HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『桑原志織ピアノリサイタル』

 緊急事態宣言の後は、大規模オーケストラの演奏を聴きに行かなくなりました。いやその少し前からですね。最後に聴いたのは、昨年11月のウィーンフィル来日公演でした。大晦日のベートーヴェン全曲演奏会は、長時間、密な状態の閉鎖空間で聴くのが怖くて、行きませんでした。ウィーンフォルクスオーパーのニューイアーコンサートは中止になってしまいましたし。

 新規感染者数がかなり減って来た最近でも、聴きに行くのは小規模なリサイタル位です。先々週は『メーリテノールリサイタル』、先週は若手の『ヴァイオリンリサイタル』、そして今日は、やはり若手の『ピアノリサイタル』を聴きました。何れも東京文化会館小ホールです。

 今日のリサイタルは、桑原詩織さんという若手のピアニストでした。

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ベートーヴェンのソナタ31番を弾くというので、聴きに行くことにしました。31番のソナタは、最後のソナタ達(30番、31番、32番)として、 まとめて演奏されることがあり、最近では、昨年12月にオピッツの来日演奏の時聴きました。参考までその時の記録を文末に再掲します。

 今回は若手のピアニストが、どの様に31番を弾くか興味津々でした。

 桑原さんは藝大出身の新進ピアニスト、H.P.で紹介されている経歴を以下に転載しました。

2014年第83回日本音楽コンクール第2位、及び岩谷賞(聴衆賞)受賞。2016年第62回マリア・カナルス・バルセロナ国際音楽コンクール(スペイン)第2位、及び最年少ファイナリスト賞受賞。

2017年第68回ヴィオッティ国際音楽コンクール(イタリア、ヴェルチェッリ)第2位、及び Soroptimist Club賞受賞。

2019年第62回ブゾーニ国際ピアノコンクール(イタリア、ボルツァーノ)第2位、及びブゾーニ作品最優秀演奏賞受賞。

東京都出身。学習院初等科、女子中等科卒業後、東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校に進学。

同高等学校在学中に、PTNA特級銀賞・聴衆賞、王子ホール賞、

ルーマニア国際音楽コンクール第1位・オーディエンス賞、東京音楽コンクール第2位等を受賞。

第6回福田靖子賞優秀賞。

2014年度ヤマハ音楽奨学生。 

2018年3月 東京藝術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻を首席で卒業。伊藤恵氏に師事。在学中に、アリアドネ・ムジカ賞受賞。

卒業時に、安宅賞、アカンサス音楽賞、大賀典雄賞、同声会賞、三菱地所賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。

2018年4月より、ベルリン芸術大学大学院(マスターソリスト課程)にて Klaus Hellwig 氏に師事。

 

《プログラム》

【日時】2021.2.24.19:00~

 

【会場】東京文化会館 小ホール

 

【曲目】

①ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ第31番変イ長調Op110

②ラヴェル『ラ・ヴァルス』

リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調 S178

 

【演奏の模様】

①Betv..ソナタN31

(第1楽章)

 赤い👗を身に纏い登場した桑原さんは、マイクを手にして、今日は休憩なしで三曲通して演奏する旨告げました。コロナ禍の緊急事態宣言中であることを、考慮してのことだと思います。

 ピアノの前に坐ると、やや遅いテンポで弾き始めましたが、立ち上がりの左手少し不安定に聞こえました。すぐに次の速いパッセージに移り、またゆっくりした手捌きに戻りましたが、歯切れの良い右手メロディに比し、左手の切れが今ひとつといった印象を受けました。

 それにしてもこの第1楽章は、明るく全体的印象は軽快でウキウキした感じがあるのですが、その点で最後の三つのソナタ達の中では異色な存在です。少し言い過ぎですが、あたかもベートーヴェンが名を上げつつあった初期の生き生きしたソナタに舞い戻ったかの如きです。中期から後期にかけての素晴らしい、重厚な、奥の深いソナタの中で何かホッとする側面を感じます。桑原さんの第1楽章も聞きいていて、温もりを感じさせるものでした。 

(第2楽章)

 短い楽章ですが、桑原さんは強弱長短音の粒が揃った演奏で舞曲の様子をうまく表現していました。

(第3楽章)

 桑原さんのトークでは、31番のソナタには、歌う様なメロディがあるということと、2年後に作られた交響曲第9番を引用した説明がありました。

 31番のソナタは1821年に出来上がったのですが、ベートーヴェンはその後も31番を一部書き換えたり、付け足したりして最終的には32番のソナタより後に現在の形に完成したと謂われます。いったいどこをどう直していたのでしょう?書き換えの譜面が無く経過は分からないので、あくまで憶測ですが、第3楽章の歌う様な箇所、それに関係したフーガなどではないでしょうか?間違いかも知れませんけれど。大胆に推理すれば、べートーヴェンの❛不滅の恋人❜に何年か前に(これは8番の交響曲が作曲された1812年より後とする研究者もいる様です)失恋し、その心の傷が仲々癒えない中で、1楽章の春の様な愛を思い出す雰囲気の曲と、3楽章の切ない『嘆きの歌』(Klagender Gesang)で失恋を嘆き、その前後のフーガに嘆きの歌をサンドウィッチすることで、嘆きから立ち直る力を付けて、それ以降の9番シンフォニィー等を作曲する推進力としたという物語ではどうでしょうか? 

    桑原さんの3楽章のイントロ部は非常にスローに弾き始め、嘆きの歌の箇所は嘆いているまずまずの感じは出ていました。最初のフーガ部は弱い音だと左右の指使いのバランスが良くて、バッハのカノンを想起させる綺麗なフーガでしたが、ffになると跳躍する右手の高音がやや不鮮明に聴こえました。左手は強さが右手に負けないで良し。ただもう少しff部は弱めに弾いた方が、後半のフーガとの対比で、恋とか愛とかの感じが出るのではなかろうかと思うのですが。アラウの録音やオピッツのフーガはそうでした。

 前半はバッハのカノンの如く清廉に、後半はベートーヴェン独自の世界をフーガで力強く表し、桑原さんが冒頭のトークで語った❛コロナ禍での未来への希望❜との説明通り、未来に繋ぐ希望を託す演奏となって、31番ソナタはほぼ成功したと言えるでしょう。

 ②Rav.ワルツ

 管弦楽のための舞踏詩『ラ・ヴァルス』(La Valse, Poème choréographique pour orchestre )は、もともとバレー音楽として作曲を依頼されたモーリス・ラヴェルが、1919~1920にかけて作曲した管弦楽曲です。ピアノ2台用やピアノ独奏用にも編曲されており、現代では、ピアノ演奏会用として演奏されることが多い曲です。

 いかにもラヴェルらしいエネルギッシュなメロディを、桑原さんは繰り返し繰り返し力を入れて弾き、非常に不気味な雰囲気を感じるメロディというか音の連なりが聞こえてきます。速くなったかと思うと凄い音量でピアノを彷徨させたり、相当な力を要する難曲だと思いましたが、桑原さんは、それを体は余り動かさず、腕と手で難なく弾きこなしている。相当腕力が強いピアニストだと思いました。

 この曲には、ラヴェル自身によって付けられた標題があり、それは、次の様なものです。

「渦巻く雲の中から、ワルツを踊る男女がかすかに浮かび上がって来よう。雲が次第に晴れ上がる。と、A部において、渦巻く群集で埋め尽くされたダンス会場が現れ、その光景が少しずつ描かれていく。B部のフォルティッシモでシャンデリアの光がさんざめく。1855年ごろのオーストリア宮廷が舞台である。」

 でもこの表題は前もって知らなかったので、先入観無しにこの曲を聴きながら、次の様な、自分なりの幻想を抱きつつ桑原さんの演奏を聴いておりました。

「赤味がかった空に、黒い金斗雲の如き形の雲が、猛スピードで次々と流れて行き、踊り子がくるくると同じ場所で米コマの様に回っている。相変わらず雲は発生し流れては消え、消えてはまた発生している。一条の太陽光が空からスポットライトの様に地上を照らし、その中で白い衣を身に着けた一人のエトワールが踊り始める。突然の轟音と共に黒い悪魔が登場、踊っていたエトワールが突然倒れかける。悪魔が舞台上に跳び上がり、エトワールをかかえ両手で抱き上げる、と悪魔のワルツを踊り出す。いつの間にか抱き上げられたエトワールは小鳩となって飛んで去ってしまう」

 桑原さんは、華やかなハプスブルグ宮の華麗な舞踏というより、デモニッシュな雰囲気を、ラヴェルらしさを、力とテクニックを駆使してよく表現出来ていました。あの曲を弾くには相当の技輛を要し、相当くたびれたことでしょう。              曲演奏の終盤、グリッサンド(hukkats注)を何回か繰り返し弾き終わった桑原さんは、疲れた表情も見せずにこやかに挨拶して舞台裏に消えました。

 (hukkats注)グリッサンド (伊: glissando)またはグリッサンド奏法 は、一音一音を区切ることなく、隙間なく滑らせるように流れるように音高を上げ下げする演奏技法をいう。演奏音を指しグリッサンドという場合もあり、演奏音は滑奏音とも呼ばれる。

 

③List、ソナタBmol

      演奏時間30分前後の単一楽章のソナタです。単一とは言え、大まかに見て次のパーツから構成されています。

 第1のパーツは、多楽章形式の第1楽章に相当し、全体における提示部の役割を果たしています。冒頭から、作品のほぼ全体を形成する3つの主題(1)下降音のモチーフ(2)広い音程の激しいユニゾンのモチーフ(3)まとまった順進行のモチーフから構成されています。

 リストは、モチーフ(1)のスタッカートを「鈍いティンパニの音」、モチーフ(3)の同音連打を「ハンマーの打撃」(Hammerschlag)と表現しています。

 第2のパーツは緩徐楽章に相当し、そこでのモチーフは聞き手を幻想の世界に誘います。「空気は澄み、静かで烈しく心を揺さぶられる」と説明されています。

 第3のパーツは、舞踊的な色彩の展開部の後半で、再現部への準備的意味合いもあります。何かデモニッシュな感じがしています。

 第4のパーツはフィナーレに相当、ソナタ形式の再現部で、鍵盤の全域を使った和音で唐突に断ち切られます。静寂の後、ロ長調で第2部の主題が回想され、モチーフ(3)モチーフ(2)、モチーフ(1)が弱音で再現した後、静かに全曲を終えます。

 兎に角、この曲も②のラヴェルの曲に負けず劣らず聴いて疲れる曲です。弾くピアニストも相当疲れるでしょう。

 桑原さんはこれまた力演そのもので、上記の様に構築された単一のソナタ世界を、積み木を積んで作りあげるかの如く、ピアノの音一つ一つで築き上げて行きましたが、如何せん積み上げては若干崩れ、また補修しては単一世界を目指すのですが、また元に戻り、注意して見れば同じ位置には戻らないのですが、また崩れ、リストという人は相当、粘着性のある作曲家ですね。聴いていて飽きる程、冗長で没個性的(と言ってもリスト特有の音の香りはしますが)、曲の終わりもシンフォニーで時々見かける様な、一旦終了したかと思うと又次が有り、これでもかこれでもかと、永遠に演奏が続くのでは?と勘違いしそうな気配の曲でした。それを桑原さんは最後まで丹念に延々と、ほとんどミスなく弾き切ったのですからたいした物です。感心しました。 

 最後にアンコールがありました。シューマン作曲リスト編曲『献呈』。これは元々歌曲ですから今回のべートーヴェンの 『嘆きの歌』以上にピアノに歌わせる必要があるピアノ曲です。桑原さんは演奏の疲れがどっと出たのか、歌っている感じが余り出ていませんでした。勿論ピアニストも心で歌いながら弾くのでしょうけれど。

 そう言えば本演奏の曲でも、速いパッセージは指使いも切れ味も素晴らしく力強いのですが、pのゆっくりしたメロディはもっとピアノに謳わせてもいいのではと感じる箇所が幾つかありました。表現に磨きを掛ければ、さらに素晴らしいピアニストになると思います。

トークからも演奏からもまじめな性格が窺えました。

 

《再 掲》/////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////// 

『ゲルハルト・オピッツ ピアノリサイタル』を聴いてきました。                     

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 1953年ドイツバイエルン州生まれのオピッツは今年67歳、長年ミュンヘン音楽大学で教鞭をとりました。今では数少ないウィルヘルム・ケンプの弟子です。ケンプは誰もが認める「ベートーヴェン弾き」、ケンプの弾く32番のソナタのCDが家にあったので事前に聴いておきました(普段はアラウのベートーヴェンソナタを聴いています。)

 今回ベートーヴェン生誕250年を記念して各地で来日公演をしたのです。近場の横浜でも11月8日に演奏会があったのですが、曲目が別なものだったので行きませんでした。 今回はベートーヴェンの「最後の三つのソナタ」を弾くというので行ったのでした。なぜならば11月16日に「藝大奏楽堂」でソナタ32番を渡邊健二教授が弾き、それを聴いて感銘を受けたことと、最近30番、31番、32番の三つの曲が連番で入っているアラウが演奏するCDを、家で聴くことが多いことが、聴きに行きたいと思った大きな要因でした。

 

【日時】2020.12.11. (金)19:00~

【会 場】東京オペラシティコンサートホール

【演奏曲目】

①ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 op.109

②ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 op.110

③6つのバガテル op.126
④ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 op.111

 

【演奏の模様】

 開演となり登壇したオピッツは、白い短髪と短い白鬚に覆われその柔和さは如何にもドイツ人といった風貌で、今の時期、赤色のガウンと、毛糸の三角帽を被れば、立派なサンタクロース(🎅)そのものです(失礼)。

①挨拶の後すぐにピアノに向かい30番のソナタを弾き始めました。がっしりした体躯から伸びた腕も太くて頑丈そうです。しかし平たく構えた太い指から紡ぎ出される音は、ビアノとは、こんなに繊細できれいな音が出るのだと感動すらする響き、録音では決して味わえない音です。

 オピッツは、終始落ち着き払って不動の姿勢でかなりゆったりしたテンポで弾いています。二楽章でも三楽章でも、右手の小指から出る高音のきれいな音、鍵盤を撫でる様にして弾いている。三楽章の終盤の速いパッセージも指をやや丸めて、あくまでソフトにタッチしていました。ソフト感が目立った演奏でした。 

 

②この31番の曲は、30番、32番程深い精神性を感じるものではありませんが、メロディが親しみやすさがある曲なので、若い人にも人気がある様です。何故か世に売り出した初期の頃のソナタの初々しさも感じる曲です。

 一楽章のModeratoでは、①の冒頭よりもさらに落ち着いた様子で、右手のしっかりしたタッチから、この世にこんなにも奇麗な澄んだピアノの高音が出るのかと思われる程の素晴らしい調べを奏でていました。録音では、何故この様な繊細さが出ないのでしょう。カットされている周波数の音のせいでしょうか?これはピアノの打鍵でなく、まるで鍵盤の愛撫ですね。

 第二楽章の速いパッセージも不動の姿勢で演奏、軽快に歯切れの良い演奏でした。

 三楽章のAdagioでは、ややせっないとも感じる主題をゆっくりと、しかし遅からず速からず絶妙のテンポで歌い上げていく、これはもう鍵盤に歌を歌わせているに等しいですね。低音のff部はズッシリとした重量感溢れる調べですが、やはり不動の姿勢で指を少し高くして、少し強く振り下ろす程度で音を出していました。如何に長い年月を演奏して、身に付いている音を軽々と繰り出しているかが分かりました。

3楽章の後半はフーガ。アラウの録音では、フーガの部分は、第4楽章として扱われていました。フーガは前半と後半は、その進行パターンが異なり、フーガの間隙には3楽章の最初の方に出てくる歌う様なメロディが、サンドウィッチの如く挟まれています。前半のフーガは、まるでバッハそのもの。ベートーヴェンは相当バッハを学んでいますね。フーガの最後は、相当力を込めて弾いていました。でもかなりゆっくりしたフーガでした。

 

《15分間の休憩》

 今日の演奏会でもホール放送は、感染症防止対策とその注意点を繰り返し放送していました。一階席は市松模様ではなく、連番でチケットを販売した様なので、前の方の席はかなり入っていましたが、後部席になる程空席が目立ちました。コロナの急速な拡大で来れなかった人も多くいるのではないでしょうか。自分の席は、ピアノリサイタルの場合鍵盤の見え二階のⅬ席を選ぶ場合がほとんどなのですが、どういう訳か両隣とも誰も来ませんでした。幸運にも密を避けることが出来たので安心して鑑賞出来ました。

③『バガテル』とは、フランス語の“Bagatelle”が語源で、もともと“つまらぬもの”の意味ですが、いい意味で使う場合は  “小さくて愛らしいもの” 位の意味です。有名な用法はパリ16区にある『La Roseraie de Bagatelle(バガテル薔薇園)』です。

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パリ・バガテル薔薇園

広大なパリのブローニュの森(約850万㎡)にある“Parc de Bagatelleバガテル公園)”の一画にある薔薇園です。語源は“バガテル城(1777年建造)”から来ているみたい。

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バガテル城

 確かにお城というより‘小さな館’ですね。フォーレやドュビッシーやラベルが活躍していた時代にもあった薔薇園です。ベートーヴェンはこの薔薇園は知らなかったでしょうが、バガテル城の事、特にその建造期間についてマリー・アントワネットが義理の弟のアルトワ伯に賭けで負けたエピソードはきっと知っていたことでしょう。

    ベートーヴェンのピアノ作品『6つのバカデル作品126』はピアノ・ソナタという程ではないけれど、6つの愛らしい小作品の意味です。その他にもバガテルをベートーヴェンは書き残していますが内容的にも纏まりから言っても、この126番が一番有名です。一連のソナタ全曲を書き終わった後の最晩年のピアノ曲です。何れも数分の短い曲で全体でも約20分です。  第1曲は初期のピアノ・ソナタを思わす様な優雅な響きがあり、時々左右少しずれる様な音があるリズムの処も面白い。第2曲はバッハ的対位法の様な左右の指から繰り出す音の掛け合いが見事 第3曲は心に染み入るゆったりした落着いた旋律で長いトリルが美しい。 第4曲は軽快で力強いリズミカルなくるくる回って踊っている場面を連想してしまいそう。聴いていてさみしさが募る第5曲、最後の6曲は結構激しくて速い導入の後、スローなどこかショパンを思わすようなメロディ、これ等をオピッツは前半の二つのソナタで見せた優美さとしっかりとした指使いで見事な一連の絵巻として描いて見せたのでした。

          

④32番のソナタは、ベート-ヴェンのソナタの中では少数派の二楽章構成(19、20、21、22、24、27、そしてこの32番)ですが、二楽章構成のソナタには、いい曲が綺羅星の様に輝いています。 21番『ワルトシュタイン(27分)』、24番『テレーゼ(10分)』の名称付きは勿論のこと、20番(9分)もなかなかいい曲なので好きです。最後のソナタ32番(30分)に至るとこれはもう、ベートーヴェンのピアノ・ソナタの集大成・最高傑作と言って良いでしょう。二楽章構成の曲達の中でも異例の長い曲で、如何にベートーヴェンが力を尽くしてこの32番を作曲したかが伺えます。       

さて一楽章の冒頭で、左手⇒右手⇒左手⇒右手でババーン、ババーン、ジャジャ、タララララララララ というかなりドラマティックな音が立ちましたが、オピッツは今日の演奏の中でも最大と思われる大きい音量で、力を込めて演奏していました。それを二回繰り返した後の不気味な低音も、強い調子でリズミカルに表現、そして速いパッセージに移ると「忙中閑あり」というより「急中緩あり」の微妙な速度の変化で以て表現性豊かに弾き、その匙加減は見事と言う他無かったですね。最終音は随分と長くペダルを踏んだまま伸ばして消え入る様に終了しました。    

 二楽章は長い楽章ですが、最初のAdagioの主題は随分とゆっくりしたテンポで始まり、丹念に音を紡ぎ出しています。兎に角音が綺麗。主題が次々と変奏され、速く小さな音の部分でドンと足がステージを踏みつける音が二三回聞こえましたが、これはペダルを踏んでいた足を離して床に戻す時音がしたのでしょうか? 

 最終場面で、右小指でメロディの音を飛び飛びに出し、両手を揃えながら他の指は伴奏的に弾いていく箇所では、最高音が何と素晴らしく響いた事でしょう。兎に角、格が違う感じです。 将にもう巨匠の域にいると言っても良いのでしょう。

 ケンプやゼルキンやアラウより、旋律表現も演奏法も随分淡々としたものでした。 でもこの3人の名人の中ではケンプに一番近い奏法かな?

 まだ60歳後半ですから、これからズーッと世界のピアノ界をけん引して、末永く我々音楽愛好者を楽しませて下さい。