【主催者言】
没後10年を迎えたクラウディオ・アバドに捧げられた当コンサートでは、かつてアバドのアシスタントを務めたダニエル・ハーディングがブルックナーの交響曲第4番《ロマンティック》を指揮しました。中世の町の塔から聞こえるホルンの音、森のざわめき、狩りの風景……。ブルックナーは、これらのイメージを抱いて生き生きとした色彩溢れる交響曲を作曲しました。「ハーディングはベルリン・フィルに大きな自由を与え、特別で自発的なものを引き出した」(「ベルリナー・モルゲンポスト」紙)。コンポーザー・イン・レジデンスのイェルク・ヴィトマンによるヴィオラ協奏曲では、アントワン・タメスティがさまざまなオーケストラ・グループと触れ合い、楽しい音楽劇を繰り広げています。
【配信】2024.1.20.のアーカイブ配信
【鑑賞日時】2024.7.2.(火) 深夜
【会場】ベルリンフィル・デジタルコンサートホール
【管弦楽】ベルリン・フィルハーモニ―管弦楽団
【指揮】ダニエル・ハーディング
<Profile>
ダニエル・ハーディング1975年生れのイギリスの指揮者、航空機パイロットでもある。
音楽高校在学中の1993年から1994年にかけてサイモン・ラトルのアシスタントを務め、1994年にバーミンガム市交響楽団を指揮してデビューする。このデビュー演奏会がロイヤル・フィルハーモニック協会の「ベスト・デビュー賞」を受賞、クラウディオ・アバドに認められ、1996年のベルリン芸術週間においてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮する。同年には、最年少指揮者としてBBCプロムスにもデビューした。 初来日は、1999年のエクサン・プロヴァンス音楽祭の引っ越し公演であった。 2002年、シュヴァリエ勲章を受賞した。2003年にザルツブルク音楽祭にデビューし、2004年にはマーラーの交響曲第10番を指揮してウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と初共演した。ベートーヴェンの序曲集、ブラームスの交響曲第3番・第4番、モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』など、録音も多い。
2008年から、ドイツ・グラモフォンと専属契約を結び、録音第1弾としてウィーン・フィルを指揮してマーラーの交響曲第10番のCDを出した。
2010年、新日本フィルハーモニー交響楽団のミュージック・パートナーに就任。
2012年2月22日、軽井沢大賀ホール初代芸術監督の就任が決まる。着任は、2012年4月1日から。
2016年から2019年まで、パーヴォ・ヤルヴィの後任としてパリ管弦楽団音楽監督に就任。
2018年10月、スウェーデン放送交響楽団が2023年まで首席指揮者の契約を延長し、また新たに芸術監督の就任を発表した。2019年8月26日、指揮者としての仕事は休止し、パイロットとしてエールフランスに就職することを発表した。
【曲目】ブルックナー『交響曲第4番《ロマンティック》』
(曲について)
1874年1月2日に作曲を開始し、同年11月22日に書き上げられた。(第1稿、または1874年稿)。
その後、1877年10月12日のヴィルヘルム・タッペルト宛の手紙でこの交響曲の全面的見直しの考えを述べている。1878年1月18日からその改訂作業に着手し、特に第3楽章は全く新しい音楽に置き換えた。この改訂作業は1878年11月に完成した(1878年稿)。この1878年稿の第4楽章は、"Volksfest"(「国民の祭典」「民衆の祭り」等と訳される)と呼ばれることがある。
引き続き1880年、第4楽章を大幅に修正した。この時点で完成されたものが第2稿、または1878/1880年稿と称している。
1881年にはウィーン初演がハンス・リヒターの指揮で行われた。ブルックナーはリハーサルの際に感激し、リヒターに「これで1杯やってくれ」と1ターラー銀貨を握らせた(ビール1杯どころかその数十倍の価値)。リヒターはその銀貨を思い出の品として時計の鎖につけて大切に取っておいたという]。
(改訂について)
国際ブルックナー協会校訂による楽譜は、1936年に出版され、その後内容修正のうえ1944年に再出版された。これは第2稿(1878/80年稿、1878年稿の第4楽章を1880年稿で置き換えたもの)に基づくものであった。出版当初は初版との対比もあって「原典版」とも称された。また当時の校訂者の名をとって「ハース版」とも称された。この版の出版にともない、初版での演奏が次第に廃れていった。一時期はこのハース版による演奏が主流であった。同時に「初版=改竄版」との認識が広まることとなった。なおハース版として広く出版されたのはこの第2稿(1878/80年稿)であったが、実際にはハースの校訂によりそのほかにも、1878年稿の第4楽章も出版され(全集の付録資料として、この楽章のみ)、さらに第3稿(1888年稿)の出版も計画がされていた(これは実現しなかった)。
戦後、国際ブルックナー協会の校訂作業がノヴァークに引き継がれたことにより、それに基づく楽譜が順次出版された。まず1953年には1878/80年稿に基づく楽譜が出版された(ノヴァーク版第2稿)。続いて1874年稿(第1稿)が、1975年にノヴァーク版第1稿として出版された。1878年稿の第4楽章についても1981年に出版された(この楽章のみ)。さらにノヴァーク引退後の2004年には、ベンジャミン・コーストヴェットの校訂により第3稿が出版された(コーストヴェット版第3稿)。
【更なる改訂について】
1886年にはアントン・ザイドルによるニューヨーク初演のために、わずかな改訂が加えられた。この時点のものを第2稿、または1878/1880年稿と称することもある。
その後1887年から1888年にかけて、弟子たちがブルックナー監修のもと改訂を施した(第3稿、または1888年稿)。第1楽章・第4楽章はフェルディナント・レーヴェが、第2楽章はヨーゼフ・シャルクが、第3楽章はフランツ・シャルクがそれぞれ担当したと言われる。下記のとおり、最初に出版されたものがこの稿であったため、またこの稿が長らく否定的に評価されてきたこともあり、「初版」「レーヴェ版」「改訂版」「改竄版」と呼ばれる、あるいは同義にとられることもあった。加えてこの譜面にはブルックナーの承認のサインがなく、ブルックナー特有のアクセントや強弱もないので、この稿の評価の混乱の一因になっている。
国際ブルックナー協会校訂による楽譜は、1936年に出版され、その後内容修正のうえ1944年に再出版された。これは第2稿(1878/80年稿、1878年稿の第4楽章を1880年稿で置き換えたもの)に基づくものであった。出版当初は初版との対比もあって「原典版」とも称された。また当時の校訂者の名をとって「ハース版」とも称された。この版の出版にともない、初版での演奏が次第に廃れていった。一時期はこのハース版による演奏が主流であった。同時に「初版=改竄版」との認識が広まることとなった。なおハース版として広く出版されたのはこの第2稿(1878/80年稿)であったが、実際にはハースの校訂によりそのほかにも、1878年稿の第4楽章も出版され(全集の付録資料として、この楽章のみ)、さらに第3稿(1888年稿)の出版も計画がされていた(これは実現しなかった)。
戦後、国際ブルックナー協会の校訂作業がノヴァークに引き継がれたことにより、それに基づく楽譜が順次出版された。まず1953年には1878/80年稿に基づく楽譜が出版された(ノヴァーク版第2稿)。続いて1874年稿(第1稿)が、1975年にノヴァーク版第1稿として出版された。1878年稿の第4楽章についても1981年に出版された(この楽章のみ)。さらにノヴァーク引退後の2004年には、ベンジャミン・コーストヴェットの校訂により第3稿が出版された(コーストヴェット版第3稿)。
【演奏の模様】
ブルックナーの6番に関しては、5月末に井上さんのベト6とショスタコ6を聴きに行った前後、自分の体調不良の回復を願って、ベルリンフィルの6番のライヴ配信(ラトル指揮)を聴こうと思っていたのですが果たせず、その後何かにと多忙を極め、そのままになってしまいました。今回聴いた4番の配信は、英国籍のダニエル・ハーディングが今年1月に行った演奏のアーカイヴ配信です。この4番は、明後日、フルシャ・都響の演奏会(サントリー)で演奏されるので、聴きに行く予習の意味もあって、デジタルコンサートホールで聴きました。尚、今回指揮をしたハーディングは来月に来日し、マーラー他を振る予定なので楽しみにしています。
〇楽器編成:木管二管、金管四管編成(Hrn.4)弦楽五部16型
〇全四楽章構成
第1楽章Bewegt, nicht zu schnell(17-21分程)
第2楽章Andante quasi Allegretto(14-18分〃)
第3楽章Scherzo. Bewegt – Trio. Nicht zu schnell. Keinesfalls schleppend. – Scherzo=(10-11分〃)(初稿:12-14分〃)
第4楽章Finale. Bewegt, doch nicht zu schnell(19-23分〃)
ハーディングの4番の演奏は、将に❝ロマンティック❞そのもの、とても良い夢を見せて呉れました。そもそも全体として穏やかな雰囲気に満ち々た曲を、さらに静かな流れに載せて、例えればあたかもブルックナーが、ドナウベントの多量の水量のさざ波に乗って進むウィーンまでの優雅な舟旅をする客船のデッキに腰かけ、都の大聖堂に響く音楽を回顧しているが如き夢想さえ覚えました。ホルンが多くの場合、先導役を進め、その他の木管から次々と他の楽器に伝播し、ある時は弦楽アンサンブル、ある時は金管の澄んだ斉奏へと発展、背景にはほとんどの場合Timp.がリズムを刻み、金管の咆哮も爆発的なものではなく、ほど良い強さを持った調和的な響き、各楽章の至る所にこれはいいなと思う旋律に満ち満ちていました。全楽章通してG.P(ゲネラル・パウゼ)は殆どないに等しい位、一楽章と三楽章にそれらしい箇所を認知出来ましたが、全然違和感なく、三楽章のそれでは、パユの弱いFl.の再スタートの調べは、前の終曲との連続性を感じさせるもの、途切れ感は全然ありませんでした。終楽章のフィーナーレに至る過程も、極ごく穏やかに終焉に向かって進み、この楽章の速度記号Bewegt, doch nicht zu schnellに沿った抑制の効いた、曲全体のイメージを崩さないハ-ディングのエンディングでした。