〜都響第1008回定期演奏会cシリーズ〜
【ブルックナー生誕200年記念】
【日時】2024. 9. 6. (木) 14:00〜
【会場】池袋・東京藝術劇場
【管弦楽】東京都交響楽団
【指揮】大野和士
【独奏】ポール・ルイス(Pf.)
〈Profile〉
1972年英国リバプール生まれ。ビートルズが解散したあと間もない頃です。
ルイスの父親はリバプール港で働き、母親は地方議会の職員で、彼の家族には音楽家はいなかった。ルイスはチェロから始めた。彼が通っていた学校で唯一レッスンを受けられる楽器だった。14歳のとき、彼はマンチェスターのチェサム音楽学校に入学し、そこでピアノの勉強が開花した。彼の教師には、リシャルト・バクスト(チェサム音楽学校)、ジョーン・ハヴィル(ギルドホール音楽演劇学校)、そしてルイスが師と認めるアルフレッド・ブレンデル(1931〜)がいた。
ここでブレンデルと知り合ったことが、後にピアニストとしとの進路を決定づけたと言っても良いかも知れない。 現在では、この世代をリードする、国際的に名の知られたピアニストの一人。ベートーヴェンとシューベルトの主要ピアノ作品のチクルスは世界中から称賛され、ヨーロッパの古典派ピアノ作品の最高の演奏家の一人として高い評価を確立した。ロイヤル・フィルハーモニック協会のアーティスト・オブ・ザ・イヤー賞、また2008年のレコード・オヴ・ザ・イヤーを含む3つのグラモフォン賞(イギリス)ほか数々の賞を受賞。2010年のBBCプロムスでは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全5曲を一挙演奏した初のピアニストとなった。これまでコリン・デイヴィス、ベルナルド・ハイティンク、ダニエル・ハーディング、アンドリス・ネルソンスといった世界的な指揮者と共演。また、ベルリン・フィル・ロンドン響、ロイヤル・コンセルトヘボウ管、シカゴ響、ボストン響、ニューヨーク・フィル、バイエルン放送響等、世界的なオーケストラと定期的に共演。2016年、大英帝国勲章CBEを授与される。
【曲目】
①ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番 ハ短調Op.37
(曲について)
「協奏曲の演奏にあたって、彼は私に譜めくりをするよう求めてきた。ところが(…)目に入ってきたのは、ほとんど白紙状態に近いページだった。飛びとびに、なにやらエジプトの象形文字のようなものが幾つか殴り書きされているだけ。それは、記憶のよすがとして彼にはわかるのだろうが、私にはまったく意味不明のものだった」
作曲家で指揮者のイグナーツ・フォン・ザイフリート(1776~1841)による回想である。「彼」とはルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)のこと。「協奏曲」とは、これから聴くピアノ協奏曲第3番を指す。1803年4月5日、アン・デア・ウィーン劇場での初演の模様は、このようなものであったらしい。
独奏部分を記憶に頼って弾くというやり方を、名ピアニスト、ベートーヴェンは、以前にも採ったことがあるので、楽譜を書く暇がなかったというより、即興精神を大切にしたということなのかもしれない。いずれにせよ、この曲の最初の構想は1796年にしたためられており、慌てて仕上げたものではない。そもそもは1800年の演奏会で発表の予定もあったのだが、そのときは完成が間に合わず、その2年後にまた初演の機会が見込まれた際には、演奏会そのものが実現しなかった。だがその都度、同曲の作曲・手直しに、しっかりエネルギーが注がれていたのである。
あの画期的な交響曲《英雄》などはまだ生まれていないが、この曲に、前2作のピアノ協奏曲よりも作曲者自身価値を置いていたことは明らかで、1800年にピアノ協奏曲第2番を出版社に送った際など、「もっと良い曲もありますが、そちらはまだ自分のために取っておきたいのです」と書いている。ピアノがオーケストラとともに交響曲を奏でるような点、短調を主調に選んだ点(全5曲ある彼のピアノ協奏曲で唯一の例)などをみても、実際、チャレンジ精神は明白。
②ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調(ノヴァーク版)
(曲について)
アントン・ブルックナー(1824~96)が円熟期の1881年から83年にかけて作曲したこの第7交響曲は、彼の全交響曲の中でも美しい叙情が際立つ作品だ。最初の2つの楽章の主題は特にそうした叙情的性格を決定づけている。
といっても全体が叙情美ばかりに覆われているわけではなく、終楽章などは、主題自体は第1楽章の叙情的な主題と同じ素材によりながらも、旋律美よりリズミックな動きを主眼としている。この終楽章は形式も異例で、一見3つの主題を持つ彼のお決まりのソナタ形式のようでいて、第3主題は第1主題の発展形で、再現部ではそれら3主題が逆の順で再現される。その結果、第1主題が強調され、同じ主題素材による第1楽章との性格的対比がより鮮明にされている。
さらにこの終楽章は彼としては異例の小ぶりなもので、それによって最初の2つの楽章の叙情性と重厚さに比べ、残り2つの楽章の前進性と躍動性が際立たされる。こうした構成バランスはこの交響曲独自のものといえよう。
この作品はワーグナーテューバを初めて採用した点でも重要だ。ブルックナーは第1楽章の作曲途中で第3楽章に取り掛かり、先にこれを完成させた後、再び第1楽章、第2楽章と書き進めるのだが、この第2楽章の作曲中の1883年2月13日、尊敬するリヒャルト・ワーグナー(1813~83)が世を去る。ショックを受けたブルックナーはこの第2楽章にワーグナーテューバを取り入れ、さらに追悼のコーダを書き加えた。こうして第2楽章はワーグナーの死と追憶に結び付く緩徐楽章となった。
近年、この通説と違う見解をブルックナー学者ベンヤミン=グンナー・コールス(1965~2023)が提起して話題となった。彼によると、1881年12月8日に自宅近くの劇場で発生して多くの死者を出した大火災に衝撃を受けたブルックナーは、作曲途中の第1楽章を中断してこの大火を表すべく第3楽章を作曲し、また第2楽章の構想もワーグナーの死以前に火災の犠牲者への葬送音楽としてなされたというのだ。もっともコールスも、ブルックナーが結局はワーグナーの死を受けて、スコア化の際にワーグナーテューバを新たに加えるなど、最終的に第2楽章をワーグナー追悼として完成させたことは認めている。
初演は1884年12月30日、ライプツィヒでのワーグナー記念碑建造のための演奏会でアルトゥール・ニキシュ(1855~1922)の指揮で行われて成功を収め、この曲でブルックナーは60歳にしてようやく世に広く認められた。なお翌年の初版出版では、他人の意見も取り入れて、第2楽章の頂点で打楽器を追加するなど若干の改訂が加えられた。本日用いられるノヴァーク版にはこれらの改訂が採り入れられている。
【演奏の模様】
①ベートーヴェン『ピアノ協奏曲第3番』
楽器編成:フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ ニ管編成弦楽5部14型(14-12-10-8-6)独奏ピアノ
全三楽章構成
第1楽章 Allegro con brio
第2楽章 Largo
第3楽章 Rondo/Allegro
第1楽章の冒頭、弦楽アンサンブルが主題を静かに提示します。ジャンジャン、ジャーンジャジャジャ、ジャンジャジャンジャン。続いてOb.によるfollow→管弦の流麗な調べが弱音で奏でられ、管と弦の短いやり取りの後、主題の変奏が少し強い調子で、展開されました。この辺りモーツアルトぽくも感じられます。管弦は主題をかなりの強奏を繰り返し、これ等の序奏が結構長く、この間手持無沙汰で待っていたポール・ルイスは、オケの方を見たり大野さんの指揮を見ていましたが、やおらPf.を弾き始めました。速いアルペジョ二連発後、テーマ旋律の強い表現にソフトなタッチで旋律奏を繋ぎながら、美しい調べを繰り出しました。特にあくの強い個性的表現ではなく、これまで聴いて来た様々な演奏とそう変わらない普通の演奏の感じ。ポール・ルイスは、ブレンデルの薫陶を受けたそうですが、この冒頭からはブレンデル程の個性の滲んだ演奏は感じられませんでしたが、良くい言えば冷静沈着な演奏。(前回のルツェルン音楽祭のアバド指揮『ブルックナー7番』の時客席にブレンデルがいたのは、ブレンデルがこの時、同じベートーヴェンの3番を弾いたからです。大野さんこのことを知って今回の選曲とソリスト選びをしたのかな?)
そういった調子で、カデンツァ部まで到達し、カデンツアもこれがポール・ルイスタイプかと思わす、丹念で正確無比、Slowな旋律は心に滲み入るセミの声の如く(即ち相当の大音量にも関わらず心に届く)演奏をしたのでした。相当長く感じるカデンツアでした。
続く第二楽章では、冒頭のPf.ソロ演奏が秀越というか如何にもポール・ルイスの本領発揮、ゆっくり、ゆったりとした響きが、心に滲みます。(先のブレンデルの演奏など、もっともっとゆっくりと眠くなる程のSlowな弾きでした)この辺りの技術はブレンデルの影響を受け継いでいるのかも知れません。 またそれに続く管弦がまた素晴らしい調べを奏なでる事、再度ポール・ルイスが続きを弾きました、同様なテンポと弾き振りで。確かにこの二楽章は第4番コンチェルト(実は個人的には今の処一番気にいているベトコンなのですが)の第2楽章より、流麗さの点では上かも知れません。
最終楽章、軽快にソリストとオケは飛ばし、オケとPf.の掛け合いも面白く、Timpとの掛け合いは珍しい。ポール・ルイスは相当な力を込めて力奏(マツーエフ程のピアノ破壊力からは程遠いですが)一気苛性に最後まで弾き切りました。大野・都響はソリストを慮り、ポールの方もオケに従順で出過ぎたところも無く両者は無事このベトコンの持ち味をうまく出せた演をしたと思います。
尚、ソリストアンコールがあり、これこそ心に滲みる演奏の極地だと思われる、心を洗う様な演奏でした。ポールのシューベルト演奏だとすぐ分かりました。この人の演奏は、ベートーヴェンも良いですが、シューベルトが一番だと思っています。(明日日曜日は、シューベルトのソナタを聴きたいと思います)
②ブルックナー:交響曲第7番
楽器編成:フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、ワーグナーテューバ4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、トライアングル、シンバル、弦楽5部16型(16-14-12-10-8)
全四楽章構成
第1楽章 Allegro/Moderato
第2楽章 Adagio
第3楽章 Scherzo
第4楽章 Finale: Bewegt, doch nicht schnell
この7番演奏の先行きは、Vc.の響き如何にかかっていると言っても言い過ぎではないと思います。冒頭、厳かなVc.アンサンブルの調べは、大野・都響10挺のVc.部隊によって分厚くしめやかに演奏されました。空気が引き締まり、まるで厳かに教会の祈りを誘うオルガンの音を連想させます。続いてFl.(2)とOb.(2)が高音で同テーマを引き取り、合いの手を入れました。この曲ではFl.の役割も重要な要素です。全楽章通して如何に安定的にタイミング良くFl.を鳴らし、一服の清涼感を重量級の弦楽アンサンブルに差し挟むか、全体の流れを左右すると言ってもいいでしょう。小澤征爾指揮斎藤記念オケの7番演奏(2003年ライヴ録音)の映像を見ると、Fl.奏者の一人には、日本の大御所工藤重典さんを揃えていました。演奏前と終了後に小澤さんは工藤さんの処に歩みより、如何に重要視していたかが窺え知れます。今回の都響では、女性奏者でしたが、最後まで息切れせず仲々の健闘振りでした。どなたかは顔からは分かりませんが、配布資料のメンバー表では女性奏者は三人いる様でして、客演でなければその内のお二人でしょう。続く管弦の演奏は、特に1Vn.の高音の調べがFl.の音と相まって美しい旋律奏を響かせました。Hrn.(4),Trmb.(3)の響きも良し。
その後に出て来るFl.とOb.による‘東洋的響き’を有する旋律は何なのでしょう?弦楽奏を挟んで、全管も含めて管弦楽で繰り返されます、後半ではあたかもFl.とハ-プの協奏曲(モーツァルト)の冒頭の様な、チャーチャチャチャチャチャ、チャーチャチャチャチャチャと言った旋律を交えながら。一般に作曲家の頭にはそれまで関係した(勉強、演奏、鑑賞を含め)多くの曲が頭に記憶されているのでしょう。その一節が作曲の過程で出て来ることは珍しくない事かも知れません。それにしてもFl.以外の木管も安定していますね。Hrn.→Cl.→Ob.→Fl.と木管で引き継がれる調べ、そしてVc.によるアンサンブル、この楽章では、冒頭とここを含め終盤でのVc.アンサンブルは、楽章全体に渋い重みを与える重石となっていました。最後の全楽全奏ではやはり金管の音は大きな響きとなって弦楽奏との斉奏でも際立った音を広げていました。
続く第二楽章、冒頭のワーグナーチューバ(4台、以下W.T.と略記)の旋律は、演奏も素晴らしい。弦楽奏のしめやかな演奏に繋げます。この楽章で初めてW.T.が加わったのは、ご案内の様に他の1、3楽章は既に完成していたものの、2楽章と4楽章は未完で、その間に敬愛するワーグナーが亡くなったことがあり、ブルックナーは急遽ワーグナーの発明品「W.T.」を第二楽章から導入することにより哀悼の意を表したのでした。W.T.の調べも、Vc.の調べも追悼曲としては卓越物でしょう。弦楽はVc.奏だけでなく、Vn.奏もテーマを都響持ち前の美しい高音アンサンブルの如く低音域の調べとして表現出来ていました。最後W.T.Tub.Hrn.で別かれを惜しみながら再度哀悼の意を表しました。大野・都響としては渾身の演奏だったと思います。
第三楽章は、非常に個性的なリズムと調べでスタートです。リズミカルに、Trmp.がプープープップカプと鳴らすと呼応して弦楽奏が低音部を奏なで、戯けた旋律を繰り返しました。木管のソロでの開始は、これまでありましたが、Trmp.では、初めてだったかな?更に個性的で印象深いのは、弦楽奏に依る下行旋律です。この両者を含む三楽章は、一回聴いただけで忘れない印象深いスケルツォの面白さに満ちていました。
ところで、楽器のメーカー等については、無知なのですが、本邦の管弦楽団が使用しているTrmp.(他の金管楽器め含め)は、客席から見ると、皆同じ様な楽器に見えます。金ピカに磨き上げられ良く手入れされている感じ。音も奏者に依る差異は分からない程、横並びの音を立てている場合が殆どの様に思われるのです。ところが、海外の主要な管弦楽団の演奏を見ると、例えば、ベルリンフィルのある時のTrmp.奏者は、一目で時代物と分かる鈍い金色で、光っていないものを使っていました。形状も短く太い管に見えました。しかしその楽器から発する音は、とても柔らかな落ち付いた調べなのです。他の例では金管に限らず木管楽器でも、ずんぐりした太めのCi.や明らかに木製のFl.を使用しているケースも時々見掛けます。国内オケの演奏会では、一度も見たことが有りません。管楽器には、弦楽器のストバリ的価値のあるいい音を立てるものはあるのでしょうか?
それはさておき、演奏会の方は、最後の四楽章に差し掛かりました。最初は目立たない弦楽と管の掛け合い旋律で、進行しましたが、途中わ、金管群の強烈なファンファーレが入り、触発された弦楽アンサンブルも力強いボーイングに、指揮者も渾身の力を込めて腕を引き上げては振り下ろし、発音グループにさらにffの指示等を出していました。フィナーレに向かう軍団の突撃態勢を整えるが如く、音量を下げた軽いパッセッジを挟み、次第に音量を上げ、再度金管群他の強烈な調べが立ち上がると、そのままaccelerandoになって終了かと思ったのですがさにあらず、どういう訳か天国の様な静かな弦楽の調べのもと、Fl..W.T.Ob.Hrn.等木管に合いの手を入れさせるのです。これは、最後にもう一度ワーグナーの冥福を祈り、安寧を思うブルックナーからのオマージュの気持ちの表れではないかと思いました。この辺りの強→弱→強→弱の差配は、流石場数を踏んでいる指揮者、見事なものでした。
そしてすぐに再三の金管群の咆哮が鳴り響き、今度こそは、本物のゴール前の激戦に入るのでした。しかしそれは、一気にではなくて、抜きつ追いつきつ、力をためつつ力を発散しつつと割と素っ気なく大人しい終焉でした。やはりブルックナーは、ワーグナーのことが、心から気になっていたのでしょう。
以上、雑駁に感じたことを記しましたが、この処、大野さんの演奏指揮は、もともと有ると思っていたその才能を、十分に発揮しつつあると思いました。いい管弦楽団と合唱団が手元にあり、海外からのいい演奏者にも最近はめぐまれ、今後ますますいい演奏会(オペラも含む)で聴衆わを楽しませてくれることを期待します。