⭕️ハンパ無い各パートの力奏!
⭕️変幻自在の演奏技術
⭕️パート間のやり取りの巧みさ!
⭕️ネルソンスの抜群の統率力!
⭕️濃厚なアンサンブルの風圧に晒された2時間!
⭕️一足先のニューイヤーコンサート到来か!(アンコール)
【日時】2024.11.7(木) 19:00~
【会場】ミューザ川崎シンフォニーホール
【管弦楽】ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
【指揮】アンドリス・ネルソンス
<Profile>
ボストン交響楽団の音楽監督、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスターとして、両楽団間の先駆的な連携のリーダーシップを発揮し、今日の国際的な音楽舞台で最も著名で革新的な指揮者として位置付けられている。ボストン響とは、ショスタコーヴィチ交響曲全曲と『ムツェンスク郡のマクベス夫人』の録音プロジェクトを行い、4つのグラミー賞を獲得している。ラトヴィア国立オペラ管弦楽団のトランペット奏者としてキャリアをスタート。その一方で指揮も学びはじめ、2003~07年までラトヴィア国立オペラの音楽監督を務める。これまでにベルリン・フィル、ロイヤル・コンセルトヘボウ管などとも共演、ロイヤル・オペラ・ハウス、バイロイト音楽祭などにも定期的に出演。ウィーン・フィルとはベートーヴェンの交響曲全曲録音を行ったほか、20年1月にはニューイヤー・コンサートを、22年にはシェーンブルン宮殿でのサマーナイト・コンサートを指揮した。
【曲目】
①ムソルグスキー(ショスタコーヴィチ編曲)オペラ『ホヴァンシチナ』より第1幕への前奏曲「モスクワ河の夜明け」
(曲について)
ムソルグスキーの友人で評論家のウラディーミル・スターソフは『ボリス・ゴドゥノフ』の次の歴史劇の題材として古儀式派について取り上げることを提案した。ムソルグスキーは大いに乗り気になり、スターソフの助言をもとにムソルグスキー自身が台本を製作した。しかしロマノフ朝の皇帝を舞台の登場人物とすることは禁じられていたため、中心人物であるピョートル1世を登場させることができず、勢い筋はわかりにくいものになった。
作曲は断片的に始められたが、1875年には集中して第1幕と第2幕を完成した。しかし第3幕を半分ほど作曲した1876年5月にスターソフは第2幕と第3幕の内容が劇の本筋と無関係であると批判し、改訂を勧める長文の手紙を送ってきた。ムソルグスキーはスターソフの改訂案には従わなかったが、その後は自信を失い、作曲は遅々として進まなくなった。さらに別なオペラ『ソローチンツィの市』の作曲を平行して始めたことも完成を妨げた。作曲者が1881年に他界した時は最終第5幕の古儀式派の最後の合唱の手前まで書かれていた。第2幕の終わりに置かれる予定だった五重唱も書かれずに終わり、また曲の大部分はオーケストレーションが行われていなかった。
作曲者の没後、作曲者の旧友リムスキー=コルサコフによる実用版が作成されたが、この多くの削除や改作、ワーグナー風の重厚壮麗なオーケストレーションなどによって、オリジナルをほとんど書き換えており、帝室劇場がリムスキー=コルサコフ版の上演を拒絶したため、リムスキー=コルサコフの生前にはまれにしか上演されなかった。1886年2月21日にサンクトペテルブルクでアマチュア団体によって私的に初演され、公的な初演は1892年11月7日にキエフで行われた[1]。マリインスキー劇場で上演されたのはリムスキー=コルサコフの没後、1911年になってからだった[2]。
後にムソルグスキーを敬愛したショスタコーヴィチにより、オリジナルのピアノ譜と、作曲者自身の3管編成管弦楽法の手法をもとに、改めて原曲に忠実な実用譜が作り直されたが、オーケストラの規模は当時のムソルグスキーの2管編成の様式ではない。しかしこんにちでは『ホヴァーンシチナ』の上演に用いられる実用譜はたいていショスタコーヴィチ版であり、リムスキー=コルサコフ版は有名な前奏曲「モスクワ河の夜明け」が演奏・録音されている程度である。
②ショスタコーヴィチ『交響曲第9番 変ホ長調 Op.70』
(曲について)
第二次世界大戦のさなかに、第7番、第8番の2作品を発表したショスタコーヴィチは、戦後にこの曲を発表した。いわゆる「戦争3部作」の最後の作品である。初演当時は「勝利の交響曲」とも呼ばれたが、前2作とはかけ離れた軽妙洒脱な作品は、ベートーヴェンが作曲したような壮大な「第九」を望んでいた当局の意向に沿わなかった。彼はその後、いわゆるジダーノフ批判を受け、苦境に立たされることとなる。
この作品は、第二次世界大戦(ロシアでは「大祖国戦争」)の勝利を祝うために手掛けられた。戦勝が決定的となった1944年11月7日の革命記念日における作曲者の発言には勝利をテーマとする作品の創作をほのめかす部分があり、同年暮れにはその作品に着手したという情報が流れた。翌1945年1月にショスタコーヴィチは生徒のエヴゲーニー・マカロフ(ロシア語版)に作品のスケッチの一部を聞かせ「今度の作品は管弦楽のトゥッティ(総奏)から始まるのさ。」と説明した。おりしも、自身の「祖国の勝利と国民の偉大さをたたえる合唱交響曲を制作中である。」というオフィシャルな発言は、ベートーヴェン以来の「9番」という番号の重要さとともに、周囲に大きな期待を抱かせたのである。4月には友人のイサーク・グリクマン(ロシア語版)が第1楽章を聞いてその壮大さに感銘を受けたが、ベートーヴェンとの比較に少なからぬプレッシャーを感じているというショスタコーヴィチの言葉をも聞いている。
③ドヴォルジャーク『交響曲第7番 ニ短調 Op.70』
(曲について)
ドヴォルザークは1884年3月に、ロンドン・フィルハーモニック協会の招きで初めてロンドンを訪れたが、ロンドンではすでに『第6番 ニ長調』(作品60, B. 112)が好評を博しており、ドヴォルザークは熱狂的な大歓迎を受けた。帰国後ほどなくして、フィルハーモニック協会の名誉会員に選ばれたとの知らせと新作交響曲の依頼を受けた。前年の1883年にヨハネス・ブラームスの『交響曲第3番 ヘ長調』の初演を聴いて新たな交響曲の作曲に意欲を抱いていたドヴォルザークは、ロンドンからの申し出をただちに承諾した。9月に再度渡英し、帰国後の12月13日から交響曲に着手し、1885年3月17日に完成した。同年4月に三たび渡英し、4月22日にセント・ジェームズ・ホールで初演の指揮を執っている。この演奏会は大成功で、ウィーンでハンス・リヒターが、ドイツではハンス・フォン・ビューローが相次いでこの曲を採り上げた。
それまで発表されてきた交響曲とはやや趣が異なり、スラヴ的な雰囲気を残しつつも内省的で普遍的な音楽として仕立てることに成功しており、作曲者自身この曲を「本格的なもの」と呼んでいる。『第9番 ホ短調《新世界より》』(作品95, B. 178)ほどではないが、『第8番 ト長調』(作品88, B. 163)と共にドヴォルザークの交響曲では良く取り上げられる楽曲である。
【演奏の模様】
①ムソルグスキー(ショスタコーヴィチ編曲)オペラ『ホヴァンシチナ』より第1幕への前奏曲「モスクワ河の夜明け」
〇楽器編成:
〈ショスタコーヴィチによるオーケストレーション〉
Fl.3(第3はピッコロ持ち替え)、Ob.3、(第3はコーラングレ持ち替え)、Cl.3(第3はBas-Cl.持ち替え)、Fg.3(第3はCont.-Fg.持ち替え)、 Hrn.4、Trmp.2、Trmb.3、Tub.、Timp.、バスドラム、スネアドラム、シンバル、タムタム、Tri.、鐘、グロッケンシュピール、シロフォン、Hrp.、 Pf.チェレスタ、弦五部
上記の(曲について)にもある様に、この曲は、オペラの前奏曲として作曲されたもので、5、6分の比較的短い曲です。
冒頭の弦楽トレモロとCl.奏にHrp.が絡まり、夜明けの感じが良く出ています。上行旋律の後のゆったりとした弦楽奏は滔々と流れる大河の雰囲気その物。トレモロ下太鼓の音が先導で奏でられる旋律はテーマの繰り返し、続く管楽器の調べも滔々感のある調べこのテーマが延々と手を変え品を変え奏されたのでした。Fl.の音は日が昇る予告でしょうか?Cl.の調べが、こんなにもこの情景にぴったり相応しいものはないという事を、良く作曲家は発見したものですね。脱帽。
前もって幾つか録音を聴いておいたのですが、ネルソンズ・ウィーンフィルの演奏は、予想を遥かに超えた「見事」という言葉しか見当たらない素晴らしいものでした。弦楽奏の調べは、この上無く美しく、Cl.のソロ音は、朝もやに包まれる大河の流れを想像させるもので、聴いた人を感傷的にさせるまで良く情景を映し出していました。いつかこのオペラを観てみたい気がします。
②ショスタコーヴィチ『交響曲第9番 変ホ長調 Op.70』
〇楽器編成:Vn.対向配置、
二管編成弦楽五部(15-14-12-8-8)
編成表 |
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2 |
4 |
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Vn.1 |
● |
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2 |
2 |
他 |
Vn.2 |
● |
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2 |
3 |
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2 |
1 |
● |
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他 |
他 |
- |
● |
〇全五楽章構成 演奏時間は約25分。
第1楽章Allegro、
第2楽章 Moderato - Adagio、
第3楽章 Presto、スケルツォ
第4楽章 Largo
第5楽章Allegretto、終曲、
第一楽章冒頭の速い弦楽奏のリズムはピッチカートも交え、長調の明るさと軽快さとで、心弾む様な気分を醸し出し、ピッコロ(フルート)の音も何か嬉々とし楽しいた響きを有していました。金管も軽やかさはこの上なく、弦楽部門は、かなりの必死さで弓を引き、金管の荒ぶる調べに合いの手を入れるコンマス奏、最後は弦楽アンサンブルが再度、速い旋律を力強く弾いてパッパカパッパッパ、ダンと一気に断奏でした。
第二楽章は、初盤のクラリネットの静かに鳴り響くソロ音が優勢に推移、次いで弦楽のすくい上げる様な旋律、そして管楽器がフルート→ホルンの合いの手→弦→フルート→クラリネットと静かな雰囲気を醸し出します。次第に高揚する気持ちをすくい上げる様な低音域弦楽アンサンブル、フルートの合いの手もゆるやかに、最後は微かなPizzicato 音の上にピッコロの響きが高鳴り終了でした。
第三楽章、セカセカした楽章でした。冒頭、猛烈な速さで木管の演奏が、カノン的に連なり、弦楽奏も速い上行する調べで続きます。クラリネットが戯けた調子の旋律を速奏、かなり難しそうな運指にみえます。弦楽の合いの手も、速いテンボで次の金管奏に引き渡しました。以降弦楽アンサンブルと管楽器が交互に性急な演奏を暫く繰り返し、その走りが歩みに変わった後、すぐにアタッカ的に入った四楽章、
第四楽章は短い楽章です。トランペット、トロンボーン、チューバの金管勢が、一斉に確信的なファンファーレを豪壮に鳴らした後、ファゴットの染み染みとした調べが流れ、何か心をホッコリさせます。ファゴットのソロ演奏は次の最終楽章にアタッカ的に続きました。
第五楽章、ファゴットの演奏がプップカプッププーとユーモラスに、それでも何か淋しげな小刻みな調べに変わり、そのテーマがリズミカルに弦楽奏に引き継がれると、今度はオーボエの音が聞こえました。フルートも参加し、Pizzicato奏の上で蠢きました。終盤は、こうしたやり取りのテンボが急加速、急速テンボに変わり、金管も入ってフィナーレに向かって全楽強奏となりました。この辺りの木管と弦楽奏の掛け合いは、さすがウィーンフィル、寸分の隙も無い完璧な演奏で迫力十二分でした。特に最終場面でのスネアの拍子に乗ったノリノリの弦楽奏強斉奏と金管、木管のブッブカブップ、ピッピッピーは、息を飲む迫力でした。最後、弦楽奏の猛烈な高音速奏が管の合いの手を入れながら、一気に弾き切って了となりました。
(尚、3、4、5楽章はアタッカで連続的に演奏されるので、此等をまとめて、一つの楽章、即ち第3楽章と見なす場合もあります。)
冒頭の見出しにも記した様に、各パートの力奏は、ハンパない凄いもので、特に弦楽奏、就中コンマス率いる1Vn.アンサンブルの風圧は、他を圧倒していて、全オケ強奏のときでも、金管群の大咆哮に負けないどころでは無い、其れ等の音が小さく感じる程の凄さでした。この実感は、次のドヴォルジャーク7番の時でも同様でした。
《20分間の休憩》
③ドヴォルジャーク『交響曲第7番 ニ短調 Op.70』
〇楽器編成:木管楽器フルート 2(第3楽章でピッコロ持ち替え)オーボエ 2 クラリネット 2 ファゴット 2 金管楽器ホルン 4
トランペット 2 トロンボーン 3 打楽器ティンパニ 二管編成弦五部(15-14-12-8-8)
〇全四楽章構成
第1楽章 Allegro
第2楽章pocco Adagio
第3楽章scherzo vivace
第4楽章finale Allegro
ドボルジャークがこの曲を作曲した時のイメージが伝えられています。
第1楽章初盤では、反ハプスブルクの祭典に参加するために、ハンガリーからの愛国者達が乗った列車がプラハ駅に到着する情景からイメージしたそうです。そう言われてみれば、
低音弦楽器の調べは、熱が籠っているけれど、何か反権力的な、やや暗い印象のスタートです。Hrn.とOb.の追走音が、弦楽の強い弓奏を呼び込み、さらにはフルートとクラリネットが提示する穏やかな調べは序曲「フス」教徒に由来するといわれます。弦楽器の小結尾主題が続きますが、仲々シックな旋律。その後もFl.他の木管と弦楽奏が競って盛り上がり、最後フルート、オーボエ、Hrn.が静かな調べを奏でて終了しました。
第2楽章冒頭は、Cl.∔Fg.の緩やかな調べにOb.も絡み合い、さらに弦楽章がひとうねりし、Fl.∔Ob.がやは弱奏で緩やかなメイン旋律を、それをさらにフォローする弱奏弦楽アンサンブル、この間は何か気持ちの良い夢心地な微風に体を委ねている様な感覚さえしました。次いでHrn.とFl.によるテーマソングが高からかに謳われ弦楽奏がやや盛り上がります。中盤に進むとホルンの奏でる牧歌的な調べが流れ出て次第に盛り上がってクライマックスが築かれ、クラリネットとホルンが応答、と言った風に中間部でも管弦間でかなり細やかなやり取りがされましたが、中盤でのVc.アンサンブルの響きがいぶし銀の様に光りました。この間指揮者のネルソンスは膝を少し折り、大きな体を揺らしながら両腕を各パートに指示を出していました。終盤でもかなり複雑に弦楽奏が組み合わされた調べが交錯していて、ここでも木管楽器が活躍、ウィ-ンフィルのクリア感の強い管の響きと弦楽アンサンブルが見事に、ドヴォルジャークの複雑な旋律を、指揮者の誘うタクトの下で明らかにしていくのでした。
第3楽章、スケルツオの章です。弦楽奏が、民族調的舞曲風の調べを軽やかにリズミカルに刻み始め、ジャーンジャジャジャジャン、ジャーンジャジャジャジャンとリズムを繰り返して終わると、Ob.∔Fl.の調べで踊りは一休み、Fl.が積極的に主導する動きがあり、管と弦がここでも複雑に絡み合いました。後半、オーケストラは急にダッシュするかの如き猛テンポでスパート、弦楽奏も木管も総出で応じて全楽全奏、力は相当掛けていてもウィーンフィルの調べは、何かスマートで垢抜けした、要するに洗練された響きを有しています。これはドヴォルジャークの意図した響きをこの管弦楽団は忠実に現出しているためだと思われました。終盤のアンサンブルの何と近親感の持てる美しさを兼ねたものなのでしょう。最終場面の調べはやや衒学的風では有りましたが、リズムはジャーンジャジャンジャンジャーンと見事に決まっていました。
最終楽章、Vc.アンサンブルが、Hrn.の伴走のもと、力を込めて民族風のひと旋律を吐き出すように弾くとスタートです。木管+低音弦がやや不気味な低音域の調べをこれもひと振り、ふた振り、さらにはFl.の合いの手、この辺りでもひと振り、二振りといった感じの短い旋律が断続的に綴られ、結構ドラマティックな旋律なのですが、ポツリポツリ感が有りました。さらには金管も入り、弦楽奏の合い間にププッププと囃し立て、低音弦がジャジャジャジャーンと一斉に強奏し出し、如何にもドヴォルジャークらしい旋律美を有する細やかで複雑な調べの組み立てが行われました。謂わば組体操の美とでも言えるかな?リズムも軽やかに、ネルソンズ・ウィーンフィルは、壮大な構築物を組立てて見せて呉れたのでした。また中盤部での弓を一杯一杯に往復させて、弦楽奏一斉奏式の立てる調べは自信に溢れるものでした。一旦音は静まり蠢く木管奏と弦楽の微弱音の絡まり合いから再度オケは力を盛り返し、金管も交えた弦楽アンサンブルとのジャジャジャジャジャンと掛け合うも又や力はすぼみ、再三盛り返しを繰返しました。終盤のVc.アンサンブルから始まる、テーマの調べは単純ですが分かり易くいい感じ、それがVc.→Ob.→Hrn.+Fl.とカノン的に伝播して次の力強い弦楽奏の一斉斉奏の呼び水となったのでした。管弦楽はそのままフィーナーレのカウパートの掛け合いに進み終了するのでした。終了の場の弦楽奏のトレモロ奏が面白い。
殊に最終楽章の弦楽奏の迫力は、ハンパでないものが有り、スラブ的民族調を匂わすドヴォルジャーク独特の旋律美と力強さが、これ以上は無いだろうと思わる程、最大限に表現されたという感がありました。
指揮者が、タクトを下ろすやいなや、超満員の会場からは、堰を切った様に感動した聴衆の拍手喝采と大歓声が、迸り出ました。何回も何回も舞台と袖を行き来し観客に挨拶するネルソンス。何回か往復した後、再度指揮台に登り、アンコール演奏を始めました。それが二回続いたのです。アンコール曲は、勿論ウィーンの華、ワルツ&ボルカでした。このサービスに観客は、大喜びでした。ニューイアコンサートが一足先に来たみたい!
《アンコール曲》
①ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ『我が人生は愛と喜び』op. 263
②ヨハン・シュトラウスⅡ世:トリッチ・トラッチ・ポルカ op. 214