HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

井上指揮N響『第九』を聴く

N響の第九演奏の初日を聴きました。

【日時】2022.12.21.(水)19:00~

【会場】NHKホール

【管弦楽】NHK交響楽団

【指揮】井上道義

【出演】

 《ソリスト》

 ソプラノ : クリスティーナ・ランツハマー
 メゾ・ソプラノ : 藤村実穂子
 テノール : ベンヤミン・ブルンス
 バス : ゴデルジ・ジャネリーゼ※

【合唱】新国立劇場合唱団/東京オペラシンガーズ

【合唱指揮】三澤洋史

【演奏の模様】

 NHKホールは駅から遠く、渋谷からだと速足でも、10分以上かかります。街はすっかりクリスマスモード、途中からは街路に青いイルミネーションが飾られていました。f:id:hukkats:20221222152410j:image

 NHKに近づくにつれ、青色は街路樹を隠し、よく見ると「青の洞窟」と書いてあります。

「青の洞窟」はイタリアの名所、海からしか中に入れません。ソレント方面に観光船で洞窟近くまで行き、そこで二、三人乗りの小さなボートに乗り換えます。そして近くの洞窟の入り口に向かい、一つボートが洞内から出ると中に一つ入れるという方式で、中に入ると5隻くらいは入っていたかな、幻想的な青色の海水に光が反射して洞窟内が真っ青に見える仕組みでした。安全性の観点から今考えると、万が一の場合危険が多過ぎる観光でした。

  「青の洞窟」渋谷実行委員会

 

 今日のN響の楽器構成は、三管編成(Fl.3 Ob.3 Cl.3 Hr.3+1 Fg.3 Trmb.3 Trmp.1 )弦楽五部(Vn30-Va12-Vc10-Cb.7、1Vnと2Vnの境が不明)でした。低音弦が手厚い布陣。

四楽章構成。

第1楽章Allegro ma non troppo, un poco maestoso

第2楽章Molto vivace - Presto

第3楽章Adagio molto e cantabile - Andante moderato

第4楽章Presto - Allegro assai …

 これまで、何回聞いたか分からない第九ですが、注意深く考えてみると、思っていた程深くは理解していないことが判明。まず、合唱の意味を全ては覚えていない、況んや独語の歌詞をや。配布されたプログラムには、全歌詞の独語と日本語訳が載っていました。注意深く読むと、すぐに二箇所に?が付きました。ひとつは、最初の3行の後に(L.v.Beethoven)と書いてある箇所。この箇所は、シラーでなくベートーヴェンが書いたのでした。これまで、意味は曖昧にシーラーの歌詞のトーンで書かれているだろう位にしか思っていませんでした。余程ベートーヴェンはシラーの詩に感動したのですね。それが第九が出来た根本原因。自分の曲がつまらなく思える程の感動とは?

 もう一箇所はシラーの詩の冒頭から15行目、

❝Und wer's nie gekonnt, der stehle Weinend sich aus diesem Bund!❞

の箇所、プログラムノートの訳を引用すると(そして 不幸にもそれが出来なかった者は 泣きながら この仲間から人知れず去るが良い)

 これってちょっと薄情じゃない?極論すれば、家族もいない、妻もいない、恋人もいない、誰もいない者は仲間に入れない。どこかに行ってしまえ とは。世界には孤独な人はゴマンといると思いますよ。そうした人こそ第九の歌で力づけて欲しいと思うのですが。

 さて井上さんの指揮するN響のこの交響曲の演奏は、冒頭からの急激な盛り上がりから続く全管弦の力演、第二楽章の軽快な小刻みの演奏、第三楽章の緩やかな又くねくねくねと続く綺麗だけれど長過ぎと思える変化に乏しい楽章は、これまで聞いた第九達の摂動の範囲内でしたが、とても飽き飽きして感情移入出来ない何か醒めた気分で聞いていました。ここでもTimp.が大活躍、特に第二楽章でのオケの牽引、引き立てに力を発揮していました。(この第九を見ると様々なTim.の奏法が勉強出来そう。)

 ここまでは、これまでの第九演奏と左程変わらない(勿論素晴らしさを有した)ものだったのですが、自分としては何か醒めた気分で聞いていて、何かつまらない、飽きた感じがしていました。上記歌の最初のベートーヴェンの書いた歌の意味を後で確認したら、矢張りベートーヴェンも自分の音楽を作曲・演奏しながら同じことを考えていたのかとびっくりしました。

 アタッカに近い形で入った次楽章はオケの劇的なダイナミズムでジャジャジャジャジャジャーンと鳴らして、低音弦(Vc.+Cb.)に主題を誘導、すぐにここでもTimp.は(以前も以降も)大活躍、木管が主題を鳴らし低音弦も再度静かな演奏になり、主テーマが鳴り出しました。

(尚合唱団などの歌い手は第三楽章が始まる直前に入場していました。女声(42)男声(35)、全部で80名弱の規模だったと思います。)

 バスの大きな歌声が聞こえ、四人のソリスト達が広いホールに響き渡る素晴らしい斉唱や重唱を歌い始めました。その後に続く合唱団のコーラスの力強いことと言ったら、力の限り演奏している管弦楽に負けずとも劣らぬ迫力です。こうして最終楽章の魅力に引き込まれ演奏者たちに合わせて拍子を取ったり、心で旋律を唱えたりして、この楽章で初めて演奏に感情移入出来ました。素晴らしい雰囲気を満喫出来ました。

 演奏が終わってツラツラ考えるに、この交響曲はベートーヴェンの言う様に、第4楽章《合唱付き》が山の様に聳え、1~3楽章を同じ山の連なりと見るのでなく、どちらかと言うとそれを打ち消す様な、そうですね例えれば水辺、そう湖かな?そこには中之島もあり、皆水辺の生活や風景を描き出している音楽であり、それらを否定して、そうではない!高らかな山の生活、風景の方が壮大で絶景なのですよとベートーヴェンは海賊から山賊になった気分で書いたのかも知れない。勿論高く聳える山は前面の湖水に見事な姿を写し出している意味で一体感は有している、例えればそんな解釈をした今回の演奏会の模様でした。

演奏終了後の挨拶

 早いもので今年もあと十日弱を残すだけ、既に彼方此方で第九が響いている今日この頃です。ここニ三日、演奏会後の帰路の電車内では忘年会なのでしょう、酔客の姿を多く見かける様になりました。ザワザワと酔いに任せて話しする人達もいれば、大声で喧嘩腰で話している人もいます。

 実は先日の土曜日、オペラを観終わった後、都内某所で、知人と年忘れ会食をしました。年々年をとって来ているので酒量も減らし、料理も量より健康優先で、ミニ懐石様のものを選びました。これが中々美味でした。

《お品書き》

「先付け:カニ茶わん蒸し、寒鱈棒寿司」 「炊き合せ:牛筋大根塩炊き」、「お造り五品:寒鰤酢橘刺し他」、「椀物:京蕪ポタージュ」 「焼き物:寒鰆西京焼き」、「煮物:旬の炊き合せ」、「飯物:銀シャリ土鍋(鯛梅叩き、シャコ合せ)」「デザート:旬のフルーツ五点」

『量は少なく、美味しいものを数多く』をモットーとする年配者向けの懐石店でした。