HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『チャイコフスキーの妻(ARTE FRANCE CINEMA)』鑑賞

f:id:hukkats:20240923124347j:image

【鑑賞日】2024.9.21.(日)12:10〜

【鑑賞館】kino cinema 横浜みなとみらい

【タイトル】チャイコフスキーの妻

(原題)Tchaikovsk's Wife 143分

【制作年】2022年

【製作国】ロシア・フランス・スイス合作
【配給】ミモザフィルムズ

【劇場公開日】2024年9月6日 
【映画COM解説】
 19世紀ロシアの天才作曲家ピョートル・チャイコフスキーと彼を盲目的に愛した妻アントニーナの残酷な愛の行方をつづった伝記映画。ロシアではタブー視されてきた「チャイコフスキーが同性愛者だった」という事実と、「世紀の悪妻」の汚名を着せられたアントニーナの知られざる実像を、史実をもとに大胆な解釈を織り交ぜて描き出す。

 女性の権利が著しく制限されていた19世紀後半の帝政ロシア。かねて同性愛者だという噂が絶えなかった作曲家チャイコフスキーは、世間体のため、熱烈な恋文を送ってくる地方貴族の娘アントニーナと結婚する。しかし女性に対して愛情を抱いたことのないチャイコフスキーの結婚生活はすぐに破綻し、愛する夫から拒絶されたアントニーナは孤独な日々のなかで次第に狂気に駆られていく。

「LETO レト」「インフル病みのペトロフ家」で知られるロシアの鬼才キリル・セレブレンニコフが監督・脚本を手がけた。2022年・第75回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品。

【製作年】2022年
【製作国】ロシア・フランス・スイス合作
【配給】ミモザフィルムズ
【劇場公開日】2024年9月6日

【製作総指揮】
マイク・グッドリッジ エリザベータ・チャレンコ
【脚本】キリル・セレブレンニコフ
【撮影】ウラジスラフ・オペリアンツ
【美術】ウラジスラフ・オガイ
【衣装】ドミトリー・アンドレーエフ
【編集】ユーリ・カリフ

【出演】

・アリョーナ・ミハイロワ:アントニーナ(妻)

・オーディン・ランド・ビロン:チャイコフスキー
・フィリップ・アブデーエフ:アナトリー/モデスト
・ナタリア・パブレンコワ:オルガ
・ニキータ・エレネフ:コーテク
・アレクサンドル・ゴルチーリン:ブランドゥコーフ
・バルバラ・シュミコワ:サーシャ
・ビクトル・ホリニャック:ユルゲンソン
・オクシミロン:ルビンシテイン
・アンドレイ・ブルコフスキー:ウラジーミル
・ニキータ・ピロズコフ:アリョーシャ
・グルゲン・ツァトゥリャン:ニコライ
・ナタリア・ポレノワ:クボストワ
・ニキータ・レベデフ:アレクサンドル
・ソフィア・レズニック:アナスタシア
・ユリア・アウグ:教会にいる女性
・イリーナ・ルドニツカヤ:料理人
・ピョートル・アイドゥ:葬儀屋



【感想】

 この映画が事実をどこまで検証しているか、していないかは別として、二人の男女を斯くの如き動機と誘因と結果の物語として描き出したこの監督の手腕には、敬意を表します。主役の一人は、既に名を成した、或いは将に成さんとする音楽家チャイコフスキー。対するは、無名の音楽生とも言えない田舎から出て来たばかりのポット出の音楽見習いアントニーナ(以下彼女と略記)。先ず最初に疑問に感じたのは、二人の出会いとそれを深めようとする彼女の思い込みの強さ。チャイコフスキ―に愛を感じ告白し、何回となくチャイコフスキーに拒否されても、大抵の女性であれば諦めるでしょうに、めげずこれでもかこれでもかと食い下がる彼女には、やはり既に狂気性の萌芽が見られないでしょうか?
 かといって二人が結婚したのは、チャイコフスキーが彼女の愛の強さに篭絡したからとは、この映画では表現されていなかった。チャイコフスキーが、つまるところは彼女の言う「持参金と土地の相続」という経済的提供に食指が動いたからに他ならないと思います。しかも自分は普通の夫は演じられない(要するに普通の夫婦関係は営めない)と示唆するチャイコフスキーの言葉の真意を彼女は全く理解出来なかった。何年か都会に出て来ていて、音楽生にもなって、チャイコフスキーには女性でなく男性を好む性癖があるという事を知らなかったというのは、余りにも無知でした。噂さくらい耳にしたでしょうに。噂も聞いたこともない無垢の田舎娘が、舞い上がって、好き→愛している→自分のことも愛して欲しい→結婚したいと考える論理は、理性でなく感情的、謂わば狂気に近いものです。それを知っていて結婚に踏み切ったチャイコフスキーにも、責任があるでしょう。結婚間もなくチャイコフスキーが彼女の元を去り二度と愛の巣に戻らなかったのは彼女の狂気性に気付いたからではないかな?だって、チャイコフスキーが食指を動かした動機の一つと思われる「持参金」が入って来ることはすぐには不可能という事を彼女は理由を付けてチャイコフスキーに話した後、間もなく去った訳ですから。打算的な側面があったと考えざるを得ません。終盤にチャイコフスキー本人に「自分は彼女を真に好きになった事は一度も無い」と言わせ、遅ればせながらそれに気付いた彼女は益々、狂気の路をひた走ることになるのですが、絶対離婚書には署名しなかったのです。これは事実なのかな?自分がこれまで見た音楽の本には、結婚後すぐに離婚したと殆どの文献には書いてありました?真偽の程は分かりませんが、彼女がチャイコフスキーの音楽制作に寄与したとはとても思えません。ただ物語の進行を見ると、世上謂われていた「彼女は世紀の悪妻」とまで言い切るのはどうか?という彼女に対して憐憫の情を抱かせる様な設定は流石だと思いました。

 出来ればもっともっとチャイコフスキーの曲を多く流して貰いたかった気もします。