ある日、二人の女中が一人の女中をかかえて、楊貴妃のまねをさせていた。二人だけで目くばせして意を通じておいて、一人の女中には ぐったりと酔っている楊貴妃のまねをさせ、い きなり両手をはなした。女中はどっとばかり庭先にころげおち、まるで壁がくずれるような声 をたてた。
みんながわいわい言って近よって撫でてやったが、貴妃はすでに馬嵬で薨去していた(楊貴妃は馬嵬の地で死んだのだった)。みんなおどろいて、 急ぎ主人に告げると、嫦娥はびっくりして、「とうとう禍いが来たのね。私の言ったとおり でしょ!」
現場に行ってしらべてみたが、もう救いようがなく、使いを女中の父に走らせた。父某は、前々からならず者で、泣きながら 飛んでやって来ると、死体を背おって正堂には いり、あれやこれやと罵りちらした。子美は戸 をとざしてふるえているだけで、なすすべがわ からぬ。嫦娥が自分で出ていって、その父をなじり、
「主人が下女をいじめて殺したとしても、賠償 を出さねばならぬという法律はありません。そ れにいきなりの頓死ですものね。ひょっとすると生きかえるかもしれないじゃないの!」と叫んだ。
父親は、「四肢が冷たくなっているのに、生きかえる なんてことがあるか!」とわめきたてたが、嫦娥は、 「さわぐのはおやめなさい。たとえ生きかえら なくても、訴えるのならお役所というものがあ ります!」
嫦娥がそう言って、正堂にはいって死体を撫 でてやると、何と息をふきかえし、嫦娥の手のままに起きあがったのだった。嫦娥はふりむきざま、怒って、
「幸いに娘さんは死んではいなかった。このな らず者! ふざけたまねはおしでない! 縄でくくってお上へとどけますぞ!」
父親は言葉もなく、ひざまづいてゆるしをこうた。 嫦娥が、
「悪かったとおわかりなら、しばらくとがめ だてはやめておきましょう。お前のようなならず者は、どうころぶかわかったものじゃないか ら、娘さんをおいておけば結局、禍いの種とな ります。連れておかえり! 娘さんのお代は(主人の子美が)さ っそくにかえして下さるのよ!」
嫦娥はその父を家人に送り出させ、二、三の村 の老人にたのんで証書に署名をしてもらい、そ れがすむと、その女中を呼び出して、父自身の口で 無事なことをたしかめさせ、女中自身の口からも無事であることを答えさせた。こうしてけじめ をつけて父に手渡し、家にもどしたのである。
それがすむと召使女たちを集めて、一つ一つ間違いをあげて皆をむちうった。また、顚当を呼ん で、悪ふざけをきびしく禁じ、子美に
「人の上に立つ者は、笑うことも、眉をしかめることも、軽々しくしてはいけないのだってことが、今よくわかりましたね。悪ふざけのもとは私からでした。そして、悪弊はとどめることが できず、こんな始末になったのです。およそ、『哀しみ』は陰に属し、『楽しみ』は陽に属し ます。陽きわまれば陰が生じる、これは循環の おきてです。女中の禍いは、神様がやがてはひ どいことになるぞ、と知らして下さったのです よ。迷いがさめなければ、根っこからひっくりか えってしまうのですよ」
子美はつつしんでうけたまわった。顚当が泣 いて救いを求めるので、嫦娥がその耳をつま み、しばらくしてから、手をゆるめると、ちょ いとのあいだ失心していたようであったが、忽然として夢から醒めたようになり、地べたに身 を投げ出して、歓喜し、歌い舞うのであった。
それ以後、屋敷内は静粛で、騒ぐ者もなかった。一方、家にもどった女中は、病いでもないのに急死した。父は金で娘の身を買いもどし、村の老人にたのんで、代理で宗家に対し、ゆるしを こうてもらい、宗家もこれをゆるした。また雇った女だというので、棺材をめぐんでかえした。
子美は、いつも子がないのを気にかけていた が、嫦娥の腹から突然子供の泣く声がきこ えたので、嫦娥は左脇腹の方からひっぱり出すと、はたせるかな男の子であった。間もなくし てまたみごもったので、今度は右脇の方から女の子 をひっぱり出した(まるで手品の様、月仙の為せる技です)。男の子はひどく父に似てい たし、女の子は母にそっくりであった。二人と も素封家と縁組みがまとまった。
異史氏曰く
陽きわまって陰生ずとは至言であるかな。さ て妻が仙人であって、自分の楽しみはきわめられ、災いは消され、生き長らえて、死ぬことがはないとは、何と幸せであることよ。これこそ郷にある楽しみというもので、老いたところでかまい はせぬ、それに仙人というものはそれ(老いること)を気にかけるものではないのだから。天運循環するのおきては、理の当然のことであ る。だが世の中の困苦にいつまでも打ちひしが れて、一つの幸せも受けない者は、どうしてそ れから解放されるのであろうか。昔宋に、仙 人になろうとしてもなれなかった者があって、 いつも「一日だけの仙人にでもなれたなら、死 んでもうらみはない」と言っていたというが、 またそれを笑うことはできない。