《ヴィクトリア朝③》
前回、ヴィクトリア女王は1861年の夫アルバート公の死により、以後何年も喪服を脱ごうとはしなかったことを記しました。しかし実生活ではいつも嘆き悲しんでいたばかりではなく、恐らく気晴らしに乗馬やその他の活動を少しづつ再開していた様です。次の乗馬の写真は、1868年に撮影されたもので、左で手綱を取っている男性は、女王の側使い(個人的使用人)ジョン・ブラウンという人物です。
彼は元々はアルバート公と女王がこよなく気にいったスコットランドのバルモラル城で、二人に仕えていた屋外使用人で、女王は彼に信頼を置き、何かと世話を申し付け、その度アルバート公との過去の生活を思い起こしていたのでしょう。しかしさが無い噂をする人は、女王との関係を疑ったり、醜聞的報道もされたりしました。世の中には、男女が話をしていただけでも、“恋をささやいていた”等と妄想する人がいますからね。何十年も喪服を外さなかった女王が、そんな恥ずべきことをすることはありません。これは断言出来るでしょう。
この頃には写真による肖像画が益々普及し、王室が大衆の人気を博する一因になって行ったことは前にも述べました。次の写真は皇太子妃のアレクサンドラがルイーズ王女を背負っていて、アレクサンドラ妃の母としての姿は、大衆の人気をさらに高めました。
彼女は長身で美しくスタイルも良くて、のちのダイアナ妃の様な、現代の王族の女性に対するイメージの模範を築いた一人とも言えます。