HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

加藤登紀子/安田講堂コンサートを聴く

〜能登半島被災者救済 チャリティーコンサート〜

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【日時】2024.07.14.(日)16:00〜 

【会場】東京大学本郷構内 安田講堂 (東京都)

【管弦楽】東京大学同窓生オーケストラ

【指揮】柏木真樹

<プロフィール>

東京と名古屋に教室を持つヴァイオリン教師。20代で東京大学管弦楽団、ジュネスオーケストラ等のコンサートマスターを務めた後、プロ転向を目指すが、腱鞘炎等のために挫折。以来、仕事のかたわら研鑽を積み、アマチュアオーケストラのコンサートマスターやトレーナーを務める。30歳を過ぎてレイトスターターの指導を本格的に始めると共に、ヴァイオリンの指導者として音楽の世界に戻った。『ストリング』『サラサーテ』各誌の連載などを通じてその独特な指導法は評判を呼び、アマチュアだけでなく、体の使い方に悩むプロや音大生などの指導の実績多数。オーケストラCONSONO音楽監督、ストリングス・アズール指揮者

 

【出演】加藤登紀子

〈プロフィール〉

 1943年ハルビン生まれ。 1965年、東京大学在学中に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し歌手デビュー。 1966年「赤い風船」でレコード大賞新人賞、1969年「ひとり寝の子守唄」、1971年「知 床旅情」ではミリオンセラーとなりレコード大賞歌唱賞受賞。

以後、80枚以上のアルバムと多くのヒット曲を世に送り出す。国内コンサートのみ ならず、1988年、90年N.Y、カーネギーホール公演をはじめ、世界各地でコンサー トを行い1992年、芸術文化活動における功績に対してフランス政府からシュバリエ 勲章を授けられた。

近年は、FUJI ROCK FESTIVAL に毎年出演し、世代やジャンルの垣根を超え観客を 魅了し続けている。

 歌手活動以外では女優として映画『居酒屋兆治』(1983年) に高倉健の女房役として 出演した。

宮崎駿監督のスタジオジブリ・アニメ映画 『紅の豚』 (1992年)では声優としてマダム・ ジーナ役を演じた。地球環境問題にも取り組み

2000~2011年には環境省・UNEP国連環境計画親善大使に就任。アジア各地を訪れ、 自らの目で見た自然環境の現状を広く伝え、音楽を通じた交流を重ねた。私生活では 1972年、学生運動で実刑判決を受け獄中にいた藤本敏夫と結婚し長女を出産。現在子3人、孫7人。

【ピアノ伴奏】鬼武みゆき

〈プロフィール〉

東京理科大学理学部数学科卒業。これまでに最新作「Letters ~美しき永遠への誓い~」 「FUKUSHIMA」を含む8枚の オリジナルアルバムを発表。

第58回カンヌ国際映画祭特別上映・小栗康平監督映画「埋もれ木」挿入歌、北海道東 川町・高校生国際交流写真フェスティバルのテーマ曲 「HIGASHIKAWA」等の作曲活 動他、加藤登紀子、宮沢和史、手嶌葵など数多くのレコーディング、コンサートにア レンジャー、ピアニストとして参加。現代を生きる私達に元気と安らぎを与えてくれ るアーティスト。

 

【プログラム】

《管弦楽演奏》

①サミュエル・バーバー (1910-1981) 「弦楽のためのアダージョ」 (1938)

(曲について)

 サミュエル・バーバーは1910年にアメリカ合衆国ペンシルベニアに生まれた。カーティス 音楽学校で学んだ後にイタリアに留学しその地で弦楽四重奏曲第1番口短調を作曲してい る。この曲の第2楽章が翌年「弦楽のためのアダージョ」として編曲された。初演は1938年 にアルトゥーロ・トスカニーニ指揮 NBC 交響楽団によって行われた。この曲はジョン・F・ケネディの葬儀で用いられて有名になった。そのために葬儀や慰霊祭 などで頻繁に用いられるようになった(アメリカ同時多発テロの慰霊祭、東日本大震災後の 復興支援コンサートなどが知られている)。日本でも昭和天皇崩御の時にNHK交響楽団の 演奏が放映されている。しかしバーバーはこの曲を葬送のものとして書いたわけではなく、 生前に不満を述べていたという。

 

②ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 

 (曲について)

1788年にヴィーンで作曲されたこの曲は、前後する第39番、第41番「ジュピター」ととも に「モーツァルトの3大交響曲とも呼ばれている。

貴族が喜ぶために多くの曲が書かれたこの時代は、全体的に短調のものは極めて少ない。 40曲以上書かれた交響曲には第25番と第40番(いずれもト短調)の2曲しかなく、ピアノ 協奏曲や弦楽四重奏曲などにも2曲ずつしかない。しかし短調の曲はいずれも名曲とされ るものばかりである。

この曲が最初に書かれた時にはクラリネットがなかったが、モーツァルト自身がすぐにクラリ ネットが入った改訂版を作っている。モーツァルトが自らクラリネットが入ったものの方が良い と考えたのか、改訂したときに演奏するオーケストラにクラリネットがあったから加えたのか (ないしは最初のオーケストラにクラリネットがいなかったのか)はわからない。今回はクラリネ ットの入った改訂版で演奏する。

 

 

《休憩》

 

《加藤登紀子ワンマン・ショー》

③ 時には昔の話を (1987)作詞作曲:加藤登紀子

 

④さくらんぼの実る頃 (1992)作詞:ジャン・バティスト・クレマン  作曲: アントワーヌ・ルナール

 

⑤ひとり寝の子守唄 (1969) 作詞、作曲:加藤登紀子

 

⑥風が吹いています (2024/新曲) 能登に贈る歌 作詞・作曲:加藤登紀子

 

⑦ 遠い祖国 (1988) 作詞・作曲:加藤登紀子

 

⑧今あなたに歌いたい/和田アキ子に捧げる歌 (1988) 作詞、作曲:加藤登紀子

 

⑨無垢の砂 / 「バリは燃えているか」によせて (1995) 作詩:加藤登紀子 作曲:加古隆

 

⑩イマジン (2022)

作詞・作曲:ジョン・レノン、オノヨーコ 日本語詞:加藤登紀子

 

⑪百万本のバラ (1982、1987にカバー)

作詞:アンドレイ・ヴォズネセンスキー 作曲:ライモンズ・パウルス 日本語詞:加藤登紀子

 

⑫ 愛の讃歌 (1950、2007にカバー) 作詞・作曲 作詞:エディット・ピアフ 作曲:マルグリット・モノー 日本語詞:加藤登紀子

 

 

【東大同窓生オーケストラについて】

東大には以前は管弦楽団が一つだけ存在したが、現在は幾つかの学生オーケストラが知 られている。東大同窓生オーケストラは同じ東大同窓生として各楽団の垣根を取り払 うのを理念として創設された。メンバーは東大同窓生であることだけを条件に幅広い 年齢層で構成されおり、海外からも何名か参加している。今回の能登半島被災者救済 チャリティーコンサートで東大 OG の加藤登紀子さんと安田講堂で共演するのを機会 に東大当局と検討の末発足した。安田講堂には各団員にそれぞれの想いがあるが年配 の団員には(巷の栄枯盛衰をほぼ一世紀見てきた) 安田講堂で演奏できることに感慨 を覚える者も少なくない。(長谷川泰) 

 

(数字は東大入学年)

インスペクター、コンサートマスター 長谷川泰(1977)

フルート 岩藤愛実(2014)

オーボエ 長田浩一(1979) 伊藤佐保子(1986)

クラリネット 鈴置紘一朗(2015) 近藤万莉(2015)

ファゴット 磯谷元伸(1982) 松川一宏(1987)

ホルン 野村直之(1980) 高山英男 (1990)

ファーストヴァイオリン

長谷川泰(1977) 内山秀文 (1986)

田中美慧(2003)

植木潤(2005)

草川研二(2006) 島啓志 (2014)

セカンドヴァイオリン

平木敬(1971) 小嶋典夫 (1977)

臼田慧太郎 (2005) 守田啓悟 (200

高橋ユウキ(2015)

ヴィオラ

原田早苗(1981) 鈴木チセ (1981) 山本正彦 (1991) 澤井周(2004

小畑聡美(2012)

チェロ 松田学(1977) 河野愛 (1967) 丸山泰生(1998)

コントラバス 長田元(1983) 矢田和之 (1988) 小林薫(2002)

 

【演奏会の模様】

土曜日(7/13)、朝日新聞の夕刊を見たら、加藤登紀子さんに関する記事が、大きく載っていることに気がつきました。コンサートを開く様でして、次の様に書かれています。

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青春を過ごした場所「復興の思い込めて」加藤登紀子さん) 安田講堂で歌う

 歌手生活60年目の加藤 登紀子さん(80)が14日、 母校の東京大学(東京都 文京区)でチャリティー コンサートを開く。加藤 さんにとって安田講堂で 開く、初の本格的コンサ ート。学生運動の時代を 「過ごした舞台でいま、能登復興や平和への願いを 込めて歌う加藤登紀子さん。奥にあるのはラフ マニノフの写真と生前愛用していた ピアノ=6月24日、東京都渋谷区も、加藤さんは断ったと いう。「赤には共感して いました。でも、歌い手 は政治のことをうたって も、政治の道具になって はいけない」

今回、安田講堂に立つ 思いをこう語る。「分断を 乗りこえて、良い時代 作るとしてきた汗と 涙は大きかった。そうい う歴史を歌い継ぐのも歌 手のつとめ」。

 青春を過 した場所でのコンサー トでは平和や復興への 思いを込めて歌いたいと いう。

 今月のコンサートは、 卒業生 オーケストラとの 共演。ロシア革命を機に 米国に渡った作曲家ラフ マニノフが愛用していた ピアノも使われる。卒業 生が提供したもので、複 雑で深い音色が特徴だと いう。

座り込みに参加したこと もあるという学生運動のさなか、1968年に安田講堂で予定さ れていた加藤さんの卒業式は中止に。翌年には講 堂に学生が籠城し、機動隊が突入した。

加藤さんの夫・藤本敏夫さん (2002年死去)は学生運動の闘士の 一人だった。在学中に歌 手としてデビューしてい た加藤さんは「当時、彼 から『みんなのために歌 ってくれ』と頼まれたこ ともありました」。そうしたこともあり、安田講堂は、加藤さん にとって因縁浅からぬ場 所だ。在学していた60年前、講堂前では学生運動 の抗議集会などがたび び開かれた。加藤さんのコンサートは午後4時開演。全席指定で8千 円。未就学児入場不可。 収益は能登半島地震の復興支援に全額寄付する。 (竹石京子)

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クラシックのみならず、他の分野の演奏家でもこれまで生演奏で聴く機会がなく、一度は生演奏を聴いてみたいと以前から思っている人が何人かいて、加藤さんもその一人でした。

 さあ、こりゃ大変演奏会があるとは知らなかった。この機会を逃すと一生、生演奏を聴けないかも知れない。すぐ電話しなくちゃ。でも明日(日曜日)の公演だそうだから、もう間に合わないかな?とダメもとと思って急ぎ事務所に電話しました。そしたら、明日間違いなく来て頂けるなら、一人分座席を用意します。支払いは当日受け付けで。ということでした。滑り込みセーフ。加藤登紀子さんの演奏会は一度は聞いてみたいと十年以上も前から思っていたのです。しかし実現していなかったのです。その原因は、まずコンサート情報が来ないこと。殆どクラシック演奏のチラシやネット情報ばかりで、進んで加藤さんの演奏会情報を取りにいかない、というより、その暇がなかったと言った方が良いかも知れません。調べると今回のコンサートのチケットも、かなり前から売り出していた様で、全然知りませんでした。 

 そして、翌日横浜からたまにしか行かない本郷を目指した訳ですが、日吉まで東横線で行って、そこから地下鉄南北線に乗れば、「東大前」駅まで、一本で行けます。
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駅に着くと、三連休のためか大学は夏休みに入ったのか、駅構内には人影は殆ど見掛けず、がらんどう。案内板通りに進んで地上に出ると、本郷通りに出ました。

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歩道の左手には煉瓦風の塀が続きます。東大農学部キャンパスです。今回のコンサートは、安田講堂ですから、歩道のずっと先、正門まで歩きました。

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かなり遠く感じる程歩くと、正門がありました。既に多くの人が門の中(本郷キャンパス)に入って行く様です。

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中に入ると目の前はイチョウ並木が続き、その先に、安田講堂がそびえていました。

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既に開場の時間は過ぎ、かなりの人が、受け付けに集まっていました。講堂前の広場には、何やらテントが一つ、「授業料値上げ反対」のノボリが立っていました。ニュースでもたびたび報道されましたね。

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講堂の中に入ると、その階(建築物としては三階)がホール一階、階段を登るとホール二階です(建築物としては四階)。講堂内部はかなり広く見え、ステージは講堂ですから広くはなく、その前面に一階の座席(約730)が一階の座席を取り囲む様にほぼ半円形状に二階席(約420)がぐるりと取り囲んでいます。一二階合わせて千ちょっとの座席数です。

ステージには、小編成の管弦楽用の椅子が数十並んでいました。

 

《管弦楽演奏》

①サミュエル・バーバー (1910-1981) 「弦楽のためのアダージョ」 (1938)

楽器編成:弦楽五部6型

 今回は「震災チャリティコンサート」なので、演奏前に全員で黙とう、そして追悼曲の定番となっているこの曲を、弦楽のみのゆっくりとしたテンポの演奏で、暫し心を癒される時が流れました。

 奏者の皆さんオケのみを練習している訳ではなく、様々な活動をしている残りの時間を充てているのでしょうから、その技量には、ばらつきがあるのは当然です。特に前半より後半の安定度が高く、総じて先ず先ずのいい演奏でした。

 

②ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト『交響曲第40番ト短調 K.440』

楽器編成:変形二管編成(Fl.1,Hrn.2 Cl.2)弦楽五部6型(6-5-4-3-2)

全四楽章構成

第1楽章 モルト・アレグロ ト短調 2分の2拍子

第2楽章 アンダンテ 変ホ長調 8分の6拍子

第3楽章 メヌエット ト長調 4分の3拍子

第4楽章 フィナーレ:アレグロ・アッサイ

 各楽章共ちょっと気になる箇所は散見されました。例えば、1、3楽章に於ける管の乱れ等。でもこの曲の方が全体として①よりも良かったと思います。 第1楽章の冒頭の主題「ため息のモチーフ」は曲全楽章に現れ、不安や嘆きのイメージがします。短調の曲の性格上も合わせて、震災の追悼に相応しい雰囲気は出ていたと思います。

 

 

《休憩》

 

《加藤登紀子ワンマン・ショー》

 

赤いドレスに黒いガウンを羽織った加藤さんは、舞台袖したの左手から観客席の前を元気一杯に歩いて登場、前列の観客に手を振り舞台に上がると大きく手を広げ館内の拍手歓呼に応えました。

そしてプログラムの ③「時には昔の話を」 ~ ⑫「愛の讃歌」まで、歌う順序は若干変えながらもトークを交えて、面白おかしく、しかも真面目に真剣に、歌にこれまでの自分の人生を重ねて歌いました。もう80歳という声は枯れ気味で、高い音は殆ど出ないものの、喉から絞り出す呼気は叫ぶが如く声を補い、歌詞の雰囲気を十二分に聴衆に伝える力強さが有りました。途中今回の能登半島地震で被害を受けた現地の、ある市長さんも観客席におり、加藤さんは舞台前まで呼び寄せて、挨拶をして貰っていました。こうしたことが被災者の復興へむけての大いなる励ましになると言った趣旨の事を話し謝辞を述べていました。又⑩IMAGGINEを歌う前の加藤さんの話しでは、このビートルズのジョン・レノン歌は平和を願って歌われたもので、ジョンの妻オノ・ヨーコ(小野洋子)さんの祖父が、皆さんが今集っているここの安田講堂を大学に寄贈されたのです、と言ったら、会場にはどよめきが起こりました。戦争に反対し、凶弾に倒れたレノンの歌をうたうことは、やはり昔から、革命、世直しを願って学生運動に身も心も投じて半世紀も生きて来た加藤登紀子さんにとって、この場所で震災とはいえ戦争と同じ様な被害を受けた人々への平和、平穏な生活を希求する願いを届けたいと万感の思いがあったでありましょう。

その後、加藤さんのおはことも言える⑪「百万本のバラ」を情熱的に歌った加藤さんは、不思議なことにこの歌では高音もしっかりと出ていました。人間の喉とは不思議なものです。最後の歌、エデット・ピアフのシャンソン「愛の賛歌」を歌う前に、「ピアフの存在は大きくて、小さい自分などとてもかなわないのですが一つだけ、私の方が上なのは、長く生きていること、倍近くも」と言って、聴衆を笑わせ、しっとりと、この名歌を歌いました。会場は大いに盛り上がり拍手喝采の嵐となったのでした。

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  (ネット上の写真より)

 

会場を出ると、外は大分暗くなりつつありました。夏至も過ぎてかなり経ちますし、そのうち日が沈むとつるべ落としの様に暗くなって来るのでしょう。久し振りに本郷に来たのだし、夕飯でも食べて行こうかなと思って、正門から反対車線の歩道に移って、本郷三丁目駅の方を目指し、キョロキョロ食べる処無いか?と見ながら歩きましてが、休日のせいもあってシャッターを下ろしている店が多いのです。しかも昔と違って商店街は、皆ビル化して、漱石などの文学に載っている様な飲食店は、全滅したのでしょう。かなり歩いて、赤門の前辺りに来たら、暖簾が目に入りました。

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鰻の様です。うしの日には早いですが、ここにするかと思って店内にはいりました。なかは、せまいそれこそうなぎの寝床の様なところ

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カウンタにすわり、「うなぎステーキ重」というのを頼みました。出て来たのは、うなぎとステーキが並んてお重に載り、お吸い物と香物、茶碗蒸しまで付いています。最近は、帯状疱疹以来禁酒にしているのでお茶で我慢です。


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鰻丼とステーキ丼が二度楽しめるスタミナ満点のお重でした。美味しかったですよ。