HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『シフ・22年来日公演最終日』鑑賞(続き)

【日時】2022.11.4.(金)19:00~

【会場】オペラシティ/タケミツメモリアル

【演奏】サー・アンドラーシ・シフ(Pf.)

【曲目】

<演奏者メッセージ>で演奏者が語っている様に、事前の曲目発表は有りませんでした。当日舞台で、シフのトーク(講義)により何を演奏するかを、トークのストーリーに沿って発表されました。(曲目の詳細は、演奏会終了後、主宰者H.P.に掲載、以下に転記)

①J.S.バッハ『カプリッチョ<最愛の兄の旅立ちに寄せて>BWV992』


②ハイドン『ピアノソナタ ハ短調 Hob.XVI-20』

  1. Moderato   II. Andante con moto  III. Finale – Allegro


③J.S.バッハ『半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV903』


④ベートーヴェン『ピアノソナタ第17番 ニ短調 op.31-2 <テンペスト>』

 

《20分の休憩》

 

⑤モーツァルト『ロンド イ短調 K.511』


⑥シューベルト『ピアノ・ソナタ第20番 イ長調 D959』

 

【演奏の模様】(続き)

③J.S.バッハ『半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV903』

(曲について)

 作品の成立時期は現在でもよく判っていない。恐らくケーテン時代に作曲され、1730年頃改訂されたものとみなされている。自筆譜も失われているが、バッハ自身がレッスンの必修教材として用い、多くの弟子たちが筆写したこと、息子フリーデマンが後年も好んで演奏したことなどから、きわめて多様な資料が残された。これらはタイトルやフーガの有無だけでなく、特に幻想曲の前半のアルペジオにこまかな違いがある。19世紀前半すでに出版においてさかんに取り上げられるようになり、1819年にはフリーデマンの筆写譜に残る強弱やアーティキュレーション、装飾を含んだ稿が刊行された。(後年ビショフは、資料批判を経た上で、この稿を異稿として収載した。フリーデマン自身が施したものであるかどうかは装飾の様式からみると疑わしい。)異稿がきわめて多いことに加え、19世紀中葉にはハンス・フォン・ビューロー など音楽家が改変を加えた校訂譜を出し、資料状況は錯綜した。旧バッハ全集でさえ出所不明の強弱記号やスラーを残したまま出された。その後、ダーデルゼン校訂により G.ヘンレ社から出された「原典版」がもっとも信頼性のある楽譜として長らく用いられたが、新バッハ全集がようやく1999年にこの作品を収載した(V/9.2)。

 筆写譜の異稿やさまざまの実用版の存在は、作品がつねに実践の中で伝承されたことを意味する。幻想曲の即興的パッセージに鑑みれば、数多くの異稿が生まれるのも不思議はないように思われる。だが、半音階のいっけん恣意的な走句や細かな音型のめまぐるしい変奏といった表層部から一歩踏み込んで、和声進行と調展開に目を移してみれば、楽曲構成におけるバッハの計算の緻密さに驚かされる。不協和音、偽終止、変終止、異名同音転換を駆使し、シャープ系、フラット系、時に長調の片鱗すら覗く多様な調がきわめて自然に隣り合い、結び合わされている。バッハが弟子に教材としてこれを与えたのは、作曲の規範たりうる高い完成度を持っていたからである。ベートーヴェンはこの曲をよく研究したという。古典派を完成しロマン派を先駆したこの巨匠は、《半音階的幻想曲》のなかに厳格な形式と主観性の表現の高度な融合をみたのだろう。《幻想曲》にフーガが続くことも、二つの相反するものの対置と止揚として作用する。もっとも、いっけん冷静に開始するフーガは、加速度的に荘重さを増し、最後は幅広い音域で堂々と主題を提示し、半音階で鍵盤を駆け上がって終止する。即興的な《幻想曲》で表現された苦悩や絶望は、《フーガ》という厳格な書法に引き継がれていっそう高められ、濃縮されるようにみえる。(PTNA辞典より)

 シフの説明によると、バッハのこの曲にはRecitativoが用いられており、それをベートーヴェンは研究吸収し、自分の作曲したソナタ「テンペスト」の中で応用しているというのです。このソナタのbeginning やdevelopmentで使っているという。  

 通常レチタティーヴォはオペラのアリアの合間に、節付きで会話や独白を歌う(語る)箇所を意味しますが、器楽で使われる時は❝歌詞無しの歌うが如き和声・旋律❞を意味します。

曲の構成は1.幻想曲、2.フーガから成り、

1はニ短調、4/4 拍子、力強い音階的パッセッジが二回繰り返され、続いて2のフーガの主題と関連づけられる旋律が流れ、次第に半音階的な流れへと様々なテンポの変化を伴って演奏されました。その後に「Recitativo」と記されたパッセッジが現れ、ドラマティックな展開を見せて終了するのでした。

2は同じくニ短調、3/4拍子、バッハお得意のフーガ技法を駆使していますが、半音階を使用しているため綿密にフーガ的でない箇所も有り、主題を様々に技巧的に扱って作られている曲と謂った感じでした。イタリア風の旋律も多く、当時、バッハはヴィヴァルディ他のイタリア曲も勉強していたらしい。ショパンの『幻想即興曲』への影響も考えられます。

 シフの演奏は、ピアノの鍵盤の何処をどうすれば最適な発音が出来るか知り尽くしているかの様に、縦横無尽に指を動かしていました。このバッハもそうでしたが、特に次のテンペストでは、手をクロスする跳躍音も強からず弱からず、右手の柔らかなタッチ音に見事にマッチし、戻る左手では強く豪快な音を立てていました。それらが不思議と調和の極地と言った響きを醸し出していたのですから流石です。


④ベートーヴェン『ピアノソナタ第17番 ニ短調 op.31-2 <テンペスト>』

(曲について)

作品31としてまとめられている3曲のピアノソナタ(第16番、第17番、第18番)は1801年から1802年の初頭にかけて、ほぼ同時期に作曲が進められ。初版譜はハンス・ゲオルク・ネーゲリが企画した『クラヴサン奏者演奏曲集』に収録される形で、第16番と組になって1803年4月に世に出され、同年秋にジムロック社より「厳密な改訂版」が出されたのも第16番と第17番であったが、その後1805年にカッピが作品29として出版した版から現在の作品31がひとまとめとなった。曲は誰にも献呈されていない。

カール・チェルニーによると、ベートーヴェンは作品31を作曲している頃にヴァイオリニストで友人のヴェンゼル・クルンプホルツに対し「私は今までの作品に満足していない。今後は新しい道を進むつもりだ。」と述べたという。作曲時期は難聴への苦悶からハイリゲンシュタットの遺書がしたためられた時期にも一致しており、作品31の中でも特に革新的で劇的な本作にはそうしたベートーヴェンの決意を感じることができる。また、3つの楽章の全てがソナタ形式で作曲されている点もこの作品のユニークな点のひとつである。

『テンペスト』という通称は、弟子のアントン・シンドラーがこの曲と第23番(熱情)の解釈について尋ねたとき、ベートーヴェンが「シェイクスピアの『テンペスト』を読め」と言ったとされることに由来している。しかし、ドナルド・フランシス・トーヴィーはこの曲の中に戯曲の登場人物を見出そうとする試みは「英雄ハ短調交響曲(運命)が演奏されているときに、『紅はこべ』の功績のみに目を向けているようなものだ」と記している。

 

 第1楽章を特徴づける、オペラのレチタティーヴォのような音型の解釈に焦点を当てますと、冒頭のアルペジョで開始後Allegroに至るまでの箇処、或いは171小節のアルペジョから第一楽章冒頭と同じAllegroまでの❝con espressione e senplice ❞の表示記号のある箇処です。この記号は「感情を込めて且つ簡潔に」くらいの意味ですが、ここでの実際の表現は大変難しい。アルペジョ部の響きのどの様な意味なのか分からない不気味な中に単旋律が続き、またこれもシフのトークにも有りましたが、ベートーヴェンはアルペジョ部にペダル記号を付け、その後6小節に渡って長くペダルを踏み続ける様に指示しているのですが、そうすると半音階進行の旋律が濁る箇所が出て来てしまうので、ここはペダルを踏まないで演奏することも一方法なのだそうです。

 ベートーヴェンは個々の箇所を作曲しながら耳が聞こえなくなっている自分の悩みを、単旋律のアカペラで歌っていたのかも知れない。すがる様な希望を求めて。シフはまたレチタティーヴォを、シェイクスピアの戯曲「テンペスト」に関連付けて説明していましたが、このソナタをシェイクスピアの『テンペスト』と関連づける通説は、今日ではベートーヴェンの伝記作家シントラーのねつ造によるものとして一般に否定されています。それでも、このドラマティックな音楽を前にすれば、歌詞を持たない旋律の背後に、何らかの具体的な意味を想像したいと思うのは自然でしょう。想像するに、このレシタティーヴォはベートーヴェン自らのモノローグなのかも知れません。しかしこの日のシフの弾くテンペストはベートーヴェンの懊悩を全面に出す激しい演奏ではなく、一楽章も二楽章も三楽章でさえ、苦悩、迷いを何か明るい柔らかな光で包み込んで、かすかな希望を感じられる様な演奏でした。これは、シフのその域に達した瑞々しい発音と、使用した「ベーゼンドルファー」の柔らかい音が合わさって初めて可能となったものでしょう。

 

《20分間休憩》

 

 この時点で既に9時は過ぎており、正直言って聞くだけでも二時間通しはかなり疲れました。それを話し、弾き、又説明したシフさん、相当お疲れでしょう。次は二つの曲をどの様に料理するのか興味半分、期待半分、深々とした気持ちでした。

⑤モーツァルト『ロンド イ短調 K.511』

(曲について)

1787年、31歳の時の作品。前年にはオペラ「フィガロの結婚」、同じ年には「ドン・ジョヴァンニ」という大作を生み出したモーツァルトの、この年数少ないピアノ曲の一つ。6/8のシンプルな伴奏に乗せて哀愁を感じさせる美しいメロディーが奏でられる。8小節の主題にはさまれて様々な調で自由な曲想が展開される。特にたくさんの半音階的パッセージを含む流れるようなへ長調部分からは、モーツァルトの尋常でない才能がうかがわれる。(PTNA辞典)

 この曲はシフさんの演奏スタイルを十二分に発揮できる曲だと思いました。通常の明るさとは異なって、しみじみとしたどこか寂しさを感じる旋律、しかしそこには限りなく美しい枯山水の様な、雪景色の墨絵の様な世界が広がっています。モーツァルトは父親の死や4年後の自らの死をも感じていたのかも知れない。かって冬のさ中にノイシュヴァインシュタイン城を訪ずれた時見た、上階から見下ろす一面の雪景色。そこには木立や牧舎やその他のものが雪下から見え隠れし(それまで日本では見た事の無い)何とも言えない幻想的な風景でした。ルートヴィッヒ二世はオペラを聴きながらこんなに素晴らしい景色を見ていたのかと思ったものでした。シフの弾くモーツァルトは慈愛に満ち溢れたものでした。


⑥シューベルト『ピアノソナタ第20番 イ長調 D959』

(曲について)

作曲者最晩年のピアノソナタ3部作のひとつ。第19番が暗い情熱、第21番が静寂な歌謡風の曲想であるのに対して、本作は暖かで明朗な響きを特徴としている。

本作は初期のピアノソナタ第4番の楽章を引用するなど創意も多く、特に終楽章は平明である。全4楽章構成。長大であるため、同じくイ長調で書かれた優美な第13番に対し、こちらは「イ長調の大ソナタ」と通称される。             第1楽章アレグロ                                  第2楽アンダンティーノ                                      第3楽章スケルツォアレグロヴィヴァーチェ トリオ:ウン・ポーコピウレント                                                第4楽章ロンドアレグレット プレスト

 

先ずシフは開口一番、「この曲でシューベルトはベートーヴェンの域に達した」ことをトーク、確かに尊敬するベートーヴェンの神髄を吸収した素晴らしい曲ですが、そこまで言い切れるかな?とも思いました。さらにシフ曰く、第二楽章は最初バルカロール(舟歌)の様だが、中間部で「この世の最後を告げる様な箇所が出て来る」とも。一方、第一楽章冒頭のモチーフは、クレドで、最終場面で再度クレドが出て来て、(神の)救済を受けるように解釈出来ると説明しました。

 確かに二楽章中間部では、半音階進行のフォルテの後にかなりの強打のパッセージが出てきますがこの短いパッセージで、この世の終わりを感じるという程の事までは無いのではと疑問に思いました。むしろ自分の人生の最後を何となく感知していたシューベルトの断末的叫びではないかと思います。又シフが一楽章の最初をクレド(credo)と言ったのは、キリスト教 ミサ典礼における聖歌の一つで、「われは信ず」の意味です。確かに第四楽章には、一楽章に相通じる側面は一部有しているので、そういう解釈、即ち<信じる>⇒<世界の終末>⇒<信じる、希望>⇒<救済、復活>という典型的なキリスト教的解釈も可能かなとは思いました。

 シューベルトの最後の三つのソナタ(就中961番)は自分にとっても高ランクのお気に入りの曲達で、都合がつけば出来るだけ、コンサートに足を運び聴くことにしています。

 この9月にも、河村尚子さんの弾くシューベルトのこの曲(ソナタ20番)を聞いたばかりです。その時も相当感激しましたが、今日のシフの演奏と比べると、まだまだ青さを感じます。

 また2018年の今頃の季節に内田光子さんが弾く960番を聴きました。参考までその時の演奏の模様を文末に再掲して置きます。

 

 今日の演奏会は長時間に渡り、①~⑥までの曲が終ったのは10時近く、そろそろ急いで帰らないと終電に遅れてしまったら大変等と考えていたら大きな拍手に迎えられて何回か袖と舞台を行き来したシフはおもむろにピアノの前に座りアンコールを弾きはじめました。そして都合三曲も弾いたのでした。

〈アンコール曲〉


⑦ブラームス『インテルメッツォ op.118-2』

 

⑧モーツァルト『ピアノソナタ第15番 ハ長調 K.545』から 第1楽章

 

⑨J.S.バッハ『イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971』から 第1楽章

 

 ⑧ではさすがに疲れからか音がもつれたように聞こえた箇所もありましたが、ひょっとしてあれはベーゼンドルファーのペダルを踏まないで弾いていたからかも知れません。

でも三曲とも年齢を考えれば(恐らく60歳はとうに過ぎて70歳近いのでは?)、恐るべき体力と技術と気力で驚異的な演奏でした。先日90歳を超えたブロムシュテットの指揮の演奏会に行ってきましたが、さすがに椅子に座って上半身での指揮だった訳です。ピアニストの消耗するエネルギーは繊細な仕事だけに物凄いものがあると思います。英国がサーの称号を早々と与えたのもムベなるかなです。これも先日のNHK放送のブーニンと同じ様に、奥様の助力(愛の力)があってのことだと思いました。それにしても大和撫子、中々の世界的活躍ですね。

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(再掲)/2018.11. 8.hukkats記録『内田光子シューベルトリサイタル』at サントリーホール

 まったく最近チケットはなかなか思ったように取れませんね。小澤征爾さんとムターの共演のチケットが取れない!10月末にチケット会社から「1次先行抽選申し込み受付」のメールが入りすぐに申し込んだのですが、1週間後に「落選」通知があり、すぐに「2次先行抽選」のメールがまた入り申し込んだもののダメでした。すると今日「3次先行抽選」のメールが入っていたのです。ばかばかしくなって申し込みはやめました。どうして1次2次3次とこま切れに募集、抽選するのでしょう。一遍にやればいいのに。どのように抽選するかも明らかにしていません。この情報公開の世の中に何だか霧の中、すっきりしないですよ。すると別のチケット会社が新たに募集開始するという。こちらは方式が少し異なっていて、抽選の場合でもこれまでのチケット購入歴に応じた「当選確率UP券」が貰えるのです。購入回数が多ければ多いほど券が多く貰える仕組み、何のことはない『チケット販売促進券』です。抽選と言っても上得意先を優先的に当選確実にするのではないでしょうね。邪推したくもなります。またこの会社には「自動申し込み」というシステムもある様です。愚痴はこの位にして、UP券が何枚かあるので、あまり期待しないで申し込みましょう。あ~あ面倒くさいナー。一昔前だったら電話一本で取れたのに!

 ところで先日、内田光子シューベルトリサイタル(11.7.atサントリーホール)を聴いて来ました。演奏順は前後しますが、プログラム後半は待望のD.960番ソナタでした。これまでいろいろなD.960を聴いております。最近のCD鑑賞ですとアラウ、ケンプ、ブレンデル、ピリスそして11/2キーシン公演時に購入したものなど、いずれも細部では個性が異なるもののそれぞれ大変立派な演奏です。同じ曲を沢山聴いた時、総じてこの曲はこういうものという、あたかも朧月の如く輪郭は明瞭ではないが一つの曲のイメージが頭に形成されるではないでしょうか。伝統的なウィーン学派的解釈のブレンデルを輪郭とした場合、キーシンの演奏を除いて輪郭からの摂動はそれ程大きくない。キーシンの場合、曲の冒頭から非常にスローに入り、第1楽章の後半になるとさらに遅いテンポとなりその後緩急を繰り返して最後に第1テーマを繰返してゆったりと弾き終わります。第2楽章andante sostenutoは、もっと極端にslowに弾き息も絶え絶えに終える。第4楽章は疾風怒涛の如き猛スピードで最後を駆け抜ける等、非常に個性的な解釈で叙情的な演奏なのです。これに対し内田さんの960番の演奏は、上記摂動の範囲に入っていたと思います。体は比較的スリムにお見受けしましたが、どこからあのffの力が出てくるのでしょう。キーシンの様に豊かな体躯全体を揺すって力演するのとは違って、首が若干振れる程度なのに大きな音が出る。体の骨格を伝わる力でしょうか?それにppの部分の音の綺麗なこと!各楽章の最終音は音が消え入るまでペダルを踏んで長く響かせていました。とにもかくにもD.960はどのピアニストが弾いたものでも気にいっている好きな曲です。D.960を作曲して間もなくシューベルトは短い人生を終えるのですね。あ~あ~惜しいことをしました。もったいない。シューベルトを若干30歳そこそこで失うとは。人類にとっての大損害です。「歴史にIFは無い」とは言いますが、もし今だったら命を失うことは無かったのに。若し彼の父の理解がもっとあれば、貧困にあうこともなかっただろうに。いつも思うのですが、ベートーベン、いや少なくともモーツアルトの年位まで生きていて欲しかった。あと5年もあればどんなにか沢山の素晴らしい音楽を創ってくれたことでしょう。ピアノ曲、ヴァイオリン曲、管弦楽曲、交響曲、リート、合唱曲、オペラ、それに何か新しい分野の開拓等々広い分野の傑作の現れを夢想してしまう。           

 さて現実に戻りますと、リサイタルの前半はD.537とD.840のソナタでした。前述のケンプの「シューベルトソナタ全集(Deutche Grammophon)」でこれらのソナタを事前に聴いた限りではそれ程心躍る曲ではないと思われ、「シューベルトの曲は玉石混交」との持論を確認したつもりでいたのです。しかし内田さんの演奏を聴いて、石は石でも「宝石の原石」だったのだなと認識を改めました。音は非常に澄んでいてメロディが流れる様であり、特にD.840の第一楽章など、あたかも旋律に合わせてFischer-Dieskauが歌っているような錯覚にとらわれながら聴いておりました。シューベルトは器楽曲でも歌う心を揺さぶるのが大きな魅力ですね。 アンコールはバッハのサラバンド(フランス組曲BWV816)でしたが、このようなしっとりした可愛いい綺麗なバッハ表現は、聴いたことが無い程素晴らしかった。これを作曲したバッハもすごい。何から何まで神業の如く作曲したバッハ、ルーベンス工房の如き「バッハ工房」があったのでしょうか?バッハと言えばそろそろクリスマスオラトリオを聴きたい季節になって来ました。

 なお、今回のリサイタルに(多分後半からだと思いますが)美智子さまがお見えになっておられました。演奏者がアンコールを弾き終わった後大きな拍手で迎えられ終演したのですが、美智子さまが退席されるとさらなる大きな拍手が沸き起こりました。