HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『アルバン・ベルク四重奏団のベートーヴェン15番、16番』名盤を聴く

 かって(30年程前)ウィーンを本拠地として活躍して、世界的に名声を博したアルバン・ベルク四重奏団のベートーヴェン弦楽四重奏曲第15番と16番が録音されているCDが手に入りました。

f:id:hukkats:20210727222455j:plain

アルバン・ベルク四重奏団

 以前、ベートーヴェンの最後のピアノソナタ達以降の曲、第九、荘厳ミサ曲、更に死に直面していた最最終期の弦楽四重奏曲群を聴いて比較し、ベートーヴェン音楽の最高峰はどれかという途方もないというか無謀な試みをしょうとしていました(参考、欄外2021.6.8.hukkats記録「<補遺構>『6/6エルサレム四重奏団』演奏会」)。しかしながら、これら総ての曲を短期間に生で、しかも優れた演奏で聴くことは、百%不可能ですし、生演奏自体がコロナ禍のため、このところ行われにくくなっていることもあり、近々に聴いた四重奏演奏会の記憶と、名盤の評判が高い録音ソフトを聴いて比較考察するという余り精度の高くない方法を採るしか手段はありませんでした。さて、手に入れたCDは、1985年度レコードアカデミー賞に輝いた録音の東芝EMI版です。これを演奏している「アルバン・ベルク四重奏団」の演奏は、本件を調べるまでは、一度も聴いたことがなかった。この奏団に関しての紹介記事をネットから転載しておきます。

1970年、ウィーン国立音楽大学の教授でありウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターも数年間務めていたギュンター・ピヒラーが同僚と結成した。名称についてはアルバン・ベルク未亡人ヘレネから許諾を得ている。1971年にウィーンのコンツェルトハウスでデビュー。設立当初、アメリカのシンシナティに1年間留学し、当時新ウィーン楽派を得意としていたラサール弦楽四重奏団に師事するなど、ウィーンの伝統に安住せず、現代音楽に積極的に取り組む姿勢を貫いているが、法外な難曲には手は出さない。

精緻なアンサンブルは評価が高く、1980年代には世界を代表するカルテットと認識され、現代の弦楽四重奏団体の規範とさえ評されることもあった。2008年7月をもって解散した。

 録音を聴いてみると、評判に違わぬ素晴らしい演奏で、アンサンブルの一体感は元より、一体に溶けあった音の融合の中に個々の自己主張が、鏤められきらめいている。その響きの起伏ある発散性は、一個人の再生装置の限界を越えて聴く者の耳に届いて来ます。  

 ベートーヴェンの16番の弦楽四重奏曲は、この6月初めに、サントリーホールでのエルサレム四重奏団の演奏を聴くことが出来なかったものの、その後ネットで聴ける録音を幾つか鑑賞しました。今回のベルク四重奏団の16番の録音は、はるかにそれらを凌駕した音楽を奏でていました(音源が良いからそう聞こえたのでしょうか?)。一方15番に関しては、6月最後の週に、我が国のトップレベルの演奏者を揃えた『ひばり四重奏団』の演奏を聴いています。漆原啓子さんが率いる『ひばり四重奏団』は、力強くバランスの取れた演奏で、素晴らしいものがありました。その時の記録を、文末に参考まで再掲しておきます。ベルク四重奏団の15番は録音であっても、ひばりの生演奏にひけをとらない位素晴らしいものでした。当時の生演奏が若し聴けたとしたら、それは、きっと聴いたこともない極上の音楽だったに違いない。

 第3楽章の「聖なる感謝の歌」なぞは、病状が一旦回復した感謝の気持ちというよりは、これまで様々な困難はあったが、ここまで作曲活動を続けてこれた感謝の気持ちを満足感を持って歌いあげたと言えるでしょう。

 15番と16番を聴いて自分の中で比較してみると、16番は3楽章がとても好みに合った曲で好きですが、全体構成のバランスや曲の深遠さ、重さというか荘厳な曲体を合わせて考えた総合点は、15番に軍配が上がりました。(参考まで吉田秀和さんは好きな曲をリストアップしている中で、ベ―トーヴェンの「弦楽四重奏曲第14番」を挙げていますが私は第15番ですね。)又最後のピアノソナタ32番と比べても、優るとも劣らぬ構成や曲の気品を備え、若い時からの様々な曲達から耳に滲み込んだ  ❝ベートーヴェンらしさ❞ の強弱を考えると、弦楽15番がピアノ32番をうっちゃって勝ちかな?等と勝手な想像を廻らす、夏の夜でした。 

/////////////////////////////////////////////////////////////////////////(再掲)////////////////////////////////2021.6.18.

『ひばり四重奏団演奏会』
 この弦楽四重奏団は、漆原啓子が中心となって、2018年に結成した常設の弦楽四重奏団です。メンバーには漆原朝子、大島亮、そして辻本玲と第一線で活躍する室内楽奏者をそろえ、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲演奏を活動の主軸とした5年に及ぶ長期プロジェクトを開始するなど、意欲的に活動の場を広げています。今回はベートーヴェンの初期と後期から。そしてベートーヴェン以降、最高の業績と讃えられるバルトークを選曲。それぞれ個々のバックグラウンドを持つ4人の個性光る四重奏が期待できます。 

【日時】2021.6.23.19:00~

【会場】東京・白寿ホール 

 このホールは渋谷の富ヶ谷にあります。前首相の住まいも同じ街です。何年か前にこのホールでの「リクライニングシート・コンサート」という名前につられて、聴きに来たことがあります。あれは何のコンサートだったかな?確かジャズピアノだったかな?と言ってもクラシックポイ演奏だった様な気がします。しかし肝心の「リクライニングシート」が少しちゃっちいものだったので幻滅を感じて、それ以来ご無沙汰でした。

 今回はかねての懸案、即ちベートーヴェンの死に近づく最晩年の弦楽四重奏曲群(12番、13番、14番、15番、そして最後の16番)が、その直前に作曲された、荘厳ミサ曲や第九やOp.110~Op.112の三つのピアノソナタ達の、凄いレベルを超えたものかどうか直かに演奏を聴いて確かめたい、という物好きとも言える興味から、今回の演奏曲目に第15番のカルテットが入っていたことが、聴きに行く動機の一つでした。もう一つの動機は、今年3月に、桐朋音大教授、漆原啓子さんが演ずるハイドン『バイオリン協奏曲第1番』が非常に素晴らしく、妹さんの藝大教授朝子さんの演奏はこれまで何回か聴いていて、これまた素晴らしいの一言に尽きたので、その内姉妹で同時に演奏する機会があれば、是非聴きに行きたいと思っていた処、コロナで延期(?中止かな)となっていた四重奏団演奏会が今回実現されそうなので、急いでチケットを取った訳です。 

【出演】漆原啓子、漆原朝子(以上ヴァイオリン)

    大島亮(ヴィオラ)

    辻本玲(チェロ)

【プロフィール】  

 漆原啓子(うるしはら・けいこ/ヴァイオリン)

 東京藝術大学付属高校在学中に、第8回ヴィニャフスキ国際コンクール日本人初の優勝と6つの副賞を受  賞。ハレー・ストリング・クァルテットとして民音コンクール室内楽部門で優勝並びに斎藤秀雄賞を受賞。ソリスト、室内楽奏者として常に第一線で活躍を続ける。これまで、国内外での演奏旅行のほか、ハンガリー国立響、スロヴァキア・フィル、ウィーン放送響等の海外のオーケストラや、日本国内の主要オーケストラとの共演や全国各地でリサイタル、室内楽に数多く出演。これまでにCDも多数リリースしており、文化庁芸術祭優秀賞やレコード芸術特選盤に多数選ばれる。現在、国立音楽大学客員教授、桐朋学園大学特任教授として後進の指導にも力を注いでいる。

 

漆原朝子(うるしはら・あさこ/ヴァイオリン)

東京藝大附属高校在学中に日本国際音楽コンクールにおいて最年少優勝。ジュリアード音楽院卒業。1988年N響定期公演デビュー、ニューヨークで のリサイタル・デビューも絶賛を博す。マールボロ音楽祭でルドルフ・ゼルキン等と共演したほか、ザルツブルク音楽祭などにも出演。内外のオーケストラとの共演も数多い。ベリー・スナイダー(Pf)とは 20年以上にわたってデュオを組んでおり、シューマンとブラームスのヴァイオリンソナタ全曲ライヴCDを相次いでリリースして極めて高い評価を得たほか、テーマ性をもったリサイタルツアーを度々行っている。2017年にリリースしたエルガー:ヴァイオリン協奏曲ライヴCDも絶賛を博す。現在東京藝術大学教授、大阪音楽大学特任教授。

 

大島亮(おおしま・りょう/ヴィオラ)

神奈川フィルハーモニー管弦楽団首席奏者。桐朋学園大学卒業、同大学研究科修了。第11回コンセール・マロニエ21第1位、第7回東京音楽コンクール第1位、第42回マルクノイキルヘン国際コンクールディプロマ賞受賞。東京都交響楽団、九州交響楽団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団と共演。2012年には東京文化会館にて初のリサイタル以降、定期的にリサイタルを開催。ヴィオラスペース、東京・春・音楽祭、ラヴェンナ音楽祭、宮崎音楽祭、木曽音楽祭、水戸室内管弦楽団、サイトウキネンオーケストラ、またNHK-FM「リサイタル・ノヴァ」等に出演。室内楽では今井信子、チョン・ミョンファ、堀米ゆず子、仲道郁代の各氏等と共演するなど、積極的に活動している。

 

辻本玲 (つじもと・れい/チェロ)

NHK交響楽団首席奏者。東京藝術大学首席卒業。その後シベリウス・アカデミー、ベルン芸術大学に留学。第72回日本音楽コンクール第2位、青山音楽賞新人賞、第2回ガスパール・カサド国際チェロ・コンクール第3位入賞(日本人最高位)、第12回齋藤秀雄メモリアル基金賞受賞。これまでに、東京交響楽団、読売日本交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、関西フィルハ-モニ-管弦楽団、日本センチュリー交響楽団、ロシア国立交響楽団、ベルリン交響楽団等と共演。使用楽器はNPO法人イエロー・エンジェルよりアントニオ・ストラディヴァリウス(1724年製)を、弓は匿名のコレクターよりTourteを特別に貸与されている。

【曲目】

①ベートーヴェン『弦楽四重奏曲 第5番 イ長調 op.18-5』
②バルトーク『弦楽四重奏曲 第3番 Sz.85 BB93』
③ベートーヴェン『弦楽四重奏曲 第15番 イ短調 op.132』 

【演奏の模様】

①ベートーヴェン第5番 

①-1Allegro

1Vnの漆原(啓子)さんの音が、力強いボウイングでこの楽章の綺麗なメロディを牽引して、他の楽器もそれに合わせて最初からマッチしたアンサンブルを奏でています。それにしても、最初からいい調べですね、ベートーヴェンさん!

 ①-2 Menuet

Vnの先導からVaとVcへと繋がり、清濁合わせ飲むのでなくて、正に清清併せ飲むベートーヴェン初期の透明色(?)豊かなアンサンブルが、ここでも魅力的な色彩を放つ。親しみ易い調べの流れは、深みに足を囚われず、清らかな浅瀬のヒンヤリした感覚が心地良い。相変わらず1Vnは、迫力満点に活躍、アンサンブルを崩さない程度に他を圧して優勢に弾いています。

①-3 Andante cantabile

ここの楽章では、Vcの辻本さんの活躍がかなり目立ちました。最初主題をひとしきり1Vn中心にアンサンブルしたあと、主題をVcソロ→Vaソロ→1Vn→2Vnへと遁走曲的にリレーし、その後もVcは、ずっしりした音で、ゆったりした主題の変奏を力を込めて弾いていました。楽章最後は、全員全力で強奏していました。

①-4 Allegro

Vaスタート→1Vnに引き渡し、またVaのピッツィカートに合わせるアンサンブルやかなり速い小刻みのかん高い1Vnの演奏など複雑な相当込み入った感じのする楽章でしたが、1Vnが優勢なことには変わりありませんでした。

②バルトーク第3番

 バルトークはベートーヴェン以降の弦楽四重奏曲では秀でた曲を作ったとの評価が為されている様ですが、聴いてみてその響きはタイプではないですね。苦手と言うかまた聴いてみたいという感情は湧いて来ませんでした。その良さがまだ分からない、余り聴いていない、からかも知れません。演奏を見ていると弾く人たちにとっては、とてもアンサンブルの息の一致や、メロディの(時には不協和音的な)響きの妙等、面白くて仕方が無いくらい、また合わせるのが難しい箇所の達成感なども大きいのではなかろうかと推察されました。 


《休憩》

 

 ③ベートーヴェン15番

 この15番の四重奏曲は、1825年に重い病にたおれたベートーベンは作曲を中断し、其れからやっと回復して作曲を再開して完成させたもので、その三楽章の冒頭に自ら「病の癒えた者の神への歌」と記しました。全五楽章編成です。

 ③-1   Assai sostenuto -Allegro 

    冒頭から重苦しい低音弦の調べがゆっくり響き、次いで1Vnが速い如何にもベートーヴェンらしいメロディで答え、これ等最初のほうを聞いただけで ❛これは凄い曲だな。❜ と思いました。 1Vnの漆原(啓)さんが、力強い澄んだ音色で音を立てている、漆原(朝)さんはそれに寄り添い目立たないがアンサンブルはその他のパートと良く調和していた。

 ③-2 Allegro ma non tanto

 1Vnと2Vnとがデュオ的に優雅な主題のメロディのやり取りをし、姉妹の息がぴったり合った、あたかも二つのヴァイオリンのための変奏曲の感有り。うっとりと演奏に聴き入りいました。低音弦もVaの大島さんは黙々と二つのVnに寄り添い、Vcの辻本さんは時々1Vnの方を見て目で合図し、時には力強くエネルギッシュに合わせていました。弦を弓で軽快に叩く様にリズミカルに演奏していた箇所が面白い。

 呆然とと言うか(曲を作ったベートーヴェンも曲を現出させている演奏家も)凄いの一言でした。

 ③-3   Molt Adagio - Andante

 Vaのゆっくりした導入にすぐ2Vnが続き、ゆったりとしたアンサンブルは、ベートーヴェンが人生の歩みを振り返り、しみじみと感慨にふけているかの様な雰囲気を持っていました。ここが、ベートーヴェンの書き込みある「病の癒えた者の神への歌」の箇所でリディア旋法という符法を使用しているのです。続いて喜々とした喜びに満ちた歩みのステップを踏んでいるかの如きメロディ、これは将にベートーヴェンの再び作曲に戻ることの出来た正直な気持ちを表しているのでしょうね。1Vnの漆原(啓)さんの演奏が見事、その他のパートも持てる渾身の力を注いでアンサンブルをしっとりと作り上げている。これには、うっとりと演奏に聴き入りました。事前に効いていた録音より、メンバーの皆さんお若いせいかゆっくりの中にもやや速いテンポで進みました。でもこの楽章だけでも約15分もかかる長い章でした(やや冗長な感もなきにしもあらず)。

  ③-4   Alla Malcia ,assai vivace(attacca)と 

  ③-5   Allegro appasionato  -Presto は、もともと一つの楽章ではなかったかと思われる程の一体性が感じられます。アタッカで繋がっていますし、しかもここでのメロディが如何にも以前のベートーヴェンの旋律を彷彿とさせるものがあり、自分でも病がかなり良くなり『復活した』と言う気持ちが現れているのではなかろうかと思われました。

兎に角、15番を聴いて、これぞ後期四重奏の凄さなのかと思える「ひばり奏団」の演奏でした。15番なら最後のピアノソナタ111番に優るとも劣らない曲だと思いました。15番は、ベートーヴェンが残る渾身の力を振り絞って作曲したことが曲の端々から感じ取られました。でもまだ、14番も16番も直かには聴いていません。第16番(約26分)を「SUNTORY CHANNEL」などの動画で見た限りでは、三楽章など人生の黄昏のわびしさ悲しさを感じますが、他の四重奏曲を凌駕しているという程ではないと思う。やはり元気さと言うか生気が強くは感じられない。でも生演奏を聴くと印象がガラッと変わることも有りますから、まだ何とも言えません(それにしても第二楽章の終盤で1Vnが同じメロディを何回も何回も弾き続ける場面は何なのでしょう?尋常でないですね。死に至る病が為せる生への執着でしょうか?)。   

 14番と16番は「エルサレム四重奏団」が先々週サントリーホールで弾いたのですが、残念ながら聴けませんでした。

「ひばり四重奏団」の演奏サイクルでは、16番を弾くのはこれからなのでしょうか?それとも既に終わってしまったのでしょうか? また「ひばり」による「ひばり」も聴いてみたい。

尚、アンコールとして、ベートーヴェン『弦楽四重奏曲Op.18-2の三楽章』即ち第2番の四重奏曲が演奏されました。この曲は初期のものの中では、聴きごたえのある、聴いて気持ちが良い曲だと思います。素晴らしい演奏でした。

######################################################################### 

参考、2021.6.8.hukkats記録「<補遺稿>『6/6エルサレム四重奏団』演奏会」

《補遺稿》『6/6エルサレム弦楽四重奏団』演奏会

f:id:hukkats:20210608224236j:plain

 6/7にペンディングとした6月6日の演奏会最後の曲目、③の「弦楽四重奏曲12番」を聴いた【演奏の模様】と、ピアノソナタ111番との比較を以下の通り補足します。

 ベートーヴェンの作品は、1816年(45歳)ごろから数が減り始め、1821年(50歳)には完成された作品はほとんどありませんでした。長年の悩みや疲れに加え、難聴や内臓疾患がこの時期ますます 深刻になり、精神 にも肉体的にも、どん底ともいえる状態でした。 通常の人間なら、作曲の意欲も同時に衰えてしまうはずです。しかし、ベートーヴェンは、病床でも音楽への情熱を絶えず燃やし続けたといわれます。晩年の創作力が人間技でないくらい凄い。1822年(51歳)以降に生まれた作品は、まさに奇跡です。しかも傑作ばかり。1822年にはピアノ・ソナタ〈第31番〉と〈第32番〉 が、1823年には〈ディアベリ変奏 曲〉や〈ミサ・ソレムニス〉が、1824年 には〈第九〉交響曲が、1825年から 1826年にかけては後期弦楽四重奏曲が生み出されています。とりわけこの時期の弦楽四重奏曲は、最晩年のベー トーヴェンの遺書とも言える作品群です。    吉田秀和さんは、“ベートーヴェンが他の作曲家 とくらべて何が決定的に違っていたかというと、それは晩年の創作力だ” と喝破していました。こうした中、作曲されたベートーヴェン『弦楽四重奏曲』第12番変ホ長調作品127の構成は全四楽章構成です。                           一楽章(Maestoso Allegro)の調べが鳴り始め、主として1Vnの主旋律を聴いていて、あ~これは休憩前に聴いた、①の1番や②ラズモフスキーとは、曲想がかなり違うなと思いました。それはそうです、前者が作曲されてから19年~25年も経っているのですから。しかも12番が作曲された1825年は、ベートーヴェンの死の前々年のかなり苦しい状態にあった時ですから、逆に同じ様なものだったらおかしいのです。 似た様なメロディが繰り返し繰り返し続けられ、作曲者は何か納得できないもの、満たされないものを訴えている様な感じがします。①②の様な短時間での変化には乏しいのですが、主旋律と変奏が繰り返され①②より重厚感が増している。第二楽章は緩やかな旋律を主として1Vnのパヴロフスキーが弾き、他の弦は伴奏的な演奏で①、②の時より分厚いハーモニーを響かせていました。ほとんどVnソナタと聴き間違う程、くねくねくねと長く続いたのには若干飽食感がありましたが。                      三楽章はリズミカルな付点のメロディで進行、これまた何回も繰り返し最終的には若干のメロディの変化があったものの、全体的には変化には乏しい楽章でした。三も四楽章も含めて深い精神性はさ程感じませんでした。でも四人の奏者は最後まで力一杯、力の限り弓を引き、弦を振動させ中々の力演を見せて呉れました。その演奏からは作曲者の音楽に対する執念が感じ取られました。                      

 この12番は1825年完成と謂われますから、ピアノソナタ32番の完成(1822年)の3年後です。病に斃れて亡くなったのが翌々年の1827年です。従って最後の三大ピアノソナタ作曲時の精神構造より、むしろ死への病が進行していた死直前の精神構造の方が曲想に大きく反映されている可能性があると考えられます。Op.111を他の2つの最後のピアノソナタと比較して、次の五つの観点(①ソナタ形式②変奏形式③楽章区分のあいまいさ④歌謡性を有した抒情的旋律⑤対位法への傾倒)からベートーヴェンの曲想造りを考察する研究があり、それによればOp111は、ロマン的な色彩が増した他の二つのピアノ曲より古典的特性が強いものに回帰しているとしています。12番の弦楽四重奏が作られた頃は、耳がほとんど聞こえず、病は一時かなり深刻な状態に陥って、少し改善すると病をおして作曲に取り掛かる状態だったのです。研究者の中には、❝ベートーヴェンの最晩年の音楽的志向は1 変奏曲とフーガへの傾倒 2. 自由化 の展開 3.幻想の飛翔と緊密な構成 4.カルテット志向 5.革新の歩みだ ❞ と言う人もいます。上記カルテット12番を聴くと確かにそれに…近く、この数年前のピアノソナタの曲想とは異なっています。従って12番全体を聴いた限りこの四重奏曲は、よりロマン的な色彩が強くて自由であるが故に、その精神性はOp.111程深いものはではないですし、構造的にOp.111の様な巨大神殿構造様の堂々とした見事なものとは言い難いのです。実際に12番を聴いてみて、演奏そのものは大変素晴らしかったのですが、ピアノソナタ32番の様な大きな世界は感ずることが出来ませんでした。従って先に書いた結論に達した次第です。ベートーヴェンはやはり自分が一番得意なピアノででしか人生の総括が出来なかったのかも知れません。

 尚、ロシアのニコラス・ガリツィン公爵から弦楽四重奏曲の依頼を受けこの曲を作曲したため、第15番、第13番とあわせたこの3曲を「ガリツィン・セット」と呼ぶそうです。ベートーヴェンの最後の創作の弦楽四重奏曲は、あと13番、14番、15番がありますから、それらを聴いてみたら或いは上記の結論がひっくり返るかも知れません。上記の様に断定的に結論するのは、まだ早いかな?