HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

Stendhal『イタリア紀行(1817年版)』4

《ミュンヘン10月26日》

 前日、ソプラノ歌手として有名なカタラーニ夫人の宿舎にスタンダールを***伯爵が連れて行って紹介してくれたのです。それに関して次の様に書いています。

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カタラーニ夫人(1785年~1849年)

❝カタラーニ夫人の宿舎は大使たちやあらゆる色の勲章でいっぱいだった。これ程でなくともめまいが起こるだろう。ーーーーー変わった事件だった。国王はほんとうに紳士だ。偶々、この出来事があの偽善的な『論争新聞』で、嘘偽りなく報じられているのを発見する。❞ 

 カタラーニ夫人が如何に、政治家や大使などの上流階級の賞賛を受けていたかが前半の文で分かります。でも後半の「事件」「この出来事」とは何なのでしょう?

 脚注によれば、ミュンヘンでオーストリア皇帝フランツ一世(hukkats注:シシィの夫フランツ・ヨーゼフ一世とは別人です。それより60年も前の時代です)とババリアのシャルロッテ王女(hukkats注:これは、バエルン初代国王マクシミリアン1世の三女カロリーネ・アウグステ・フォン・バイエルンのことか?)とが 1816年に挙げた結婚式(hukkats注:フランツ1世の3度目の妃マリア・ルドヴィカが早逝してすぐの2か月後に挙げられた4度目の式)の時の事件です。

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オーストリア皇帝フランツ1世(1768年~1835年)

 事件と言っても、カタラーニ夫人の我儘によるもので、その式を挙げる王室礼拝堂で、カタラーニ夫人はさっさと公妃席に着席してしまい、その席から追われると翌日、新王妃の御前演奏の直前に、昨日の仕打ちはひどい旨を王妃に訴え、興奮して泣き出してしまい、歌は歌えないと言い出す始末。そこに皇帝フランツがやって来て、カタラーニ夫人を帰らせ、以後、ミュンヘンで歌うことを禁じ、その後夫人が何度も歌う許しを乞うても拒絶されたという事件というか、もめごとの事を指します。

 それにしても、一介の音楽家がそんなことが出来るとは驚きですね。現在ではありえないことです。カタラーニ夫人は余程自信家でプライドが高かったのかも知れません。31歳の歌手としても女性としても上り坂の勢いに任せた、やや無茶なふるまいとも言えるでしょう。

 音楽好きのスタンダールでもさすがにカタラーニ夫人を悪くは書いていないですが、皇帝を褒めて書いています。