HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

積読書の散読(Ⅰ)

 昨日(8/16金)は、一昨日に猛暑の中やや無理なスケジュールを遂行した疲れと、猛烈な台風の雨風のため、一日中家の中で休んでいました。ふっと書棚を見ると、かなり以前に途中まで読んで、積読になっていた文庫本にしてはやや分厚い本に目が止まりました。そうそう、確かあの話の処を読んでからは、多忙にかまけてそのままになっていたんだ。と気が付き、手に取って読むことに。本のタイトルは、『Sudden Fiction 超短編小説70』(R.シャパード/J・トーマス編、村上春樹・小川高義訳、文春文庫)、編集の言葉によれば、「短いけれど、内容はある、山椒は小粒で・・・・という新しいジャンルの新しい種類の小説を集めた本である」のだそうです。確かにこれまでの「Short Short Story」 とは一味違う米国の短編が集められているのです。様々な分野というか様々な話題に及んでいていて、それなりになる程と思うものもあれば、今一つという話しもあり、玉石混交でした。

 一例として以下に、音楽が絡む物語を幾つか引用します。

 

①『カンカン』アルトゥーロ・ヴィヴァンテ

「車でひとっ走りしてくる」彼は妻に言った。「一時間か二時間したら帰る」

ふだんの彼は郵便局か買い物の用足しに、ほんの何分か出かけるくらいで、ほとんど家をあけず、まめな亭主をやっている――妻は「ミスター便利屋」と言った。わずか がらペンキ塗りもやる――これは稼ぎの道でもある。

「いいわよ」妻は、夫に親切にされたかのように、明るく言った。本当は出かけてほしくない。いてくれたほうが家が安心だし、子供の世話も助かる。とくに赤ん坊の。

「いないほうが、さっぱりするかい?」

「うーん」と笑った顔で、いきなり可愛い女になった――これを残して出る、か。

妻は、どこまで乗ってくの、とは訊かなかった。ちっとも詮索がましくない(ただし、妬くだけは黙っていつの間にか妬いている)。

上着をはおりながら、彼は妻を見ていた。上の娘と居間にいる。「おかあさん、カン カン踊りやって」と言われた妻が、スカートを持ち上げ、カンカンを踊った。彼のほう へ向けて、脚を蹴り上げている。

彼が出ていくのは、ただのひとっ走りではなかった。あるカフェへ行く。セアラと落 ちあう。妻も知っている女だが、疑われてはいない。そして彼女を連れて、妻のまった く知らない湖畔の家へ行く――夏向きのコテージで、彼が鍵を持っている。 「じゃ、行くよ」

「じゃあね」まだ踊っている妻が言った。

「こういう姿は、夫としては――妻を残して、ほかの女へ走ろうとする夫としては―― 予想外ではあるまいか。縫い物か洗濯でもしていてほしい。カンカンなどはもってのほ かだ。何かこう、ありきたりな、色気のないことをするがいい。子供服でも縛ってたら どうだ。彼女はストッキングをはかず、靴もはかず、真っ白ですべすべの素足が、まる で彼が触れたことも近づいたこともない足のように、秘密めいていた。高く低く宙に舞 う足先が、彼にうなずいているようだ。ぐしゃっとスカートを丸めたところが色っぽい。

なんで、よりによって今こんなことをするんだ。彼は去りかねた。妻は目にからかうよ うな色を浮かべ、笑い声をたてた。踊る母親と一緒になって、娘が笑った。彼が家を出たときも、妻は踊っていた。

 彼はここまでお膳立てした苦労を思い返した――電話ボックスへ行き、オフィスのセ アラへ電話し(彼女にも家庭がある)、オフィスにいなくて、かけ直し、話し中で、落 としたコインが見当たらなくて電話ボックスのドアを開けて探しだし、やっと電話がつ ながり、また来週かけてよと言われながら、やっと日が決まった。

 カフェで待っているうちに、彼女が来なければいいと思っているのに、彼は気づいた。約束は三時だ。もう十分過ぎた。ま、よく遅れることはある。彼は店の時計に目をやり、大きなガラス越しに彼女の車を探した。よく似た車が・・・・・・いや、違う―――荷物ラックがのってない。つるっとしたハードトップを見て、いやに楽しい感じがした。なぜだ。三時十五分。来ないのではないか。しかし、来るとしたら、いまぐらいがいちばん来そう なころだ。二十分過ぎ。さて望みはある。望み? なんでまた来ないほうを望んでる。 来てくれるなと思うなら、どうして約束なんかした。それはわからないが、しかし、楽だ。来なければ来ないほうが楽だ。いましたいのは、ここにあるシガレットを吸い、こ にあるコーヒーを飲み、というのは、ここにあるからで、とくに何かする状態でいたくない。どこへでも気軽に走りだしてしまいたい。そう言って出てきたのだし―――。と ころが彼は待ちつづけ、三時半に彼女が来た。「望みなしかと思ったよ」

 ふたりは湖畔の家へ行った。彼女を抱きよせても、彼女のことを考えていられなかった。必死になっても、だめだった。

「なに考えてるの?」あとで彼女が、ぼうっとしている彼に気づいた。とっさに答えられなかったが、やっと彼は言った。「なに考えてたか、本当に知りたい?」「 ええ」いくらか不安げに彼女が言った。彼は、馬鹿馬鹿しいことを言いかけているように、笑いをこらえた。「カンカン踊りの女を」「あら――」ほっとした彼女が言った。「奥さんのことかと思ったりして」       (小川高義訳)

 

②『ジャズの王様』(ドナルド・バーセルミ)

 さて俺は今ジャズの王様だ、ホーキー・モーキーはトロンボーンのスライドに油を注 ぎながらそう思った。ボントロ吹きがジャズの王様になったことなんて久しくない。し かし先代のジャズ王であるスパイシー・マックラマームーアの亡き今、その地位につく のはまあこの俺ということになるだろう。まあ念には念を入れて、窓から外に向けてち ょいとひと吹きしてみるか。

「わお!」と通りに立っていた男が言った。「おい、あれ聞いたか?」「 聞いたよ」と連れが言った。

「君は我らが偉大なるアメリカ・ジャズ音楽のミュージシャンの演奏を、一人一人聞き分けられるかい?」

「いささか心得はある」

「じゃあ、あれは誰が吹いてるんだ?」

「何だって?」

「あれはホーキー・モーキーだと思うな。たった二、三音だが、完璧に選択された音は実に神の顕現とでもいうべき輝きを放っているぞ」

「神の顕現とでもいうべき輝きって言ったの。そのような音はミシシッピ州パス・クリ スチャン出身のホーキー・モーキーのごとき大器にしか出せないんだ。スパイシー・マ ックラマームーア亡き今、彼こそがジャズの王様だ」

ホーキー・モーキーはトロンボーンをケースにしまって、演奏に出かけた。ステージではみんながお辞儀をして、彼に道を開けた。 「ようバッキー、ようピート、ようフレディー、ようジョージ、ようサッド、ようロイ、ようデクスター、よう ジョー、ようウィリー、ようグリーンズ」

「 俺たち何を演奏すればいいかな、ホーキー? あんたがジャズの王様だから、あんたが曲を決めるんだよ」

「『スモーク』でどうだい?」

「わお!」とみんなが言った。「おい、聞いたか?ホ―キー・モーキーはひと言口を開くだけで人をノックアウトすることができるんだぜ。なんてすげえイントネーショ ンなんだ。ええい、まいったぜ」

「『スモーク』なんてやりたくないな」と誰かが言った。

「おいなんだって、もう一度言ってみな」

「『スモーク』なんてやりたくない。あれ、かったるいもの。コード・チェンジも好きじゃないしさ。『スモーク』なんて僕はやらないからね」 「こいつは『スモーク』をやりたくないってさ! でもホーキー・モーキーはジャズの王様で、彼が『スモーク』をやるって言ってるんだぞ」

「なあおたく、どっかよそから来た人なの? 『スモーク』をやりたくないっていったいどういうことよ? だいたいどうしてこのステージにいるのよ? 誰がおたくをやとったわけ?」

「僕はヒデオ・ヤマグチ、東京から来た」

「ああなるほどね、あんたジャパニーズ・キャットね。ふんふん」

「僕は日本ではいちばんのトロンボーン吹きなんだ」

「俺たちあんたを歓迎するよ、うん。演奏を聴かせていただくまではね。なあ、東京ではテネシー・ティールームがまだトップのジャズクラブかい?」

「違うよ。今じゃスクエア・ボックスが東京で一番のジャズクラブだ」

「それはなにより。オーケー、それじゃ俺たちはホーキーの言ったように『スモーク』 をやろうや。いいかい、ホーキー? カウント取るよ。ワン、ツー、スリー、フォー」

ホーキーの家の窓の下に立っていた二人組が彼のあとを追ってクラブまでついてきて いた。ふたりが話をしていた。

「こりゃすごいや!」

らんかな。

「ああこれが世に名高いホーキーの『英国の日の出』風演奏だ。いろんな光線がそこか ら射してくるんだよ。赤い光線とか、緑の光線とか、紫の中心から生じる緑とか、タン革色の中心から生じるオリーヴ色とか・・・・・・」

「でもあの日本人の若いのもいいじゃないか」

「ああ、彼はなかなかよくやってるな。ラッパをこう、特別な持ち方をしてるだろう。ああいうのって、大物のプレーヤーがよくやる持ち方なんだ」 「あんなふうに、頭を膝のあいだに入れてさ。なあおい、あの男ちょっとセンセーショナルだぞ!」 こいつはセンセーショナルだ、とホーキーは思った。この男は始末しちまわなきゃならんかな。

 でもそのとき、一人の男が四オクターブ半のマリンバを押して、彼の前に姿を現わし た。そう、この男こそファット・マン・ジョーンで、彼はドアの中に入る前からもう演奏を始めていた。

「俺たち何をやってんのかなあ?」

「『ビリーズ・バウンス』さ」

「ああ、うん、そうだと思ったんだ。キイは何よ?」  「Fだ」

「うんうん、そうだと思ってたんだ。あんたメイナードんとこでやってなかった?」

「ああ、あのバンドにたしかにしばらくいたよ。病院に入るまではね」

「 病気でもしたの?」

「飽きたんだ」

「ホーキーのあのファンタスティックなプレイに、それ以上俺たちが何を付け加えることができるだろうね?」

「色どりを添えるってこともあるんじゃないの?」

「しかしそういうのってでしゃばりだと思われないかな?」

「御本人に訊いてみりゃいいだろう。かまいませんかって」

「あんたが訊きなよ。俺はおっかないよ。ジャズの王様に睨まれちゃたまらんもの。ところであの日本人の若いのも、よくやってるじゃないか」

「ああ、あいつはすごいや」

「あれは日本語で吹いてるのかなあ?」

「まあ英語じゃねえだろうなあ」

俺はこのトロンボーン一本抱え、三十五年間というものいつもいつも首を撫でながら ひやひやもので生きてきた。やれやれ、この歳になってまたぞろ新たな挑戦を受けなくちゃならんとはな。

「なあ、ヒデオよ」

「なんだい、モーキーさん」

「おまえさん、『スモーク』でも、『ビリーズ・バウンス』でも、よくやったよ。癪だけ ど、俺と同じくらいよくやった。はっきり言えば、俺よりよかった。頭にくるけども、 事実は事実だ。俺はたった二十四時間だけしかジャズの王様じゃなかったわけだ。しかし俺たちは真実の前には帽子を脱がなくちゃならん。この世界の掟は厳粛なんだ」

「思い違いということもあるでしょう?」

「いや、俺の耳に間違いはねえ。はっきりしてる。ヒデオ・ヤマグチこそが新しいジャズの王様だ」

「あんた、名誉王様とかそういうのになりたくない?」

「いや、老兵はただ消えゆくのみっていうじゃないか。このステージはそっくりおまえ さんのものだ、ヒデオ。おまえさんが次の曲を選べ」

「『クリーム』はどう?」

「オーケー、ヒデオの言ったの聞こえただろう。『クリーム』だ。用意はいいかね、ヒデオ?」

「なあ、ホーキー、あんた出ていくことないよ。あんたもプレイすればいいじゃないか。

ちょっとそっちのわきのほうによってさ――――」

「ありがとよ、ヒデオ、親切にありがとう。まあちょっと吹いていこうかな、せっかくだから。こそっと小さな音でやるよ、もちろん」

「ヒデオの『クリーム』のプレイはすごいや」

「ああ、これがやつのおはこなんだろうな」

「ところであっちのわきのほうで聞こえる音はなんだい、あれ?」

「どっちのわきだよ?」

「左手さ」

「君の言ってるのは、人生の珠玉とでも言うべきあの音のことか? 浮氷の上を歩む北 極熊のごときあの音のことか?

ジャコウウシの群れがいっせいに駆けだしたようなあ の音のことか? 雄のセイウチ が海の底までダイビングしたようなあの音のことか?

カトマイ山の斜面の噴気口から吹き出る煙のごときあの音のことか? ワイルド・ター キーが深い柔らかな森を歩いていくがごときあの音のことか? ビーヴァーがアパラチ アの沼地で木を齧っているようなあの音のことか? ポプラの幹の上で育ちつつあるオイスター茸のようなあの音のことか? シエラ・ネヴァダの山地を彷徨うミュール鹿の ごときあの音のことか? プレイリー・ドッグがキスしているようなあの音のことか? 風に雑草が転がされていくような、曲がりくねって河が流れるような、あの音のことか ? マナティーがセーブル岬で海草を食べているようなあの音のことか? ハナグマ がアーカンサスの地表を群れをなして移動するがごときあの音のことか? あの―――」 「おい見ろ、ありゃホーキーだ! たとえミュートをつけていても、彼はヒデオをステージから吹きとばしてしまいそうだぞ!」

「ヒデオは演奏しながら、膝をついてしまったぞ! おい、ヒデオが腰の大きな刀を抜 こうとしてる――誰かあれを止めろ!」

「すごいや、あんなエキサイティングな『クリーム』を聴いたのは生まれて初めてだ!ヒデオは大丈夫だったかな?」

「うん、誰かが水を一杯持っていってやってる」

「ホーキー、すげえぞ! こんな動天驚地な光景を目にしたのは初めてだ!」

「あんたがまたジャズの王様だ!」

「ホーキー・モーキーは最高のシゲキ的存在だ!」

「ああ、ミスター・ホーキー・モーキー、僕にもよくわかました。僕は完全にあなたに打ち負かされた。僕はこれからまだ何年も修行し、勉強しなくちゃならんです」 「ああ、いいんだよ、君。そのことはもう忘れたまえ。この世界で大物とよばれる連中はみんなそういう経験をするんだ。というか、俺たちはそういうのと背中あわせで生き て いるんだよ。さて、みんなたっぷりと楽しんでほしい。なにしろ次は『フラッツ』をやるんだからな。いいか、次の曲は『フラッツ』だ」

「 もしよろしかったら、僕はホテルに戻って荷物をまとめたいんです。いろいろありが とうございました。ここではいろんなことを勉強させてもらいました」

「いいって、いいって。元気でな、ヒデオ。ヘッヘッ。さあいこうぜ、『フラッツ』だぞ」

(村上春樹訳)