HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

デジタルリマスター版映画『田舎祭司の日記』鑑賞

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 1936年に出版されたジョルジュ・ベルナノスの小説(大賞受賞)をもとに、1950年代に映画監督ロベール・ブレッソンが映画化した表記の作品が、デジタル処理されたリメイク版として今年初めてわが国で公開され、今回は主として名画と呼ばれる作品を上映している「横浜ジャック&ベティ」において、8月末から9月第2週までの二週間上映されることを知り、都合をつけて観てきました。この作品は戦後フランスのヌーヴェルバーク映画運動に少なからず影響を与えた作品として知られていましたが、わが国ではこれまで劇場公開されることはなく、70 年を経た今年初めて公開されたものです。以下にプロモーション作品紹介を転載します。

製作から70年を経て劇場初公開!
映画史に残る数々の名作を生み出したロベール・ブレッソン。『罪の天使たち』(1943)、『ブローニュの森の貴婦人たち』(1945)に続く長編第3作目にあたる本作は、ブレッソン作品を特徴づける、職業俳優を排して素人を起用し、音楽やカメラの動きなども含めたいわゆる「演出」を削ぎ落としていくスタイル—監督自らが「シネマトグラフ」と呼ぶ手法—を確立した作品だ。原作はのちに『少女ムシェット』(1967)でも取り上げるカトリック作家ジョルジュ・ベルナノスによる同名小説。公開当時ゴダールやトリュフォーを魅了し、『タクシー・ドライバー』(1976年)や『魂のゆくえ』(2017)などその後の多くの作品に影響を与えたと言われる伝説的な作品である。

 

【製作国】フランス
【鑑賞日時】2021.9.4.(土)13:25~
【上映館】横浜 Jack & Betty

【上映時間】115分

【監督】ロベール・ブレッソン
【脚本】ロベール・ブレッソン
【原作】ジョルジュ・ベルナノス
【出演】クロード・レデュ アルマン・ギベール ジャン・リヴィエール ニコル・ラドラミル マリ=モニーク・マイケル・バルペトレ

【粗筋】

20世紀初頭のフランス。北フランス・アルトワ地方の寒村アンブリクールが舞台です。ここの村に若い司祭が赴任してくる。当時のカトリック教会は、行政の地域区分である県や市、村それぞれに県知事や市町村長がおり、同様に最小単位の小教区には、教会が一つがあって、司祭が赴任していて、カトリック信者の信仰を守り、ミサ等の儀式を行う形態を取っていました。この小教区に赴任した主人公の若い司祭は、信者たち(信者と言っても村民のほとんどが信者ですが)、このアルトワの人々になかなか受け入れてもらえない。カトリック教会では公教要理という子供たちに信仰を教える時もあるのですが、その際にも女の子にバカにされたりする。彼が敬愛しているトルシーの司祭に相談しても、信者たちに受け入れられる様に慎重に行動することを忠告されるだけでした。

でも彼はそれに従わないのです、というより、すんなり従えないのです。あまりに真面目で真直ぐな性格だからでしょうか?
 それに不運なことに彼はかなり以前から胃の具合が悪く、パンと砂糖と(節約のため低質な安い)赤ワインしかのどが通らない。アル中の家系的遺伝の影響もある様です。 トルシーの司祭に勧められて彼の友人の引退医師デルバンドの診察を受けます。デルバンドは他の人々とはちょっと違う人間です。「彼には衛生観念がない」との噂が広まり、患者を失っていた。そんなデルバンドが自殺とも思える猟銃での事故死をとげ、司祭は動転しました。村の名士の伯爵は愛人のマドモワゼル・ルイーズを娘シャンタル(上記写真の女の子)の家庭教師に雇っていて、そんな伯爵は真面目一本の彼をあまり良く思いません。この娘シャンタルは母親を憎んでいるのだけれど、母親(伯爵夫人)は息子を幼くして失って絶望し、それゆえに神を信じることができなくなっていています。ある日この伯爵夫人との会話で司祭は夫人に再び信仰を持たすことに成功する。この場面が原作を読んでいると小説の山場なのだけれど、映画ではちょっとあっけない感じがした。何も上手くいかずに思い悩む若い司祭は、このことで初めて少し達成の喜びを感じるのだけれど、その晩夫人は心臓発作で死んでしまう。娘シャンタルが2人の会話の一部を聞いていて、夫人を心理的に追い詰めたとか、アル中らしいという噂もあって、司祭は益々評判が悪くなっていくのです。

そんな状況下で司祭は信仰さえも一時、疑問に感じ、少なくとも自分の余りの無力さ故に懐疑的にもなっていくのです。ある晩大量の吐血をしたこともあって、司祭は詳しい診察を受けるために教区を後にし、地方の大都市リールへ向かうことになりました。駅に向かう彼は、外人部隊を指揮しているというシャンタルの従兄弟に出会い、バイクで駅まで送ってもらいます。高速で走るバイクの後部座席で風を受けながら、司祭はこれまで彼の知ろうとしてこなかった生きる喜びを感じたのです。しかしリールで受けた診察の結果、結核だと思っていた彼が知らされたのは胃癌で余命も長くないということだった。帰路の途中神学校時代の友人で今は還俗して女性と暮らすデュフルティーの家に寄ったのですが、司祭はそこで大量の吐血をして倒れてしまい、友人に見守られて死ぬのですが、彼が友人の耳元で最後に語った言葉は「それがどうした。すべては神の恩寵だ」ということでした。こうした経緯を友人はトルシーの司祭に書き送ってやるのでした。

【感想】

 映画の内容に関して、全然予備知識なしに見に行ったのですが、トップの写真には若い司祭と、これまた若い品のいい美人女性がそろって映っているので、神の僕(しもべ)である筈の聖職者が、若い女性の僕になってしまう、恋愛が絡んだ作品かと思っていたのです。ところがそれはお門違いでした。この若い女性というより小娘は、以外と性格が悪くてきつくて、家族を皆んな憎んでいて、司祭に対してまで激しい憎悪の感情を見せる(映画の一説によれば ❝悪魔の様❞な人柄だったのです。)これには驚き、以外でした。

 純粋に単純に信仰を守り、自らの努力で村人たちを信仰へ導きたらんとするも、すべてうまくいかず逆にその努力が誤解されて、信用を失ってしまいます。こうした無駄な努力は、多大を傷つけ合うだけだということを、司祭はもっと早く気付くべきなのに、信仰一筋、まっしぐらに突進して、自滅してしまうのでした。その結末には胃がんによる死が待っていた訳ですが、最後の言葉が ❝それがどうした。すべては神の恩寵だ❞だというのですが、これは様々に解釈が出来て、原本の小説家と脚本&監督のブレッソンと映画を見た観客一人ひとり、百人いれば百人のひょうかが異なるような気がします。当時(20世紀初頭)の社会情勢、宗教観念、村の人々の生活感情を掘り下げて理解してからでないと、拡散した評価は収斂しないのではなかろうかと思いました。

 ただこの映画は従前と違って、主人公の祭司は素人から抜擢された映画業界の先入観に汚染されていないキャストなので、新鮮さと共に純粋さに溢れた演技が光っており、ヌーヴェルバーグ派の賞賛を浴びる作品となったのです。