【日時】2024.7.12(金)19:00~
【会場】NHKホール
【管弦楽】NHK交響楽団
【指揮】グスターボ・ヒメノ
<Profile>
「驚きの指揮者」(『シュピーゲル』誌)、「魔術師」(『テレクラン』誌)と称されるグスターボ・ヒメノは、2015年からルクセンブルク・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を務め世界中で演奏会を開催。また、2020/21シーズンから音楽監督を務めるトロント交響楽団とは、創立100周年を記念してブルックナーの《交響曲第4番》などを披露した。2025/26シーズンからは故国スペインのマドリード・レアル劇場音楽監督に就任予定。世界各地から客演のオファーが続いており、昨シーズンはベルリン・シュターツカペレ、フランス放送フィルハーモニー管弦楽団、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団などに登場した。N響初登場。
【独奏】ノア・ベンディックス・バルグリー(Vn.)
<Profile>
2014年からベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第1コンサートマスターを務めるノア・ベンディックス・バルグリーは、ソリスト、室内楽奏者としても世界中で活躍するヴァイオリニスト。先ごろキリル・ペトレンコ指揮ベルリン・フィルのアメリカ・ツアーにおいて、カーネギー・ホールでの協奏曲デビューを飾ったのをはじめ、世界の主要なオーケストラにソリストとして登場している。伝統的なクレズマー音楽(東欧発祥のユダヤ人音楽)の演奏者でもあり、ベルリン・フィルとウィーン・フィルのメンバーからなるザ・フィルハーモニクスではクラシック以外のジャンルでも聴衆を楽しませている。N響初登場。
【曲目】
①シベリウス『ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47』
(曲について)
シベリウスは若い頃ヴァイオリニストを目指していたが、あがり症のため断念してしまった。そうした彼による唯一の協奏曲となったのが、ヴァイオリンを独奏楽器とする本作である。シベリウスの作風は交響的でありながら室内楽的な緊密な書法を基盤とするもので、この協奏曲も独奏者とオーケストラが対等に渡り合っており、名人的な技巧を披露することを目的とする通例の協奏曲とは必ずしも相容れない。とはいえヴァイオリニストを志したシベリウスの作品らしく、ダブルストップなどの難技巧を随所に取り入れており、演奏は容易ではない。
本作は彼による創作の比較的初期、交響曲第2番と第3番との間に作曲されており、上記のような室内楽的書法が確立する前の作品ではあるが、従来の協奏曲の殻を破ろうとする意志が強く表れており、作風を成立させるに当たっての過渡的存在ともいえる位置付けにある。
1904年に初稿版で初演が行われたが結果は芳しくなく、「美しい部分が多々あるものの、全体として冗長である」という評価が多かった。
初稿版の初演を行った翌年、1905年にブラームスのヴァイオリン協奏曲を初めて聴いたシベリウスは、自らの協奏曲よりもさらに徹底して交響的な同曲に衝撃を受け、本作を現在我々が耳にする形に改訂した。それは独奏楽器の名技性を抑えて構成を凝縮し、より交響的な響きを追求したオーケストレーションへと変更したものである。
改訂稿の完成後シベリウスは初稿の演奏を禁止したが、1991年に遺族の許可の下、レオニダス・カヴァコスの独奏、オスモ・ヴァンスカ指揮のラハティ交響楽団により録音が行われた。改訂版とのカップリングで、CDが入手可能である。
②ベートーヴェン『交響曲 第6番 ヘ長調 作品68「田園」』
(曲について)
交響曲第6番 ヘ長調 作品68『田園』(こうきょうきょくだい6ばん へちょうちょう さくひん68 でんえん、 ドイツ語: Sinfonie Nr. 6 F-Dur op. 68 "Pastorale")は、ドイツ出身の古典派音楽の作曲家、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770年 - 1827年)が1808年に完成させた6番目の交響曲。 演奏時間は約39分(第1楽章:11分、第2楽章:13分、第3楽章 - 第4楽章 - 第5楽章:15分)と紹介する例があるが、反復の有無、指揮者の解釈や時代による演奏様式の変化により演奏時間には幅がある。
古典派交響曲としては異例の5楽章で構成されており、第3楽章から第5楽章は連続して演奏され、全曲及び各楽章に描写的な標題が付けられるなど、ベートーヴェンが完成させた9つの交響曲の中では合唱を導入した交響曲第9番と並んで独特の外形的特徴を持つ。 また、徹底した動機展開による統一的な楽曲構成法という点で、前作交響曲第5番(作品67)とともにベートーヴェン作品のひとつの究極をなす。
【演奏の模様】
①シベリウス『ヴァイオリン協奏曲』
楽器編成:2管編成弦楽五部14型(14-12-10-6-5)
楽曲構成:全三楽章構成
第1楽章Allegro moderato - Allegro molto - Moderato assai - Allegro moderato - Allegro molto vivace(約16m)
第2楽章 Adagio di molto(約9m)
第3楽章 Allegro ma non tanto(約10m)
冒頭Vn.アンサンブルの弱いトレモロ音がなりだすと、バルグリーもしっかりした静かな高い音でスタート、高い空をゆうゆうと舞うトンビか鷹のイメージが沸き起こります。次第にVn.ソロは音量を強め、鳥は滑空して来て、大きな姿が真近かに見える程の高度になりました。しかし低音ソロの図太く鳴る音もやや繊細な感じです。早くもソロ奏者はカデンツァ的演奏部を経由して休止に、その間オケは緩めの旋律を静かに演奏、Fg.とCl.の音を合図にソロVn.は同一テーマを低音部でシックに演奏です。次第に力が入って来てテーマを、朗々と響かせますが、ここまででも何か物足りない感がしました。
何故か?自分の座席の(2階後部座席)せいか?ソロヴァイオリンの音は決してオーケストラにかき消されることは無いのですが、迫力を余り感じません。これからかなと思って注意して聴いていました。オケを牽引するソロの力強い演奏の箇所もすんなりさらりと演奏、続くソリストが普通感情を込めて弾く上下下行上行する美しくも激しいパッセッジから始まる、重音を含む本格カデンツア演奏の何とスマートに完璧に近い演奏だった事でしょう。このカデンツア部では奏者の叫びも鳴き声も聞えず、美しいバイオリンの音だけがいや増しに鳴っていました。最後にソリストは速くて強いパッセッジを弾き切り背景を成したオケも短く〆ます。
第二楽章は木管の太い低音域の調べ、続くOb.の調べからスタート、ソリストも低音域の滔々とした旋律を前楽章の時より力を込めて弾いている感じでした。弦楽アンサンブルのゆったりした流れも含め全体的に優美に彩られた楽章でした。
終楽章、Timp.とCb.の微かに囃し立てる音に乗って、ソロVn.は非常にリズミカルでノリの良い調べを奏でています。弦楽器も一斉斉奏の分厚い背景音で掛け合い、ソリストは相当なテクニカルな指使いで、この民族主義的(と言うと語弊があるかな?)の作曲家の高揚する気持ちを代弁するが如き動きで、クネクネクネクネと上下行する音を立てて一気に終了しました。尚他の楽章も含め、Hrn.の弱音の様な音が度々立てられましたが(恐らく弱音器でなく、挿入手によるゲシュトップだと思います)、演奏上の効果はいま一つ判然としませんでした。
指揮者が割と早くタクトを収めるとほぼ満員の会場からは大きな拍手が湧きおこりました。ソリストには花束贈呈も有り、会場はさらに盛り上がりアンコール演奏がありました。
《ソリストアンコール曲》ヨハン・セバスチャン・バッハ『無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調BWV1006』からガボット。
最後以外は出来る限り修飾音を抑制し、単純に、素朴に極々ありふれた弾き方に徹して、派手な本演奏の曲と対照的印象を与えた様です。
《20分の休憩》
②ベートーヴェン『交響曲 第6番 「田園」』
楽器編成:2管編成弦楽五部12型(12-12-10-7-5)
楽曲構成:全5楽章構成、各楽章には標題が付されています。
この曲はいろいろな管弦楽団により度々演奏される人気曲です。つい最近(5/30)も井上・都響の演奏を聴きました。また5/16には、アバド・ベルリンフィルの演奏を配信で聴きました。それ以前も結構聴いています。この曲は若い時には大好きな曲でした。今でも好きな曲の部類に属します。各楽章の詳細については割愛しますが、今回のヒメノ・N響の演奏は文句なしの満足のいく演奏だったと思いました。各パートが粒のそろった音を出していたし、管と弦の融合、バランスが絶妙、特に2楽章で弦楽アンサンブルの全奏を引き出すCb.のソロ音は秀悦でしたし、加えてFl.ソロが繰り返されOb.も音を立て、この木管三者の演奏は見事でした。3楽章でも、Ob.のソロ音は美しく響き、Ob.→Cl.→Hrnのフガート的音のこだま、掛け合いは面白くも有り穏やかな小川の風景が目に浮かぶよう。また4楽章の嵐の表現も迫力が有りました。考えてみれば、この曲は夏の初め、丁度今頃の季節に相応しい曲なのですね。キツツキ・カッコーの鳴き声等小鳥の表現、急な雷鳴と嵐、嵐の後の清涼感の漂う終楽章などなど。ひょっとしたら①の曲の季節感も北欧の夏なのかも知れません。
大きい拍手。花束贈呈。アンコール演奏が続きました。
《アンコール曲》伝ハイドン(ホフシュテッター)『セレナーデ(弦楽合奏版)』