HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『若林顯ピアノリサイタル』

 若林 顕ショパンを巡る旅(Vol 13)

 偉大なベートーヴェンの影から2020年度振替公演】

 

    表記のリサイタルは、年五回のリサイタルを三年に渡って計15回行う計画だったものが、2020年度分はコロナ禍の為延期となり、今年5月から再開されました。前回12回目の公演は、7月下旬の第4波が収まりつつあった時期で、緊急事態宣言も解除されたので予定通り催行されたのですが、今回13回目は強力な感染の第5波蔓延により、緊急事態宣言中なので、またまた延期かも知れないと思っていましたが、予定通りやるということでした。

【日時】 2021.9.17.(金) 19:30~

【会場】横浜市戸塚区民文化センター

【曲目】

①ワルツ 第1番 「華麗なる大ワルツ」変ホ長調 op.18

 

②ピアノ・ソナタ  第1番 ハ短調op. 4

 

③2つのノクターン 第11番(ト短調)・第12番 (ト長調)op.37

 

④3つのマズルカOp56 第33番(ロ長調)第34番(ハ長調)35番 (ハ長調)

 

⑤スケルツォ 第3番 嬰ハ短調 op.39

 

【Profile】

若林 顕(ピアノ) Akira Wakabayashi

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日本を代表するヴィルトゥオーゾ・ピアニスト。ベルリン芸術大学などで研鑽を積む。20歳でブゾーニ国際ピアノ・コンクール第2位、22歳でエリーザベト王妃国際コンクール第2位の快挙を果たし、一躍脚光を浴びた。その後N響やベルリン響、サンクトペテルブルク響といった国内外の名門オーケストラやロジェストヴェンスキーら巨匠との共演、国内外での室内楽やソロ・リサイタル等、現在に至るまで常に第一線で活躍し続けている。

リリースした多くCDがレコード芸術・特選盤となり、極めて高い評価を受け続けている。2014年、2016年のサントリーホール(大ホール)に続き、2020年11月には4年ぶりのソロ・リサイタルを東京芸術劇場コンサートで行い、「ポリーニのショパン・エチュードのCD帯にあった『これ以上何がお望みですか』ではないが若林の技巧も然り。感服した」(「音楽の友」上田弘子氏)、

「こういうピアニストが居たんだ、日本にも。胸に沁んでゆくその想いは、アンコールの最後まで尽きることなく湧き上がった。日本にも、という言い方は正しくない。思い浮かべ得たのは A・シフくらいだろうか。」(「Mercure des Arts」丘山万里子氏)と評された。

 

【演奏の模様】

 今回は「偉大なベートーヴェンの影から」という副題が付いていて、幾つかの演奏曲にそのことが感じ取られました。順序は前後しますが、先ず ②ピアノ・ソナタ第1番Op.4  この曲は1828年ワルシャワ音楽院在学中の18歳時の作品です。    

それに比し今回演奏は有りませんでしたが、有名な葬送行進曲付きソナタ2番(以下葬送と略記)は、1839年10年位後フランスに出て来てからの作品です。冒頭のメロディを初めて聴いただけでも、あ、これはショパンの曲だ!とすぐ分かるショパンの特性(仮にこれを「ショパン香」とでも呼びましょうか)が感じ取れます。(以下第二楽章の旋律も第三楽章のいわゆる「葬送行進曲」も四楽章の速いパッセージもショパン香が芬々とします。) それに対し、②1番のソナタは、          

②の1楽章を何も予備知識が無く聴いたとしたら、ショパンの曲とは思わないかも知れません。「ベートーヴェンの曲」とウソをついても「あーそうか。でもそうかな?こんな曲あったかな?」と言う人もいるかも? 要するに、ショパンの香りが全然ない訳では有りませんが薄い。この時、ベートーヴェンは58歳(生きていればの話)です。死の翌年です。この時期ショパンは1927年から1929年8月までの3年間、ワルシャワ音楽院で音楽理論や作曲の勉強等に励んでいたので、当然ベートーヴェンのピアノ・ソナタ、特に「傑作の森」とロマン・ロランをして語らせた曲群中の、ピアノ・ソナタ23~27番を知らない訳がなくいろいろと学んだ筈で、ベートーヴェンの死と共に、満を持して発表したのが自分のピアノ・ソナタ1番ではなかったかと思われるのです(若林さんの冒頭のトークではそういうことは言っていませんでしたが。) こうしたことを考え合わせると、ソナタ1番の第一楽章を聴いてベートーヴェンの影を感じるものです。右手のメロディの活躍に左手の音符の動きが隠れて、やや退屈な楽章とも思われるかも知れませんが、ショパンの早熟ともいえる才能は感じ取られました。                                       ②-2 軽快なメヌエット、素朴なメロディです。ショパン香は余り漂ってこない。         ②-3 ゆっくりと流れる調べ、少ししてのクネクネクネとせり上がるパッセージは、あれベートーヴェンの何のメロディだったかな?確かあったな?と思わせる程。
でも若林さんの演奏は音も綺麗だし、ppも繊細で良かったですよ。 

②-4 最初から非常な速い速度で強打の連続、一旦速度を緩めても、再び元に戻り、若林さんは渾身の力を込めて鍵盤を上下に縦横無尽に動かしていました。この辺りはベートーヴェの中期ソナタに列してもいい程の楽章と思いました。

 この頃は、ショパンは自分らしいショパン香をまだ合成に成功していない時期なのでしょうか。因みにソナタ1番を発表した年の(多分冬休み中か?)ベルリンに知人に同行して音楽の見分を広げるのです。その帰路立ち寄ったある公国の総督(チェロを演奏)と子女(ピアノを演奏)が演奏するための「序奏と華麗なるポロネーズ」を作曲しているのです。この曲を聴いてみると、チェロの伴奏のピアノ部分で、ショパン香のする箇所が幾つかアルナーといった感じでした。この辺から発展してショパンは自分独自の旋律、リズムの世界を築いていったのではないでしょうか。そのスピードは驚く程の速さで、翌1829年には、華麗なウィーン・デヴューを果たし、同年末には「ピアノ協奏曲2番」を初演、さらに翌年1830年春には『ピアノ協奏曲1番』を初演したのです。これ等は言うまでもなくショパンの代表曲で、ショパン固有のショパンらしさに溢れた曲です。でもよく考えると、ショパンの小曲やポロネーズ、ノックターン、マズルカ、バラード、スケルツォ、エチュードなどなどに見られるショパン香とは若干異なるかも知れません。                                      さて、順番は前後しましたが、最初の                      ①ワルツ『華麗なる大円舞曲』についてです。この曲は最初の曲だったせいなのか、若林さんの演奏は、立ちあがりの良く聞き慣れたリズム感のある調べのところで、右手と左手の調和が今一つしっくりしない、ばらばら感がありました。ゆっくりと弾いた箇所も堂々とした感じが余り感じない、高音部分は非常に綺麗な音に聞えましたけれど。

③2つのノクターン 第11番・第12番 op.37              

これらは1839年、ショパン29歳の時の作品です。ノックターンは全21曲作曲されていて、ショパン中期のものと言えます。先ず11番、この短調の曲を若林さんは、非常に哀愁を帯びた風情を良く出して弾いていました。あたかもショパンがパリから(この年はマジョルカ島だったかな?)遠く離れた故郷ポーランドの地に思いを馳せて弾いているが如く。 次の曲12番は、少しテンポが速くなり、転調を繰返して 長調→短調の変奏曲を、若林さんは、暗い曲想にならないように長調として纏めていました。

 ここのノックターンに至って、やっと通常の本格的なショパンの曲が聴けた感がしました。

④3つのマズルカ  第33番(ロ長調)、第34番(ハ長調)、第35番(ハ短調) op.56について                               

 この曲は1843年頃作曲、全部で57曲とも58曲とも謂われるショパンのマズルカでは中期の作品です。この三つのマズルカは作品63として発表されました。「英雄ポロネーズ」や「スケルツォ4番」とほぼ近い頃。

33番では若林さんは、軽快にスタートすぐに曲想がキラキラ感のある調べに変わり、これらの変奏が繰り返されて後半はかなり速い速度の音を立てこれらを精力的に連綿と続け最後、ジャーン、ジャーンと終了。                           34番は最初相当強い調子で弾き始め、同じ調べが2~3回は繰り返されて、回転するか何かの踊りを表現、和音も揃った美しい曲に仕上げられました(。33番の続きの曲の感も無きにしもあらず。)                                             

35番のマズルカは、ゆったりとした感じのいい短調で、若林さんは表情豊かな曲想で心に滲みる音として表現していました。実際どんな舞曲が当て嵌まるのでしょう?
 ここのマズルカも、疑いもなくショパン香の匂い漂う曲達でした。

⑤スケルツォ 第3番 Op.39                          この曲の演奏は圧巻でした。最初から力強いタッチで、ショパン特有のリズムの変化部分も、男性ピアニストらしい素晴らしい力演でした。この最後の曲の演奏が、この日最高の出来だったと思います。(個人的にはスケルツォ2番が一番好きですけれど、3番も仲々いいなと再認識。)

 予定曲をすべて聴き終わって、少し疑問が残ったのは、ソナタ2番はともかくその他の曲がどの様に「ベートーヴェンの影を手にしているのか」分からなかったことです。(御免なさい、最近オペラ『ホフマン物語』でジュリエッタがホフマンの「影を求める」という表現がある事を知り、成程そういうこともあり得るなと感心していたので)                                  尚、最後にアンコール曲一曲が演奏されました。『ラフマニノフ前奏曲集第4番ニ長調Op23-4』。ショパンを思わす様なしっとりとしたいい曲でした。ラフマニノフはショパンの『24の前奏曲」を念頭に置いて多くの変奏曲も作っているのですね。

 ここで前奏曲集とあるのは、ラフマニノフが別々に作曲したA「10の前奏曲」+B「13の前奏曲」+C「前奏曲嬰ハ短調」を合わせて「24の前奏曲」として曲集を組んでいるのです。「第4番ニ長調Op23-4」とは、Aの「10の前奏曲」の第4番目の曲です。                

 ショパンの24の前奏曲は元をただせば、バッハの『平均律クラヴィール曲集』の前奏曲に遡れます。その後多くの作曲家(特にピアノ音楽中心の作曲家)が『24の前奏曲』を作っています。ラフマニノフ然り、スクリャービン然り、これは12音階の長・短合わせた24音階で曲を作ってみたくなるのでしょう。バッハとショパンの前奏曲の比較演奏会を大分以前に聴きに行った事があるので、参考までその記録を文末に掲載しておきました。

 

 今年は、ショパンコンクールの年、日本からは予備審査を通過した13名と予備審査免除の牛田さんを合わせた14人のピアニストが、10月4日からの第一次予選に出場予定です。

 コンクールの前に、何人かの参加者がリサイタルを開くというので、聴きたいと考えてチケットを手配しましたが、取れませんでした。抽選とか売り切れとかで。

 若し誰かコンクールに入賞したら、その凱旋公演のチケットは益々取りにくくなるでしょうね。

 参加者の皆さんのご検討を祈ります。

 

 

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2018.6.2付.hukkats記事『寺田悦子ピアノリサイタル』鑑賞

 6月初めバッハとショパンの24の前奏曲を聴いて来ました(6/2寺田悦子リサイタル、使用ピアノShigeru Kawai、atカワイ表参道)。ショパンの『24の前奏曲op2』の第13番から24番までの12曲と、それらと同じ調号を持つバッハの『平均律クラヴィール曲集第1巻(一部は2巻)』の前奏曲(Hugaを除く)12曲とを、交互に続けて演奏するという試みの演奏会でした。ご存知の方も多いと思いますが、バッハはハ長調から始めて同主調の長短2曲を半音づつ上げた調号で次々と作曲し、都合12(音)×2(長、短)=24曲作ったのです。それに対しショパンはバッハを参考にしながらも、独自の順番で前奏曲を作曲しました。即ちハ長調からのスタートは同じですが、次に同じ調号を持つ短調(平行調、この場合イ短調)の曲を作り、三番目はハ長調の音階と5度の音程を形成する属調(ト長調)の曲をという様に、平行調、属調を繰り返して24曲作曲したのです。演奏時間の都合なのかどうか今回はバッハのHugaを割愛し、ショパンの後半の12曲(13番~24番)に合わせた(同じ調号の)バッハの前奏曲中Preludeのみを、バッハ⇒ショパンの順に演奏されました。実は事前に音楽ソフト(バッハはグールド、ショパンはティベルギアン)で演奏曲目を順になぞって聴いてみたのですが、その時の印象は、「バッハとショパンのPreludeは、音は同じ音階に聴こえるが、曲としての響きは全く違ったもの!これをどのように関係付けるのだろう?関係付けられるものではないのでは?」というものでした。ところが最初の演奏、Prelude 13番嬰へ長調のバッハに続いてショパンの13番を聴いた途端、その疑念は消えました。何となめらかな曲の移行なのだろう!!まるで同じ作曲家の一つの曲を聴いているが如き自然でスムーズな流れなのです。次々と調号を変えて演奏されるPreludeはどれもこれも不自然さが無い。驚きと共に感動しましたね。よくよく考えてみると、事前のCDではグールドの個性的なノン・レガート奏法のバッハと、別人の演奏するショパン演奏では違って聴こえるたが当たり前、同じピアニストが纏まりのある曲想で通して演奏すれば見事一つの曲になるのだなーと感心した次第です。12曲のうち奇数番は長調で、特にショパンのPrelude13 ,17, 19, 21各番の長調は比較的ゆったりとした穏やで清明な曲でバッハの前奏はそれらを引き立てていた。15番のショパンは有名な「雨だれ」ですが、第一部の穏やかさと転調後の第二部の激しさ、穏やかさに戻る第三部を通して続く反復背景音、ショパンが24の前奏曲を完成させた雨期のマヨルカ島で、ジョルジュ・サンドが名付けたという「雨だれ」、これを聴いてふっとGigliola Cinquettiが歌う「雨」を思い出しました。全く関係ないですが。伴奏の反復音のせいかな?(実は昨秋最後の日本公演を聴きに行ったこともあって) 話を戻しますと、アンコールは9番ホ長調でした。これはバッハもショパンも同番号で同調号です。全体を通して同番号で同調号の曲は、1番(ハ長調)5番(ニ長調)9番(ホ長調)13番(嬰ヘ長調)17番(変イ長調)21番(変ロ長調)の何れも長調の曲です。ここで気付くことはこれらの番号は四つ間隔で現われるということ。別なルールで作曲した二人の曲の調号に、数学的な規則性が現れるのも平均律のマジックでしょうか?全体を通して大変面白く聴きがいのある公演でした。(個人的には最初の演奏『ショパン/ノクターンヘ長調op.15-1』が、表現力も音楽性も素晴らしく一番良かったと思いました。)