表記の展覧会は、国立西洋美術館のリニューアル記念事業として、6月4日から9月11日の予定で開催されているものです。一度は見に行こうと思っていましたが、他の予定が忙しくてなかなか時間が取れませんでした。そうこうしているうちに、会期残りが少なくなってしまった(あと三日間しか残っていません)ので、万障繰り合わせて見に行く必要がありました。最終日とその前日は大変な混雑が予想されるので、9/9(金)の午後に都合をつけて行ってきました。
予約時間が15:00~15:30までの入場です。上野は天気(曇り時々小雨)のせいもあるのか、又は週日の為なのか人出が思っていたよりも少ない感じがしました。正門を入ると三々五々も割った人が出て来ていましたが、それ程の混雑や行列は出来ていません。少し早く着いて時間があったので、庭園の彫刻を見ることに。いつも建物内を見ようとして外の作品は素通りの時が多かった。入り口を入って少し行くと右手に大きな四角い扉の様なものに夥しい数の人が彫られています。これがロダンの『地獄の門』でした。
ギリシャ・ローマ神話やダンテの神曲もモデルとした扉作品だと言います。数えるのも大変な位の様々なポーズを取った夥しい数の人々が描かれています。
これはロダンのオリジナル作品で、その石膏原型はパリ・オルセー美術館に有るらしい。
一人一人の人々が誰で、何をしてどのような意味を持っているのか探るだけでも数か月かかるかも知れない。(勿論神話や神曲を読む必要があります。)
走行していると入館時間の15:00近くになったので入館しチケット(WEB予約したら入場券替わりのQRコードがメールで送られて来ました)を読み取り機にかざし、展示室に向かいました。広い予備展示室(休憩用のソファーも置いてありトイレタイムにも使えます)には大きなパネルが窓際にかかっていました。
最初の展示室には開催に寄せての西洋美術館長の挨拶文パネルが大きく掲げられていました。それによると今回の展覧会はドイツエッセン市のフォルクバング美術館との共同企画で、2月から5月まで独当該美術館で開催した両館の基礎を築いたコレクターであるカール・エルンスト・オストハウス及び松方幸次郎二人のコレクションが対話するという概念で、展覧会をエッセン市で開催、6月からはそれを西洋美術館で開催するという試みであること等が説明されていました。これがタイトルである『自然と人のダイアローグ』の意味の様です。
結構多くの観客が見に来ていました。これは入場時間は限られた人数しか入れませんが、出場時間は制限なく閉館時間まで居られるので、皆さんじっくり見ている様でして、昼過ぎに入った観客或いは午前中の観客も残って観ていた可能性があります。
展示ブースはⅠ~Ⅳに分けられていて、
Ⅰ、空を流れる時間
Ⅱ、<彼方への旅>
Ⅲ、光の建築
Ⅳ、天と地の間を循環する時間
とそれぞれ意味づけられていました。全部で150点近い作品が展示されているとのこと。
次回以降順次観た作品を記していきます。
全作品を見終わったのは17:00頃、今回の展覧会は写真撮りOKの作品がかなりあるという事だったので、スマホの他にデジカメも持って行きました。写真撮りをすると時間がかかるので(前で見ている人がいると見終わってカメラ前面が空くまで時間を要しますし、説明パネルも取らないとどの作品だったか不明になってしまうので)最低二時間はかかるかなと思っていただけに意外でした。
その日は久し振りの友人(男性)と待ち合わせをしていたので、早く終わったことを電話すると、待合わせ場所と行く場所は彼が決めておいたので、約束の18時に、三ノ輪駅まで来て欲しいとのことでした。上野から銀座線で二駅目なので、時間に余裕があるので、上野の蕎麦屋で軽くざる蕎麦で空腹の腹ごしらえしてから行きました。三ノ輪駅は多分初めてです。地下鉄の駅は地上に上がる階段の半分にはエスカレータが設置されているのが多いですが、この駅の階段では左半分も右半部と区切られた階段になっていて、明らかにエスカレーターを撤去して階段に戻した模様。としても左右を区切る枠はそのままになっています。予算不足?それとも今後エスカレータを再設置?等不思議に思いました。
友人とはスムーズに合えて、彼の言うことには、駅のすぐそばに「投げ込み寺」で有名な浄閑寺というのがあるから見に行こうというのです。ほんの5分かかるかかからない位の所にその寺はありました。でも正門の前に行くと閉まっています、17時までと書いてある。昔はお寺はもう少し遅くまで開門していた様な気がしましたが、今は普通の会社の営業時間みたくなったのでしょうか?結局境内には入れず門の所の掲示板を見ただけでした。
掲示板の説明では、江戸・安政の大地震の時、多くの吉原の遊女の死骸がこの寺に投げ込まれたそうです。
弔ってくれる人がいなかったのですね。でもこんなことは大地震の時には珍しくないのかも知れない。関東大震災の時には大火災が発生、多くの焼死体が身元も分からず土に埋められたとか、隅田川の一部には川を渡れる程の死体の山だったという話をする人もいます。若し戦争になってまた日本が原爆・水爆の被害を受けたら、身元など皆分からなくなって、弔いも出来ないでしょう(そういうことが起きませんように!!
浄閑地の門には法然上人の言葉が張り付けられていました。
なかなか含蓄のある言葉でした。
この辺りには江戸時代の有名な遊郭、吉原があった処らしく、友人曰く、近くにその痕跡があるので見に行こうというのです。ここまで来たら一度は見て置いて損はないと思って付いて行きました。
しばらく行って大きな通りの信号を渡ると都内の幹線道路としては珍しく左右に湾曲した両側にはビルが建ち並ぶ中規模の道がありました。
これは江戸時代吉原の遊郭で一朝有事の時、遊郭外に逃げ出さないように道を湾曲させたというのですが ???でした。この道路は「吉原おおもん通り」というらしく、その先には街頭・ネオンがこうこうと光る通りが見えました。
その辺まで行くと風俗店が軒を並べているそうな、現代の新吉原でしょうか。そうした処には興味も関心もないので、引き返すことにしました。
そして歴史的見どころとしては、外部世界から遊郭を隔絶した壁があったそうで(それはベルリンの壁かい?)、その痕跡が見れるというのです。ついて行くと石垣の礎石だけが少し残っていました。
吉原をぐるっと取り巻く石垣に囲まれていたのでしょう。江戸幕府は、出島とか居留民地とか隔離政策が好きだったのでしょうか? 外国にもありますね。租税外地とか賭博・カジノ許可地域とか。日本でもその設置の動きがまだあるのでしょうか?江戸の名残り?
かるく一杯飲ってから帰ろうということになって、この地区の老舗だという料理屋に向かいましたが、古い木造建ての店が二軒並んでいました。
天婦羅屋と桜鍋屋。近づいてみると両方ともお休みでした。遅い夏休みの模様。コロナ休みではないようです。友人がもう一軒有名な店があるというので行ったら、そこはやっていました。でも近代ビル化していた。
終戦後間もなくの昭和二十年初頭開店で、別館もあると言いますから結構な老舗料理屋ですね。
折角だから珍しい「桜鍋」を頼むことにしました。
馬肉料理は何十年振りかな?昔熊本に行った時に確かアーケード街の近くの専門店で「世界一」とかいう馬肉料理を食べたことを覚えています。
江戸の吉原では遊郭で遊んだ旦那衆が帰りに、若しくは吉原に入る前に馬肉料理を食べて元気を付けたと伝聞されていますが、昨今ではいろんなドリンク剤、健康食品が溢れているから、何も馬肉に頼る必要も無いでしょう。よく商売が百年近くも続いているなーと思って、食べて見たら豚とも、牛とも、勿論鳥肉とも違うコクがあるけれどさっぱりした美味しい肉でした。矢張り美味しいから食べ続けられているのでしょうね。