4月5日にようやく初演にこぎ着けたものの、この時にも独奏ピアノ・パートは殆ど空白のままで、ベートーヴェン自身がピアノ独奏者として即興で乗り切ったという。
独奏ピアノ・パートが完成してから最初に演奏が行われたのは、初演から1年余り経った1804年7月のことで、この時にはベートーヴェンの弟子であるフェルディナント・リースがピアノ独奏者を務めた[2]

なお、当楽曲初演の前年にあたる1802年にベートーヴェンは自身の耳の疾患に対する絶望感などから「ハイリゲンシュタットの遺書」をしたためているが、前記で触れているように彼自身が当楽曲の初演でピアノ独奏者を務めていることから、当楽曲初演時点では彼の耳の病状はそれほど深刻では無かったと推測することが出来る。


②R.シュトラウス:交響詩『英雄の生涯』作品40

(曲について)

 副題に “Tondichtung für großes Orchester” (大管弦楽のための交響詩)とあるように、演奏するには105名から成る4管編成のオーケストラが必要となる。またオーケストレーションが頂点に達している曲とも言われ、技術的にもオーケストラにとって演奏困難な曲の一つに数えられており、オーケストラの実力が試される曲としても知られている。

 この曲の「英雄」とはリヒャルト・シュトラウス自身を指すと言われているが、作曲者本人は「それを知る必要はない」としており、この曲にプログラムがあることを言明していない。

 この曲はベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』(エロイカ)と同じ変ホ長調を主調としている。シュトラウスは日記に作曲の進捗を記しているが、そこでは最終的なタイトルを "Ein Heldenleben" と決めるまで、この曲のことを "Eroica" と呼んでいた。友人に宛てた手紙でも「近頃ベートーヴェンの英雄交響曲は人気がなく、演奏されることも少ない」と冗談を言い、「そこで今、代わりとなる交響詩を作曲している」と述べている。またこの曲では、シュトラウスの他の作品からの引用とともに、ベートーヴェンの『英雄』のフレーズも断片的に引用されている。1898年の8月2日から12月27日にわたって作曲された。ウィレム・メンゲルベルクとアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団に献呈されている。1899年3月3日作曲者自身の指揮、フランクフルト・ムゼウム管弦楽団により初演された。

 

 

【演奏の模様】

①ベートーヴェン『ピアノ協奏曲第3番』

全三楽章構成

第1楽章Allegro con brio

第2楽章 Largo

第3楽章 Molto allegro

 ベートーヴェンのピアノコンチェルトというと、実演では、皇帝(5番)や4番が多く演奏されますが、最近では3番や1番がピアニストに選ばれて演奏されるケースも珍しくなくなって来ました。今回は、3番です。ブロンフマンの実演奏を聴くのは、二度目です。指揮者と連れ立って登場したピアニストは、白髪のご老人になっていました。年齢は知りませんが、その風貌と雰囲気からして、如何にも百戦錬磨のヴィルトゥオーゾといった感じだった。これはきっとかなり凄い演奏が期待出来そうと思いました。

 その期待感は、矢張り当たりました、と言っても、少し違った形態で目の当たりにした名人芸でした。要するに、力でバリバリと迫力ある推進力のエネルギーを漲らせる演奏ではなく、見かけの通り、老成した仙人の様な人間離れした神がかりの素晴らしい演奏だったのです。

特に第ニ楽章の演奏が、白眉の見事な表現でした。この様なニ楽章はこれまで聴いたことがないと思われる程の美しく且つかぐわしい演奏だったのです。突き詰めて言えば、心で弾いているブロンフマン。謂わば、ベートーヴェンの曲をブロンフマンの心で受け止め、心の襞で一旦濾過しそれを吐き出す息づかいも七変化、自在に指使いを操って発音しているのです。ゆっくりな旋律だからこそ、その演奏が息づき、生き生きと生命力に溢れ、周りの空気をかぐわしい香りで満たし、幸福感に浸してくれる神がかった力を発揮出来るのでしょう。またこうした独奏が可能となったもう一つの要因は、ネルソンス・ウィーンフィルのブロンフマンのピアノを下支えした演奏力でしょう。曲自体が、ビアノの旋律と管弦楽の旋律が余りバッティングしない配慮があり、強奏部は互いに掛け合う時間差を有しているので、オケの強奏部でも、独奏ピアノの音がかき消されることは、殆ど有りませんでした、少い例を除いては。要するにブロンフマンの演奏にピッタリ寄り添ったウィーンフィルの演奏だったと言えるでしょう。

 演奏が終わって何回か指揮者と共にステージに現れたブロンフマン、指揮者が伴わないで、登壇したと思ったら、やおらピアノの前にすわり、ソロアンコール演奏を始めたのでした。

 

《ソロアンコール曲》ベートーヴェン『ピアノソナタ第7番イ長調Op.10-3』より第ニ楽章

 

 随分長い時間演奏していました。それもそのはず、何回も、ベートーヴェンのソナタ全集は聴いて知っていると思っていた自分でも最初何の曲かなと思う程スローテンボで、引き始まり、そのペースは、さらにゆっくりと弾くこてはあっても、けっして速まることはなかったからです。この様な7番ソナタも聴いたことが有りませんでした。ブロンフマンは、本演奏がそうであった様に、心でこのソナタを弾いたのです。他の演奏では、得られない、何とも言えない味のある7番演奏になったのでした。ブラヴォー!!

 

②R.シュトラウス:交響詩『英雄の生涯』作品40

 この曲では、副題に “Tondichtung für großes Orchester” (大管弦楽のための交響詩)とあるように、演奏するには105名から成る4管編成オーケストラが必要となる。またオーケストレーションが頂点に達している曲とも言われ、技術的にもオーケストラにとって演奏困難な曲の一つに数えられており、オーケストラの実力が試される曲としても知られているそうです。

 最近この曲を聴いたのは、昨年10月にマケラ指揮オスロ・フィル、同11月には、ペトレンコ指揮ベルリンフィルの来日公演で相次いで演奏されたのを聴きました。

楽器編成(四管編成 弦楽五部16型)

編成表

木管

金管

Fl.

3, ピッコロ 1

Hr.

8

Timp.

1人

Vn.1

16

Ob.

4 (イングリッシュホルン持ち替え 1)

Trp.

5 (Es管 2, B管 3)

バスドラムシンバルスネアドラムテナードラムタムタム

Vn.2

16

Cl.

B管 2, Es cl 1, バスクラリネット 1

Trb.

3

Va.

12

Fg.

3, コントラファゴット 1

Tub.

テノールチューバ 1, バスチューバ 1

Vc.

12

 

 

Cb.

8

その他

ハープ2台

 

曲は以下の6つの部分から成り、切れ目なく演奏されます。スコア上には分類及び副題は記されていません。演奏時間は約45分。

  1. Der Held (英雄)
  2. Des Helden Widersacher (英雄の敵)
  3. Des Helden Gefährtin (英雄の伴侶)
  4. Des Helden Walstatt (英雄の戦場)
  5. Des Helden Friedenswerke (英雄の業績)
  6. Des Helden Weltflucht und Vollendung der Wissenschaft (英雄の隠遁と完成)

なお、曲の最後の部分は、ヴァイオリンとホルンのソロが静かに消え入るように終わる第1稿と、一度金管群の和音で雄大に盛り上がってから終わる第2稿がありますが、第1稿による演奏は珍しく、ほとんどが第2稿によって演奏されます。

 第一楽章冒頭、、Vc.を中心とした低音弦の唸りが、百獣の王ライオンの一声の様にいきなり鳴り響き、それに誘発された高音弦も加わって、壮大な弦楽奏のアンサンブルが轟きました。管(Htrn.木管等)の咆哮も加わっているのですが、弦楽奏の分厚い調べに埋もれて目立ちません。次第に跛行的に上行する弦楽奏、再びHrn.の咆哮が叫びを上げ、頂点に達したと思いきや、音は三回中断、短い最後の鳴り響きで「英雄」の団は急終でした。

 間髪を空けず、FL.のソロで鳥まがいの鳴き声が響き、他木管の音も蠢き合いました。これは英雄に対する嘲笑の声だとも謂われます。確かに心地良い鳴き声では有りません、鳥たちが何かペチャクチャ噂をし合っている感じ。するとVc.アンサンブルが落ちついた調べを奏で始めました。Vn.アンサンブルも不安そうな調べでそれに加わり、再度の木管によるペチャクチャ音が割り込むも、弦楽章が遮りました。「英雄の敵」

 突如コンマスによるソロVn.の麗しい調べが流れ出しました。管弦の合いの手も入り、ソロVn.との掛け合いも楽しそう。一時ソロ演奏は、鳥たちのペチャクチャ声のテーマを鳴らすもすぐに消えて、外野の音は耳にしないという事なのか?麗しいソロが続きました。Vn.ソロは重音有り、Pizzicato交えた奏法あり、二重旋律奏あり、相当なテクニックを駆使した、Vn.コンチェルト的雰囲気をコンマスは見事に醸し出して、この曲の一つの見せ場を盛り上げていました。「英雄の伴侶」

 (コンマスの麗しいソロ演奏の魅せ処は、最終場面でももう一回腕を振るう場面がありました。)

 続く「英雄の戦場」に入り、弦楽奏の太い調べが響くと、バンダのTrmp.が鳴り出しました。かなり遠くからを連想する弱い音でした。さぁいざ出陣とばかり、金管群が轟々と鳴らし、Timp.は乱打され、Hrn.が吠え、弦楽は全楽強奏、激しく鳴り響くオケは、混沌の坩堝に化しました。スネアの激しい音、Tubaや大太鼓が囃子立て、Trmp.(4)は弦楽奏を強奏に誘い、Picc.はピーピーと甲高く相当な強さで鳴らされ、 激しいオケの轟音は、物凄く迫力のあるものでした。オーケストラの調べの源が推移する節目節目で、ネルソンスは、やや膝を曲げる姿勢で、音源のパートに、タクト或いは腕の振り、目配せと様々な手段で、時には拳骨を振り上げて、指示・合図を出していました。

 「英雄の業績」では、Hrn.により交響詩『ドン・ファン』のテーマが、弦により交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』のテーマ、『死と変容』『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』『マクベス』『ドン・キホーテ』など、それまでのシュトラウスの作品からのパッセッジが次々と引用されました。このこと一つを取って、当時は、シュトラウスの自慢、自己顕示の現れと貶す向きもあった様です。そして次第にテンポがゆるくなって最終局面に至るのでした。 

 終盤の最大の白眉は、上記した様に、コンマスのソロ演奏でした。美しいねいろのヴァイオリン奏、ストバリを使っているのかどうかは、分かりませんが、兎に角世界の一流のヴァイオリニストもかくもやと思う程の極上の素晴らしい音を立てていました。その上、その技術がこれまた素晴らしい、「英雄の伴侶」で上記した様に、いろいろなテクニックを駆使して、この最終場面でも、様々な表現を、これでもかこれでもかと飽くなき探究心の成果を披露するが如き名人芸と言っても良い程の演奏でした。それにしてもウィーンフィルは、いいコンマスを抱えていますね。これまで聴いた海外オケのなかでもピカ一では?

 こうして、『英雄の生涯』は、ハッピーに最後の終焉の高揚を経て幕を閉じたのでした。ゆっくりとタクトを降ろすまでが、長いと感じられる程の会場の沈黙、終わりが分かった途端に超満員の会場は、大きな興奮の渦となり、沸きにわいたのでした。

 各パート毎に奮闘を讃える指揮者と聴衆。興奮冷め止まぬうちに、再び指揮台に登ったネルソンスは、アンコール演奏を振り始めました。

アンコールは、一曲にとどまらず、再度二曲目も演奏されたのです。

 

《アンコール曲》

①ヨハン・シュトラウスⅡ世『ワルツ〈人生を楽しめ〉Op.340』

②ヨゼフ・シュトラウス『ポルカ・シュネル〈飛ぶように急いで〉Op.230』

 

何れもウィンナー独特の三拍子を堪能したのでした。先日のミューザ川崎の時もこれとは異なるアンコール曲でしたが、ワルツとポルカそしてシュトラウスⅡ世及びヨゼフからの選曲という点では、同じ傾向がありました。

 今回のウィーンフィルの演奏会は、ノーピクチャーというアナウンスがしつこい程流され、カーテンコールも撮影禁止とのことでしたが、

全ての演奏が終わって楽団員が退席した後も鳴り響く拍手に舞台に現れたネルソンスは、ホールのあちこちに最後の挨拶をしてエールを交換していました。

 今日の演奏会もとても良かったです。記憶に長く留まるでしょう。