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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

オペラ『浜辺のアインシュタイン』

【日時】2022.10. 9.13:30~

【会場】神奈川県民ホール

【INTRODUCTION-主催者】
これはオペラか?ダンスか?演劇か?
2022年、新たな伝説が生まれる
ロバート・ウィルソン
フィリップ・グラス
一柳慧(神奈川芸術文化財団 芸術総監督)
4時間ノンストップ。台詞はあるが物語はない。歌詞は“数字”と“ドレミ”のみ。打ち寄せる波のように、幾度も繰り返される音楽とダンス。そこから生まれる独特のグルーヴ。目の前に広がる舞台空間は、穏やかな海のごとく、ゆっくりと変化していく。

ミニマル音楽の巨匠フィリップ・グラスと鬼才演出家ロバート・ウィルソンが、科学者アインシュタインを詩的に解釈しようと試みた前衛的なオペラ「浜辺のアインシュタイン」は、音楽、ダンス、舞台美術が融合した総合芸術ではあるものの、一般的なオペラとは一線を画す革新的な…

 


〈一部の繰り返しを省略したオリジナルバージョン/新制作/歌詞原語・台詞日本語上演〉
【音楽】フィリップ・グラス
【台詞】クリストファー・ノウルズ、サミュエル・ジョンソン、ルシンダ・チャイルズ
【翻訳】鴻巣友季子
【作曲年】1975-1976年
【初演】1976年7月25日アヴィニョン演劇祭(フランス)
【日本初演】1992年10月18日
【アートスフィア】
Einstein On The Beach (Abridged Version)
An Opera by Robert Wilson and Philip Glass
© 1976 Dunvagen Music Publishers Inc. Used by Permission.
【CAST&STAFF】
【演出・振付】平原慎太
【指揮】キハラ良尚

【出演】松雪泰子、田中要次、中村祥子、ion Watley、青柳潤、池上たっくん、市場俊生、大西彩瑛、大森弥子、倉元奎哉、小松睦、佐藤琢哉、東海林靖志、杉森仁胡、鈴木夢生、シュミッツ茂仁香、城俊彦、高岡沙綾、高橋真帆、田中真夏、鳥羽絢美、浜田純平、林田海里、町田妙子、村井玲美、山本悠貴、渡辺はるか、

辻󠄀彩奈 (ヴァイオリン)、中野翔太(電子オルガン)高橋ドレミ(同)マグナムトリオ(多久潤一朗、神田勇哉、梶原一紘:フルート)亀居優斗(バスクラリネット)、本堂誠、西村魁(Sax)

【合唱】東京混声合唱団
【演出補】桐山知也
【空間デザイン】木津潤平
【衣裳】ミラ・エック(Mylla Ek)
【照明】櫛田晃代
【音響デザイナー】佐藤日出夫
【映像】栗山聡之
【ヘアスタイリスト】芝田貴之
【メイク】谷口ユリエ
【プロダクション・マネージャー】横沢紅太郎
【舞台監督】藤田有紀彦 山口英峰
【音響】アソシエ~ト・デザイナー西田祐子
【衣装補助】柿野彩

【電子オルガンアドバイザー】有馬純寿
【演出助手】日置浩輔
【振付助手】田﨑真菜
【コレペティトゥア】石野真穂 矢田信子
【副指揮】森田真喜
【セテージマネジャ-】根本孝史
【ライブラリアン】塚本由香
【芸術総監督】一柳慧
【芸術参与】沼野雄司

【COLUMN】沼野雄司(音楽学者)

 1976年7月25日、フランス、アヴィニヨン。この日、この場所でオペラという概念は一夜にして更新された。
なにしろ、その「オペラ」には明確な物語も、感情的なレチタティーヴォもない。妙に魅惑的なタイトルは付いているが、どこが「浜辺」でどこが「アインシュタイン」なのかさえ、よく分からない。主演?いったい、誰が主演なのだろう。

声、音楽、ダンス、演技、とりあえず一通りのパーツはそろっている。けれども、それらは普通のやりかたで噛みあっていないから、ふわふわと舞台上を漂うばかりなのだ。その在りようは、初演から半世紀近くを経過した現在においても、あまりにも先端にして異端、そして極端といわねばならない。

結果として聴き手は、延々と旋律断片が繰りかえされる幻覚的なサウンドに包まれながら、眼と耳に次々にとびこんでくるイメージを必死で追い続けることになる――ヴァイオリンを弾くアインシュタイン、さまざまな数字、愛を語る言葉、何かが裁かれる法廷、パリ、列車、ニューヨーク、ジョン・レノン、バスの運転手、宇宙船、ベッド、地球の危機。

そう、イメージ。これこそ、グラス/ウィルソンが追い求め、そして信じたものだ。いったい純粋なイメージの連鎖だけで「オペラ」が成立するのだろうか?「浜辺のアインシュタイン」は、この破天荒な問いがそのまま舞台作品のかたちをとったものだと思えばいい。

ロバート・ウィルソンは、子どもの頃にはじめてオペラを観にいった時、舞台の動きが邪魔で歌がよく聴こえないのが不満だったという。だから彼は、聴覚と視覚の双方がバランスする作品を実現させたいと強く願っていた。一方のフィリップ・グラスはタクシー運転手の仕事で生計をたてながら、倦むことなく突進するエネルギーをもった大曲を実現させることを常に夢みていた。

 この二人が出会った時、高速でイメージがシャフルされる、まったくあたらしい「オペラ」が誕生したのは必然だったろう。まだ30代だった彼らは果敢にもその可能性に賭けた。さて、賭けは成功したのかどうか。われわれは10月にこの眼と耳で確かめなければならない。


【ILLUSTRATION】大友克洋
 本公演のイラストは、演出・振付の平原慎太郎の熱いオファーにより、漫画家で映画監督の大友克洋が描き下ろした。平原はこれまで、大友の数多の作品に触れ強い憧れを持つ中で、大友の描く科学とその未来、そこに人間がどう対峙するのかといった世界観に胸を打たれ続けてきた。そして、その世界観はまさに、平原が「浜辺のアインシュタイン」を通して投げかけようとする問いに通じるものだという。

 

企画製作・主催:神奈川県民ホール
[指定管理者:公益財団法人神奈川芸術文化財団]
共催:横浜アーツフェスティバル実行委員会
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・音楽堂等機能強化推進事業)独立行政法人日本芸術文化振興会
公益財団法人三菱UFJ信託芸術文化財団
公益財団法人 ローム ミュージック ファンデーション
後援:米国大使館
協賛:三善/プロメイク 舞台屋
法務アドバイザー:骨董通り法律事務所


【上演の模様】

 この作品を見に行こうと思ったのは、最初、冒頭のチラシを目にしてからです。

そこには、❝舞台芸術の記載が生んだ現代オペラの金字塔、日本初演から30年ぶりに上演❞と書いてあります。しかもさらに大きい字で タイトルが❝浜辺のアインシュタイン❞と書いてある。これまで、オペラはいろいろ見てきましたが、初演後長年上演されない出し物は結構あって、特にバロックオペラなどでは、特殊な声域のタイトルロールを歌う適当な歌手が見つからないとか、楽器構成が中々そろわないとか様々な理由によって、要するにすぐに再演しにくい要因があって、何年も上演されないことはままあることでした。何年振りかの再演が行われると聞けば、すぐにでもチケットを確保することにしていました。今回も30年間も上演されなかったことは、聴く価値が非常に高いだろうと思い込みすぐに券手配をしたのでした。それにしても「浜辺のアインシュタイン」とは、かの有名な科学者の生涯のどの時期を切り取ったオペラなのだろう「浜辺」というロマンティックな語からは、Sientificn なイメージは沸いて来なくて、アインシュタインの愛とかロマンスとか人生の出来事に関するものかな?と考えていたのです。チラシにはさらに[出演]松雪康子、田中要次、中村祥子、辻彩奈(ヴァイオリン)他とあり、辻さんはヴァイオリニストで有名ですが、他の三人は知らない名前だな、歌手だろうけど、アインシュタイン役は男だから田中さんという歌手かな?などと軽く考えていたのです。その時名前検索をしていれば、田中さん松雪さんは俳優だし、中村さんはバレエダンサーだという事が判明した筈で、おや?これはクラシック歌手ではないぞ、それでは誰がタイトルロールを歌うのだろう?と疑問に思ってさらに調べて、詳細を把握出来たでしょう。だけどそういう風にする余裕がなかった、時間が無かった、毎日いろいろと忙しくて。

 先にチラシには[芸術総監督]一柳慧とも書いてありました。あの有名な文化勲章受章者ならば、見に行くものの期待を裏切ることは無いだろうと安易に考えていたのです。

ところが、上演の四五日前のオペラ『ジュリオ・チェーザレ(ジュリアス・シーザー)』を見に行った時にもらったチラシの中に、別なチラシが入っていたのです。

これを見て。大見出しの「先端/異端/極端」は、以前のチラシに ❝ミニマル音楽の巨匠❞という記載があったので、 ある程度予想されたことでした。処が、説明文中に ❝~オペラという概念は一夜にして更新された。なにしろ、その「オペラ」には、明確な物語も、感情的なレチタティーヴォもない。妙に魅惑的なタイトルは付いているが、どこが「浜辺」でどこが「アインシュタイン」なのかさえ、よく分からない。主演?一体だれが主演なのだろう。❞

❝そう、イメージ。これこそ、グラス/ウィルソンが追い求め、そして信じたものだ。いったい純粋なイメージの連鎖だけで「オペラ」が成立するのだろうか?「浜辺のアインシュタイン」はこの破天荒な問いがそのまま舞台作品のかたちをとったものだと思えばいい。❞ と書いてあるではないですか。何んだこりゃ?一読して意味不明、何を言いたいか不明な箇所もあり、もう一度読み返しました。

えー、何だって、主演がいない?声、音楽、ダンス、演技はあるけれど嚙み合っていない、舞台上をふわっと漂っている?これってオペラじゃないじゃん。

 上演開始となると、オケピットには左右対称に、八人(4人×2列)づつの合唱員がすわり、その前面には左右3人づつ、またその前に左右一人づつのキーボード奏者そしてその指揮者といった演奏者、合唱はキーボードの伴奏で ❝one two three four❞ と無意味な歌を歌っています。オケピットの両サイドは少し高く張り出していて、左手には椅子に座った男性が、ナレーションを語り、その声は舞台天井のスピーカーから鳴る様子。❝ヨットに風を集める❞ とか何とか言っていますが、スピ-カーの音と語る声とが混ざり合って、言っていることがクリアに聴こえません。

 一方舞台上では、二名の拭き掃除の女性が、モップをもって立っているか緩慢な動きかをしています。時間がたつと、舞台中央部(少し高台になっている)その奥の最上段部に踊り手や演技者が比較的ゆっくりゆっくり登場して、何やら訳の分からない動作、所作をしている。オケピットの右高台では、辻さんが絶え間なくヴァイオリンの短いパッセージを、繰り返し繰り返し何十分も弾き続けています。こうした場面は開演から休憩前まで、ズート無意味と思える程淡々と舞台進行ともども演じられるのでした。これは将に上記したチラシに書いてある通りのことでした。意味がない断片の要素が舞台、オーケストラピット、両サイドの高舞台でかみ合わずに平行して進んでいるのでした。

東京混声合唱団

        東京混声合唱団

 

 勿論タイトルロールを歌う歌手など存在しません。タイトルがあって無きの如しなのですから。これがオペラ?オペラと呼ぶに値しない。最後に配られたチラシをもっと早く見ていれば、チケットは決して買わなかったでしょう。❝オペラの概念は一夜にして更新された❞のではなく、自分たちがオペラだと思っているだけです。これは明らかに大多数(いや99%)の人々が考える「オペラ」では有りません。「バレエ付舞台演技付随音楽」とでも呼べるかな?

  最初のチラシで「現代オペラの金字塔」と謳っているのは羊頭を掲げて狗肉を売るに等しい。若し新聞広告で ❝このお酒は素晴らしく淡泊なさっぱりしたものです❞と大々的に宣伝して「水」を売ったとしたら、いくら売り手が「我々はこれはお酒だと思っている」と弁明しても、法違反となるでしよう。宣伝チラシは誇張しすぎないでもう少し公明正大に正確な情報を書かないと誤解を生んでしまい失望の原因になります。それを事前に理解しなかった者にも責任はあるのでしょうけれど。でもそれは、無理です。だって30年間も上映されなく情報が全くなかったのですから、今回の二日間の上演は終わりましたが、次回はいつになるのでしょうね?また30年後なんてならないことを祈ります。