歴書の「雑節の説明」によれば、❝半夏生は、太陽黄経が百度に達する時、夏至から十日~十一日目。新暦七月二日ごろ。一般的には「つゆ明け」と言われています。語源的には半夏(カラスビシャク)という薬草が生える時期にあたります。❞とあります。今年は七月一日(月)なのです。
関東地方の梅雨明けは、今年の梅雨入りが遅かった(6/21)せいもあって、平年並みの7月19日頃であるかも知れないし、もっと早ければ、今年は非常に短い「つゆ」の期間だったことになります。その辺の予想が立たないのか、気象台の梅雨明け予報は出ていません。
ところで半夏生の地上茎の基部に形成される節間が短縮して,ほぼ球状に肥大した地下茎を「球茎」と呼び、そのコルク層を除いて漢方薬として使われます。
健胃消化,鎮吐,鎮咳去痰を目的とした漢方処方に多く配剤されています。
またこの日に「半夏生もち」等を食する地方も有る様ですが、当方は致しません。その代わりという訳でもないのですが、今日は6月の最終日(6/30)なので、家人が用意してくれた和菓子の「水無月」を食しました。白いういろう生地の上にあずきの甘煮を載せたものを三角形に切った和菓子です。毎年食べる訳ではないのですが、今年は家内がデパートで見つけたらしい。それ程美味しいものでもないのですが、季節感がとても有りました。
この風習は平安の御代から続いているものの様です。「枕の草紙四十二段」には、
❝あてなるもの、薄色に白襲の汗衫。かりのこ。削り氷にあまづら入れて新しき金じゅうに入れたる。水晶の数珠。藤の花。梅の花に雪の降りかかりたる。いみじううつくしき児の、いちごなど食ひたる。❞
とあって、赤字部分は、現代のかき氷に相当し、当時の宮中では非常に入手困難な「氷」を入手して(江戸の将軍も夏の暑い時期に、富士山の氷室から天然氷を早馬で江戸に運ばせたともいわれます)、かき氷を食して「夏越大祓の日」即ち大晦日の半年前(6月末日)に邪気を払う祭祀を行っていたのでしょうが、都の庶民は氷菓子の代わりに「水無月」という菓子を発明して食し、息災を祈ったのです。(勿論これは旧暦(太陰歴)の6月の行事でしたが、何故か現在は新暦で行われている模様。)