HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

オペラ・プッチーニ『蝶々夫人』鑑賞

 表記の藤原オペラは、6/25~6/27の日程で開かれていたのですが、予定が色々とあって初日は見に行けず、今日最終日を鑑賞しました。

f:id:hukkats:20210628235457j:plain

【日時】2021.6.27(日)14:00~

【会場】日生劇場

【管弦楽】 テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ
【指揮】 鈴木 恵里奈  

【合唱】藤原歌劇団合唱部

【合唱指揮】須藤桂司

 

【演出】 粟國 安彦
【再演演出】久恒 秀典 

【振付】 立花 寶山
【台本】ジュゼッペ・ジャコーザ、ルイージ・イッリカ

全2幕(原語[イタリア語]上演・日本語字幕付)
【出演】今回は、ダブルキャストでしたが、最終日は、以下の歌手陣でした。


蝶々夫人   小林 厚子
ピンカートン 澤﨑 一了
シャープレス 牧野 正人
スズキ    鳥木 弥生
ゴロー    松浦 健
ボンゾ    豊嶋 祐壹
ヤマドリ   相沢 創
ケイト    𠮷村 恵
神官     立花 敏弘
 

【粗筋】

 事前に家にあった「ティバルディ」主演の録音を聞いておきました。このオペラはソプラノの主役が、舞台露出度が高いオペラにプッチーニは仕立てています。殆ど出突っ張りと言って良い程です。ですから相当の力量を要する役柄です。この録音では、全二幕ものとして、第二幕を前半と後半に分ています。演出によっては、全三幕ものとする場合や、第二幕を分けずに単に一幕、二幕とするケースがありますが、内実はそれ程変わりません。今回は、この最後のケースに当たります。

 ネット情報から以下に3幕とした粗筋を転載しておきます。

〈第1幕〉
アメリカ海軍の戦艦エイブラハム・リンカーン所属の海軍士官ピンカートン(Pinkerton)は日本人の少女と結婚することになった。

結婚斡旋屋のゴロー(Goro)が、長崎にきたピンカートンに、結婚後に暮らす丘の麓の家や、下女のスズキ(Suzuki)や下男を紹介して機嫌を取っている。

そこへ駐長崎領事のシャープレス(Sharpless)がやってくる。ピンカートンはここでアリア「ヤンキーは世界のどこへ行っても」を歌う。シャープレスは優しい心の男であり、ゴローが紹介した少女がこの結婚が永久の縁と堅く信じていることを思い出し、戸惑う。だがピンカートンは、この結婚も一時の愛だとシャープレスの危惧を一笑に付すのであった。

 

第2幕(前半)
結婚式から3年が過ぎた。ピンカートンは任務が終わり、アメリカ合衆国に帰ってしまっていた。彼は蝶々さんに「コマドリが巣を作る頃には帰ってくる」と約束していた。蝶々さんの忠実な下女スズキは彼は既にそれらを反故にしたのではと疑うが、ピンカートンを信頼する蝶々さんにとがめられる。 きっと夫は帰ってくると信じてやまぬ蝶々さんは、ここでアリア「ある晴れた日に」を歌う。

その頃、シャープレスはピンカートンがアメリカ本国でアメリカ人女性と結婚したことを本人の代わりに蝶々さんに告げることになっていた。しかし蝶々さんの夫への信頼を見た彼は、それを壊すようなことはできなかった。蝶々さんはピンカートンの手紙を見て喜ぶ。そこへゴローが裕福な紳士ヤマドリ公(Prince Yamadori)を連れてやってくる。ヤマドリ公は蝶々さんに結婚を申し出るが、夫からの手紙に喜んでいる蝶々さんはそれを拒否する。ゴローは蝶々さんは離婚された妻であると説明しようとしたが、蝶々さんは激しく断る。「それは日本の習慣に過ぎない。今の私はアメリカ人である」と。ゴローとヤマドリ公がすごすごと帰ってしまうと、シャープレスと蝶々さんは「友よ、見つけて」を歌う。

そして、シャープレスがピンカートンが帰ってこなければどうするのか、と蝶々さんに問うと、芸者に戻るか、自刃するしかないと答え、困惑したシャープレスが「ヤマドリ公の申し出を受けてはどうか」と勧めると、「あなたまでがそんなことを言うのか」と怒り、シャープレスに彼女とピンカートンとの子供を見せ、「わが夫がこの子を忘れようか」と言い放ち、「子供のために芸者に戻って恥を晒すよりは死を選ぶわ」と泣き叫ぶ。シャープレスはいたたまれずに去っていく。

スズキは蝶々さんの悪評を拡げようとするゴローを捕まえる。蝶々さんにとって悪い話が次々と届く中、遠くにピンカートンの所属艦エイブラハム・リンカーンが兵員の到来を礼砲で告げた。それを望遠鏡で見つけた蝶々さんとスズキは喜び、家を花で飾り、二重唱「桜の枝を揺さぶって」を歌う。そして自分達と子供を盛装させ、障子を通して、ピンカートンの帰りを凝視する。夜が過ぎ、長いオーケストラとのハミングコーラスのパッセージが演奏される中、スズキと子供は眠ってしまう。蝶々さんは決して後悔していなかった。

第2幕(後半)
夜が明けた蝶々さんの家。蝶々さんは寝ずの番をしていた。スズキは目覚め、子供を蝶々さんのもとへ連れて行く。スズキは憔悴した蝶々さんを休むよう説き伏せる。ピンカートンとシャープレスが登場し、スズキに恐るべき真実を告げる。しかし、ピンカートンは罪悪感によって深く打ちひしがれ、自身を恥じていた。余りに卑劣なことで自分の口から蝶々さんに告げることはできず、彼は義務を放り出して去ってしまう。このときピンカートンはアリア「さらば愛の巣」を歌う。スズキは、はじめは猛烈に怒っていたが、シャープレスから、蝶々さんが子供を渡してくれれば、ピンカートンのアメリカ人妻がその子を養育するということを聞き、説き伏せられてしまう。

 蝶々さんはピンカートンと会えると思い、目を輝かせて登場する。しかしピンカートンの代わりに彼のアメリカでの妻ケイト(Kate Pinkerton)と対面させられる。蝶々さんは感傷的な穏やかさをたたえつつ真実を受け止め、礼儀正しくケイトを祝福した。これで平穏が見いだされるであろうと。それから、ケイトやシャープレスにお辞儀をし、子供を渡すことを約束する。そしてスズキに家の障子を全部閉めさせ一人きりになる。障子越しに侍るスズキに対しては、「子供を外で遊ばせるように」と命じて下がらせる。

 蝶々さんは仏壇の前に座り、父の遺品の刀を取り出し、「名誉のために生けることかなわざりし時は、名誉のために死なん(Con onor muore chi non puo serbar vita con onore.)」の銘を読み自刃しようとするが、そこへ子供が走ってくる。蝶々さんは子供を抱きしめアリア「さよなら坊や」を歌い、子供に目隠しをし、日米の国旗を持たせる。そして、刀を喉に突き立てる。今際の際でも子供に手を伸ばす蝶々さん。そこへ異変を聞きつけたピンカートンとシャープレスが戻ってくるが、とき既に遅く、蝶々さんは息絶える。

 

今回の藤原歌劇では、全二幕ものとしており、そのH.P.から粗筋を転載します。殆ど上記と同じですね。

【第1幕】
長崎の街と港を見下ろす丘の上
19世紀末の長崎。アメリカ海軍士官のピンカートンが、現地妻の斡旋をしている女衒のゴローと現れる。ピンカートンは、蝶々さんと住む家を下見して、ゴローから女中や下男たちを紹介される。
そこに丘のふもとからの急な坂を、汗を拭きながらアメリカ領事のシャープレスが登ってくる。ピンカートンは、この小さな家を彼に見せながら「港ごとに女を作り、享楽的に生きるのがヤンキー男たるものだ」と語り、シャープレスも「アメリカよ永遠に」と唱和する。「世界のどこであっても」
今回の日本の娘との結婚に関して、どの程度本気なのかと問うシャープレスに、ピンカートンは「自分でもわからない」と答える。「愛か気まぐれか」
それを聞いたシャープレスは「本気で君に恋をしている娘のことを蝶の羽根をむしり取るように、いたずらに傷つけるのは如何なものだろうか」と戒めの言葉を口にしつつも、ピンカートンの「いつか僕が本当に結婚するであろうアメリカ人の妻のために」の言葉とともに、二人は乾杯する。そこへ遠くから花嫁行列の華やいだ声が聞こえてくる。蝶々さんが、その母親、親類、芸者仲間たちと到着する。
シャープレスに問われた蝶々さんは、自分は没落士族の娘で、まだ15歳ながら芸者をしていると語り、嫁入り道具をピンカートンに見せ、昨日ひとりで教会にいってキリスト教に改宗したことも語る。「おいで、愛しい人よ」
神官が現れ、二人が結婚式を挙げる。人々がそれを祝福する。
そこに蝶々さんの伯父で、僧侶であるボンゾが怒り狂った様子で現れて蝶々さんが改宗したことをなじる。それを聞いた親類たちも驚いて、その場から去っていく。
悲しむ蝶々さんと二人きりになったピンカートンは、蝶々さんをなだめ、抱きしめる。「魅力的な目をした可愛い娘よ」〈愛の二重唱〉

【第2幕】
蝶々さんの家の中
ピンカートンが「次に駒鳥が巣を作る頃には戻ってくる」と言って長崎を発ってから早3年が過ぎた。スズキが天照大神に祈りながら「もう旦那様はお戻りにならないのでは。あまりにも蝶々さんが可哀想でなりません」と涙を流す。それを見た蝶々さんが、「そんなことはないわ。あの方の乗る船が、水平線の彼方から現れるの。そして私の名を呼びながらこの丘を登っていらっしゃるのよ」といつも夢に見るピンカートンが戻ってくる様子を語って聞かせる。「ある晴れた日に」
シャープレスが、ピンカートンからの手紙を携えて訪ねてくる。そこに女衒のゴローが、蝶々さんにご執心の金持ちのヤマドリを連れてやってくるので、シャープレスはなかなか落ち着いて手紙を読み始めることができない。ゴローは「生活も立ち行かないのだし、アメリカ人の亭主が戻ってくるわけもない。いっそこのヤマドリの旦那の世話になったらどうか」と言って、怒った蝶々さんに追い払われる。騒ぎが収まって、やっとシャープレスは手紙を読み始める。「友よ、あの美しい花のような娘に伝えて欲しい」
「あの方が帰ってくる」と喜ぶ蝶々さんの様子に、シャープレスはピンカートンがアメリカで結婚したと書いてあるところまで読んで聞かせることができない。困惑したシャープレスは蝶々さんに「もしもピンカートンが戻ってこなかったら、ヤマドリの世話になってはいかがですか」と言う。その言葉を聞いた蝶々さんは「あなたまでそんなことをおっしゃるなんて」と怒り、別の部屋にいた金髪の巻き毛の男の子を抱いて現れ「旦那様に捨てられたら、私はこの子を抱いて物乞いをして生きるか、あるいは芸者に戻るしかない。それならばいっそ死を選びます」と語る。「母さんはお前を抱いて」彼女の覚悟にシャープレスは、ピンカートンがアメリカ人の妻を伴って来日することを言い出せないまま、暇乞いをする。
スズキがゴローの襟首を掴んで、引きずるようにして連れてくる。ゴローが「蝶々さんの子は誰の子だかわかったものではない。アメリカでは呪われて生まれた子は人々から常に嫌われる」と言うので、蝶々さんは父の形見の懐刀を振りかざし、ゴローは逃げ去る。
そこに船の入港を告げる大砲の音が響く。望遠鏡を覗くと、船にはアメリカ海軍のリンカーン号とある。蝶々さんは「旦那様が戻っていらした。私が信じていたとおりになった」と喜ぶ。そして、スズキとともに庭で摘んできた花々を部屋の中に撒き散らす。「花を集めてきてちょうだい」〈花の二重唱〉
そして髪を整えて化粧をし、婚礼衣裳の打掛を着て、子供とスズキとともに、港が見える方向の障子の前に並んで座りピンカートンが丘を上がってくるのを待つことにする。夜が更けても彼女たちは待ち続ける。〈ハミングコーラス〉

日本風のメロディを多用した、これからの蝶々さんの運命を暗示するような音楽が流れる。〈間奏曲〉
とうとう朝になったが、結局ピンカートンは戻ってこなかった。眠っている子供を抱いて、蝶々さんは奥の部屋へと消える。ひとり残ったスズキは、庭にシャープレスとピンカートン、そして見知らぬアメリカ人女性が現れたのを見て驚く。蝶々さんを呼びに行こうとするスズキをシャープレスが呼び止める。この女性がピンカートンの妻、ケイトであることを話し、「お前から蝶々さんに話してくれないか」と頼む。シャープレスはピンカートンを「見たか。君の軽率な行動の結果がこれだ」と責める。ピンカートンは後悔の念に苛まれ、あとをシャープレスに託し、逃げるようにその場を去る。「さらば愛の巣よ」
人の気配に蝶々さんがやってくるので、ケイトとシャープレスは物陰に姿を隠す。蝶々さんは「旦那様がお帰りなったのね」と家中を探し回る。その蝶々さんに、庭にいるケイトの姿が目に入る。スズキの様子から蝶々さんは一瞬ですべてを悟る。ケイトは蝶々さんに「私を赦してくださいますか。自分の子供として大切に育てますので、坊やを私に委ねてくださいませんか」と静かに問いかける。「あの方がいらしてくだされば、子供はお渡しします。30分ほどしたら迎えに来るようお伝えください」と蝶々さんは気丈に答える。
ケイトとシャープレスが去っていくのを見届け、スズキにすべての障子を閉めさせて蝶々さんは泣き崩れる。そしてスズキに「子供と一緒に遊んでやって」と言って、彼女を自分から遠ざける。
ひとり部屋に残った蝶々さんは、〈誇りを持って生きられぬならば、誇りを持って死を選ぶべし〉と書かれた父の形見の懐刀で自害しようとする。その時、幼い息子が走り込んでくる。蝶々さんは彼を抱いて、息子に別れを告げる。「かわいい坊や」
そして子供を遊びにいかせ、ひとり残った蝶々さんは自害する。遠くからピンカートンが蝶々さんを呼ぶ声が聞こえる中、彼女はこと切れる。
(河野典子)

 

【舞台模様】

 小林厚子さんは、この役で、蝶の様にさらに高みに飛翔しようと一生懸命もがいているということが伝わってきました。

 『蝶々夫人』は、プッチーニが米国の同名の小説と戯曲をもとにオペラとして作曲し、1907年にミラノ・スカラ座で初演されました。初演は不人気で大失敗だったそうですが、それはそうでしょう。舞台は、中国どころか日本という国の長崎というミラノの人達にとっては、聞いたこともないローカルな場所。挙げくに主役は日本人とアメリカ人、これでは、彼等に理解されないのも当然です。

 至るところに日本の歌のメロディやアメリカ国のメロディが流れ、当時の舞台も恐らくある程度、異国情緒豊かなものだったのでしょう。

 今日の舞台は、大変華やかで煌びやかなものでした。まるで、日本舞踊の舞台を見ているみたい。舞台の 両サイドに満開の桜の木を配し、正面には、あたかもグラバー邸のように、長崎を見下ろす高台からの景色を大きな画面に港の風景画を描いたものを配し、ピンカートンが初めて、蝶々夫人に会いに来た場面と結婚式をあげる場面では、振袖姿の少女が6人、綺麗な和服姿の女性が12人も登場、外国での『蝶々夫人』では、殆ど見ることが出来ない様な華やいだ舞台でした。もしプッチーニがこれをみたとしたら、膝を打って、”そうまさしくこれだ、僕が求めていたのは!” とさぞかし感激したことでしょう。

 蝶々夫人は15歳だといいますから驚きですね。高校生にもならない年齢です。あれだけ精神的表現する女性は、もう少し年上でいい気もしました。この役に小林さんは、果敢に挑戦していました。小林さんは、この3月の『ワルキューレ』のジークリンデで初めて聴き、5月のドン・カルロのエリザベッタ代役で歌ったのを観ましたが、最後のエリザベッタのアリアが素晴らしかったので、”終わりよければすべて良し” と、それまでの物足りなさが払拭されたことを記しました。その時と比べると、今回はさらに安定感が増した様に思います。「ある晴れた日」は、会場の大きな拍手を浴びていました。その他のアリアもよく声が出ていたし、声量も増した気がします。これから増す増す伸びしろの大きいソプラノだと思います。敢えて言えば、声質がやや硬いかな?無理に喉から声を絞り出しているケースもあるのでは?ティバルディを聞いていると、全くの自然に声が出ている感じ。まー歌っているキャリアが何十倍も違いますから、その様な喉が出来上がっている違いかも知れませんが。何か発声法の秘密でもあるのでしょうか?今後小林さんも精進され、是非とも日本のプリマドンナに成長して欲しいものです。蝶々夫人のお付きのスズキ役の鳥木さんは、身のこなし、振る舞いが随分と日本女性の将に礼儀正しさと謙譲の美を醸し出していました。あれは演技ですか?普段から身に付いていないと、俄か表現は難しいと思うのですが。歌も蝶々夫人を持ち上げるべく、慎ましく歌っていました。名脇役ですね。

 ピンカートン役の澤崎さんの歌もよかったです。最初のシャープレスとの二重唱や続くアリアも綺麗なテノール美声で歌いあげていました。でも出番が少ないオペラなんですね。最後の別れの歌も良く出来た歌だとおもいます。また、シャープレスの牧野さんは、領事役でずい分蝶々夫人に寄り添って同情していましたが、素晴らしいバリトンをズッシリと響かせていました。日本人歌手陣も随分腕を上げたものですね。世界に互していく力がついてきています。コロナ禍では、思う様な演奏活動は出来ないでしょうが、基礎訓練の時間は、随分あったと思います。コロナを各国が克服した曉には、日本のオペラ団も世界を股に掛けて活躍する日が早く来ることを祈念します。Madame Butterfly稿


f:id:hukkats:20210627195127j:image