HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

夏目漱石『硝子戸の中』再読(20年振り)

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 書棚の中に2、3日前、懐かしいカヴァーの文庫本が目に留まりました。森鴎外と同じ津和野出身の絵本画家、安野光男作の柔らかい瓦屋根の家と今は懐かしい変圧器が乗っている電柱、及び何の葉でしょう?薄緑の植物が実に生き生きと茂っている絵のカヴァーの本です。夏目漱石作の随筆『硝子戸の中』(新潮文庫)です。20年振りでしょうか?ざっと読んでみたら少し残っている昔読んだ記憶と異なった感じを受けました。 成程なるほどとその行間まで漱石の気持ちが染み渡る、何か枯れた雰囲気が良く伝わって来ました。それだけ自分も年取ったということでしょうか?この随想は大正四年一月から二月まで三十九回にわたって朝日新聞に連載されたものをまとめた本です。この文庫本には仔細に渡った[註解]が付いているので、昔の地名や現代では耳慣れない言葉が良く理解できます。ここでは、随想全体や漱石の思想や死生観に関して記するつもりはなく、連載第三回目の「飼い犬」に関する随想のことを話題とするものです。

 

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ヘクトー

 漱石はこの貰い犬に『ヘクトー(Hector)』と名付けたのでした。ヘクトーは小アジアの古代国家トロイアの英雄です。ギリシャ(アカイア人)と戦った時、アカイアの英雄アキリス(むしろギリシャ神話のアキレスの名の方が有名)に果敢に立ち向かい、籠城しているトロイア軍と民を守ろうとした。

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ヘクトーとアキレスの一騎打ち

しかし最後はついにアキリスに撃たれてしまう英雄の名を、漱石は子犬に付けたのです。その心は不明ですが、何か尊大な名でもありユーモラスさえ感じられる名です。犬のヘクトーは結局弱虫だと分かったのですが、漱石は愛情を注いでいる様子が良く分かります。  結局、ジステンパーを一度患ったヘクトーはもらい受けてから数年で死んでしまいました。漱石は追悼の句をしたため、それをしるした木の墓標を埋葬した庭の墓の上に立てたのでした。「秋風の聞えぬ土に埋めてやりぬ」。その墓はかの有名な「吾輩は猫である」の猫の墓の2m弱(1間)位の位置でした。猫の方は「名前はない」まま最後まで無名で死んでしまう訳ですが、ワンチャンの方は立派過ぎる名を貰い死んだのですから大往生出来たことでしょう。漱石はこの犬の死に、何か自分の将来を予感していたのかも知れません。人間でも無名の場合、例えば戦死者や津波で亡くなって名が分からないご遺体は、無縁仏として葬られますから、さぞかし隣の墓に眠る猫は無念で往生しきれなかったかも知れません。

一方先日NHKテレビで「養老先生とまる」という番組を放送しているのを見ました。

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  養老先生とまる

これは解剖学者・養老孟司氏と愛猫まるとの物語です。以上の漱石の随想の映像版といったところ。異なっているのは文学者と解剖学者、犬と猫の違いで、似ている処はどちらも死生観、哲学(生き方)がにじみ出ていることです。発現した現象は異なっても、ものの本質は変わらないということかな?

 このマルマルと太った満丸顔の「まる」もついには死んでしまうのです。一般的に解剖学者は死者を、例えば死因の検証を目的として、解剖するのでしょう?若しここでまるを解剖したら悪い冗談となってしまう。恐らくまるの死を悼む解剖学者は、これまで何検体を解剖したか数え切れない死者の魂を、まるを通して無意識で追悼していたのかも知れません。

 ところで小生の身近な知り合いの家でも、最近子猫を貰い受けたそうなのです。見たことはないのですが、その家の小学生低学年の子が「セサミ(Sesame) 」と名付けたのだという。セサミストリートの録画でも見ていたのかな?家内が聞いた話によると、小学生のママがその子猫の両手が、黒ゴマの様な斑入りの毛に覆われているので、最初「ゴマ男(お)(そうオス猫です)」と子供共々呼んでいたそうですが、そのうち見栄を張って「セサミ」と呼んでいるとのことでした。その子は幼稚園児の時(コロナ禍の以前に)パパと静岡にキャンプに行った時、捕まえた小さな雨蛙を「フェニックス、フェニックス」と人前では呼んでいたそうなのです。でも蛙が死んだ時「あまちゃんが死んじゃった」と泣いたらしい。「ゴマ男」とか「あまちゃん」とかとても子供らしくかわいい名前ですが、表立つと「セサミ」とか「フェニックス」とか小さい子でも見えを張って使いわけるのでしょうか? この名付け方も漱石と養老さんとでは異なっていました。両者の哲学(生き方)の違いが垣間見られる気がします(時代が随分違いますけれどね)。

 それにしても漱石は ❝私はこの偉大な名を、風呂敷包にして持ってきた小さい犬に与えたのである。何も知らない筈の宅の子供も、始めは変な名だなあと云っていた。然しじきに慣れた。犬もヘクトーと呼ばれる度に、嬉しそうに尾を振った❞と書いていますが、漱石の子供たちは、漱石がいない時には別な愛称で呼んでいたのかも知れませんよ。

 

 話題は変わります。音楽会の開催のメールがサントリーホールから来ました。6月に大々的に「チェンバーミュージック・ガーデン」と名付けた音楽祭を、外国人演奏家+国内演奏家による室内楽演奏で催すというのです。演奏家はみな錚々たるメンバーです。もうチケットは発売しているのですね。色々聴かなくちゃ!