HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

《補遺稿》『6/6エルサレム弦楽四重奏団』演奏会

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 6/7にペンディングとした6月6日の演奏会最後の曲目、③の「弦楽四重奏曲12番」を聴いた【演奏の模様】と、ピアノソナタ111番との比較を以下の通り補足します。

 ベートーヴェンの作品は、1816年(45歳)ごろから数が減り始め、1821年(50歳)には完成された作品はほとんどありませんでした。長年の悩みや疲れに加え、難聴や内臓疾患がこの時期ますます 深刻になり、精神 にも肉体的にも、どん底ともいえる状態でした。 通常の人間なら、作曲の意欲も同時に衰えてしまうはずです。しかし、ベートーヴェンは、病床でも音楽への情熱を絶えず燃やし続けたといわれます。晩年の創作力が人間技でないくらい凄い。1822年(51歳)以降に生まれた作品は、まさに奇跡です。しかも傑作ばかり。1822年にはピアノ・ソナタ〈第31番〉と〈第32番〉 が、1823年には〈ディアベリ変奏 曲〉や〈ミサ・ソレムニス〉が、1824年 には〈第九〉交響曲が、1825年から 1826年にかけては後期弦楽四重奏曲が生み出されています。とりわけこの時期の弦楽四重奏曲は、最晩年のベー トーヴェンの遺書とも言える作品群です。    吉田秀和さんは、“ベートーヴェンが他の作曲家 とくらべて何が決定的に違っていたかというと、それは晩年の創作力だ” と喝破していました。こうした中、作曲されたベートーヴェン『弦楽四重奏曲』第12番変ホ長調作品127の構成は全四楽章構成です。                           一楽章(Maestoso Allegro)の調べが鳴り始め、主として1Vnの主旋律を聴いていて、あ~これは休憩前に聴いた、①の1番や②ラズモフスキーとは、曲想がかなり違うなと思いました。それはそうです、前者が作曲されてから19年~25年も経っているのですから。しかも12番が作曲された1825年は、ベートーヴェンの死の前々年のかなり苦しい状態にあった時ですから、逆に同じ様なものだったらおかしいのです。 似た様なメロディが繰り返し繰り返し続けられ、作曲者は何か納得できないもの、満たされないものを訴えている様な感じがします。①②の様な短時間での変化には乏しいのですが、主旋律と変奏が繰り返され①②より重厚感が増している。第二楽章は緩やかな旋律を主として1Vnのパヴロフスキーが弾き、他の弦は伴奏的な演奏で①、②の時より分厚いハーモニーを響かせていました。ほとんどVnソナタと聴き間違う程、くねくねくねと長く続いたのには若干飽食感がありましたが。                      三楽章はリズミカルな付点のメロディで進行、これまた何回も繰り返し最終的には若干のメロディの変化があったものの、全体的には変化には乏しい楽章でした。三も四楽章も含めて深い精神性はさ程感じませんでした。でも四人の奏者は最後まで力一杯、力の限り弓を引き、弦を振動させ中々の力演を見せて呉れました。その演奏からは作曲者の音楽に対する執念が感じ取られました。                      

 この12番は1825年完成と謂われますから、ピアノソナタ32番の完成(1822年)の3年後です。病に斃れて亡くなったのが翌々年の1827年です。従って最後の三大ピアノソナタ作曲時の精神構造より、むしろ死への病が進行していた死直前の精神構造の方が曲想に大きく反映されている可能性があると考えられます。Op.111を他の2つの最後のピアノソナタと比較して、次の五つの観点(①ソナタ形式②変奏形式③楽章区分のあいまいさ④歌謡性を有した抒情的旋律⑤対位法への傾倒)からベートーヴェンの曲想造りを考察する研究があり、それによればOp111は、ロマン的な色彩が増した他の二つのピアノ曲より古典的特性が強いものに回帰しているとしています。12番の弦楽四重奏が作られた頃は、耳がほとんど聞こえず、病は一時かなり深刻な状態に陥って、少し改善すると病をおして作曲に取り掛かる状態だったのです。研究者の中には、❝ベートーヴェンの最晩年の音楽的志向は1 変奏曲とフーガへの傾倒 2. 自由化 の展開 3.幻想の飛翔と緊密な構成 4.カルテット志向 5.革新の歩みだ ❞ と言う人もいます。上記カルテット12番を聴くと確かにそれに…近く、この数年前のピアノソナタの曲想とは異なっています。従って12番全体を聴いた限りこの四重奏曲は、よりロマン的な色彩が強くて自由であるが故に、その精神性はOp.111程深いものはではないですし、構造的にOp.111の様な巨大神殿構造様の堂々とした見事なものとは言い難いのです。実際に12番を聴いてみて、演奏そのものは大変素晴らしかったのですが、ピアノソナタ32番の様な大きな世界は感ずることが出来ませんでした。従って先に書いた結論に達した次第です。ベートーヴェンはやはり自分が一番得意なピアノででしか人生の総括が出来なかったのかも知れません。

 尚、ロシアのニコラス・ガリツィン公爵から弦楽四重奏曲の依頼を受けこの曲を作曲したため、第15番、第13番とあわせたこの3曲を「ガリツィン・セット」と呼ぶそうです。ベートーヴェンの最後の創作の弦楽四重奏曲は、あと13番、14番、15番がありますから、それらを聴いてみたら或いは上記の結論がひっくり返るかも知れません。上記の様に断定的に結論するのは、まだ早いかな?