HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

仲道Plays Beethoven Sonatas~全曲シリーズ第2回~

  今年の夏から2027年まで、毎年1回、4~5曲のペースで、ベートーヴェンのビアノソナタを演奏するリサイタルを、仲道郁代さんが予定しており、今年はその第Ⅰ期として、第1回演奏会が7月に、第2回目が今日12月20日(日)に行なわれました。2021年には演奏会は予定されていないので、恐らくその分を2020年の今日前倒しで演奏したのだと思います。

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 仲道さんは我が国では、知らない人は無いくらい名の通ったピアニストで、舞台、テレビなどでの演奏、音楽教育等幅広い活動を精力的に行っている様です。

 今回のサブタイトルとして《月光~ベートーヴェンの恋》と打たれています。プログラムは次の通り。

 

【演奏日時】2020年12月20日(日)13:30~

 

【会 場】みなとみらいホール大ホール

 

【演奏曲目】

  ①ソナタ8番ハ短調「悲愴」

  ②ソナタ9番ホ長調

  ③ソナタ16番ト長調

      休憩

  ④ソナタ24番嬰ヘ長調「テレーゼ」

  ⑤ソナタ14番嬰ハ短調「月光」


 これは、曲の当初予定されていた演奏順ですが、当日配布されたプログラムでは、演奏順が大幅に変更されていました。

①⇒4番目、②⇒1番目、③⇒2番目、④⇒3番目、⑤⇒5番目

 多分仲道さんが弾き易い順にしたのでしょう。

 

【演奏の模様】

 今日演奏されたソナタは、五曲のうち標題がついているものが三曲あり、仲道さんの並々ならぬ意欲を感じます。標題付きは、作曲家自身に依るものや後世名付けられたものなど様々ですが、今回の三曲は何れも、ベートーヴェンを支援していた貴族関係者に献呈されたものです。

 「悲愴」は、パトロンであったカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵へと献呈されました。また「テレーゼ」は、ブルンスヴィック伯爵令嬢テレーゼ・フォン・ブルンスヴィックに捧げられ、「月光」は、グイチャルディ伯爵令嬢ジュリエッタ・グイチャルディに献呈されました。 

 献呈するぐらいですから、ベートーヴェンは、念入りに曲を作ったのでしょう。何れも素晴らしい曲達です。今回は、標題ソナタを休憩後に三つとも続いて演奏されました。なお各曲の演奏前にマイクを手にした仲道さんは、ショートトークをして曲の特徴などを説明していました。

①Sonata  N.9

  仲道さんの説明によれば、この曲には8番「悲愴」が先取りした音の種が蒔かれているとのことでしたがそれだけでは詳細が分かりません。学生の時 初めて練習で先生の指導を受けた曲なので思い出深いとも話していました。それまで弾いていたベートーヴェンの曲と違うので”エー”とびっくりしたそうです。

 この曲もヨゼフィーネ・フォン・ブラウン男爵夫人へ献呈されたました。

 1-1 Allegro

   音は特に高音はさわやかで綺麗ですが、曲の組み立てがやや不明朗、締まり不足の感有り。

    1-2 Allegretto

  短調のややわびしさも感じる主題でした。第二主題 部ではあたかも「枯葉を踏み鳴らしながら恋人同士がゆっくり散策する」姿を夢想して聴いていました。仲道さんの演奏がロマンティックだったからでしょうか?

    1-3 Rond.Allegro comodo 

   冒頭の主題が始まりすぐに高い同じ音がタータッタッタッタッタッタと6音続くところははっきりとしたスタッカートとクレッセンドできっちりと演奏していました。

 下降音階、上行音階を経て途中転調し、元の主題に戻る展開は短時間の中に濃密な表現力を擁しますが、仲道さんはさらっとこなしていました。何回となく弾いた経験が為せる技でしょうか。

 

  ②ソナタ N.16

  トークで仲道さんは、”以前から良く分からない曲” との旨を語り、その理由として、”取り留めない”  ”左右の手がズレて弾く処がある””アイロニカルな感じ””演劇的色彩感の曲” 等を挙げていました。この曲が出来た頃ベートヴェンは耳がますます悪くなっていき「遺書」を書いたそうです。 

   2-1 Allegro vivace

  ずれがあったりすると弾きづらいのでしょうか、聞く方としては大変面白いのですが。この箇処もアルペジョを経て繰り返される箇処も、仲道さんは立ち上がりより大分波に乗って来たのか、柔らかい指使いから歯切れ良い音で弾いていました。 

 

      2-2 Adajio grazioso

       この楽章は、トークでは、”イタリアオペラ的” ”ベルリーニ的”と話していました。”右手と左手のお喋り”とも。

冒頭、長ーいトリル等修飾音が入った調べから、あたかも歌う様な仲々リズム感のある親しみ易いメロディが繰り返され、仲道さんの右手高音は綺麗に奏でていました。左手の低い重音はやや迫力不足でしょうか?鍵盤をはじいている手が後ろから見える席でしたが、仲道さんは上腕を両脇から余り離さないで(要するに上腕を大きく左右に動かさないで)、した腕と手を左右に振る様にして指を動かしていました。非常に独特な腕と手の動かし方に見えました。これだと高音は右手でppでもffでも速いパッセージでも効率的に弾けるでしょうが、 低い音のffがやや力が入らないのではないかな?等と勝手に解釈しました。結構長い楽章でした。

       2-3 Rondo. Allegretto

   この楽章も如何にもベートーヴェンらしいリズミカルな良いメロディの曲でした。

 後期のソナタを思わす様な響きのパッセージが感じ取られました。

  総じて明るい面白みのあるこの曲を私はかなり気に入りました。

 

               《20分休憩》

 

    ③Sonata N.24「Per Teresa」 

  3-1 Adajio cantabile-Allegro ma non troppo

          この曲は二楽章構成です。 非常に華麗で綺麗なメロディが冒頭から流れ、しかもリズムの妙もある流石べ-トーヴェンが、ルドルフ大公に献呈予定として作曲した名曲です。大公はナポレオンのウィーン侵攻を避けて1809年ウィーンを去り、この曲が完成した1810年にはブルンズヴィック伯爵の令嬢テレーゼに献呈されたのでした。彼女は、ベートーヴェンのピアノの教え子でもあり、互いに心が惹かれる間柄だったとの説もあります。

 トークによれば、”「傑作の森」と謂われる中期ソナタを書き終えた後、暫くこの類の曲は書かなくなったベートーヴェンでしたが、この曲は後期の大曲に至る狭間の代表に位置するもの”で、「嬰へ長調(#が6つ)」という当時は珍しい調性で謂わばべートーヴェン版「黒鍵のソナタ」と言えるものです。”

ショパンはきっとこの曲を知っていたのでしょう。

   ゆっくりとしてその後少し早いメロディを組み合わせたベートーヴェンのセンスの良さ、それを綺麗なメロディで表現する仲道さん、時々入る修飾部の妙、何んともいい曲ですね。

 

         3-2 Alllegro vivace

            付点の強弱リズムが面白い。また2~3度の上昇または下降ステップも諧謔的ニュアンスのあるメロディです。ロンド形式でテーマが繰り返され、さすが仲道さんここまで1点の曇りなくNOミスで各曲を軽くこなした感じです(立ち上がりはまだエンジンが全開でなかったのでしょう、曲想と演奏が何となくしっくりしない感じがありましたが)。

   あっという間に終わってしまう、割と短い曲なのですね。もう少し長く膨らませて作曲して欲しかった気もします。

 

 ④Sonata N.8「Patetica」

  トークで、”この曲からは晩年の曲の様な「苦しさ」は感じられない”そうです。

しかし激しいベートヴェンは少し混じっているそうです。

  本来Pateticaの意味は「哀れ」「痛ましい」とか「可哀そう」等で、悲愴という日本語は、広辞苑によれば「悲しくいたましいこと」とあります。この曲は1800年の少し前に作られこの頃までにベートーヴェンの難聴は相当ひどくなっていたと考えられます。1802年には、遺書をしたためるぐらいですから、音楽を耳が聞こえない状態で遂行するのは、常人には成しえ得ない超人的なことです。そこから生み出された曲に「悲愴」と名付けたことは、ベートーヴェンはそんな苦境に立たされた状態でも客観的に自分を見つめることが出来たことを意味し、そこに一筋の光明を見え出して、それに導かれる様に神がかった素晴らしい作品を現出させたのでしょう。

        4-1 Grave-Allegro di molto e con brio

  少し深刻な重い序奏が始まると、聴いている気持ちはやや緊張しますね。何が始まるのかと。何回聴いてもそれは変わりません。すぐに速い主題が迸り出て一気に緊張が崩れ、圧倒的な音の奔流に流されるままに身を任せてしまう。仲道さんはこの楽章をかなりゆったりとしたテンポで進み、奔流の箇所になると一気呵成に弾いていました。左右の音のバランスも良く、低音もしっかりしていました。    

        4-2 Adajio cantabile 

  この楽章は余りにも有名で、ベートーヴェンのメロディ発明の中でも屈指の大発明の一つでしょう。私が好きなメロディの中でもBest Three に入ります。

  聴いているとつい曲に合わせて歌い出したくなるメロディです。将に「人口に膾炙するcantabile」 です。仲道さんの演奏を聴いていて、声には出せませんが心で歌っていました。 

        4-3 Rondo . Allegro

  やはり最後の速い下降音の歯切れの良さは、ベートヴェンの何か決心したことを意味するのでしょうか。仲道さんの演奏はそんなことを考えさせるもので、ふと気が付いたことは、速い力強さで終わった1楽章でも、ゆったりとPPで終わった2楽章でも最後のフレーズは決然とした感があることです。ベートーヴェンの困難に立ち向かう姿勢が出ているのでしょうか?

 

⑤Sonata N.14 「Al Chiaro di Luna 」

           5-1 Adagio sostenuto

   幻想的なゆっくりしたメロディで始まり、夜のとばりがおり、薄暗い闇にまさに月光が薄雲に見え隠れしながら幻想的に光を照らすイメージ。トークで、仲道さんは、”(ベートヴェンが名付けた「幻想的ソナタ」の)ドイツ語の’Fantasie’には、幻想とか即興的という意味がある。ベートーヴェンの楽譜では、1楽章はペダルを踏みっぱなしで演奏する指示が書いてあった。(ベートーヴェンの当時は改良されたピアノフォルテが次々と製造された時期でしたが、現代のピアノの様な伸びやかな音は出なかった)”旨説明し、”今日はペダルを踏みっぱなしで(?楽章を)弾いてみます”とのことでした。丹念に一音一音確認する様に丹念に弾いていましたが、レガート奏法も現代ピアノでは、この曲を引き立たせる効果が薄い気がしました。ショパンの「幻想即興曲」はベートーヴェンの「月光」と調性、構成、雰囲気が類似していることで有名です。

    5-2 Allegretto

  第一楽章は将に「月光」のイメージがピッタリですが、ここに来るとかなりイメージは異なるのでは?と思えるメロディです。清廉さを感じます。仲道さんの演奏が短くも清らかな音で弾いていたからかな?この曲を献呈した若い女性の姿そのものを表現したのではなかろうかとも思える調べでした。

   5-3 Prest agitato

          冒頭から猛スピードで鍵盤上を駆け抜けるべートーヴェンの焦る、或いははやる気持ちが感じられます。仲道さんはかなりの力を込めて弾いている感じでしたが、相変わらず姿勢は良く、体全体ではなく下腕と手・指の力で弾いている様です。でもここでは低音も力強く出ていました。また高音の強い音を出す時、かなり力を入れていたのでしょう、姿勢が少し右に傾き頭を振って右手を振り下ろしていました。若干気になったのは、 終盤のテーマが何回か繰り返される速いパッセージの箇処で、ほんの少し僅かに右手が左手に対して遅れ気味に聴こえたところがあった様な気がしました。耳のせいかな?

 この楽章を聴いて「月光」をイメージすることは困難でした。何か激しい気持ち、やるせない気持ちをぶつける様な感じが強かったです。

  こうしてみると「月光」は構成の誰かが第一楽章からイメージして命名したのでしょうが、やはりこれの曲想は、ベートーヴェンの「幻想的ソナタ」がピッタリだと思います。若い思い人に遭遇し幻想的な雰囲気でベートーヴェンの心は密かにときめき(1楽章)、彼女の花の様な可憐さと若い美しさを見つめる気持ち(2楽章)、そしてその恋が成就不可能なことに気が付くヴェ―トーヴェンの切ない、やるせない、苦しさをどこにぶつけたらよいか分からない程興奮状態にある(3楽章)、そして若し4楽章が作曲されていたら、悩んだ末に気持ちの中で auf heben され落ち着いた境遇に到達するという、ベートーヴェンにとっては将に「夢に胡蝶となる」思いの幻想だったのでしょう。

  トークで”この曲には4度と6度の音が多用されていて、ベートーヴェンは8番のソナタ(悲愴)の2楽章や3楽章にも4度の音を使っているし、9番にも引き継がれている。シューマンのトロイメライにも4度と6度の音が入っている。ソナタ31番のフーガにも使っている。4度の音が多いと明るい感じを与える”といった趣旨のことも語っていました。少し確認して見たらその通りでした。

  尚アンコールとして、シューマンの「トロイメライ」が演奏されました。この曲は短いけれどいい曲ですね。ピアニストが弾けば誰でもしっとりと心に響いて来ます。

  昔NHKで放映していたのを見たことがあるのですが、「HOROWITZ IN MOSCOW」での演奏会の最後を忘れられません。1986年、82歳で61年振りにロシアに里帰りしたホロビッツは、モスクワ音楽院の大聴衆の前で、最後にアンコールとして「トロイメライ」を弾いたのです。ホロヴィッツのみならずそれを聴いた人なら誰でも、万感の思いで感動したでしょう。テレビカメラは、聴衆の一人のロシア紳士が、目を閉じながら聴いていて頬を一筋の涙が流れ落ちるのをとらえていました。それ程ホロヴィッツの演奏は心を打つものでした。まさに音楽とはこういったものなのです。