【演目】プッチーニ『オペラ・トゥーランドット』
【上演時間】約3時間(休憩2回含む)
【管弦楽】ロイヤル・オペラハウス管弦楽団
【指揮】アントニオ・パッパーノ
【合唱】合唱:ロイヤル・オペラ合唱団、
NHK東京児童合唱団
【公演日程】東京文化会館(トウ―ランドット)
Ⅰ2024年6月23日(日)15:00開演
Ⅱ2024年6月26日(水)18:30開演
Ⅲ2024年6月29日(土)15:00開演
Ⅳ2024年7月 2日(火)15:00開演
【演出】アンドレイ・セルバン
【再演演出】ジャック・ファーネス
【美術・衣裳】サリー・ジェイコブス
【照明】F. ミッチェル・ダナ
【振付】ケイト・フラット
【コレオロジスト】タティアナ・ノヴァエス・コエーリョ
【出演】
〇トゥーランドット姫
マイダ・フンデリング
<Profile>
チュニジアのビゼルタ出身。1997年、バイロイトのリヒャルト・ワーグナー協会からの奨学金を得て、W.ベリーのマスタークラスに参加。ウィーンでソプラノ歌手O.ミルヤコヴィッチに師事した。2001~2003年までアイゼナハ州立劇場のソリストを務め、『タンホイザー』のエリーザベトとヴェーヌス、『魔弾の射手』のアガーテなどを歌い活躍。その後モントリオール・オペラ、ライプツィヒ歌劇場、プラハ国立歌劇場、マンハイム国立歌劇場などの世界各地の劇場に『アイーダ』、『トスカ』、『サロメ』、『トゥーランドット』、『ナクソス島のアリアドネ』、『アドリアーナ・ルクヴルール』などのタイトル・ロールや『ナブッコ』アビガイッレなどの主要な役で出演を重ねる。2013年にはリヒャルト・ワーグナーの生誕100年を記念し、ヴィースバーデン国立歌劇場とスロべニアのリュブリャナ歌劇場が新制作で上演した『さまよえるオランダ人』のゼンタ役で成功をおさめ、同役はリトミシュル・スメタナ音楽祭、ブルノ国立歌劇場でも高評を博した。英国ロイヤル・オペラには2018年に『ワルキューレ』のヘルムヴィーゲ、2022年に『ローエングリン』のエルザ役で出演をはたし、欧州各地の劇場から注目が高まっている。
〇カラフ
ブライアン・シェイド
ニューヨーク生まれ。ニューヨーク州立大学パーチェス音楽院で学んだ。当初テノールとして学び始めたが、一旦バリトンとしてトレーニングを受け、数年後にテノールに戻った。サンフランシスコ・オペラのヤング・アーティスト・プログラムとアドラー・フェローシップ・プログラムで研鑽を積み、2012年プラシド・ドミンゴ主宰の「オペラリア」で第2位を獲得した。英国ロイヤル・オペラをはじめ、バイエルン国立歌劇場、ベルリン・ドイツ・オペラ、サンフランシスコ・オペラ、アレーナ・ディ・ヴェローナ、メトロポリタン歌劇場、ウィーン国立歌劇場、チューリヒ歌劇場、ローマ歌劇場、パリ・オペラ座ほか、著名な歌劇場で活躍し、“注目すべき未来”をもつアーティストとして注目されている。レパートリーは幅広く、どの役も好評を獲得。英国ロイヤル・オペラでの『ドン・カルロ』のタイトルロールは「力強く高音を響かせる素晴らしいパフォーマンス」(フィナンシャル・タイムズ紙)と評され、『トゥーランドット』のカラフはバイエルン国立歌劇場で初めて歌った際に「彼はこのロール・デビューで明らかに世界クラスの英雄的なテノール歌手となった!」(パルテール紙)などはその一例。
〇リュー
マサバネ・セシリア・ラングワナシャ
<Profile>
1993年南アフリカ、リンポポ州レボワクゴモ生まれ。幼い頃から学校や教会で歌っており、長じてはケープタウン大学で学んだ。ケープタウン・オペラの“若手アーティスト”としての2年間には『魔笛』『マンデラ三部作』『ポーギーとベス』に出演。2019年に国際ハンス・ガボール・ベルヴェデーレ歌唱コンクールで聴衆賞受賞。 2021年には「BBCカーディフ・シンガー・オブ・ザ・ワールド」で歌曲賞を受賞。アフリカ人として初の受賞者となった。ラングワナシャは、英国ロイヤル・オペラハウスのジェット・パーカー ヤングアーティストプログラムの卒業生でもある。近年の活躍、2022/23シーズンには、ベルン市立劇場での『ウィリアム・テル』のマティルド、『トーリードのイフィジェニー』のタイトルロールに加え、英国ロイヤル・オペラでのパッパーノ指揮『トゥーランドット』のリューでの成功が挙げられる。『トゥーランドット』のリュー役は、彼女にとって当たり役の一つであり、2024年にはワシントン・ナショナル・オペラとハンブルク州立オペラにもこの役でデビューする予定。なお、オペラのほかオーケストラとのコンサート活動も活発に行なっている。
〇ティムール:ジョン・レリエ
〇ピン:ハンソン・ユ
〇パン:アレッド・ホール
〇ポン:マイケル・ギブソン
〇皇帝アルトゥム:アレクサンダー・クラヴェッツ
〇官吏:ブレイズ・マラバ
【粗筋】
第1幕
中国のトゥーランドット姫は「自分に求婚する者は3つの謎を解かなければならない。挑んで解けなかった者は死ななければならない」と宣言している。今日も、先頃謎解きに失敗したペルシャの王子の処刑が行われようとしている。広場に集まった群衆のなかで、召使いの女に手を引かれていた盲目の老人が転んでしまい、一人の若者がそれを助ける。この老人はダッタン国の元国王ティムール、若者はその息子カラフで、二人は生き別れになっていたのだった。召使いのリューとともに3人が再会を喜ぶ傍らで、広場にはペルシャの王子が連れて来られる。死刑執行人が入場し、王子の死を確認するためにトゥーランドット姫も到着する。トゥーランドット姫を見た途端、カラフは彼女の美しさに魅了されてしまう。ピン、パン、ポンの3人の大臣やティムールとリューが止めるのも聞かず、カラフは謎解きに挑む合図の銅鑼を打ち鳴らす。
第2幕
ピン、パン、ポンの3大臣は、トゥーランドット姫の謎解きが始まってからの切り落とされた首の数を数え、終わりのない処刑を嘆いている。3人はそれぞれの美しい故郷に帰りたいと願っている。
謎解き開始の合図があり、封印された謎の答えの書かれた巻物を持った賢人たちが到着する。カラフはトゥーランドットの父である玉座に座った皇帝アルトゥムの前に引き出される。カラフは自分の名前を明かしていないため、皇帝はこの「無名の王子に、答えられなかったらどのように死ななければならないかを告げ、無謀な試みをやめて立ち去るように、これ以上の死は望まないと説得する。しかし、カラフの決意は変わることはない。
トゥーランドット姫が登場する。彼女は、何故自分がこのような謎を出すことによって、男性の求婚を断ってきたのかを語る。祖先であるロウ・リン姫は異国の男に騙され、屈辱のなかで死んでいった。自分は彼女の生まれ変わりとして、誰のものにもならないと決めた。謎を出すのは私の唯一の譲歩なのだ、と。トゥーランドット姫はカラフに、これまでのすべての結果が死であったことを告げ、彼の死も暗示するが、カラフは謎を解いてみせると主張する。
そして、トゥーランドット姫が出す3つの謎に、カラフは見事答える。
謎を解かれたトゥーランドット姫は、父アルトゥム皇帝に「結婚などしたくない」と哀願するが、皇帝は娘に約束を守るよう促す。そこでカラフは、姫が不本意なまま自分と結ばれることは望まないとして、今度は自分が姫に一つの謎を出すことを提案する。夜明けまでに自分の名前を知ることができれば、そのときは自分が死ぬと。
第3幕
北京の街にはトゥーランドット姫から「求婚者の名がわかるまで眠ってはいけない。わからなければ皆処刑する」という命令が出される。これを受け、カラフは「夜明けには私は勝利するだろう」と自信満々で夜明けを待っている。ピン、パン、ポンの3大臣は、美女や財宝を差し出して、姫への求婚を取り下げるように懇願するが、カラフは断る。恐怖におののく群衆たちからも怒りの声が上がり、彼への脅迫も始まる。そうしたなか、前日にカラフと一緒にいるところを目撃されていたティムールとリューがとらえられた。彼の名前を知っていると考えられたのだ。トゥーランドット姫は、彼の名前を明かすまでリューを拷問するよう命じる。リューは「愛ゆえに拷問に耐えることができる」と言い、彼の名前を明らかにすることを拒み、自分で命を断ってしまう。群衆とティムールは彼女の死を嘆き悲しみ、その場を去って行く。残されたトゥーランドット姫と「無名の王子」は二人きりで向き合う。やがて王子は姫に接吻。
トゥーランドット姫の心に彼への愛が生まれたとき、王子は自分の名がカラフであると告げる。
「名前がわかった」と姫は人々を呼び戻す。
皇帝の玉座の前に進み出たトゥーランドットとカラフ。姫は「彼の名は『愛』」と宣言。群衆は愛の勝利を賛美し、皇帝万歳を唱える。
【主催者ノート】
〇単なるスペクタクルじゃない!英国ロイヤルオペラが誇るドラマティックな『トゥーランドット』
求婚者に謎をかけ、解けないと殺してしまう「氷の姫君」の前に運命の人が現れるという寓話をもとに、伝説の時代の中国を舞台とする『トゥーランドット』は、『アイーダ』と並んでスペクタクルとして楽しまれているオペラといえるでしょう。
たしかに、このオペラには壮大なスケール感は重要です。とはいえ、アンドレイ・セルバン演出の『トゥーランドット』が英国ロイヤル・オペラで40年にもおよんで人気を獲得しているのは、そこにドラマを物語る魅力があるからにほかなりません。
セルバンの演出は豊かな色彩やダンスを取り入れるとともに登場人物を際立たせるドラマティックな舞台なのです。そして2023年春、新鮮さと壮観さがさらにヴァージョンアップ! 登場人物の心情が伝わるように歌手の一挙手一投足にも磨きがかけられたほか、太極拳や中国武術の動きを取り入れた振付で躍動するダンサーたちの登場など、ドラマの展開をより深くあらわす効果も感じられす。衣裳や装置の細部に至るまで、伝統的な中国を想起させる工夫が満載のこの『トゥーランドット』は英国ロイヤル・オペラが誇る傑作プロダクションです。
〇3つの謎のナゾ
『トゥーランドット』の謎解きの場面はドラマのクライマックスですが、カルロ・ゴッツィの原作戯曲とプッチーニのオペラでは謎の答えが異なります。プッチーニのオペラでは「希望」、「血潮」、「トゥーランドット」ですが、ゴッツィの戯曲では「太陽」、「年」、「アドリアの獅子」。ゴッツィはヴェネツィア貴族の出身だったことから、第3の謎の答えにヴェネツィア共和国の紋章で あるアドリアの獅子を用いたのだろうと考えられています。
〇ピン、パン、ポンのナゾ
プッチーニの『トゥーランドット』で、“コミカル部門”を担っているピン、パン、ポンの3人。トゥーランドット姫の“謎かけ”で犠牲者が出ることを嘆く宮廷の大臣です。ゴッツィの原作では仮面付の4人のコミカルなキャラクターでしたが、プッチーニは、イタリアの伝統的なコメディア・デラルテのスタイルを取り入れた3人の役柄としました。3人の名前から、日本ではかつてのテレビ番組「ママとあそぼう!ピンポンパン」が連想されがちですが関連は不明。ただ、実際に歌い始めるのはピン、ポン、パンの順。こうなるとオペラで呼ばれるときのピン、パン、ポンの順の方がナゾといえばナゾ。
〇リューはプッチーニの理想の女性?
プッチーニは自分の理想の女性像をオペラに登場させることたびたび。恋人の邪魔をしないように別れ話を切り出すミミ(『ラ・ボエーム』)や、可憐でけなげな蝶々さ(『蝶々夫人』)、そして愛する人のために自殺する『トゥーランドット』のリューが続きます。もっともリューに関しては、実際にプッチーニの小間使いだった女性ドーリアがモデルとされています。プッチーニ夫人に夫との仲を疑われたドーリアは自殺してしまったのでした。
【上演の模様】
今回の英国ロイヤルオペラの公演は、実に2019年以来、5年振りの来日です。2019年の時はコロナ禍前で、グリゴーロがタイトルロールを歌った『ファウスト』を東京文化会館で観ました。ドミンゴの跡継ぎと言われるだけあって、その美声に感心した記憶が有ります。参考までその時の記録を文末に抜粋再掲しました(再掲1)。
またその2019年の公演ではもう一つの演目『オテロ』も上演され、神奈川県民ホールに見に行きましたので、その記録も合わせて、文末に再掲して置きます(再掲2)。
そして2019年の公演の神奈川県民ホール千穐楽『ファウスト』公演では主役のグリゴーロが出演できなくなり、代役公演となってしまいました。その時の公演の記録も合わせて文末に再掲しました(再掲3)。
当初グリゴーロの体調不良と思われていたものが、後日、彼の英国ロイヤルオペラの女性に対するセクハラが原因で、降ろされたのだとの情報が流れました。何れにせよ今回も主役級降板ですから、何か因縁染みた悪運が有るのかな?などと思ったりして。そうは言っても、海外オペラ歌手の変更は2023年シリーズの我国、新国立劇場オペラ等では珍しくも無く、当たり前の様に行なわれて来ましたから、聴きに行く方としては若干諦めに似た気持ちとなっている状態かな?
その後何年後の公演だったでしょうか?コロナ禍以前にソニア・ヨンチェバを主役とした来日が予定されていましたが、結局ヨンチェバは来れなくなって、しかもコロナ禍が猛威を奮う様になり、その他も含め、来日全滅状態となってしまって、がっかりした記憶が有ります。
今回観た上演は来日公演2日目の公演で、トゥーランドット姫の代役マイダ・フンデリングは、初日公演で、立派に役目を果たしたという情報も有りましたから、非常に楽しみにして聴きに行きました。
今回の日本公演は当初トゥーランドット姫役はラドヴァノフスキーの予定だったのですが来日出来ず、急遽代役が立てられたのです。招聘主催者であるNBS(公益財団・日本舞台芸術)によると次の様な理由でした。
『トゥーランドット』公演の表題役に予定されていたソンドラ・ラドヴァノフスキーが、急な副鼻腔炎および重度の中耳炎のため来日できなくなったこと受け、6月18日の記者会見でマイダ・フンデリングが同役演じることを発表いたしました。その後、音楽監督アントニオ・パッパーノと英国ロイヤル・オペラが芸術上の観点および日程調整の結果、下記のとおりフンデリングに加え、新たにエヴァ・プウォンカを加えたダブルキャストで上演することがより望ましいと判断いたしました。この件に関して音楽監督パッパーノがビデオメッセージを寄せております。音楽監督としてのラスト・ステージに日本を選んだマエストロ・パッパーノが、絶対の自信をもって贈る『トゥーランドット』の舞台に、どうぞご期待ください。
■プウォンカの出演決定をうけ、『トゥーランドット』の日ごとの配役は下記のようになります。
6月23日(日)、26日(水) マイダ・フンデリング出演
6月29日(土)、7月2日(火) エヴァ・プウォンカ出演
恐らく代役の負担を軽減するため「ダブルキャスト」にしたのでしょう。
さて各幕は非常に見ごたえ聴き応えのある舞台でした。アンドレイ・セルバンの演出は、初演から40年を演じているだけあって、洗練された円熟度の高い舞台演出でした。舞台後方には、三階仕様の回廊があり、前方のステージ広場を見下ろす設計で、合唱団は主として回廊で歌いました。
ところで歌の方ですが、特にこのオペラを有名にしている要素の一つ、第三幕の最初に歌われるカラフ(テノール)のアリア「誰も寝てはならぬ」を抜きに語ることは出来ません。以下のアリアです。
❝Il principe ignoto
Nessun dorma! Nessun dorma! Tu pure, o Principessa,nella tua fredda stanza guardi le stelle che tremano d'amore e di speranza...
Ma il mio mistero è chiuso in me,il nome mio nessun saprà!No, no, sulla tua bocca lo dirò,
quando la luce splenderà!Ed il mio bacio scioglierà il silenzio che ti fa mia.
Voci di donne
Il nome suo nessun saprà... E noi dovrem, ahimè, morir, morir!
Il principe ignoto
Dilegua, o notte!Tramontate,stelle!
Tramontate,stelle!All'alba vincerò!Vincerò!
Vincerò!❞
❝名の知られていない王子(カラフ)
誰も寝てはならぬ!
誰も寝てはならぬ!
御姫様、あなたもです
冷たい寝室で、
眺めているのか、星々を
それは愛と希望に打ち震えている
然し私の秘密は胸の内に閉ざされたまま
誰も私の名前を知ることはできない!
いいえ、しかしあなたの唇に告げましょう
陽の光が輝くときに
そして、私の口付けが溶かすでしょう
その沈黙を そして、あなたは私のものになる。
コーラス(女声)
誰も彼の名前を知らない…
ああ私たちに必ず、死が訪れる。
名の知られていない王子
おお、夜よ消え去れ!
星よ色あせろ!
星よ色あせろ!
夜明けに私は勝つ!
私は勝つ!
私は勝つ!❞
このアリアは古今東西の多くの名歌手達が競って歌って来て、その録音が残っていますが、今回のカラフ役ブライアン・ジエドの歌い振りは、声が非常に大きく声量も強さもあるのですが、声質にやや荒っぽさを感じ、これまで聴いた名テノールの中では、ちょっとカウフマンに近いかな?いや少し違うかな?まだまだ荒削りで、これからさらに磨けば珠の様に柔らかく輝くテノールになるだろうと思いました。
一方、姫の代役、マエダ・フンデリングは、第二幕でカラフとの謎掛けゲームで歌うのですが、声もしっかり出ていたし、かなり歌いこんで来たソプラノと見ました。謎出しの旋律は、皆同じなので、歌詞と旋律は単調な無機質的響きしか有しておらず、アリアの醍醐味を感じることはないですが、3回とも安定した調子を維持し、少しもブレることはありませんでした。
ぽっと出の代役とは、一味も二味も違うむしろ熟練度を感ずる成熟した歌い振りでした。
そしてリュー役ラングワナシャですが、彼女の歌唱が一番、これまで様々なオペラを聴いて来た自分の耳に、何の違和感なくすんなりと入って来るソプラノでした。第一幕で、カラフに再会した父旧王を助けてきたことを含め、自分の気持ち等を切々と歌う綺麗なソプラノの歌声は、決して強い歌声ではありませんが、柔らかく慈愛に満ちた美しい響きは、少し乾ききった様な張り詰めた満員の会場の空気を和らげたと思います。会場からは今回初めての拍手も起こりました。彼女のアリアは、第三幕でも、聴き応えのある場面がありました。それは、カラフがトゥーランドット姫に逆謎をかけ、「一体私は誰でしょう?」と、トボケたギャグみたいなことを言うのですが、姫は必死になって、全市民にまで夜を徹して、名前を探り出せ令を発する程の大騒動になったのです。姫傘下の役人は、カラフの父及び従者のリューまで狩り出し締め上げ、カラフの名前を吐かせようとしましたが、リューは決して吐こうとしませんでした。次のような場面です。
【リュー】
死ぬ方がましです!
【トゥーランドット】
誰があなたの心にそんな力を与えるの?
【リュー】
プリンセス、愛なのです!
【トゥーランドット】
愛ですって?
【リュー】
この愛は秘めた 人知れずのもの
大きくて この拷問さえも
私にとっては甘く感じられるのです
なぜなら 贈り物を差し上げられるのですから
私のご主人さまに...
なぜなら 黙ってさえいれば 差し上げられるのですから
あの方にあなたの愛を...
私はあなたに差し上げます プリンセス
そして私はすべてを失う!すべてを失うのです!
手の届かない希望でしたけれど!
私を縛ってください! 私を引き裂いてください!
私に与えられた苦痛と苦悩!
ああ!それは至高の贈り物になるのです
私の愛の!
そして姫に最後の歌を歌うリューでした。
【リュー】
はい、プリンセス お聞きください!
氷のようなあなた様も
熱い炎に打ち負かされて
この方を愛するようになられましょう!
夜が明ける前に
私は疲れた目を閉じましょう
あの方は再び勝つのですから...
再び勝つ!
もう...これ以上見なくても済むように!
夜が明ける前に
私は疲れた目を閉じましょう
これ以上見なくても済むように!
今回の演出は、これ等の歌を舞台に這い蹲ったリューに歌わせるのでなく、舞台の中央のやしろの形をしたセットの中に上がって行ったリューが立って堂々と歌うのでした。まるで主役の様に。主役と言えば、自分の考えでは、このオペラの主役はタイトルロール名の「トゥーランドット(姫)」ではなくて、リューではないかと思いたくなる様なその存在と歌の内容です。確かに物語としては、多くの若者を引き付ける美貌の姫が、三つの謎を出し、不正解の回答をした各国の王子を殺してしまう、そして最後にカラフによって正解が出されるという筋書きの流れで言うと姫が主役です。でもその中身、人間としての魅力はこれっぽっちも無い冷酷無比で我儘な考えの王女ですから、何ら人間的魅了が無い訳です。多くの古今東西のオペラは、何らかの魅力ある主役を立てて聴衆を魅了するケースが殆どです。そうした意味から言って、リューの自己犠牲、その裏打ちにあるカラフに対するあこがれが愛にまで昇華されるストーリーまたリューの義理堅い意思の強さは人の心を打ち、将に主役張りの役柄なのです。
名ソプラノと知られたレナータ・ティバルディが、過去にこのオペラを歌った時、姫役でなくリュー役を演じたことが有りました。その録音も以下の様に残っています。
Gioachino Puccini「TURANDOT」
completed by Franco Alfano
Loretto: Giuseppe Adami, Renato Simoni
Calaf(il principe ignoto)・・・Mario del Monaco
Liu(giovana schiava)・・・・Renata Tebaldi
Turandot(la principessa)・・Inge Borkh
Complete DECCA Recording 1955
ティバルディもきっとリューの魅力に感じ入ったから引き受けた、と言うより自ら望んだキャストだったのでしょう。
【上演画像集】主催者H. P.より
申し遅れましたが、カラフの父ティムール役のジョンは第一幕から第三幕まで結構出番が多い歌手で、如何にも熟練した低めの声の魅力を淡々と歌って存在感を示していました。また皇帝アルトュム役アレクサンダー・クラヴェッツは、聞こえない位の大変弱い歌声で歌っていましたが、彼はいつ死ぬかもしれない高齢の老皇帝を演じていたのかも知れません。あの王女の状態では死んでも死に切れない気持ちだったのでしょうが、娘がカラフと結ばれて愛し合うこととなりそうなので、今度はほっとした気持ちになったでしょう。
最後にこの物語の起源は諸説ある様ですが、千一夜物語説、また千一日物語説など。しかしこのプッチーニのオペラの中身は、現代も過去も含めて北京を中心とした何千年もの宮中の王権の考えとは全く相いれない中身で出来ています。中国はやはり精神的には儒教の影響が一番大きく、そこは所謂「聖君」が讃えられる精神構造が底流に脈々と残っているのです。トゥランドット姫の様なやり方で、大昔の先祖の復讐をするなど、100%有り得ない、道を外れた行いです。はっきり言って、物語としても大して面白くもない流れです。謎解きの正解も??だし、これだったらスフインクスの謎の方が余程魅力的。また重要な場面では、何故か日本童謡の「・・お山の鐘が鳴る」的なメロディの変奏曲が流れ、多分東洋風の雰囲気を醸し出そうとしているのかも知れませんが、なんか滑稽な感じまでしてきます。プッチーニのこうした大作をまとめ上げる能力は歴史に残る天才とも言えるとは思いますが、自分のタイプのオペラでは有りません。ついでに「蝶々夫人」も好きにはなれません。お蝶さんは何歳?トスカは好き、その他色々ありますね。好きではないけれど作品として鑑賞することは止めずに、聴きに行こうとは思っていますが。
帰り掛けに楽屋口の方を見ると人だかりがあるので、出待ちだなと思い近づいてみました。20分くらい待ったでしょうか、出口から三人の主要歌手が出て来て、待っていた人の掛け声に応じて近寄り、サインや写真撮影に応じてくれました。
こうしたサービス精神はとても大切だと思っています。
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2019.9.12 HUKKATS Roc.(再掲1)
≪英国ロイヤルオペラ≫
- 『ファウスト』速報・・・【グリゴーロ快調!エンジン全開!!】
東京文化会館での初日を観てきました(2019.9.12.16:30~)。ファウスト役グリゴーロは前評判をはるかに超える絶好調の歌を披露し、満員の大観衆のやんやの喝采を浴びました。最初の見せ処、第3幕の独唱Cavatine(カヴァティーナ)「Demeure chaste et pure(この清らかな住まい)」では、伸びやかなグリゴーロらしいリリックテノールの歌声が会場一杯に広がり、一瞬の静寂の後に雷鳴の如き轟音が会場に響き渡った。
マルガリート役のソレンセン(Sp)は有名なアリア第3幕の「Il était un roi de Thulé (トゥーレの王様がいた)<トゥーレの王様の歌>」の他「宝石の歌」「若しや私が小鳥なら」等の有名な曲たちを、 で歌い、また第5幕ラストシーンでマルガリートに、「Viens viens,Margueite (逃げよう)」と必死に語り掛けるファウストとの二重唱では、絶望の感情が切々と滲みるソレンセンの歌い振りでした。一方、メフィストフィレスは全体を通しての舞台露出率が高く、その出来不出来はオペラの成否に大きく影響する。今回のメフィスト役、ダルカンジェロ(Bs)は第2幕で、「Le veau d'or est toujours debout!(金の子牛はいつも立っている)<金の子牛のロンド>」を不気味さを秘めた力強さで歌いました。
グノーのこのオペラではその他の登場人物にも、素晴らしいアリアでの活躍場面を割り振られています。 Margueiteの兄のバランティンは第2幕でアリア「Avant de quitter ces lieux(国を離れる前に」を歌いますが、ヴァランティン役のデグー(Br)は妹一人残して戦いに行く憂いを込めながら、堂々とした声で歌いあげました。第3幕冒頭でジーベルの「Faites lui mes avex…Fleurs écloses près d'elle(彼女に伝えて…を、彼女の近くの花達<花の歌>)」を、ボーリアン(Ms)が見事にうたい、その他合唱もオーケストラも良く活躍していました。以上概要ですが、詳細は後日②オペラ『ファウスト考」で記録します。
英国ロイヤル・オペラ「ファウスト」9月12日(木)のキャスト
台本:ジュール・バルビエ、ミシェル・カレ
(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの『ファウスト 第一部』および ミシェル・カレの『フォーストとマルグリート』に基づく)
Libretto: Jules Barbier and Michel Carréafter Carré's Faust et Marguerite and Johann Wolfgang von Goethe's Faust PartⅠ
演出:デイヴィッド・マクヴィカーDirector: David McVicar
再演監督:ブルーノ・ラヴェッラRevival Director: Bruno Ravella
衣裳:ブリギッテ・ライフェンストゥールCostume designer: Brigitte Reiffenstuel
照明:ポール・コンスタブル Lighting designer: Paule Constable
再演振付:エマニュエル・オベヤ Revival Choreographer: Emmanuel Obeya
ァウスト:ヴィットリオ・グリゴーロFaust: Vittorio Grigòlo
メフィスト:イルデブランド・ダルカンジェロMéphistophélès: ldebrandoD'Arcangeloマルグリート:レイチェル・ウィリス=ソレンセンMarguerite: Rachel Willis-Sørensenワグナー:ジェルマン・E.アルカンタラ Wagner: Germán E. Alcántara*
ヴァランタン:ステファン・デグー Valentin: Stéphane Degout
ジーベル:ジュリー・ボーリアン Siébel: Julie Boulianne
マルト:キャロル・ウィルソン Marthe Schwertlein: Carole Wilson
女性プリンシパル:メーガン・グリフィスFemale Principal Dancer: Megan Griffiths
男性プリンシパル:ヤセット・ロルダン Male Principal Dancer: Yasset Roldan
ロイヤル・オペラ合唱団、ロイヤル・オペラハウス管弦楽団
Royal Opera Chorus, Orchestra of the Royal Opera House
協力:東京バレエ学校Associated with the Tokyo Ballet School
*Germán E. Alcántara is participating in the Jette Parker Young Artists Programme.
Cast may change without notice.
♦上演時間♦第1幕、第2幕、(転換)、第3幕18:30-20:30休憩30分第4幕第5幕21:00-22:15
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2019.9.17.HUUKATS Roc.(再掲2)
◎英国ロイヤルオペラ≪オテロ≫
昨日敬老の日、英国ロイヤルオペラ「オテロ(全四幕)」を観てきました。(2019.9.17.15h~18h@県民ホール) このオペラはご承知の通り、シェイクスピア原作の戯曲を基として、ヴェルディが作曲したオペラ(1887年スカラ座初演)です。シェイクスピアの戯曲「オセロ」は16世紀後半には完成し17世紀初頭には演劇上演されている様ですが、作品の時代背景には16世紀のイスラム教世界とキリスト教世界との対立の激化があり、ヴェネチア共和国の植民地キプロス島をめぐる戦いに勝利したヴェネチア側が、先勝後の大嵐を乗り切り帰還する凱旋将軍のオテロを、熱烈に歓迎する場面からオペラが始まります。第一幕冒頭からオケの大音響が鳴り響き、激しい雷雨と先々の不気味なオテロの運命を予測する様な雰囲気の音の中、戻ったオテロが「喜ばしい。イスラム教徒達は海のモズクとなった。キプロスと天に幸いあれ。戦い後の嵐で彼らを叩きのめした!」と第一声を放ちます。オテロ役はテノールのグレゴリー・クンデ。声量もかなりある様だし、いい声をしている。でも短い歌なのでこれだけでは実力はまだ分からない。オテロの部下ヤーゴが第一幕から謀略を謀り、ロデリーゴにささやきます。ヤーゴを歌うのはバリトンのジェラルド・フィンリー。ヤーゴ役は「ファウスト」の悪魔メフィストフィレスよりあくどいですよ。舞台出現率も高いヤーゴに、英国オペラもさすがいいバリトンを配役しています。フィンリーは低めのいい響きと声量を有している。副官カッシオに追い酒を飲ませ、いさかいを起こす策略など悪魔そのものですね。このカッシオが副官に昇格し自分がなれなかったことをヤーゴは根に思ったらしいのですが、昇進、昇格に伴う悲哀なぞ、いつの時代もどの国でもあったことです。枕草子にも「すざまじきもの(興ざめなもの)」として、『除目に司得ぬ人の家 今年は必ずと聞きて はやうありし者ども ほかほかにありつる 片田舎に住む者どもなど みな集まり来て・・・(略)・・・・他より来る者などぞ殿は何にかならせたまえるなど問う。いらへには なんの前司(ぜんじ)にこそは と必ずいらふる。 誠に頼みける者は、いみじう嘆かしと思いたり。つとめてになりて 暇なくおりつる者も、ようよう一人二人づつ すべりつつ出(い)でぬ。』と人事の悲喜こもごもを描写しています。現代の組織においても、成果が良い(と思っている)人が必ずしも昇進するとは限りません。ふくきちさんの組織でも同様でしょう?それを根に思うことは非常に少ないでしょう。あっても『復讐したい』とまではめったなことでは思わない(生まれながらの悪魔ではないでしょうから)。ヤーゴが異常な程復讐心にかられたのはそれ以外に何か原因があったのでは? キリスト教に改宗して成功しているムーア人のオテロに対しヤーゴは人種差別意識があったのではないかという説も有ります。(参考文献:『オセロ』とイスラム世界―17世紀初頭のキリスト教ヨーロッパ世界が抱いた不安と葛藤―同志社大教授勝山貴之著)
さてカッシオがいさかいに追い込まれ、モンターノを傷つけてしまい、駆け付けたオテロに解任されてしまいます。オテロは皆を退場させ、新妻デズデモナと愛の二重唱を歌います。デズデモナ役のフラチュヒ・バセンツのソプラノは音程も安定していて綺麗な歌声は聴いていて心地良いのですが、オテロ役のクンデの声の7/10位の声量かな?バランス的に物足りない感じを受けました。この物足りないという印象は第二幕から第四幕までずっと同じでした。もっともこれは、自宅にティバルデイのデズデモナ(オテロはモナコ)のⅭDを持っていていつも聴いているからかも知れない?でも今回は会場からの拍手も少ないし歓声も少なかった印象がありました。バセンツはこの役初挑戦らしいですから、あがっていて実力を発揮出来なかったのかも知れません。オテロ役のクンデとヤーゴのフィンリーは二幕、三幕と進んでも安定感があり良い歌でした。第二幕で二人の「復讐の二重唱」は非常にアウンの呼吸が合って良かった。大きな拍手と歓声を受けていました。オテロが第三幕の神に祈る場面で「・・・・天主の御意向を喜んで受ける。でも嘆きや悲しみが幻想を奪いとってしまった。魂を幸せに穏やかにしてくれた夢を。」と切々とクンデは歌い、最後は大きい高い声で嘆きの叫びをあげて歌いましたが、迫真に迫っていました。
同じく第三幕でヤーゴが「ここはクモの巣、ここであなたは心静かに糸に絡まれて嘆きながら死にます。・・・・」とカッシオに向かって歌う「蜘蛛の巣の歌」をフィンリーはロシーニのオペラ張りの早口言葉でテクニカルに上手に歌いました。最後の第四幕は、舞台右方上部に、ヴェネチアの守護としてサンマルコ広場にもある「有翼の獅子像」のセットが壊れた形で置いてありました。ヴェネチアを背景とする愛憎劇が破綻したことを象徴していると思った。第四章での聴きどころはやはりデズデモナのアリア「柳の歌」と「アヴェ・マリア」です。これをバセンツは悲しげに静かに綺麗な声で歌い上げ、この日の一番の出来だと思いましたが、全体としての声量が足りないと思いました。叫びたいほどの悲痛さが伝わって来なかった。最後デズデモナが殺されるのですが、枕で窒息死させる演出でした。剣で刺された訳ではないので、窒息死の場合意識を失ってからは歌を歌えません、心臓マッサージや人工呼吸をしない限り息は吹き返さない。おそらく祈りを呟いていたのでしょうが、不自然な演出でした。結局真相が分かったオテロは自死を選ぶ訳ですが、当初からの疑問「オテロは何故カッシオを攻撃しなかったのか?」ということと「何故オテロはこうも安々とヤーゴの妄言に騙されてしまったのか?」の答えは分かりませんでした。若しふくきちさん、「オテロ」を観たのなら教えて!!尚、この投稿は新ブログにテスト投稿してみますが、これまで通りの「ふくきち日記」にも投稿します。両者の投稿し易さ、表示画面状況(アップ表示の速さ、読み易さ、表示項目etc.)などを比較し、今後の投稿を再考してみます。
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≪英国ロイヤルオペラ≫
『ファウスト』速報Ⅱ・【グリゴーロ降板!代役ゲオルギー・ヴァシリエフ】
県民ホール「ファウスト」千穐楽(2019.9.22.15:00~)において、ファウスト役グリゴーロは体調不良のため出場出来ず、代役を立てたそうです。千穐楽のチケットもあったのですが、私は初日を観たので同じものを二回観ても仕方ないと思い家内に行って貰いました。休憩時間に連絡が入り、主役グリゴーロが欠場し代役はゲオルギー・ヴァシリエフ(露)になったとのこと、日本ではほとんど無名ですね。初日を聴き「グリゴーロは絶好調で声は伸びもあり、演技力もあり何と言っても聴きごたえがある」と吹聴していたので、家内も期待して行ったのですが、がっかりした調子で電話をかけてきました。代役は声量も余りなく二重唱などよく聞こえなかった模様だそうです。そんな中でマルガリート役ソレンセンが声量もあり良かったらしい。宝石の歌を堂々と歌い、観衆の大きな拍手を受けていたとのこと。(私は、初日を聴いて「ソレンセンの歌い振りは尻上がりに調子が出て・・・まだ若いですし、主役の場数を踏めば踏む程うまくなるに違いない。」と投稿に書いたのですが、まんざら外れた見立てではなかったかな?)ついでに。ソレンセンさんの仏語発音はいまいちですね。特に鼻濁音がはっきり聞こえなかった(初日)。マリナ・レベカ(ラトビア人)がマルガリートを歌う録音があるのですが、特に鼻濁音が綺麗で仏語らしい。11月の「椿姫」来日公演が楽しみです。
今回、グリゴーロが全公演を全う出来ず、ファンをがっかりさせた状況をみて、「やはりそういう事があるか」と思いました。と言うのも、昨年12月に「グリゴーロテノールコンサート」を東京芸術劇場で聴いた時、‘このテノール歌手は長時間歌うスタミナが大丈夫か?’という一抹の不安を抱いたからです。詳細は省きますが、“観客の一人としてはもっともっと歌って欲しかった気がします。………多くの点で精進しないとパヴァロッティの域には達しないでしょう。”とコメントしたことを思い出します。