子美は山を下り、轎をやとって帰宅したが帰ると家人に命じて旅の用意をさせ、自分はひ とりひきかえして西城を出て、顚当の家へお礼 を述べに出かけた。来てみると、家は全く前の とはちがっているので、驚いてもどって来た。 嫦娥に知られなかったのが幸いだったと思いな がら、門をはいると、嫦娥はニコニコして迎え、 「あなた顚当さんに会えまして?」 ときく。子美は、びっくりして返事ができない。
女は、
「この嫦娥をだましては、顚当さんはあなたの ものにならないことよ! 坐って待っていらっ しゃいな、自分でやって来ますから」 なるほど、ほどなくして顚当がやって来た。 そしてあたふたと寝台の下にひれ伏した。嫦娥は指をおってこれをはじき音をたてながら、 「この小さい鬼奴! 人をずいぶんひどい目にあわせること!」 すると、顧当は叩頭して、命ばかりはゆるし てほしいと懸命にたのんでいる。嫦娥が、 「人を穴の中におとしておいて、自分だけ天へ 脱れようというの? 月の仙宮の十一姑(仙女の名前)が間もなくお嫁にいくので、綾絹の枕百と靴が百要ります。私についてらっしゃ い。そしていっしょに作ってあげるのです」
顚当がうやうやしく、
「お仕事を分けてくださいまし。時期に間にあ うようにお送りいたしますから」とたのんだが嫦娥は許さなかった。そして子美に、「あなたがこの子のかわりに頭をさげれば、ゆ るしてやりますよ!」
顚当が子美に目くばせしたが、子美は笑って 何も言わぬ。顚当は目で子美に怒ってみせるので、家人にいとまごいをしに帰るひまをたのんでやると、やっと許されて帰っていった。
子美は顚当の平生のことをきいて、西山の狐 であることを知った。轎を買い求め、顚当の帰 るのを待っていると、次の日、もどって来たの で、みんなしていっしょに郷里へ帰ったのであ った。誰かに女のことをきかれても、子美は返 事をごまかしていた。
ところで嫦娥が今度もどって来てからというもの 常に慎重にかまえていて、軽々しくふざ けたりしないのだ。子美が無理矢理にたわむれ させようとしても、いつもひそかに顚当にやら せてしまう。顚当はりこうな女で、こびること もうまい。嫦娥は独りで寝るのを好み、何時も ことわって夜のことはしないのであった。
ある夜、真夜中になってもまだ、顚当の部屋 からクスクス笑い声がやまないので、嫦娥が下女にうかがわせると、やがて帰って来た下女は 何も話してくれない。ただ「奥様ご自分でいっ てらっしゃい」と答えるだけである。嫦娥が窓 辺に伏してうかがうと、顚当がよそおいをこら して嫦娥のまねをし、子美がそれを抱擁して「嫦娥や!」と呼んでいるのだ。嫦娥は笑ってひきさがった。
しばらくすると、顚当は胸が急に痛くなったと言って、衣をひっかぶって、子美の手をひき ひき、嫦娥の部屋へやって来て、戸口をはいる と俯伏してしまった。嫦娥が、
「私、魔よけのおまじないなんかできないわよ! あなたは胸をおさえて西施(注美人として知られ、王昭君・貂蝉・楊貴妃を合わせて中国古代四大美女)のまねをしてるだけじゃないの!」
顚当は頭をさげて、ひたすら 「悪うございました!」と、あやまり、
「なおっちゃったわ!」と言って、立ち上がると、笑いながらいって しまった。
ある時、顚当がひそかに子美に言った。 「私、奥様に観音様のまねをさせてみせてよ!」
子美は信ぜず、そこで賭をすることにした。 嫦娥にはよく足を組んで坐り、ちょうど瞑目で もしているような眸をしていることがあった が、ある時、顚当がこっそり玉の瓶に柳をさし て机の上においておき、自分はさげ髪をして合 掌しながら、そのわきに侍して立ち、桜色の唇 を半ばひらいて、白く形のよい歯をかすかに見 せ、眸はまたたきもしなかった。子美が笑っ いるので、やってきた嫦娥が目をあけてとがめると、顚当 は、
「観音様のおそばに仕えている竜女のまねをし ただけよ!」と言った。
嫦壊は笑ってゆるしたが、罰として童子の拝むまねをさせた。顚当は髪を束ねると、四面か ら嫦娥に拝礼し、地に伏してころびまわり、さまざまな変ったかっこうをやった。左右に身体を折りまげ、たびで耳をこすることまでやっ た。
嫦娥はあごをといて笑い、坐ったままで顚当をふみつけた。顚当はあおむけになって、口に 嫦娥のつま先をくわえ、微かに歯でかんだ。嫦娥はクックッ笑ったが、ふとなまめかしい気持 におそわれ、それが足の先から上って来て、心 臓に達した。とろけるような、みだらな気持に、自分の心をおさえかねるようであった。嫦娥はあわてて気持をとりなおし、顚当をしかっ て、
「このろくでなしの狐やっこ! 相手かまわずたぶ らかすのかい!」
顚当は恐れをなし、口をはなして、地にひれ し伏した。嫦娥はなおはげしくこれを責めた。みんなさっぱりわけがわからなかった。
嫦娥が子美に
「顚当は狐の性根(しょうね)が改まらないのよ。今はすんでのところで馬鹿されちゃうところだったわ。もし、前世の所行が深くない者ならば すぐにも堕落してしまうでしょう!」
これ以後、顚当を見れば常に厳しくしつけた ので、顚当は恥じいり恐れ、子美に告げて、
「私は奥様に対しては、お身体のすみずみまで」 いとおしくていとおしくてたまらないの。だか ら自然にひどくこびてしまうのよ。やめようと したって、とても我慢できないわ」
子美がこれを嫦娥に告げたので、嫦娥はまた初めの頃のように顚当を遇した。だが戯れかたに余りしまりがないので、いく度か子美に注意したけれど、子美は、きき入れることができない。それで召使女たちまで老いも若きも競ってふざけあうようになった。
〜続く〜