【日時】2022.9.8.19:00~
【会場】銀座王子ホール
【演奏】アリーナ・イブラギモヴァ(Vn.)
【Profile】
バロック音楽から委嘱新作までピリオド楽器とモダン楽器の両方で演奏するアリーナ・イブラギモヴァは、2015年BBCプロムスでバッハ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータの2夜にわたる全曲演奏を行い、英ガーディアン紙は、この公演を「イブラギモヴァの演奏の臨場感と誠実さには、演奏家と聴衆の間に存在するいかなる距離感をも打ち破る興味深い能力が備わっている」と評価、彼女の名声をさらに高めた。21/22シーズンのハイライトは、ロイヤル・コンセルトヘボウ管、ロンドン響等との再演の他、マーラー・チェンバー・オーケストラにデビューする。これまでに、バイエルン放送交響楽団、ボストン交響楽団、ヨーロッパ室内管、エイジ・オブ・エンライトメント管等と共演、共演した指揮者には、ベルナルト・ハイティンク、サー・ジョン・エリオット・ガーディナー、ダニエル・ハーディング等がいる。室内楽でパートナーを組むセドリック・ティベルギアンとは、ウィグモア・ホール、ムジークフェライン等の他、ザルツブルク、オールドバラなどの音楽祭に出演。ロシア生まれ、メニューイン・スクールと王立音楽院で研鑽を積む。10年のロイヤル・フィルハーモニック協会のヤング・アーティスト賞、ボルレッティ=ブイトーニ・アワードを受賞。16年、大英帝国勲章MBEを授与される。ハイペリオン・レーベルで多数録音を行っており、19年にウラディミール・ユロフスキ指揮ロシア国立交響楽団とショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番&第2番を録音。最新の録音は、パガニーニの「24のカプリース」とメンデルスゾーンの「ヴァイオリン・ソナタ集」。使用楽器は、ゲオルク・フォン・オペルから貸与されたアンセルモ・ベローシィオ(c.1775年製)。
【曲目】
①ベリオ『 セクエンツァ Ⅷ』
②J.S.バッハ『無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004』
③ビーバー『ロザリオのソナタよりパッサカリア ト短調』
④バルトーク『無伴奏ヴァイオリン・ソナタ Sz117』
【演奏の模様】
イヴラギモヴァの演奏は、最近では、9月3日に都響をバックに、ブラームスの協奏曲を弾いたのを聞きました。その時の記録を参考まで、文末に(抜粋)掲載します。
今回は無伴奏の古楽と近・現代の曲の演奏なので、彼女の最も得意とするところでしょう。
①イタリアの現代音楽作曲家ルチアーノ・ベリオ(Luciano Berio, 1925~2003)が作曲した14曲の器楽曲(1声楽曲含む)ソロ作品群の内の八曲目のヴィオリン曲。
鋭い切れ味の良いイブラギモヴァの第一声が響き、次第にホール一杯2埋め尽くされます。これまたホールを埋め尽くした聴衆を覆い尽くしましたのです。
目をつぶって演奏を聴きいていると、あたかも、野原の夕暮れ時、ハラハラと散る枯葉の音を聞きながら、顕わになったスズメバチの巣から攻撃蜂が次々と警戒の威嚇飛行を続け、じっとしているうちにそれも収まり、将に日も沈み始める光景が浮かんできました。茜色に輝く西の空を見ていると、どこともなく夕餉の懐かしい煙が漂い始め、目の前を横切り帰宅を促している。
といったイメージを浮かべながら聴いていました。メロディよりテンポの変化、弓と弦の交歓の微妙な変化を楽しめる曲でした。
13、4分程度の曲。
②待っていました!これぞ彼女の真骨頂の演奏。バッハの無伴奏パルティータ。弦はガット弦でしょうか?イブラギモヴァの弾き放つ低い太い調べが、腹の底にズッシリ響いて来ます。結構速いテンポ。小節の最後の区切りは綺麗に揃った重音の和音が心地良く聞こえます。テーマが何回か繰り返された。
ここでバッハの無伴奏パルティータに関して若干の説明をしておきます。無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ全三曲は、バッハの無伴奏ヴァイオリン曲全六曲のうちの半分を占めます。三曲のパルティータに加え三曲のソナタで全六曲となるのです。パルティータとソナタは交互に配置されて、堂々たる大建築物のようなスケールの音楽であるとも言えるでしょう。
パルティータは舞曲による多楽章構成で、4楽章構成であるソナタとは、異なる世界を展開します。がっちりとした構造のソナタに対し、パルティータは自由に飛翔する浮遊物。大寺院建築物に例えれば、前者は寺院を支える太い石柱等の骨組み、後者はステンドグラスから太陽が寺院内部に漂わせる透過光の煌めき。バッハは、ソナタを厳として同じパターンで作曲したのに対し、パルティータは三曲とも全く違う形式で作曲しました。 ここで演奏された第二番のパルティータは、ヴァイオリンに最も演奏の可能性を広げるニ短調で書かれ、全6曲の作品の中でクライマックスとも言える「シャコンヌ」をメインに、圧倒的なスケールで繰り広げていきます。パルティータとしては、この曲が最もオーソドックスな造りであると言えるでしょう。
イブラギモヴァはややうつむき加減の態勢から力を込めて弓を上下しながら、この大好きなバッハの素晴らしい調べを堪能させて呉れました。
このパルティータはまずアルマンド、次にクーラント、そしてサラバンド、ジーグと、 4つの舞曲が続き、それから長大な第五曲目シャコンヌに到ります。シャコンヌのテーマ提示後はそれに続く30の変奏が延々と続きます。それまでの四舞曲をのみこみ、うねり、Sturm und Drangを経て、聴衆を希望や運命、永遠をも予感させる別次元にいざないます。その後この曲の後半、それまでニ短調で貫かれてきた無伴奏曲は、初めて長調に転じるのです。これ等を聴いて誰しも畏敬の念を禁じ得ないでしょう。イブラギモヴァの演奏は、将に人知を超えた大いなる存在を気付かせ、天の琴線に触れたとも思える演奏でした。
シャコンヌは言うに及ばず、サラバンドの丹念な演奏も印象的でした。
一方で同時に感じたことは、往年のハイフェッツの演奏録音などを聴くと、音質に随分潤いがあるのですが、それに比してやや乾いた音質かなとも思いました。これはガット弦であるためでしょうか?
③ビーバー『ロザリオのソナタよりパッサカリア ト短調』
ゆったりした旋律で開始、すぐに重音を響かせました。高音旋律に跳躍音の低音が入り、重音的な響きの時も有り、この曲にバッハへの影を見ました。
この曲は、チェコで生まれオーストリアで活躍したヴァイオリニスト兼作曲家ビーバー(1644年~1704年)の代表作の一つとして知られれます。彼はバッハの約40年前の人、コレッリの生きた時代にほぼ重なります。「ロザリオのソナタ集」では、スコルダトゥーラ(変則調弦)と呼ばれる調弦法が用いられています。スコルダトゥーラとは、演奏する曲目によって調弦を変える奏法のことで、かなり高度のテクニックを要します。イブラギモヴァはその辺は完全に身につけた技法に見受けられました。
ロザリオのソナタでは、最初の調弦で演奏出来るのは、第1番のソナタのみとなります。逆に言うと、これらの作品には特有の響きが存在することになり、「ロザリオのソナタ集」は、作曲者自身が優れたヴァイオリニストであったこともあり、かなり高度な技巧を要求しており、課題点を考慮した場合、この作品を十分に再現可能な演奏家は限られてくると思われます。イブラギモヴァの演奏は、あらゆる点からみて欠点が見い出せず、この楽器特有の明るい澄んだ音で再現しました。それゆえに場面によっては不気味な雰囲気が漂う時もありましたが、適度な暖かみを想起した旋律・和音が深味のある心地良い響きを醸し出していました。この曲をバッハの後に聴くと、後年バッハに影響を与えた可能性がると推定されます。
④バルトーク『無伴奏ヴァイオリン・ソナタSz117』
④-1シャコンヌの速さで
④-2フーガ
④- 3 メロディア,アダージオ
④-4プレスト
イブラギモヴァの第一声の調べを聴いて、あれー、かなりバッハに近い調べだなと思いました。この曲は初演者メニューインの委嘱によって書かれ、彼に献呈されています。当時バルトークは白血病による闘病生活を送っていたものの、メニューインの訪問に喜んだバルトークは同年11月に行われた演奏会にも足を運んだ。ここで自身のヴァイオリン・ソナタ第1番とJ.S.バッハの『無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番を採り上げたメニューインの演奏を、バルトークは後日友人宛の手紙で激賞しています。その後、メニューインから「無伴奏ヴァイオリンのための作品を書いてもらえないか」との依頼がありました。メニューイン曰く「初めはヴァイオリン協奏曲を頼もうと思っていたが、彼(バルトーク)の健康状態を考えてもう少し規模が小さいものにすることにした」と当時を回想しています。これを受けたバルトークは快諾し、1943年末から翌年3月まで周囲が彼の健康を考えて転地させていたノースカロライナ州アシュビルで書き上げました。作曲期間については「わずか数週間」と作曲者自身が述べています。
フーガでpizzicatoと弓動を交互にせわしなく速いテンポで弾くのはかなり難しそう。イブラギモヴァはド迫力で弾き切りました。
メロディアの最高音、ハーモニックス音はこの様な繊細な音を出せるとは(凄い)と思う程のものでした。
プレストの冒頭、速い単調な無窮動の調べを聴きながら「くまん蜂」を思い出しました。ピツィも弓や指を駆使してアクセントとなり重音もそこかしこに交えたハイ⁻テクの曲でした。
全体の演奏を聴いて、前9/3のコンチェルト演奏の時と一番異なるのは、当然ながら会場の広さです。イブラギモヴァの演奏には池袋藝劇は広過ぎた、音が十分広がらなかった、それで少し弱い様に感じられたのだと思います。それに対し今日の王子ホールは。イブラギモヴァの音を堪能するのに十分適した広さで、その迫力ある演奏と息使いまで客席の頭の上からシャワーの如く降り注ぎました。
若干30歳代のヴァイオリニストがここまで精進出来ているのは、天賦の才があるからでしょう。今後どのような発展を見せて呉れるか楽しみです。
2022.9.3.hukkats Roc(抜粋再掲)
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『都響+アリーナ・イブラギモヴァ』演奏会
【日時】2022.9.3.(土)14:00~
【会場】東京芸術劇場
【管弦楽】東京都交響楽団
【指揮】大野和士
【独奏】アリーナ・イブラギモヴァ(ヴァイオリン)
<Profile>
1985年9月28日生まれ、露(旧ソ連)・ポレフスコイ出身のヴァイオリニスト。4歳でヴァイオリンを始め、97年よりモスクワのメニューイン音楽学校で学ぶ。95年に家族共に英へ移住し、ユーディ・メニューイン・スクールと王立音楽院で研鑽を積む。国際コンクールで入賞を重ね、2002年にソロ活動を開始。バロック音楽から委嘱新作までピリオド楽器とモダン楽器の両方で演奏し、その演奏の多才さ、そして「臨場感と誠実さ」(ガーディアン紙)で高い評価を確立した。
2005年のザルツブルク・モーツァルト週間で注目され、2007年にCDデビュー。以来、ロンドン響ほかロイヤル・コンセルトヘボウ管、フィルハーモニー管との再演の他、マーラー・チェンバー・オーケストラとサンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団にデビュー。最近のシーズンでは、バイエルン放送響、ロンドン・フィル、ヨーロッパ室内管、スウェーデン放送響、エイジ・オブ・エンライトメント管、チューリッヒ・トーンハレ管等と共演ソリストとしての弾き振りではクレメラータ・バルティカ、エンシェント室内管とツアーを開催。セドリック・ティベルギアンとはウィグモアやシャンゼリゼ劇場などでのリサイタルや主要音楽祭に出演。日本ツアーも行なう。
【曲目】
①ブラームス『ヴァイオリン協奏曲ニ長調』
<曲目解説(主催者H.P.)>
1877年夏、ヴェルター湖畔の避暑地ペルチャッハの美しい自然の中で交響曲第2番を作曲したヨハネス・ブラームス(1833~97)は、翌1878年にもここを訪れて、ヴァイオリン協奏曲に取り掛かる。 2曲の大作交響曲を書き上げ、交響曲作家としての自信を得ていたブラームスは、協奏曲においてもシンフォニックな特質を求めていた。そのことは当初このヴァイオリン協奏曲がスケルツォを含む4楽章構成で構想されたことからも窺い知れるだろう。結局は伝統的な3楽章様式の作品となったのだったが、全体のがっしりした造型の中で独奏と管弦楽が密に絡みつつ重厚な響きを作り出すこの曲の作風には、ブラームスのめざす協奏曲のあり方がはっきりと示されている。彼の2曲のピアノ協奏曲はしばしば“ピアノ独奏付きの交響曲”と呼ばれているが、このヴァイオリン協奏曲もまた“ヴァイオリン独奏付きの交響曲”といってよい特質を持った作品である。
もちろんだからといって独奏が軽んじられているわけではない。それどころかこのヴァイオリン協奏曲は、ピアノ協奏曲と同様に、独奏者にとってはきわめて高難度の技量が要求される協奏曲となっている。シンフォニックな管弦楽に相対する独奏者には並外れた体力が必要とされるし、10度重音や三重音奏法をはじめとして随所に技巧的な難所が置かれていて、まさに演奏者に真のヴィルトゥオジティを求めた協奏曲なのだ。しかしながら、そうした要素が19世紀流行のヴィルトゥオーゾ様式の協奏曲のように技巧の華麗な誇示に向かうのではなく、音楽のシンフォニックな展開に結び付いた必然的な表現となっている点がブラームスらしいところである。
かかる技巧表現を織り込むにあたって、ブラームスは親友の名ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831~1907)に助言を求めた。独奏パートのスケッチの下の五線譜一段を空白にしたものをヨアヒムに送り、そこに訂正案を書いてもらう形でアドバイスを受けたという。
こうしてひととおり完成をみたヴァイオリン協奏曲は、1879年元日にライプツィヒでヨアヒムの独奏、ブラームスの指揮によって初演されたが、ヨアヒムはこの初演や続く各地での再演での演奏経験を踏まえた上でさらに細部の変更を提案、ブラームスもそれに沿って改訂の手を入れ、決定稿が仕上げられていくことになる。ヨアヒムの提案にブラームスが難色を示すというような場合ももちろんあって、全部の助言を受け入れたというわけではないが、いずれにしてもこの協奏曲の成立にあたってはヨアヒムがきわめて大きな役割を果たしたといえるだろう。
【演奏の模様】
今日の演奏会場は、横浜から一番遠い池袋。このところ東京文化会館に、続けて2回も遅刻してしまっているので、今日は、絶対遅刻出来ないと決心する必要がありました。若し遅刻したら、最初の演奏者、アリーナ・イブラギモヴァを聞き逃してしまうからです。これは、絶対あってはならないこと。めったにない来日演奏だからです。会場には1時間も前に着きました。
待ち時間の合間に、事前に予約しておいた別のチケットをボックスオフィスで発券したり、ラックにおいてあるこれからの演奏会チラシを選んだりしているうちに開場時刻になりました。
会場に入ってまず、観客が多いことが目に付きます。まだ開演まで、30分以上あるのに、座席の大方に観客が入り、トイレに行くのによこぎったホワイエにも多くの人がたむろしています。それが、開演直前になると、座席は満杯、超満員となりました。イブラギモヴァの前人気が如何に大きいかを物語っています。
時間になり登場したイブラギモヴァは、僅かに薄青色の反射光を帯びた黒いノースリーブのワンピース様ドレスを身につけています。思っていたより、上背はありそう。
①ブラームス『ヴァイオリン協奏曲』
①―1 第1楽章 アレグロ・ノン・トロッポ ニ長調
冒頭、大野都響の導入部では、弦楽の伸びやかなアンサンブルが如何にもブラームスらしい響きを持って広がって行きます。特に低音弦の響きが良い。Fl→Timp→弦と次々に音を繰り出し、弦楽アンサンブルが激しい曲相に変わるとそこに突然闖入、と言えるくらいの突然性で以てイブラギモヴァの力強いボウイングが入り、続く高音域の美しいテーマをなめらかに弾きました。彼女の演奏音は、思っていたより小さ目の感じがします。この2000人近く入る大ホールでは、これまで色々なヴァイオリニストの演奏を聴きました(最近では、レナ・ノイダウアー、竹澤恭子etc.)が、それらと比して決して大きい音とはいえません。
イブラギモヴァは、猫の様に背を丸めてしなやかに、体を前屈みにし、或いは身をよじり、感情を込めて弾いている様子。奏者は重厚なこの長い楽章(全体の半分近く)をカデンツア部も含め、かなりの力演で弾き切りました。カデンツァ部の最高音の調べと、オケが入る直前のピアニッシモで弾く、ささやく様な調べは、この様な演奏(勿論このコンチェルトの演奏では)は、聴いたことのない位微妙な弾き方をしていました。カデンツァに入り前のVn休止中のオケの演奏は、全体的にやや精彩を欠いていた。大野さんは、かなりオケを抑えぎみに指揮していたのでは?楽章最後のHr.もオケも抑制的に感じられました。
第一楽章のイブラギモヴァの演奏では、素直な音の響きが印象的でした。
①―2 第2楽章 アダージョ ヘ長調
管楽器が繊細な調べを立てる背景音を前に、オーボエ独奏が素晴らしく綺麗な主題を結構長く演奏、オーボエ協奏曲みたいと言われる所以です。次いで主題をイブラギモヴァが引き継ぎます。彼女のスタート時、テーマをまるで今にも切れそうな絹糸、と言うより切れそうな蜘蛛の糸で刺繍作品を紡ぎ出しているかの如き繊細な出音には、会場の大聴衆も固唾を飲んで聴いている様子でした。その後ヴァイオリン独奏は、曲を発展的に展開していきました。
次の中間部ではそれ以前とは対照的にやや不安を感じるアンサンブルに独奏ヴァイオリンと管弦アンサンブルは移り行き、でもかなり抒情的な曲相をイブラギモヴァは良く表現していたと思います。最後は第一主題を変奏で再現し、大野オケはほとんど静まるが如くで、イブラギモヴァの為すままに任せて寄り添っているといった感じでした。
①―3 第3楽章 アレグロ・ジョコーソ、マ・ノン・トロッポ・ヴィヴァーチェ ニ長調
冒頭からイブラギモヴァは弓の根元を使った強く弦をはじく奏法で、重音をかなり粗々しく響かせ、さらにブラームスがあちこちの曲で多用した、リズムに特徴ある民族音楽的要素に満ちた旋律をやや上品に表現しました。大野都響の合いの手は迫力ある全楽全奏で答えています。独奏ヴァイオリンは益々テンポを上げて低音から高音まで急速に変化する旋律を弓を大いに楽器上でうねらせ、それらを何回か繰り返してこの難演奏箇所を鮮やかなテクニックで乗り切って、最後はカデンツア的にこの曲のあらゆる要素をコンパクトに詰め込んだ曲最後の山場を見事乗り越えて終演、ソリスト=イブラギモヴァには、会場の大きな拍手が待ち構えていてました。(予想していたよりは、拍手喝采の爆発は小さいものだったかも知れない。)
何回かソロカーテンコールで、舞台↔袖を生き肝したイブラギモヴァでしたが、ソロアンコールはありませんでした。
全演奏を聴き終わって、一番印象に残ったのは矢張り今日の目玉、前半のイブラギモヴァのブラームス演奏です。古楽から古典派、ロマン派、近代音楽まで器用に弾きこなすという若くしてヴィルトゥオーソの域に達したかと謂われる程の音質・技量を身につけた演奏は、この有名なブラースのコンチェルトも見事に弾きこなしていたと言えるでしょう。
敢えて感じたことを言いますと、古来、名人と謳われるヴァイオリニストたちの様に大河の流れを感じるが如き堂々とした音の繰り出しがあれば、さらに素晴らしい演奏になると思いました。則ちワンフレーズ、ワンフレーズ毎にさらに魂を込めて、渾身の弾きを全曲を通して絶え間なく弾き続けられれば、鬼に金棒です。少し弾き急ぎの感も無きにしも非ず。弓の根元で力を込めて音を出す箇所では粗々しい力強さも見せましたが、全体的には天秤の測りはやや女性的演奏に傾くかなと思いました。オイストラフ、パールマン、アイザック・スターンのブラームスは、矢張り男性的な響きを感じます。現役女性ヴァイオリニストで男性的ブラームスの響きを感じるのは、日本では竹澤さんくらいかな?竹澤さんのブラームスコンチェルトは近年何回か聞いているので、今年3月の演奏会の記録を参考まで文末に抜粋で再掲して置きました。
それから少し気になったのは、【演奏の模様】一楽章の最後にもかきましたが、”素直な音の響き”です。
それはそれで綺麗な音を立てる演奏なのですが、ブラームスの演奏としてはやや物足りない気がするのです。最初から最後までイブラギモヴァの指使いをじっと見ていましたが、ヴィブラートを余りかけていなかった様にみえました。男性的な響きをだすヴァイオリニストは、長い音は無論のこと、短い音符でさえ、指を震わせて、ヴィブラートをかけています。それが少ないことが、さらに女性的演奏に輪をかけているのでは?強いて言えば、古楽の演奏の癖が、出てしまっているのではなかろうか?と邪推するのです。まーそんなことはないと思いますが。
11月に来日予定の五嶋みどりだったらどのような演奏になるのでしょうか?(尤も今回は、ベートーヴェンのみの演奏会の様です。ついでに、その中でドイツの現役作曲家デトレフ・グラナートのコンチェルト『不滅の恋人へ』(本邦初演)も聴くので楽しみです。)
この処ロシア仕込みのヴァイオリニストの演奏を、立て続けに聴きましたが、矢張り伝統とういうものは歴史がどう動こうと底流として滔々として流れているのですね。ロシアンヴァイオリニスト恐るべしかな。