【日時】2024.8.15.(木)AM
【会場】1964年4月8日パリ、サル・プレイエ ルライヴ録画
【管弦楽】フランス国立放送管弦楽団
【指 揮】カール・リヒター
〈Profile〉
鍵盤奏者、指揮者。1926年ドイツプラウエン生まれ。81年没。11歳の時、ドレスデン聖十字架教会の音楽学校で学ぶ。46年ライプツィヒでシュトラウベ、ラミンらに師事。その後、聖トマス教会、ミュンヘンの聖マルコ教会のオルガニストを経て、53年ミュンヘン・バッハ合唱団を組織(管弦楽団は55年設立)、指揮活動に入る。『マタイ受難曲』の演奏で注目を集め、オルガン、チェンバロ奏者、指揮者として活躍。バッハ演奏家として名声を博す。
【独 唱】イヴリン・リアー(ソプラノ)、トマス・スチュアート(バリトン)
【合唱】フランス国立放送管弦楽団合唱団
【曲目】ブラームス『ドイツ・レクイエムOp.45』
【演奏の模様】
今日は、全国戦歿者追悼の日(終戦記念日)。
朝まだ暑くならない内に、追悼の意を込めて、『レクイエム』を聴きました。これまで、レクイエムといえば、先ずモーツァルト、ベルディ、フォーレ等のものを、その時の気分でかけて聴く事が多かったのですが、今日は来週に、ブラームスのレクイエム演奏会のチケットを、何ヶ月も前に取っておいたこともあり、予習も兼ねて『ドイツレクイエム』を聴くことにしました。
演奏は、今は亡きカール・リヒターが指揮するフランス国立管弦楽団+同合唱団です。
モーツァルトやベルディですと、器楽演奏でmourningの意を表わすところ大なのですが、ブラームスの曲は、殆ど合唱曲ですね。合唱中心で器楽が合いの手を入れています。でも最初のOb.の音色が、冴え冴えと広がりのあるいい音、宗教的雰囲気が盛り上がります。今昔物語かも知れませんが、さすが管楽器のフランス、半世紀も前だと名手がゴロゴロいたのかも?(使っている楽器も大きく見えました。)合唱はこれまた厚みのある壮麗な響き、流石、宗教音楽が身に染み込んでいるカール・リヒターならではの表現だ思われました。合唱と管弦楽から引き出される響きは、何かバッハの薫り高いコーヒーの様な香しさを漂わせていました。勿論これらの現象は、ひとり指揮者のみに起因するものでなく、ブラームスがいかにバッハを学び研究し、身につけていたかの証しだと思います。ソリスト二人はカンタータ歌手なのでしょうか?合唱の牽引役を見事に果たし彩りを添えていました。合唱団にも管弦楽にも女性奏者が多数見られたのには少し驚きました。今現在の日本みたい!しかも20〜40歳と思しき若い女性が大多数で、ひと目で、現在のパリジェンヌとは違って見えました。日本でも50年前の写真を見るとその髪型から衣服、顔付き(表情)まで、現代とは一目で違うと分かるが如く。然しそこに表出される音楽は、生き生きと現代に息づくブラームスの息吹きでした。
1時間ちょっと音楽を、聴いた後は、朝食を急ぎ済ませ、暑くならないうちに墓参しようと思って、外に出たら既にカンカン照りで、太陽はギラギラ輝いていました。駅まで徒歩10分とかからないのに尻込みしてしまう程の暑さ、明日は、台風が来ると言うし、今日行かないと今年は、ノーボンになってしまうと思って、困った時のかみ(さん)頼み、すぐ上さんに駅までタクシーして貰いました。でも最寄りの駅を降りてから15分程歩くのですが、着いたのはお墓そのものでなく、大規模墓地の彼方此方にある、茶屋の一つでした。そこで、手桶の水に刺さった二つの花たばと、火のついた線香を購入して自分の家のお墓までトボトボと草むらや、石碑の間を通り過ぎて歩くのです。これがいつもの年の墓参りなのですが、今年は駅から茶屋までの道筋は丁度太陽が真上に来て、日陰も見当たらず、タクシーも見当たらず、カンカン照りの中(多分ひなたは40度を超えていたかもしれない)、ホントに煉獄の試練を浴びるが如く暑い中を歩き、茶屋に着いた時には、グロッキーになっていました。茶屋の冷たい麦茶を馳走になって一休みした後も、体力の回復に自信が出なかったので、仕方なく今年はそこから先の工程は、茶屋の墓参代行に頼ることにして、急ぎタクシーを呼んで貰いました。実は、もう一箇所行くところがあったのです。横浜駅に行き、電車で鎌倉に行きました。鎌倉の段葛から参道を通って、鶴ケ岡八幡宮の参拝です。着いた鎌倉は、一大観光地に化していました。段葛を通る客は、余りいませんでした。
が、道路一つを挟んだお店が並ぶ歩道は、観光客がゾロゾロ闊歩しています。
参拝の帰り道に通った小町通りなぞ、老若男女(でなく幼若男女)が、肩がぶつかり袖触れ合う程の大混雑でした。
半分以上は、外国語、それも中国語で話している若者が多いと思いました。「春節」でもないのに、国家同士は対立しているのに、この観光客の多さは何?ひょっといたら台湾から?中国語は分からないので??でした。さて段葛も終わりに近づき、大きな鳥居(三の鳥居でしたっけ?)をくぐって石橋のしたから両脇に広がる水辺は、水面が見えないくらい水草で覆われていました。
蓮(ハス、すいれん)ですね。処々にピンクの花が咲いています。ホントは、木陰で、ボーと蓮池を見ていたかったのですが、時間が余り無いので急ぎ参道を進みました。手水を取ってお清めし、本殿前の石段を少し登ると、左方に公暁が隠れて、源実朝を暗殺したという銀杏の木の二代目が、かなり大きく育っていました(樹齢千年とも云われた一代目は2010年に倒壊、直ぐそばに出ていた苗木の様な若い木が今や10年木になったのです)。でもあと千年持つのかしらん?
本殿を参拝する人は、かなり少なかった。それもその筈、「ぼんぼり祭り」が、先週行われて終わったばかりですから。
古札納め、参拝、新しい御札など短時間でスムーズに終わり、急ぎ足で町中方面に。
小町通りに進む前に、老舗の菓子本店「豊島屋」に寄り、いつも世話になっている上さんへの土産でもと探します。そうなんです。自分でも運転免許証は持っているのですが、昨年買い替えた今の車は、一度も運転したことがないのです。練習する時間がとれない、と言うのは、言い訳ですか?上さんに、「新しい車の運転を、今度教えてよ。いざという時に困るから」と言うと「絶対無理、電子化した部分が多いし、なまじっか覚えて事故になったら大変」と鼻にもかけないのです。そう言えば、去年まで使っていた車を運転したのは、何年かのうち十数回きり。免許証はいつもゴールドカードでした。でもさらにその前の車の時には、家内を乗せてドライブに伊豆に行ったり、東北道を他の車を追越したりしていたのですが。それでも無事故でした。反則切符は、駐車違反とスピード違反は、一回づつ喰らいましたが。さらにその前の車の時には、かなりヤバイ事があって、今でも上さんに頭が上がりません。その時は、国産の新車でかなり気に入っていたので、ちょくちょく一人で、ドライブしていたのです。ある休日に遠出のドライブに行こうとして、大宮を通って秩父方面に車を走らせ、あれは国道何号線だったか?秩父方面で荒川沿いの確か二車線位の大きな道路を走っていた時でした。バックミラーを見たら後ろの車輪から、白い煙が出ているではないですか。コリャ何か変だ!と思って速度を少し落とすと、丁度左前方に大きなガソリンスタンドが見えました。これ幸いとハンドルを左に切り、車を降りてスタッフに説明すると、原因は、ハンドブレーキが、完全に降りていない状態だったのでした。そう言えは、その国道に出る直前、交通量の少ない道の端に車を停め眼下の荒川渓谷を見ながら、少し休憩したのでした。その後の運転を再会した時、きっと気がゆるんでいたのでしょうね、ハンドブレーキが完全に解除されていなかったのです。交換の部品を取り寄せする必要があるので、二三日中に治ったら電話しますとのことで、帰りは近くの駅まで送ってもらって、秩父線に乗って帰ったことがありました。結局仕事があるので、自分では車を取りに行けなくて、上さんが電車で遥々取りに行って、車で帰ってきて貰いました。こうした失敗や、時々何か家の中で、紛失してしまったもの(メガネや鍵やスマホetc.)がいくら探しても見つからないと、又上(さん)頼みすると、「なーんだここにあるじゃない」と直ぐ見つけて呉れるのです。「やー天才、探偵!」などとお世辞を言うこと位しか出来ない誰かさんなのです。
❝ご先祖さまには 及びもせぬが せめてなりたや 上さんに❞
さて、件のお菓子屋さん、「鳩サブレー」は非常に有名ですが、横浜のデパートでも買えるし、店員に、「ここ本店でしか買えないお菓子はないですか?」と訊いたら、幾つかあった中で、「笹しぐれ」という丸くて4個を割り竹の容器に盛った物を所望しました。
持ち帰ったら、翌日、(恐らく台風で外出出来ないので) お茶受けにすると言っていました。
小町通りの両サイドの商店街も10年前と比べると随分小綺麗で、お洒落な店構えの商店が増えて高級感が出てきました。
でも相変わらず土産物屋が多く、飲食店はいろいろ工夫しているみたい、流石に外国ブランド店は無いようです。
帰りは横須賀線で、横浜まで一直線、わりと近い気がしましました。
処で台風7号ですが、16日に関東地方に上陸するのか掠めるだけなのか?何れにせよ風は猛烈で、線状降水帯も出来やすいというので、警戒度は上げなければなりません。