表記のフェスティバルは、世界の名だたる劇場のトップダンサー、バレリーナが東京に一堂に会し、その素晴らしい技倆を披露するという三年に一回開かれる企画で、今回で16回目を迎えます。今回は、緊急事態宣言下という非常に厳しい状況のもとで開催されたもので、以下の主宰者の宣言に、その開催の決意と意義がみてとれます。
(NBS)
名門バレエ団で活躍するトップダンサーだけを厳選して招き、3年に1度東京で開催する〈世界バレエフェスティバル〉は、伝統と実績において名実ともに世界最高のガラ・パフォーマンスとして国際的に名を馳せています。
〈世界バレエフェスティバル〉が初めて開催された1976年当時、有名バレエ団のスターが国や所属バレエ団を超えて一堂に会するのは稀なことでした。英国のマーゴ・フォンティーン、ロシアのマイヤ・プリセツカヤ、キューバのアリシア・アロンソという3大プリマが同じ舞台に立つ。そのこと自体が衝撃として大きなニュースになったのです。 その後ジョルジュ・ドン、パトリック・デュポン、シルヴィ・ギエム、アレッサンドラ・フェリ、マニュエル・ルグリ、ウラジーミル・マラーホフといった新たなスターたちが加わり、最高峰のスターたちが誇りと意地をかけて至芸を競う〈世界バレエフェスティバル〉は、開催のたび熱狂と興奮のるつぼと化しました。 また各国トップのバレエ団の代表でもある出演者たちは、さまざまな芸術的背景をもち、彼らが披露するバラエティに富んだ作品やスタイルが、そのまま国際的なバレエの縮図として見えてきます。〈世界バレエフェスティバル〉を観れば、バレエ界の“いま”を肌で感じることができるのです。 こうしてさまざまな伝説をつむぎながら、20世紀から21世紀へと時代を駆け抜けてきた〈世界バレエフェスティバル〉ですが、今回、あらゆる分野の舞台芸術と同様に、コロナ禍という試練に立たされています。
しかしこの一年、NBSのもとには、バレエ公演をご覧になったお客さまから「不安な時代だからこそ舞台を深く楽しめた」という声が多く届けられています。そう、このような時期だからこそ、私たちは皆さまに〈世界バレエフェスティバル〉をお届けしたいと思います。肉体と精神の躍動が、まばゆいばかりの輝きを放つ、最高の心の糧を心ゆくまでお楽しみください。
またフェスティバルのH.P.に掲載された特別寄稿を参考まで転載します。
特別寄稿 〈世界バレエフェスティバル〉に寄せて
植田景子(宝塚歌劇団・演出家)
〈世界バレエフェスティバル〉は、バレエ・ファンにとっては言わずもがなのバレエ界最高峰の"祭典"ですが、これをきっかけにバレエの虜になったという方も多いようです。今夏の開催に向けて、さまざまな分野の方から〈世界バレエフェスティバル〉との関わりや思いを寄せていただきます。1回目は、宝塚歌劇団初の女性演出家として活躍する植田景子さんです。
学びと気づきだらけの公演は、世界の一流の芸術に触れられる楽しみ以上の貴重な機会
奈良の田舎で、舞台とは全く無縁に育った私が、10代の時、宝塚歌劇に出会い、その舞台を創る人になろうと決意し、そのために、色々な舞台を観て勉強せねばと、本格的にバレエを見始めたのは、20代になってからでした。海外のバレエも作品も何も知らなかった私が、1994年春、ハンブルク・バレエ団来日公演を観て心奪われ、人生が変わりました。敬愛するジョン・ノイマイヤー氏の仕事を間近で見たくて、2003-2004年度の文化庁新進芸術家海外研修制度でハンブルク・バレエ団に留学。その時のご縁が公私共に今に繋がり、私にとって、バレエの世界から与えて頂いたものの大きさは計り知れません。こうして今、日本が世界に誇る〈世界バレエフェスティバル〉について書かせて頂けること、心から光栄に感じています。
初めて観た〈世界バレエフェスティバル〉は1994年。 当時、20代だった私は、観劇した舞台は全て、勉強の為に観劇ノートを書いていました。それを読むと、マリシア・ハイデとリチャード・クラガンが踊った世界初演『あなたに逢うまでの百日』(デ・オリベイラ振付)が良かったと、その感動が延々と綴られています。アレッサンドラ・フェリとウラジーミル・マラーホフの『マノン』、シルヴィ・ギエム、パトリック・デュポン......若いバレエ・ファンの方にとっては、伝説のようなスターダンサーたちの競演。今にして思うと、バレエ入門中の時期に、このような贅沢な舞台が観られたのは、本当に幸運なことでした。その次の1997年には、ハンブルク・バレエ団のロイド・リギンズとアンナ・ポリカルポヴァが踊るノイマイヤー振付『カルメン』が観られた喜びと、バリ・オペラ座のマニュエル・ルグリとモニク・ルディエールが踊った『椿姫』が、ハンブルクのダンサーとは印象が違うと書いています。その頃の私にとって、このような公演が観られることは、楽しみ以上の、世界の一流の芸術に触れられる貴重な機会。学びと気付きだらけで、宝塚の演出助手の安月給の身には少々、高いチケットでも、どんなに忙しくても、絶対に見に行くぞ!と、3年に一度の夏を心待ちにしていました。
その時代時代に、世界の旬のダンサーたちが日本に会し、クラシックからコンテンポラリー、時には、この機会にしか見られない新作まであり、〈世界バレエフェスティバル〉の歴史は、まさに世界のバレエ史を映し出すと言っても過言ではない唯一無二の祭典。その歴史の中でも、この夏は、特別な意味を持つ公演になると思います。
私事で恐縮ですが、この5月のゴールデンウィークに開幕予定の自作の公演が中止になりました。コロナ禍の今、同じ辛い想いをしている人が沢山いて、やむを得ないことだと言い聞かせながら、行き場のない悔しさに泣くことすら出来ず......。そして、この原稿を書くために、昔の〈世界バレエフェスティバル〉のプログラムを眺めているうち、わけもなく涙が溢れ出しました。この涙は何だろうと思いつつ、これまでに出会った素晴らしい舞台から、どれほどの人生の豊かさを与えてもらったか、そして今、世界中のアーティスト達が舞台に立てずにどんな想いでいるか、様々な感情が胸に去来し、心の底から、今夏の〈世界バレエフェスティバル〉の成功を願わずにはいられません。主催者の方々の尽力と覚悟に敬意を表し、この祭典が、バレエを愛する人々の希望の光となりますよう、祈りを込めて......。植田景子(宝塚歌劇団・演出家)
植田景子略歴
1994年宝塚歌劇団入団。1998年宝塚歌劇団初の女性演出家としてデビュー。大劇場デビュー作は2000年『~夢と孤独の果てに~ルートヴィヒII世』。2018年度エイボン女性年度賞芸術賞受賞。最新作は「バレエ・リュス」の史実に着想を得たミュージカル『Hotel Svizra House ホテル スヴィッツラ ハウス』(宙組公演、2021年4月)。著書に「Can you Dream? -夢を生きる-」がある。
【公演日時】(公演二日目鑑賞)8月14日(土)14:00~
【会場】東京文化会館大ホール
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
【指揮】ワレリー・オブジャニコフ、ロベルタス・セルヴェニカス
【出演】
《女性舞踊手》
①アマンディーヌ・アルビッソン
Amandine Albisson
(パリ・オペラ座バレエ団)
②マリーヤ・アレクサンドロワ
Maria Alexandrova
(ボリショイ・バレエ)
③エリサ・バデネス
Elisa Badenes
(シュツットガルト・バレエ団)
④アレッサンドラ・フェリ
Alessandra Ferri
(英国ロイヤル・バレエ団/アメリカン・バレエ・シアター)
特別インタビュー(2)アレッサンドラ・フェリ
〈世界バレエフェスティバル〉出演ダンサーのインタビュー・シリーズ、2回目はアレッサンドラ・フェリ。ロンドン在住の實川絢子さんによるインタビューです。
(度重なるロックダウンに劇場閉鎖と、ダンス界にとっても前代未聞の一年となりました。)
フェリ : 自分自身と向き合う時間がたっぷりありました。種をまいた後、冬の間雪の下にはちゃんと命が育っているように、この困難な日々からも何か独創的なものが生まれてくるはず、そう思いながら過ごしてきました。一方、日々のレッスンを続ける努力をしても、やはり以前とまったく同じというわけにはいかないので、身体のコンディションに関しては不安もありました。そんな時に私を救ってくれたのが、バレエという厳格な規律でした。どんなに落ち込んでいる時でも、起きてすぐ何も考えずにレッスンをすることで、世界は止まっていないんだと実感することができました。このことが、世界中のダンサーを救ったのではないでしょうか。オンラインレッスン等を通じて、ダンスコミュニティが団結したことも、素晴らしいことでした。
でも、私の一年間のスケジュールは見事に白紙になってしまいました。バレエ団に所属していない私にとっては、キャンセルされた公演は二度と戻ってきません。もう20代でない私にとって、今出来なければ、もう永遠に起こり得ないかもしれない。その事実を受け入れるのは、なかなか辛いことです。
そんな中で、また自由が戻ってきたら何をしたいかじっくり考えた結果、二つの新しいプロジェクトに挑戦し始めました。一つ目は、私自身がプロデュースするベジャール振付の『L'Heure Exquise(恍惚の時)』という作品。台詞が多い役のため、ロックダウン中からボイストレーニングを始めています。もう一つは、教えること。昔は想像もつきませんでしたが、これまで培った経験と知識のすべてを与えシェアすることは、本当に素晴らしいことだと気づきました。
(世界バレエフェスティバル〉には、1985年から前回の2018年まで、これまでに6回出演されています。初出演の第4回は、ジョルジュ・ドンやカルラ・フラッチなど、錚々たる顔ぶれでした。)
フェリ : 初出演した当時はインターネットもなく、本の中の写真でしか見ることができなかった名だたるダンサーの舞台を目の当たりにできて、夢のようでした。
正直なところ、〈世界バレエフェスティバル〉は、観客よりもむしろ、出演者が楽しむためのイベントなのでは、と思う時すらあります(笑)。普段目にするのとは違う踊り方や、めったに観られない作品に出合える貴重な機会であり、出演者同士が親しくなって皆で支え合える、本当に特別なイベントです。
私は何年にもわたって出演させていただき、さまざまな世代のダンサーと、その移り変わりを見てきました。それはまるで、ダンスの歴史を間近で目撃してきたようなものです。最年少で出演した私が、いつの間にか最年長のバレリーナになっていましたが、前回も22歳で出演したときと同じくらいワクワクしましたね。
1994年、第7回世界バレエフェスティバルより
『ロミオとジュリエット』(マキシミリアーノ・グエラと)
Photo: Kiyonori Kasegawa
(舞台復帰されて8年、ダンスに対する今の思いや今後の展望をお聞かせください。)
フェリ : ダンスは私にとって、私という人間の魂を表現するための言語です。当然、私の身体は以前とは違います。どんなにトレーニングをしても、取り戻せない部分があるのは事実。でもダンスは、それ以上のものです。ダンスは人生であり、人生がダンスになります。
今の私が選ぶ作品は、年齢も、何も隠す必要のない、私のこれまでの人生経験を伝えられる作品。そんな作品を通して、人生をあらゆる形で、あらゆる側面から祝福したいと思っています。歳を重ねると、人としてより深みを増し、ある意味強くもなりますが、同時に脆くもなります。私はそれをすべて見せたいし、人間のそういった部分を恥じて隠したくはないんです。
将来については、特にプランは立てていません。このパンデミックは、私たちにプランを立てず、今いる場所、今できることに集中することの大切さを教えてくれたと思います。もちろん、お客さまに何かを与えられると思う限り、踊り続けたいとは思っていますが。
第15回世界バレエフェスティバル(2018年)より
『オネーギン』パ・ド・ドゥ(マルセロ・ゴメスと)
Photo: Kiyonori Hasegawa
(最後にファンの皆様へ一言お願いします。)
フェリ : この夏、皆さまとあの素晴らしいイベントを共有できるなら、それだけで私は感激してしまうと思います。それはきっと、幸福感と希望に満ちたダンスの祝祭になるでしょう。このフェスティバルは、私たち皆が愛するものの祝祭ですから、ぜひ一緒に新たな始まりを祝いましょう!
實川絢子(在ロンドン 舞踊ライター)
⑤ドロテ・ジルベール
Dorothée Gilbert
(パリ・オペラ座バレエ団)
〈インタヴュー〉
インタビュー・シリーズ3回目はパリ・オペラ座バレエ団のドロテ・ジルベール。パートナーシップや、彼女が熱意を傾けることなどについて、パリ在住の大村真理子さんがインタビュー。
「〈世界バレエフェスティバル〉に参加することは、プロのダンサーとして夢の1つだったの」
3年前、マチュー・ガニオのパートナーとして〈世界バレエフェスティバル〉に初参加を果たしたドロテ・ジルベール。最終日のガラでは予定になかったパ・ド・ドゥをマチアス・エイマンと踊るという挑戦を果たすことになって......と、前回の興奮は今も忘れていない。
「世界中の素晴らしいダンサーが一堂に会する〈世界バレエフェスティバル〉に参加することは、プロのダンサーとして夢の1つだったの。年齢を重ねるたびに、ああ、これを経験せずにキャリアを終えることになったら残念だわって思っていたくらい」
今回のフェスティバルでのパートナーはユーゴ・マルシャンである。昨年オペラ座来日公演の『オネーギン』で、大きな感動を舞台上に巻き起こした二人。劇場再開が決まったオペラ・バスティーユで6~7月に踊られる『ロミオとジュリエット』で舞台を共にする二人は、目下そのリハーサルの真っ最中だ。
「5年前の公演でも彼が私のロミオで、2回目の稽古日にその時の舞台のセンセーションがすでに戻ってきました。彼とは役作りなど、さまざまな面で意見が合い、よく理解し合える関係。それに加えて『マノン』に始まり、私がオペラ座のレパートリーの中でも演劇性の高い作品で組むのは、いつもユーゴなの。来季のピエール・ラコットの創作『赤と黒』でも、彼と一緒。口づけを何度も交わす、狂おしい愛の物語といった作品を幾つも共に作り上げる......ユーゴに限らず、こうしたことによって相手役のダンサーとのパートナーシップはより確かなものとなってゆくものでしょ。マニュエル・ルグリとモニク・ルディエール、アニエス・ルテステュとジョゼ・マルチネス......彼らと比べるつもりはないけれど、日本で『オネーギン』を踊った時、私とユーゴという組み合わせ、その二人が一緒に踊るのを観ることに観客が満足してくれているのだと感じられました」
2018年第15回世界バレエフェスティバルより
『シンデレラ』(マチュー・ガニオと)
Photo: Kiyonori Hasegawa
その二人。この夏、どのような作品で日本のバレエファンを楽しませてくれるのだろう。フレンチスタイルということを基本に、演目を選ぼうと話しているそうだ。詳細はプログラム発表を待つとしよう。 『ロミオとジュリエット』の舞台に先立ち、『〈ローラン・プティへのオマージュ〉では『若者と死』に初役でとりくむドロテ。ジュリエットのような大役とほぼ同時の公演に配役されたことを意外に思ったが、女優魂を刺戟する役を踊れるのは喜びだと語る。このようにオペラ座の仕事がハードに続く一方で、彼女は昨年始めたオンラインの"バレエ・マスター・クラス"のコンテンツ作りにも熱意を傾けている。
「昨年フランスで最初の外出制限期間が長く続いた時に、このアイデアが生まれたの。プロのダンサーなら自宅で一人でレッスンできるけれど、若い生徒たちにとっては難しいことだろうと思って。 内容はクラシック・ダンスを学ぶ過程で不可欠だと私が思うことを盛り込んでいます。学校で教師は"柔軟性に欠ける!"と指摘しても、それを得る方法は教えてくれないでしょ。また、トウシューズの潰し方とかも説明するなど、プティット・メール(パリ・オペラ座バレエ団のダンサーがバレエ学校生徒の世話をする伝統的な慣習)のヴァーチャル版という面もあるのよ。ゲストを招いてのバーレッスンでは、マチューやミリアム(・ウルド=ブラーム)にゲスト出演してもらったり......。コンテンツは生徒向けばかりではなく、バレエの基礎のない成人のためのダンストレーニングやフィットネスもあり、これらも会員には好評のようです」
約2年前に半自叙伝『エトワール』を出版したのも、彼女のダンサーを目指す子どもたちを励ましたいという気持ちからだ。それゆえ、バレエ学校時代のあまり優秀とはいえない自身の成績表も掲載した。
「必要とされるクオリティが私にはなかったけれど、目標に至れました。自分の夢にしがみついて!!と伝えたかったの。勇気をもらった、希望が得られた、という反響があってうれしかったわ。日本語版が今年の1月に出版された際に来日できなかったのは残念だったけど......」
1年以上来日していず、ホカロンやシュウウエムラのメイクオフ・オイルなど常備品も不足してしまって、と笑うドロテ。東京滞在中の習慣となっているラクーアやセブンイレブン通いも恋しいようだ。
「この夏、愛する日本で久々にダンサー仲間に再会し、バレエの知識が豊富な日本の観客を前に踊る。文化芸術の存続への期待。こうしてフェスティバルへの参加を想像するだけで、とても明るい大きな希望を感じることができます」
2018年第15回世界バレエフェスティバルより
最終日のガラで踊った『グラン・パ・クラシック』(マチアス・エイマンと) Photo: Kiyonori Hasegawa
大村真理子(在パリ フリーエディタ)
⑥金子扶生 Fumi Kaneko
(英国ロイヤル・バレエ団)
⑦エカテリーナ・クリサノワ Ekaterina Krysanova
(ボリショイ・バレエ)
⑧オニール八菜 (初登場!)
Hannah O’Neill
(パリ・オペラ座バレエ団)
⑨オリガ・スミルノワ (初登場!)
Olga Smirnova
(ボリショイ・バレエ)
⑩菅井 円加
Madoka Sugai
(ハンブルク・バレエ団)
⑪スヴェトラーナ・ザハロワ Svetla Zakharova
(ボリショイ・バレエ)
《男性舞踊手》
⑫マチュー・ガニオ
Mathieu Ganio
(パリ・オペラ座バレエ団)
特別インタビュー(1)マチュー・ガニオ
今夏の〈世界バレエフェスティバル〉開催に向け、出演ダンサーのインタビューをお届けしていきます。トップ・バッターはパリ・オペラ座バレエ団のマチュー・ガニオ。大村真理子さんによる現地インタビューです。
「今年のフェスティバルはとりわけ感動的なものになりそう!」
今年のフェスティバルはとりわけ感動的なものになりそう!と、参加に胸をときめかすマチュー・ガニオ。昨年12月から始まったピエール・ラコットの『赤と黒』の創作のため、 劇場閉鎖中のこの時期、ステージの裏側で新しい作品の誕生に関わるという刺激的な時間を過ごしている。この作品は来シーズンに向けての創作だ。まずは近況を語ってもらおう。
「劇場再開時に公演の準備ができているようにと、僕たちダンサーは発表された今シーズンのプログラムに沿ってリハーサルを続けています。でも舞台で披露できるまでの稽古を重ねても、結局は劇場閉鎖のままで公演はなく。では、次のプログラムの準備をしましょう......と、この繰り返しなんです。誰にとっても心理的にとても厳しいといえますね。幸いにも僕は無観客とはいえ、3月に『ル・パルク』の映像化のためにステージで踊れました。僕にとって初のプレルジュカージュ作品だったけど、この振付はクラシック作品で求められる身体性と大きく異ならないので、自分はコンテンポラリー作品向きではないというコンプレックスなしに役に取り組めました。それに彼のスタイルをリスペクトしつつ、クラシックダンサーのエレガンス、アリュール(魅力)をこの役にもたらすことができる、とも思いました」
年金制度改革に対するストで2019年12月の公演が中止となった『ル・パルク』。それから今年の3月までの間に自分の頭の中で作品を熟成させる時間がとれたおかげで、フライング・キスで有名な"解放のパ・ド・ドゥ"も1年前ほど緊張せず、踊る喜びが得られたのは不幸中の幸いだったと振り返る。最近〈ローラン・プティへのオマージュ〉(5月30日初日)で踊る『若者と死』と『ランデヴー』の稽古も始まった。どちらも初役。それに加え、『ロミオとジュリエット』(6月10日初日))では、これも初役でティボルトに挑む。今シーズン中に劇場が再開されることを彼のためにも期待したい。
第15回世界バレエフェスティバル〈ガラ〉より
『ワールウィンド・パ・ド・ドゥ』(ドロテ・ジルベールと)Photo: Kiyonori Hasegawa
この後、彼は〈世界バレエフェスティバル〉で来日する。これが5回目の参加となり思い出の数を増やし続けているが、他のダンサーと違い、彼にはフェスティバルに参加する親と一緒に来日していた子供時代の思い出も少なくない。例えば、「パトリック・デュポンがすごいスターなんだ!!と知ったのも、フェスティバルでのことでした。彼を待つ大勢のファンを見て、びっくり仰天したんです。まだ10歳にもなっていず、ダンスもしていなかった頃のことです。母(ドミニク・カルフーニ、元パリ・オペラ座バレエ団エトワールでマルセイユ・バレエ団へ移籍)は 彼を高く評価していて、一緒に踊ることがよくありました。母を再びオペラ座のステージに、と提案してくれたのも彼なんです。そういう関係なので、僕も彼とは舞台裏で一緒に大笑いしたり、おしゃべりしたりと時間を共有していて......僕にとても優しくしてくれました。 一人の人間として接していたので、彼のダンサーとしての名声や国際性などは全然理解できてなかったんですね。彼は信じられない身体能力の持ち主で、舞台上で惜しみなくそれを発揮するダンサーでした。オペラ座の名を有名にした人物です。"オペラ座のエトワールの誰を知っていますか?"と街中で質問したら、答えは間違いなくパトリック・デュポンでしょう」
バレエ界における〈世界バレエフェスティバル〉の重要性を両親を介して知っていた彼は、初めて招かれた時に驚きとともに職業上の一つの成就であると誇らしく感じた。そして毎回、次もまたこの祭典に参加することができたら! という思いで日本を後にするという。
「今年は特殊な状況下での開催です。でも日本人は組織力に長けているし、他者へのリスペクトが大きいので、開催に際してはあらゆる危険防止策が講じられると信じています。人間の暮らしに欠かせない文化芸術の輝きのために、ダンサーにとっても観客にとっても、今回のフェスティバルの開催は大変期待されるものです。フェスティバルに参加する僕の大きな喜びの一つとして、ダンサーたちとの出会いです。回を重ねるごとに再会するのが楽しみなダンサーが増えていって......。今年は世界各地でそれぞれが厳しい時期を過ごした後での再会。それに僕だけでなくダンサーたちの誰もが観客を前に舞台で踊ることを待ち焦がれているはずです。分かち合うものもとても大きいでしょうから、ひときわ感動的なフェスティバルになるに違いありません」
大村真理子(在パリ、フリーエディター)
⑬マルセロ・ゴメス
Marcelo Gomes
(ドレスデン・バレエ)
⑭マチアス・エイマン
Mathias Heymann
(パリ・オペラ座バレエ団)
⑮キム・キミン 初登場!
Kimin Kim
(マリインスキー・バレエ)
⑯ヴラディスラフ・ラントラートフ
Vladislav Lantratov
(ボリショイ・バレエ)
⑰ユーゴ・マルシャン( 初登場!)
Hugo Marchand
(パリ・オペラ座バレエ団)
〈インタヴュー〉
世界バレエフェスティバル〉出演ダンサーのインタビュー・シリーズ4回目はパリ・オペラ座バレエ団のユーゴ・マルシャン。入団10年となるいま、ダンサーとしての活躍のほか、さまざまな活動に意欲的に取り組み、〈世界バレエフェスティバル〉初参加を控えた彼に、パリ在住の大村真理子さんがインタビュー。
「"第3幕の寝室のパ・ド・ドゥ"は、僕たちの気分やコンディションが大きく作用する振付なので、4公演それぞれ違ったものになると思います」
ユーゴ・マルシャンとドロテ・ジルベールがオペラ・バスチーユで踊った『ロミオとジュリエット』は、カーテンコールで3公演ともスタンディングオベーションに迎えられたことは日本のバレエファンの耳まで届いているのではないだろうか。この夏、ユーゴは〈世界バレエフェスティバル〉に初参加する。パートナーはドロテ・ジルベールである。踊る演目の1つに、彼らはこの『ロミオとジュリエット』の第3幕から寝室のパ・ド・ドゥを選んだ。
「アクロバット的な要素が強いけれど、とても美しいものですよ。踊られることの多い"バルコニーのパ・ド・ドゥ"で見せる無垢、新鮮さから一転し、こちらでは二人にのしかかる状況の重みや愛の絶望といったものが身体の動きに込められています。僕たちの気分やコンディションが大きく作用する振付なので、4公演それぞれ違ったものになるように思います。ドロテと僕は一緒に踊ることに大きな喜びを常に得ていて、昨年の来日公演の『オネーギン』でも''日本の観客にも受け入れられた''と感じることができました。二人が初めて組んだ作品は『マノン』です。もう6年も前のこと。時間が経つのがはやいですね。彼女との間にはとても自然に強い関係が築かれたんです。そうなるには他のダンサーとはとても時間がかかるものなのだけど......。彼女とは言葉がいりません。ダンスに対して、毎日の仕事について同じビジョンを持っているからでしょう」
ドロテとのこうしたパートナーシップも含め、自分の9歳からのダンス人生を彼は今年の2月に出版された『Danser』で語っている。キャリア半ばでの自叙伝というのは珍しく、彼も出版社から提案されたときに驚き、長いこと迷ったそうだ。信頼できる小説家・ジャーナリストのキャロリーヌ・ドゥ・ボディナと共著ならということで引き受け、準備に3年をかけた。
「その間何度も彼女と会って、話し、思い出を語り......僕のそれまでの人生、職業的経歴を振り返る中で、当時の感情が蘇ってきて、涙が溢れてしまうこともよくありました。その時の自分のリアクションも戻ってきて、笑いもあれば、怒りもあって。セラピー的で興味深い仕事でしたね。新型コロナで絶望的な状況下、夢の発見、夢の実現を語る本なので希望を感じさせるからでしょうか、フランスのさまざまなメディアにとりあげられたんですよ」
”コロナ禍の辛さと"サバイバル法"
彼がオペラ座バレエ団に17歳のときに入団したのは2011年。この秋で10周年となるのだが、その中で昨年のフランスの外出制限期間は最悪な時期だったと語る。パリを離れて自然に囲まれて過ごせたものの、踊れない状況が不幸せに感じられ、苦労しつつ体調維持のためスポーツに励み、エネルギーの放出のためにひたすら走っていたそうだ。これは彼なりのサバイバル法だったのだろう。
「この間何もしなかったら舞台には戻れませんからね。結果として進歩があったけれど、人との出会いもなく精神的には本当に辛い時期だった。その後、オペラ座のプロセニアム公演で『 ダンス組曲』を踊って、幸福感を味わうことができました。ステージは少し狭かったけど、観客を前にステージで踊れたのですから、それに文句を言う気はありません。素晴らしいチェロ奏者のオフェリー・ガイヤールとステージ上で、まるで夢かと錯覚するような時間を過ごせて。一種スピリチュアルな出会いだったといえます」
今年に入ってから、ユーゴは2つの作品に初役で挑んだ。『ル・パルク』は無観客の舞台の上、振付けたアンジュラン・プレルジョカージュと一緒に仕事をする時間がほとんどなかったので、あまり興味をいだけなかったようだ。一方、『若者と死』は劇場再開後のガルニエ宮で観客を前に踊ることができたし、踊りたいと思っていた作品である。
「これはバリシニコフのはもちろん、いろいろなダンサーの映像をみてリサーチしました。芸術面はその日のバイタリティからくるので、毎回異なる物語となったと思います。踊るたびに大きな喜びを感じることができる作品です」
「若者の死」(ローラ・エケと)Photo: Ann Ray/OnP
忙しいオペラ座の仕事の合間を縫って、4年くらい前からWhat Dance Can Doという団体のための活動を彼は続けている。最近も『ラ・バヤデール』の煌びやかなコスチュームをつけて、ドロテと一緒にパリ市内のネケール病院の子ども病棟を訪問した。バレエに興味を持つ子もいれば持たない子もいる。ちょっとした微笑みをもらえたら、それだけで感動があるという。
「芸術は人々の心を動かします。感嘆し、夢をみて日常から脱出。これがないのは不幸なことです。文化というのはメンタルヘルスを救います。ダンスもそれに寄与しているんですね」
こう語るユーゴ。久々に日本の観客と再会し、映像を通じてしか知らない世界中のダンサーたちとフィジカルかつヒューマンに出会える機会! と、来月に迫ったフェスティバルでの来日を楽しみにしている。
大村真理子(在パリ フリーエディター)
⑱ワディム・ムンタギロフ
Vadim Muntagirov
(英国ロイヤル・バレエ団)
⑲ジル・ロマン
Gil Roman
(モーリス・ベジャール・バレエ団)
⑳ダニール・シムキン
Daniil Simkin
(アメリカン・バレエ・シアター/ベルリン国立バレエ団)
アレクサンドル・トルーシュ (初登場!)
Alexandr Trusch
(ハンブルク・バレエ団)
㉑フリーデマン・フォーゲル
Friedemann Vogel
(シュツットガルト・バレエ団)
【参加バレー団】
(パリ・オペラ座バレエ団)
(ボリショイ・バレエ)
(英国ロイヤル・バレエ団)
(英国ロイヤル・バレエ団/アメリカン・バレエ・シアター)
(ドレスデン・バレエ)
(マリインスキー・バレエ)
(ハンブルク・バレエ団)
(シュツットガルト・バレエ団)
(モーリス・ペジャール・バレエ団)
【演目、Aプログラム】
─ 第1部 ─
①オニール八菜、マチアス・エイマン
「ゼンツァーノの花祭り」 *
振付:オーギュスト・ブルノンヴィル 音楽:エドヴァルド・ヘルステッド
②オリガ・スミルノワ、ウラジーミル・シクリャローフ
「ロミオとジュリエット」より第1幕の“パ・ド・ドゥ”
振付:レオニード・ラヴロフスキー
③菅井円加、アレクサンドル・トルーシュ
「パーシスタント・パースウェイジョン」
振付:ジョン・ノイマイヤー
音楽:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
④ドロテ・ジルベール、フリーデマン・フォーゲル
「オネーギン」より第1幕のパ・ド・ドゥ
振付:ジョン・クランコ
音楽:ピョートル・チャイコフスキー
《休憩》
─ 第2部 ─
追悼 カルラ・フラッチ、パトリック・デュポン(映像)
⑤ダニール・シムキン
「白鳥の湖」より 第1幕ソロ
振付:パトリス・バール
音楽:ピョートル・チャイコフスキー
⑥アマンディーヌ・アルビッソン、マチュー・ガニオ
「ジュエルズ」より“ダイヤモンド”
振付:ジョージ・バランシン
音楽:ピョートル・チャイコフスキー
⑦金子扶生、ワディム・ムンタギロフ
「マノン」より 第1幕のパ・ド・ドゥ
振付:ケネス・マクミラン
音楽:ジュール・マスネ
⑧アレッサンドラ・フェリ、マルセロ・ゴメス
「ル・パルク」
振付:アンジュラン・プレルジョカージュ
音楽:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
⑨エカテリーナ・クリサノワ、キム・キミン
「海賊」
振付:マリウス・プティパ
音楽:リッカルド・ドリゴ
《休憩》
─ 第3部 ─
⑩ジル・ロマン
「スワン・ソング」
振付:ジョルジオ・マディア
音楽:モーリス・ベジャールの声、 ヨハン・セバスティアン・バッハ
⑪エリサ・バデネス、フリーデマン・フォーゲル
「オネーギン」より第3幕のパ・ド・ドゥ
振付:ジョン・クランコ
音楽:ピョートル・チャイコフスキー
⑫スヴェトラーナ・ザハロワ
「瀕死の白鳥」
振付:ミハイル・フォーキン
音楽:カミーユ・サン=サーンス
⑬マリーヤ・アレクサンドロワ、ヴラディスラフ・ラントラートフ
「ライモンダ」第3幕より
振付:マリウス・プティパ
音楽:アレクサンドル・グラズノフ
⑭フイナーレ:チャイコフスキー「眠れる森の美女」よりアポテオーズ
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
【指揮】ワレリー・オブジャニコフ、ロベルタス・セルヴェニカ
【ピアノ】菊池洋子(「ル・パルク」、「瀕死の白鳥」、「ライモンダ」)
【チェロ】伊藤悠貴(「瀕死の白鳥」)
◆上演時間◆
第1部 14:00~14:55
休憩 20分
第2部 15:15~16:10
休憩 20分
第3部 16:30~17:15
【上演の模様】
チケットは大分以前から購入してあったのですが、緊急事態宣になってしまい、中止にならないか気になっていました。公演前々の情報でも予定通りやるそうですし、チケット販売も途中で売り止めになった様ですし、ホールが一杯の客で溢れることは無いだろうと楽観し、上野に足を運びました。出来るだけ大きな繁華街(横浜や渋谷など)は避け遠回りで中目黒に出て日比谷線で上野に行きました。電車は休日の昼頃なので比較的空いていました。でも雨模様もあってか、換気は相変わらず悪いですね。窓が全部閉まっています。自分の座った席の近くの窓は、「悪いけど、雨に濡れるよりコロナにかかる方が怖いから換気させて頂戴」と少し開けます。これまで文句を言われたことは有りません。乗客は若者が多いのですが、❝勝手にどうぞ❞といった顔で誰も何も言いません。自分たちは感染しないと思っているのでしょうか?それともかかっても症状は軽いと?
会場に着いてびっくり、普通アルコール消毒、検温なのですが、今回は「手荷物検査」と称して、開けたカバンの中を巡査風の人が、何やら太いペンライトの様なもので光らせ「はい、OK」といっていました。「何を調べているのですか?」とに来たら「危険物検査」ということです。金属探知装置なのでしょうかね?何年も前に国際線の航空機に乗る時は、お茶、化粧品、常備薬などの液体は機内持ち入れが厳しかったです。液体の爆発物もありますから。今回の入り口検査などを見ていると、やらないよりはマシ程度の形骸化した、おまじない的な検査になってはいないでしょうか?あれではコロナ陽性者も危険物持ち込みもザルです。まさか海外からの渡航者入管検査ではそういうことは無いと思いますが。
入り口を通過してロビーに進んだら、これまたびっくり、多くの観客、しかもほとんど若い女性客がごった返しているではないですか。逃げ帰ろうかなと思ったほど。最近の音楽会では見られない光景です。ロビーの中央には大きな花の植栽が飾られ、天井からは著名出演ダンサーの写真を布状に印刷した大きなポスターが幾枚も旗めいています。まるで、七夕の混雑模様を連想してまう程。皆さん上を見たり写真を撮っています。来たついでなので自分も一枚撮り、急ぎ足でトイレと座席に向かいました。
開演直前にはブロックによって粗密のまだらはありますが、5~6割、いやそれよりやや多いかな?程度の観客の入りでした。ほとんどが女性観客、しかも若い人が多かったです。
冒頭、管弦楽による序曲『戴冠式行進曲』は腕馴らしといったところですか。文化会館のオケピットは狭いですね。東フィルは二管編成弦楽五部8型でしょうか。良く見えません。左手のピット横の高い所にピアノが一台用意されていました。
今回は歌を聴く訳でもなくオケ演奏が中心という訳でもなく、バレエダンスの演技ですから見ないことには文字で説明するのはかなり困難です。でもいつもの様に「No Picture」ですからどれだけ記録出来るかどうか自信が有りません。
以下、印象的な場面をピックアップし、記憶を辿って簡単に記することにします。
一番印象深くしかも驚いたのは、⑫ザハロワ(ボリショイ・バレー)の「瀕死の白鳥」です。
兎に角腕が長い、足が長い(そう見える程スワンになり切った演技なのでしょうか)。死に至ろうとする白鳥とはまさにこうしたものかと感動しました。誰の追随も許さない程見事な舞いでした。菊池さんのピアノ、伊藤さんのチェロも上手。
また今回は三名の日本人が参加していました。
①のオニール八菜(パリオペラ座バレエ団)は品のいい様子で、白いブーツをはいたマチアス・エイマンと軽快な舞踊を披露していました。
③の菅井円加(ハンブルグ・バレエ団プリンシパル)は黒っぽい長いバレエ着で、これまた黒いチョッキとパンツを着けたアルクサンドル・トルーシュと、最初はコンテンポラリー風の踊り後半は本来的なバレエを舞いました。円加さんが高々と持ち上げられ、トルーシュの手が離され足を開いて舞い降りる瞬間、フワッと一瞬宙に留まる様な無重力感を与える見事な演舞でした。
またチェロの伴奏が結構長くソロで弾いていたのですが、これが音楽演奏会でもそう簡単には聞けない程のとても素晴らしい響きで、踊りに花を添えました。ピットの中で引いていたチェロ演奏者は良く見えなかったのですが、東フィルの首席ですか?それとも今回のソリスト伊藤さんだったのでしょうか?
もう一人の日本人⑦の金子扶生(英国ロイヤルバレエ団プリンシパル)は、大人の色香をにおわすベッドが置いてある舞台を、結構大きい音のオケのアンサンブルの中で、ワデム・ムンタギロフと付いたり離れたり寝て抱き合ったり、愛に浸るマノンを表現していました。でも随分かわいらしいマノンですね。オペラのマノンの図太さとは大違い。
それから印象深いのは④「オネーギン」です。これはオペラ『エフゲニー・オネーギン』の筋道にオペラの曲とは別のチャイコフスキーの曲を使ったバレエです。この第一幕パ・ド・ドゥでは、ドロテ・ジルベール(オペラ座バレエ団)が、主人公オネーギン役のシュトットガルト・バレー団、フリーデマン・フォーゲルと組み、冒頭は机に座って居眠りをかいているタチヤーナ役を演じ、オネーギンがやって来るとその魅力に惹かれ、二人で踊った後、オネーギンが玄関から出ていって帰ってしまった後、タチアーナはがっかりして床に伏せてしまう。すぐに思いっきって意を決して立ち上がり、彼女はオネーギン宛の手紙を仕上げて召使に渡すのでした。バレエはオペラと違って当然声は出しませんが、踊りによりまるでパントマイムの如くその筋道を上手に表現しているのには感心しました。この場面は第3部の⑪「オネーギン」より3幕のパ・ド・ドゥに引き継がれます。 ⑪では女性のタチヤーナ役は、エリサ・バディネスに代わり、オネーギン役は④と同じフォーゲルが務め二人共シュトゥットガルト・バレエ団コンビで息の合う踊りを披露していました。『オネーギン』は1965年の初演以来、歴史的にこのバレー団の得意中の得意の演目です。二人の踊りが又素晴らしく表情のある素晴らしいもので、既に1幕から3幕までは数年経過しており、結婚もしているタチヤーナは、いくらオネーギンに愛を告白されても、近か寄せられた体をくねらせ、手を振りほどき逃げる一方、それを二人は踊りで実に上手に表現したのです。愛し合う男女を踊るのは表現的には結構自由度が大きく楽かもしれません。しかしタチヤーナは、心の隅に昔好きだったオネーギンへの思いが、残り火の様に残っているかも知れない状態で、だからといって現在は人妻である身としては愛を受け入れてしまったら不倫となってしまう、その切ない気持ちで愛を拒む所作を、踊りでこんなにも見事に表せるとは驚きでした。
その他にも皆さん流石世界のトップダンサー、素晴らしい所がいろいろありました。例えば、
⑨「海賊」でキム・キミンのスピード感溢れるくるくる回転したり舞台狭しと高く飛び跳ねる踊りは、颯爽として気持ち良かったし、相方エカテーリナ・クリサノワが左足を前方に水平に保ったまま、立っている右足のみで斜め前方にツッツッツと滑る様に移動する技には会場からも大きな拍手が飛んでいました。
また最後の⑬「ライモンダ」を踊ったボリショイバレーコンビ、マリーヤ・アレクサンドロワとヴラディスラフ・ラントラートフは Pas de deux
の後それぞれ一人で踊り、最後に再び二人で踊り、ラントラーフは青いマントを翻しまるで正義の騎士そのもの、アレクサンドロワは高邁な女性伯爵の雰囲気満点でした。
ピアノ伴奏した菊池さんも素晴らしい音でしたよ。特に⑧「ル・パルク」ではさすがモーツァルト弾きの面目躍如でした。