今日からサントリーホールでチェンバーガーデンが始まりました。初日のオープニングコンサートを聴いて来たのでそれを記します。
演奏はサントリーホール館長の堤剛さん。我が国ではチェロの第一人者です。確かシュタルケルに師事されたと思います。曲目はオールブラームスプログラム。但しブラームスのチェロ・ソナタは生涯2曲だけが世に出されました。それを弾きました。ピアノ伴奏は小山実稚恵さん。この方も我が国を代表するピアニストです。もう一曲は、ブラームスのヴァイオリンソナタの中でも「雨の歌」と称されて有名な曲をチェロ用に編曲したものです。当然音階は低くなりますが、チェロでの「雨の歌」を聴くのは初めてですし、ヴァイオリンとどう異なっているか興味津々でした。
以下にブラームスがチェロ・ソナタ一番を作曲した経緯の情報を引用します。
ブラームスは生涯で2曲のチェロソナタを残している。第1番より以前にブラームスが18歳前後に作曲したチェロソナタが2曲存在する。最初のチェロソナタ(Anh.IIa-10)は1851年頃に作曲され、同年の7月5日にハンブルクで行なわれた演奏会で演奏されたが、ブラームスの自己批判によって完全に破棄された。更にもう一つのチェロソナタ(Anh.IIa-9)は、第1番の緩徐楽章として1862年に作曲されたが頭を悩ませた末に削除され、その後第2番で再び用いられたという。結果的に第1番と第2番が今日に伝えられている。
第1番は1865年の夏に完成されている。作曲が始められたのは3年ほども前のことで、1862年には第1楽章が完成していたようである。更にそれより前の1857年頃から、ブラームスは「ドイツ・レクイエム」の作曲を進めており、そのためもあって第1番の完成にはすぐにこぎ着けなかったという。第2楽章は1865年の2月に完成し、ついで第3楽章は同年の夏に書き上げられ、全曲の完成を見た。ただしブラームスは、本来このチェロソナタを全4楽章の作品として構想していたが、上記の通り緩徐楽章を削除したため、全3楽章の作品となった。緩徐楽章を置かなかったことは、大先輩のベートーヴェンに倣ったと思われる。
またソナタ2番に関しては以下の解説があります。
前作第1番から約21年を経過しており、この時すでに第1番から第4番までの交響曲も書き終えていた。第2番は創作後期のごく始めの1886年に書かれた。ブラームスは、夏の間を避暑地で過ごし、そこで創作に打ち込むことを習慣としていたが、1886年から1888年までの夏は、友人であり詩人のヴィトマンに勧められて、スイスの避暑地トゥーン湖畔で過ごした。トゥーン滞在中はヴィトマンの邸宅で、ヴァイオリンソナタ第2番やピアノ三重奏曲第3番などが作曲されている。チェロソナタ第2番もそうした状況の中で作曲した。おそらくヴィトマン自身もチェロを巧みに演奏できる人だったことから、作曲の動機になったようである。第1番より明るく、男性的かつ情熱的で、規模の大きい作品となっている。また、いささか冷厳な印象を与える第1番と同様に、ピアノには重要な役割が与えられ、技巧的にも高度なものが求められている。
チェロ版「雨の歌」に関しては調べても解説が非常に少ないので音源の解説文を引用しておきます、やや確度は低いかも知れませんが。但しブラームス本人による編曲版に関してです。
チェロ・ソナタ「雨の歌」は、ヨハネス・ブラームス(1833-1897)が作曲したヴァイオリンソナタ第1番をブラームス自身が編曲したもので、その楽譜をチェロが演奏することも有ります。ただかなり引き難い箇所もあった様です。
ブラームスのヴァイオリン・ソナタ『雨の歌』は、ヴァイオリンに旋律を大きく歌わせており、ピアノにはしっかりとした和声の響きを持たせていますから、音楽には厚みが出てきます。そこにブラームス特有の「渋い」「重厚」な音楽の生まれる所以があるのでしょう。またヴァイオリンにそれほどの高い音域を要求せずに、高度な演奏技巧を要求するような曲でもなく、ピアノとヴァイオリンのバランスがほどよく保たれている曲です。
こうしたヴァイオリン・ソナタをチェロに置き換えても全く違和感なく、まるでチェロのために書かれたようなオリジナル曲であるかのように聴こえてきます。
オリジナルのヴァイオリン・ソナタは、1879年に発表されていて、優雅な、親しみやすい、情感豊かな楽想で貫かれた名品です。 尚、「雨の歌」という副題の付けられている理由は、この曲の第3楽章でブラームスが書いた「雨の歌」という歌曲の旋律が用いられているためです。
冒頭からチェロによって導き出される、あの有名な美しい旋律が、朗々とホールを満たすと、これが編曲された音楽であることを忘れて、外ではしとしとと降る雨の中に消えていくような、ビロードのような音色に酔う程です。
クレンゲル編曲版に関する記述は1件だけ見つかりました。
バイオリンソナタの原曲は発表当時から人気が高かったようで、当然チェリストからもチェロで弾いてみたいという要望があったのでしょう。ブラームス以外にもパウル・クレンゲルという指揮者が編曲した版もあります。バイオリンの原曲はト長調、チェロ版は二長調です。チェロで弾くとバイオリンのような透明感や軽やかさが出しにくいということで二長調という明るい響きがする調が選ばれたのでしょう。
いずれにしても、この曲をチェロで弾くのはとても難しいのです。まず、チェロではバイオリンのような透明感が出しにくいこと。そして何よりもバイオリンの得意とする音形をチェロで弾くのですから、チェロでの演奏は困難を伴います。また、チェロでは楽器の特性上どうしても重厚さが全面に出てします。元々チェロのために書かれた作品なら問題はないのですが、この曲のメロディはあくまでバイオリンの良さを引き出すために書かれたメロディ。チェロではどこか違和感があります。そしてこの曲はバイオリン音楽としてとても人気が高く、聴く者はどうしてもバイオリンのイメージで聴いてしまうのです。元々チェロの作品として書かれた曲のように聴かせるのは至難の技でしょう。
今日のプログラムは次の様でした。
【日時】2021.6.6.(日)13:00~
【会場】サントリーホール小ホール「ブルーローズ」
【出演】堤 剛(チェロ) 小山実稚恵(ピアノ)
【曲目】 ①ブラームス:チェロ・ソナタ第1番ホ短調作品38
②ブラームス(クレンゲル編曲):チェロ・ソナタニ長調「雨の歌」
③ブラームス:チェロ・ソナタ第2番ヘ長調作品99
【演奏の模様】
先ず今回特記すべきは、堤さんの音楽家としての、いや人間としてのその姿勢でしょう。恐らく80才に近い筈ですが、率先して皆の先頭に立ち、全力を尽くして有らん限りの演奏に邁進する、指導的立場に立つ人はかく在るべしという手本をみる思いがします。今回に限らず、昨年のウィーンフィル来日公演の際も、主宰者、招聘元の責任者として自ら来日に尽力し、また公演が決まると自ら演奏会プログラムの重要な一翼を担ってチェロを弾き、各地のウィーンフィル公演を無事成功に導きました。今回サントリーホールの音楽祭典もトップバッターとして、見事な演奏を見せて呉れました。あとひと月弱、コロナ禍で、中止、日付変更になったものも少しは有りますが、今日の演奏を観ると必ずや音楽祭典は成功裏に無事完遂されるものと思われます。
今日はオールブラームス プログラムなので、ブラームスのヴァイオリンソナタを聴く度に感じる、伴奏ピアノの大活躍を、チェロソナタではどうなのかということと、ヴァイオリンソナタのチェロ用編曲版とはどんな物かを、確認したいとも思っていました。 ①チェロソナタ1番
①ー1
第一楽章(アレグロ・ノン・トロッポ)
堤さんの第一声(テーマ)は、滔々とした大河の流れを思わすチェロのずっしりした響きで、小山さんのピアノは、やさしさを感じる軽やかな、しかし処により力強いしっかりした響きで、互いに音のやり取りを始めました。それぞれ、自己主張する箇所もあれば、かげに籠もる時がありましたが、全体としては、ピアノは、伴奏に徹しています。
①-2 第二楽章(アレグレット・クワジ・メヌエット)
冒頭でピアノの誘導に即座にチェロが応じ、少々変わったメロディが流れ出しました。小山さんは、時々体を横に揺すりながら軽やかに弾いている、堤さんは、ピッツィカートを入れたり情感豊かにやや寂しさを感ずるメロディを奏でています。ここの楽章になり、俄にピアノの活躍振りが目立ってきました。やはり、ブラームスお得意の、「□□□と△△△のためのソナタ」の気配がしだしました。
即ち、ピアノは伴奏にとどまらず、かなりの自己主張をするのです。勿論これは、ピアニストの独断でも解釈の誤りでもなく、ブラームスの作った曲の楽譜を忠実に表現すると、主役の楽器と対等的立場に立ち「~と-----のためのソナタ」 に聞こえてしまうのでした。
①-3 第三楽章(アレグロ)
ピアノの強打とも言える導入演奏にチェロは、テンポのはやい伴奏的調べを奏で、ブラームスお得意の民族音楽的メロディを含む
共奏の流れは、チェロのffでの激しい調べを経て、フーッと息を抜く様に弱音に変わる処の呼吸のタイミングが絶妙で、弱音の澄んだ音がこれがチェロの音かと思う程綺麗だったことに感心しました。ただこの楽章は、全体としては、ピアノが優勢で、小山さんは少しも妥協せず、ブラームスの指示通り堂々と弾いている様に見えました。
②チェロ・ソナタニ長調「雨の歌」
チェロ版「雨の歌」は、今日は、この曲を聴いただけで、聴きに来た甲斐があったと思う程の素晴らしい演奏でした。その上、チェロソナタ1番と2番まで聴けたのだから、言うこと無しです。
堤さんのチェロ演奏は、これが元ヴァイオリンソナタの曲か?と疑う程チェロ曲そのものに昇華されたものでした。勿論ヴァイオリンソナタ「雨の歌」は、ここ数年来、有名ヴァイオリンニスト達の生演奏やら録音やら、何回も聴いてきて、その切々とした魅力に魅了されていますが、今日のチェロ演奏は、その常識をひっくり返す程のショッキングなものだったのです。先ずヴァイオリンに負けず劣らずの見事な綺麗な旋律の現出。次いでヴァイオリンでは感じなかった深い重い憂鬱感。それでいて、ヴァイオリンの如き救い難い心の叫びは無く、憂鬱感を包む大らかなある種救いの調べ。これらを堤さんの演奏は、素晴らしい表現力で示してくれたのでした。
殆どの楽章で、ヴァイオリンソナタ1番で聞くメロディがそれと分かるかたちで流れましたが、不思議と全体の感じは、チェロ独自のものだったのです。一楽章では、ピアノはチェロに寄り添っていましたし、二楽章のゆったりしたチェロの重音も、堤さんは綺麗に出していたし、三楽章のチェロに歌わせる箇所は、ヴァイオリンソナタが霧雨としたら、もっと粒の大きい雨の如しでしょうか。
三楽章最後のチェロの調べは非常に秀麗なものでした。
《20分の休憩》
③チェロソナタ2番
この曲は四楽章構成です。1番が世にでてから20年程も経って作曲されたこのソナタは、流石に構成といい素材の組み立てといいさらにしっかりした物となっています。
③-1 第1楽章 (アレグロ・ヴィヴァーチェ) ヘ長調、
冒頭から堤さんのチェロも小山さんのピアノも速いテンポの激しい流れとなり、時折入るピツィカートは、コントラバスの様な低くて大きい音を立てて、合いの手をいれていました。ピアノが高音で、ピンピンピンと跳躍すると、チェロは最低音のズッシリした音を立てていた。
③-2 第2楽章 (アダージョ・アフェットゥオーソ) 嬰へ長調
チェロのピツィカートや、その後の主題の見事な調べなど、ここでもチェロの鳴りは、上等でした。
その後、第3楽章、4楽章と進むにつれ、堤さんの繰り出す音は益々冴え渡り、チェロって、こんなにもいい音が出るのかと感心した程です。楽器も余程いいものを使っているのでしょう。特に最終の主題のメロディは、感動的に良い響きでした。
演奏が終わると満員の会場には、大きな拍手が渦巻き、何回か、挨拶を繰り返した堤さんと小山さんは、アンコール曲を弾いてくれました。シューマンの『アダージョとアレグロ』でした。 堤さんは、得意中の得意といった風で、小山さんの伴奏に合わせて、気持ち良さそうに弾いていました。滔々とした、ブラームスのソナタをさらに洗練した様な調べでした。
感想等は以上です。これまで、チェロの演奏会に行く機会は少なくて、その良さはピアノやヴァイオリン程には、分かっていなかったのですが、何回も聞けば聞くほど好きになってくる気がします。
先月のマイスキーとアルゲリッチのデュオコンサートが中止となったことは、かえすがえすも残念です。
尚、バレンボイムがピアノ伴奏で、最初の妻となるイギリスのチェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレが演奏するブラームスのチェロソナタの録音が、ユーチューブにあったので、前もって聴いておきました。
デュ・プレは才能に恵まれながらも、多発性硬化症の発病により、悲劇的にも突然に音楽家生命を断たれ早世したそうです。一昨日素晴らしい演奏をしたバレンボイムは、その様な悲しみも乗り越えてきたのですね。
それにしてもこの写真のバレンボイムの何と若いこと、また何と幸せそうなのでしょう。若くして才能を発揮していたのですね。口周辺が一昨日見たバレンボイムと似ています。