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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『National Gallery of London 展(at上野・西洋美術館)』鑑賞≪総集編≫

    これまで国立西洋美術館で開催中の美術展を展示ゾーン毎に七回に分けて、主な作品を掲載して来ましたが、掲載日も他の音楽などの記事の合間になってしまい纏まりが付かなくなってしまったので、ここにゾーンⅠ~Ⅶまでの掲載記事を纏めて総編集しました。あと一か月弱の会期を残していますので、何らかの参考になればと思います。

 いつだったか昔ロンドンのNational Galleryを見学に行った時は、スケジュールがタイトで駆け足で見て回った記憶があります。

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National gallery of London

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美術館エントランス付近

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美術館内部

トラファルガー広場に面したこの美術館はいつでも世界中から集まってくる多くの人々で一杯です。(今年のコロナの時代にはどの様なのか分かりませんが、開催はしていて予約で見れる様です。H.P.にはSafety and hygieneに関する注意書きがありました。SOCIAL DISTANCING など日本と同様な注意を喚起しています。)私はその時はカラヴァッジョに興味を持っていたので、『エマオの晩餐』を探して見た記憶は強いのですが、

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エマオの晩餐(NGL所蔵)

あとはミレー「蓑を振る人」など陰影(光と影)の表現に特徴のある作品などを中心に一人で見て回りました。

 見終わった足でPicadery Cercusに出て、ピカデリー通りを足を西に向けて運び、デパートや香水店に入ってそれから南回りで、ビッグベン、ウェストミンスター寺院⇒バッキンガム宮殿前と歩きました。

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そこで家内と待合わせしていたので。いい天気の初秋の日でした。

 

『National Gallery of London 展(at上野・西洋美術館)』観賞総集編

 英国National Gallery of London (以下NGLと略記します)が、所蔵品の中から本邦初公開の名画の数々を選んで日本に運び込み、本年3月3日から国立西洋美術館で展示する予定だったのですが、コロナ感染の拡大で、延期となっていたものです。今回はコロナ感染予防の対策を十分に施して開催にこぎつけたものです。恐らく日本に持ち込んだ作品を英国に戻さないで保管し、コロナの状況を見ながら、開催できるチャンスを見計らっていたのでしょう。関係者のご努力と尽力には敬意を表します。

 

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新たな今回のポスター

 今回は入場者が密な接触とならない様に、観客を時間帯別に入場させる日時指定制のチケットを予約販売し、30分毎にきまった少ない数(5~60人位か?)の観客を、間隔を置いて会場に導入するという対策を施こしたのです。Webでチケットを購入しようとしたのですが6月下旬のチケットは既に無くて、7月初めの日時のチケットを確保して買いました。電話で確認したところ、入場日時は指定しても入替え制ではないので、退場時間は自由とのことだったので、ゆっくり見ていると観客が段々溜まってしまい、結局三密になってしまうのではなかろうかということが心配でした。

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三々五々の入場者

 その日になって会場に少し早めに行って見ると、エントランス前の広場はガラガラと開いており、チケットを提示して入場する観客も三々五々来場するといった風で、観客同志が接触する恐れはなく、この傾向は展示場に入っても、人はまばらで、これだったら仮にコロナ保菌者が、一人二人混じっていてもソウシャルディスタンスは十分なので、電車やバスに乗る時よりも安心だと思いました。(勿論、入場時のアルコール消毒、検温を実施。) 但し、人気の絵画の前には比較的多く集まる傾向があるので、その場合は、空いている絵の方を先に観て、集まっている観客が減って来たらそちらに近づく、という風に順路に関わらず状況を見て、自分でも三密にならない様に気を付けて見て回りました。
会場は大きく7つのテーマゾーンに分けて展示されています。全部で61作品の展示です。
Ⅰイタリア・ルネサンス絵画の収集(8作品)
Ⅱオランダ絵画の黄金時代(8作品)
Ⅲヴァン・ダイクとイギリス肖像画(8作品)
Ⅳグランド・ツアー(8作品)
Ⅴスペイン絵画の発見(8作品)
Ⅵ風景画とピクチャレスク(9作品)
Ⅶイギリスにおけるフランス近代美術受容(12作品)

目に留まった作品、注目作品、気付いた事などを順次述べて見ます。

◎【テーマゾーンⅠイタリア・ルネサンス絵画の収集(8作品)】

Ⅰでは1470年代から100年の間に、フィレンツェ、ヴェネツィア、ペルガモなどのイタリア都市で活躍した画家たちの傑作をNGLの初期館長たちの方針で収集した絵画です。
 1824年に開館した当該美術館は、ルーブル他の他の国々の主たる美術館が王室コレクションを核として設立されたのに対し、英国では王室コレクションは王室の個人財産なので、しかも王家が絶えず存続しているため、全くそれをあてに出来ない、いわば他の個人所蔵品を中核としていたため、他の欧州諸国から機会があるごとに購入・取集することに尽力してきたそうです。
 1824年というと、その頃スタンダールが、イタリアに魅せられてミラノを中心とした旅を行って日記に記録したことは周知の事実ですが、その中でルーブル美術館の初代館長がローマで資金にものを謂わせて、美術品を買いあさっていることを述べています。同じことをイギリスの当該美術館もしていたのですね。その背景には、欧州大陸におけるフランス革命、イタリアの王権、法王権の衰退、ナポレオン支配とその瓦解と目まぐるしく変わる政治情勢に多くの美術品が、売りに出されたという事実があるのです。
 やはりルネサンスの花が大きく開いたイタリアが美術品の宝庫だったのですね。
8つの作品の中で一番印象的だったものはサヴォルド作『6.マグダラのマリア』です。

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サヴォルド作『6.マグダラのマリア』

 ティツィアーノも同じマリアを題材にキリストの復活に関係付けて『5.メリ・メ・タンゲレ』をかいています。

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ティツィアーノ作『5.ノリ・メ・タンゲレ』

 スタンダールが<ミラノ十一月十一日>の記事の中で書いているのですが、”ラファエッロの『聖処女の結婚(ブレラ美術館所蔵)』は(中略)いかなる人物も俗ではないし、みんなが愛されるのにふさわしい。ティツアーノと反対である”と。ティツィアーノは官能的な筆致で描くことが多く、それに対してここでのサヴォルドは、(一見暗い感じを受けるかも知れませんが)マリアが身に着けるマントや壺の明暗表現で静粛な敬虔性を前面に出して、精神面を強調した作品としているのです。彼がカラヴァッチョの先駆者と看做す筋もあるのも納得がいきます。   (続く) 

 

◎【テーマゾーンⅡオランダ絵画の黄金時代(8作品)】

 前回、上野の美術展で見たⅠ.イタリア・ルネサンス絵画の収集 のゾーンの作品群の中から一番印象的だった、マグダラのマリア関係の二つの絵(ティツィアーノ及びサヴォルドの作品)について書きましたが、そこでカラヴァッチョを引用しました。NGLは有名なカラヴァッチョの作品『エマオの晩餐』を所蔵しています。これと双子の作品ともいわれる同じ作者の『エマオの晩餐』がミラノのブレラ美術館にあります。今回の展覧会には来なかったのですが、この二つの作品は多くの事が語られている注目すべき絵画なので、若干脱線しますが比較してみます。

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エマオの晩餐(NGL所蔵)

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エマオの晩餐(ブレラ美術館所蔵)

 以前、ミラノとロンドンで両者を見たことがありますが、NGLの絵はブレラの10年ほど前に書かれたそうで、キリストも若く描かれ、左前方から当たる光が壁の中央から右方にかけて影を落としている以外は、登場人物、テーブル、静物、が明るい明確な色調で描かれています。特にテーブルクロス、左の立っている人物の帽子、キリストが羽織っている白い衣が明るさを増す効果を上げている。

 それに対しブレラの絵は、全体的に暗い色調で、暗闇の中に登場人物が浮かび上がる効果があり、より光の用法が巧みだと言えます。何れの作品もテーブルの横の線と4人の人物の頭部を繋ぐ線が不等辺三角形を形成し絵画の全体構図に安定感をもたらしています。BGLの作品を左に展示しブレラのものをその右に並んで展示したとしたら(これは絶対と言って良い程不可能なのでしょうが)、より安定感を感じる、描かれた時の推移をさえ感じられる双子の連作となることでしょう。

 さて今回の次の展示ゾーンⅡオランダ絵画の黄金時代 の絵に話を戻しますと、ここに展示されている9~16の8作品の中では、何と言ってもフェルメールの『ヴァージナルの前に座る若い女性』が注目されます。フェルメールが描いた作品と言う事ばかりでなく、楽器を演奏している絵なのですから。

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ヴァージナルの前に座る若い女性

 ヴァージナルはチェンバロの類いの楽器で、鍵盤の動きと共に作動する爪部分で金属弦をはじいて音を出す機構を有し、それが箱型の木製外枠に収納されたものを主として呼び、開閉できる上蓋の内面には絵などが描かれていることがあります。15世紀~17世紀のイングランドでは、チェンバロの総称であった。

 この絵は、鍵盤に手を置きながら開けられたカーテン越しに、首を横に振り向いて外に向けた目は誰かを待っているかのが如き若い女性の姿と、手前左にヴィオラ・ダ・ガンバをあたかもこれを使ってもいいですよと言わんばかりに大きく描いています。また右上に漠然と描かれた楽器を弾く女性の肩に手を回し愛でている男とそれを見ている男は、このヴァージナルの空間での秘め事を暗示しています。ここに訪れる者はきっと男でしょう。ヴィオラ・ダ・ガンバとヴァージナルの合奏して楽しむも良し、伴奏で歌を歌うも良し、男性との交歓を待つ女性の瞬間を、フェルメールは天才的な画法で切り取ったのでした。

 今回のNGL展には来ていませんが、この作品の対とも言えるフェルメールの『ヴァージナルの前に立つ女性』をNGLは所蔵しており、現存している絵画が35程度だろうと言われている数少ないフェルメールの絵を、しかも類似のテーマの二作品をNGLが収集したということは驚嘆に値します。

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ヴァージナルの前に立つ女性

 尚、このⅡのゾーンにはオランダ絵画の代表レンブラントの『自画像』も展示されており、写真よりも生き生きとしたその表情の表現は見事としか言いようが有りません。

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レンブラント自画像

(補記)

カラヴァッチョ(Caravaggio)の作品については、昨年札幌、名古屋、大阪で巡回展が開催されましたが、なぜか東京には来なかったので見られませんでした。

また2020年には国立新美術館で『カラヴァッジョ《キリストの埋葬》展(仮)』(10月21日〜11月30日)が開催される予定だそうですがコロナの影響でどうなるのでしょうか?

 

 

◎【テーマゾーンⅢヴァン・ダイクとイギリス肖像画(8作品)】

 英国では17世紀中葉に宮廷画家となったヴァン・ダイクの時代から、肖像画が高く評価される様になり、多くの画家により肖像画が描かれた。ヴァン・ダイクに影響を受けた画家たちが、現代の写真に代わる役割の人物像を生き生きと描いたのです。

 『21レディ・コーバーンと3人の息子(1773年作)』はサー・ジョシュア・レイノルズによる傑出した作品で、ヴァン・ダイクの影響が見られます。

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レイノルズ作『レディ・コーバーンと3人の息子』

この母と3人の幼子のテーマは、これより遡る事150年弱前、ヴァ・ダイクが描いた『慈愛』(展示無し)の構成を模していることは明らかです。

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ヴァン・ダイク作『慈愛』

  1歳、2歳、3歳位の幼児が母に纏わり付く位置関係もそっくりです。また母親のドレス、背景のカーテンと少し開かれた間から外の風景が垣間見られるのも似ている。150年経っても肖像画作成において、それ程ヴァン・ダイクの影響が大きかったのかと感心しました。

 今回展示された肖像画は、一つ(トマス・ローレンス作『55歳頃のジョン・ジュリアス・アンガースタイン』)を除き、主たる人物が向かって左を向き左顔を見せるポーズをとっているのも、展示作品を選んだ何等かの意図があったのかも知れません。

 

 

 

 【テーマゾーンⅣ.グランド・ツアー(8作品)】

 グランド・ツアーとは欧州の裕福な家庭の若者が、数か月から数年に渡って欧州中を旅して周るもので、18世紀に最盛期を迎えた。英国からだと多くの場合、パリを訪れリヨンを経由してアルプス越え又はマルセイユから船で北イタリアに入り、その後南下してフィレンツェ~ローマ~ナポリと進みその後は北方向に戻ってヴェネツィアに行った後はスイスかドイツ経由でオランダやベルギーに行くといった具合で、今で言えば世界一周旅行の様なものです。スタンダールのイタリア紀行も見ようによってはグランド・ツアーの一つと言えるかも知れません。本来語学力や教養を身に付けるためだったものが、次第に美術鑑賞中心となっていったのでした。

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『31ローマのテヴェレ川での競技』

はクロード=ジョゼフ・ヴェルネの作で、彼はフランスの景観画家で20年近くもローマに滞在していたのですが、それが出来たのは、同郷(アヴィニョン出身)のコーモン公爵の援助を受けていたからです。

 

【テーマゾーンⅤ.スペイン絵画の発見(8作品)】

 先ず絵画鑑賞に入る前に、今回の各地の梅雨前線による豪雨により、突然の災難に見舞われた方々、亡くなられた方々、負傷、病状悪化された方々、避難生活を余儀なくされた方々に心からお見舞い申し上げます。今日のニュースによりますと山形県の最上川が氾濫し、多くの住宅が冠水したとのこと。最上川と言いますと先週土曜日の7/25に東京文化会館で『もがみ』という曲名のピアノ協奏曲を聴いて来たばかりで、これまでの過去の「最上川」の思い出に浸っていたところでしたのに。 

 何といっても全国区的に有名で多くの人が知っているのは、民謡「最上川舟歌」だと思います。

若かりし頃新卒で配属された職場に、この歌の名人がいました。勿論民謡の分野にもその道のプロがいて、例えば大塚文雄さんの歌うこの曲を聴くと、声の張りと民謡独特の節回しの高い技術とが備わった素晴らしい歌い振りだということは知っていました。ホフマンの舟歌、ボルガの舟歌と合わせ、“世界三大舟歌”だという人もいるそうです。ただ職場の素人名人は、そうしたプロの人たちとは違って、あたかも現地の船頭さんが歌うが如く、素朴で訛りの入った方言で歌うのです。大きな声量では有りませんが十分な節回しと、何とも味のある心に滲みる歌い振りでした。今でも忘れられません。本人は、普段雄弁ではなく、どちらかというと朴訥派かな?ただ内には思いやりと強さを秘めており、本人は坂田近郊出身だと言っていました。忘年会になると皆その歌を聴かないとお開きにならないくらいで、今思い出してもいい歌でした。改めて調べてみるとこの歌詞の最初の方に何と “はやりかぜなど ひがねよに”  とあるのです。新型コロナ風邪が猛威を振るっている今日この頃、被災地の皆さんに同上の歌でコロナ感染には十分気を配って、元気に復活されることを祈ります(幸い山形県のコロナ感染者数は、今日時点で都合75人と全国県別ですと下から数えて12番目と大変少ないのが救いです)。

 さてテーマゾーンⅤの展示は、スペイン画家たちの作品を収集したNGLの所蔵品の中から17世紀~18世紀初頭にかけての代表的なものを展示しています。

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エル・グレコ作『神殿から商人を追い払うキリスト』

 中でもエル・グレコが晩年にトレド在住の時に描いた『神殿から商人を追い払うキリスト』は、彼が好んで描いたテーマで、信仰の場の神聖さを取り戻そうと、私欲にかられ神殿で商売をする商人たちを追い払うキリストの姿であり、カトリック教会の浄化運動を象徴しています。グレコはクレタで生まれたギリシア人で、そこでビザンチン美術を学び、二十代半ば頃ヴェネツィアに渡って、ルネッサンス画法を身に着けています。その後三十代半ばでスペイン、マドリッドに移動、祭壇画等を描きましたが、フィリッペ2世の宮廷画家になる夢は達せられず、古都トレドに移住してそこで生涯を閉じます。グレコの絵では人物が非常に縦長の顔、スタイル、長い手足などに描かれる特徴があり、一目で彼の絵であることが分かります。

 相当以前にトレドに行った時、サント・トメ教会にある彼の最高傑作と謂われる『オルガス伯の埋葬』を見ましたが、参列の人物顔は緻密に描かれ、天界の聖母マリア、昇天した伯爵やキリストもエル・グレコとしては丹念に描いているのを見て感心した記憶があります(トレドの街の印象は、非常に狭い路地、古臭い建物、高台の街の周囲下方に流れるタホ川の流れる水量の多さに若干驚きました。)

 次にスペイン画家と言えばすぐに思い出すのは、ベラスケスです。彼の描く肖像画は、日本にも何回も来て展示されているので、肖像画のスペイン宮廷画家として有名になりましたが、実はベラスケスがフィリッペ2世の宮廷に入る以前のセビージャ時代(17世紀初頭)には厨房画(ボデゴン)を多く描いており、今回展示されている『マルタとマリアの家のキリスト』もそのうちの一つです。

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ベラスケス作『マルタとマリアの家のキリスト』

 絵の右奥の窓枠の外の隣室で椅子に座っているのがキリスト、その説教に聴き入るマリア、手前の部屋、厨房左には大きく若い女性が描かれ、何やら乳鉢で摺りつぶしています(現在でも使う金属製の乳鉢はその当時からあったのですね)。その背後の老婆は隣室の方を指さし何か指示している。若い女性は隣室のマリアの姉マルタです、表情は少し暗く何か嫌がっています。想像たくましくすれば、老婆は早く料理をしてキリストをもてなす様にとマルタを急かせ、マルタは「私だってキリストさまの講話を聴きたいのに、何故マリアだけ聴いているの?一緒に料理をして呉れれば早く出すことが出来て、説教も一緒に聴けるのに」と不満顔なのです、という解釈も成り立つのではないでしょうか?絵画を見て楽しむためには、専門家の解説は勿論参考になりますが、見て自分がどう感じたかは百人百様でいいのでは?楽しめればいいそれでいいと思います。 

 今回の展覧会(東京)は、当初3月開催予定だったものが、コロナの為延期となり、緊急事態宣言が解除されてから改めて6月18日に開催されたものです。東京会期が10月18日までで、その後大阪で来年1月31日までと、一年近くこれ等の名画が日本に留まることになり(多分今年2月には日本に輸送していたことでしょうから)、これは一つの展覧会としては恐らく例のない記録的なことだと思います。英国の理解、協力があって実現したのでしょう。 

 しかしコロナ禍のもとしかも東京では感染が、第一波の時よりも拡大している状況下で開催されており、三密を絶対避け「美術館でクラスター発生」という事態は何としても発生させない様に対策をとられる様、愛好家の一人としても主催者に願う気持ちで一杯です。これまで日時予約制で、いろいろ工夫を凝らして開催しているので、人気も衰えないようですが。ただ行って見た時の売店の混雑は若干気になりました。

 

 ここ数日音楽会に行くのは自粛しているので、今回来日中止となったバイエルン放送交響楽団の演奏を流しているNHKFM『ベスト・オヴ・クラシック(19:30~21:10)』を聴きながら作業しています。

 

 

 

【テーマゾーンⅥ 風景画とピクチャレスク(9作品)】

 先日(2020.8.6)、ミューザ川崎でピアノ協奏曲の演奏を聴いた後、首都圏のコロナ新規感染者数は、連日最大を更新しており、東京は連日400人を超える勢いです。怖くて東京にはここ半月程足を運んでいません。しかし横浜、川崎は東京ほどひどくはなく、サマーフェスタミューザでは、めったに聴けない曲目や演奏者のコンサートが行われたので、十分感染防止に注意を払って、何回か聴きに行ったのでした。でもここ数日、川崎、横浜でも予想以上の感染の広がりを見せ、神奈川県の新規感染者数は、このところ100人を超えたと思ったら、もう150人近くと最大記録を更新し、その内訳では横浜、川崎が圧倒的な割合を占める事態に至りました。 この状態は、一ヶ月ほど前の東京の新規感染のレベルと同じです。フェスタの切符も残り何枚かあったのですが、家内の意見を聞き入れ、聴きに行くのはあきらめて自粛することにしました。それが自分の感染防止のためだけでなく、第一波の頃より緊張感が緩んでいて自粛ムードもお座なりになり、どんどん感染拡大に手を貸してしまう恐れがあったからです。ミューザでは今日(8/9日曜)は『真夏のバッハ』と題したオールバッハプログラムが上演される予定ですが、泣く泣く行くのを諦めました。あーもったいない。演奏予定の『フルートソナタ変ホ長調』は幾つかのソナタの中で、ロ短調のソナタの様な人知を超越した神に近い作品ではなく、明るい世俗カンタータ風の人間味ある曲なので、時折口笛で真似するくらい大好きな曲ですし、『目覚めよと呼ぶ声あり(BWV645)』はよくCD を朝にかけて、寝坊しがちな家内の目覚まし時計代わりとしたこともあり、トッカータとフーガはいつ聴いても壮大なバッハを強く感じる曲だし、非常に残念なのですが、マー、命には代えられませんから仕方ありません。 

 さて、上野の西洋美術館の展覧会は、完全予約制という濃厚接触を避ける手段で、2か月近くもクラスター発生もなく開催されています。音楽会では、少人数の日時指定予約という方法はとても採る訳にはいかないでしょう、採算的にも。

 テーマに分けて展示されているゾーンも順番に見ていき、最終に近づいていますが、Ⅵは風景画とピクチャレスク関係の9作品が展示されています。その中から幾つかを紹介します。

 その前に「ピクチャレスク」とは何か?百科事典の一つの記述を引用しますと  “17世紀ベネツィア派の絵画に特有な視点が 18世紀のイギリスに入り,同国の自然風景を再認識しようとする芸術上の流行のなかから形成された美的概念。自然界の荒々しく粗野な形態と構成をよしとする美学理論は W.ギルピンが 1770年頃まとめ上げた”  とあります。誤解を恐れず単純化して述べますと、要するに「グランド・ツアー(テーマゾーンⅣ参照)」によりイタリア他の目新しい風景を見た画家たちが、フランス出身の画家クロード・ロラン達の絵を介して自然の美を鑑賞する「ピクチャレスク」への関心を高め、国教会牧師で画家であるウィリアム・ギルピンは、ピクチャレスクに関する論文の中で「それは絵画にあって快い特別な種類の美」であり、「粗さやごつごつした感じを特徴としている」と言っています。

 ギルピンは自然の風景の中にそれを検証するための「ピクチャレスク・トラベル』に出掛けることを推奨し、またギルピンは「眺望を記憶に留めるため、またそれを他に伝えるため」風景をスケッチすることを推奨したのです。見た風景をそのままに描くのではなく、ロランの制作方法に酷似した「絵画の法則に則って意図的に構成していく」やり方に賛同して「ピクチャレスク・トラベル」に出掛ける画家たちは、前もって暗い色を付けた凸面鏡を持ち歩き、そこに風景を写して、楽しんだり絵にかき落としたりさえしていたのです。その一例、ギルピン作『風景』(非展示)を次に示します。

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まさに凸面鏡に移った風景をそのまま描いたと思われます。

 今回の展示作品の中に、前述したロランの作品『海港』がありました。ロラン(1600年代~1682年)は仏ロレーヌ地方の出身で、ローマを中心として滞在、教皇ウルバヌス8世の庇護のもと、主に森や港の風景を描いた画家です。

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クロード・ロラン作『海港』(1644年)

 この絵はイタリアの都市の船着き場をテーマに描いた作品で、いかにも立派なローマ風の建築物、大きな帆船その間に遠く太陽を望む港湾の景色を配した構成は、ロランが好んで使ったもので、彼はそっくりの絵を幾つか作成しています。

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メディチ邸の海港(1637年)

これを基に左右反転して、若干手を加えて『海港』を書いたという感じもしますね。

 ロランの絵は英国のピクチャレスクの画風に大きな影響を与え、その金色に輝く光と海と船と古代を連想させる建築物の構図は、英国の風景画家ターナー(1775年~1851年)にも受け継がれることになります。 

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ターナー作『ポリュフェモスを嘲るオデュッセウス』

 この絵はホメロスのトロヤ戦役に題材を求め、巨人ポリュフェモォス達の手からまんまと逃げ押せることが出来て、船上左側で、両手を高々と挙げて巨人を嘲ているのがオデュッセウスです。ちょっと見づらいですが。ポリュフェモスは左手上の雲の様な白い箇処にシルエットで現れている。右手の海上からは太陽光線が金色となって上り始めていますが、これは古代神話の金色の戦神、アポロンが馬車で太陽を引き上げている構図です。

 こうした傾向隆盛の時期を経て、暫く経つと英国の風景を自然に描く「ナチュラリズムの風景画」の機運が盛り上がりました。その転機となったのは、ナポレオン戦争などにより、英国が大陸から隔絶される時期が結構長かったことが影響していると言われます。でもよく考えてみると、イタリアやスイスなどの欧州大陸諸国のダイナミックな風景と比べ、イングランドの風景はなだらかな地形が多くて、起伏に富んだ渓谷や海岸、山岳地帯が少ないことも、影響しているのではなかろうかと個人的には思うのです。イングランド以外のスコットランド、ウエールズなどの奥地に足を運べば絵になる風景があったかも知れませんが。

 以前英国に行った時の風景写真を、二三参考まで掲載します(これはあくまで現代の街近くの風景で、200~300年前はもっと森が深かったと思います。ただ地形はほとんど変化ないでしょう)。

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ロンドン郊外風景

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英国風景2

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英国風景3

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英国風景4

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英国湖沼地方風景

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英国トレッキングに参加した時の風景

イングランド中部の地質は、古いカンブリア紀(4~5億年前、恐竜時代

以前)のものが、長年侵食されてなだらかになったもので、丘陵が多いのも納得がいきます。要するにその風景は画材としては変化に乏しいのです。

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 この絵は王族の祝い事などの時にたびたび行われる水上での槍の試合を多くの観客が見物している様子を描いたものです。左手の高いバルコニーには数人の賓客(グランドツアーの外国人の場合もあったことでしょう)がホストから説明を受けながらの物見、手摺に手を伸ばしながら身を乗り出している女性もいる。その下のせり出した水辺には、トランペットらしき管楽器などを鳴らしている楽隊が、戦いを盛り上げている。でも絵のあちこちを仔細に見てみると、試合なぞ見ていない観客も多くいる様です。バルコニーの下では2~3人のグループが何か話し込んでいる。小舟の青年が多分乗船を促していると推測されますが、そっぽを向いている女性もいます。水際の階段に座っている男女二人は恋をかたらっているのでしょうか?

 右方下の小舟に乗っている4人は、岸辺で帽子を脱ぎながら挨拶か何か言っている男性を、何か恐れている様子です。

この様にヴェルネは槍の試合をテーマにしながら、人々の風俗や景観を仔細に面白く描いており、この絵は1750年のパリ・サロン展に出品されて好評を得ました。彼はその後ルイ15世から「フランスの港の景観」をテーマとした連作の依頼を受けることになります。

 

 

 

【テーマゾーンⅦ イギリスにおけるフランス近代美術受容(12作品)】
 いよいよ最後のゾーンになります。

 19世紀初頭、隣国フランスでは、ダヴィッドにより確立し、アングルなどの大家も輩出した新古典主義に対し、ドラクロアに代表されるロマン派が台頭、コローなどのバビルゾン派の活躍やクールベのリアリスム宣言、に続きモネやルノアール達による印象派が誕生します。

 19世紀~20世紀初頭にかけて、フランス近代美術の萌芽と発展のもと、1874年にはパリで第1回印象派展が開催されました。その後盛んに美術展が開かれ、諸国からもパリを中心としたフランス諸都市に画家達が集まり活躍する様になります。マネ、コロー、ピサロ、ドガ、シスレー、セザンヌ、モネ、ルノワール他、今日でも名の通った人々の動きが活発となっていったのです。ところが1870年の晋仏戦争時には、戦乱を避けてイギリスに身を逃避させる画家も出ました。サロン展(フランスの官展1837年~1880年)の審査員だったドービニーはロンドンに逃れ、モネやピサロも避難してくると画商に紹介され、彼らは、ターナーなどの風景画に触発されます。そうした技法も取り入れた絵画を描き個展も開くのですが、ロンドンでは無視され評価されることは無かったのです。シスレーも同様でありました。この傾向は20世紀初頭まで続き、1910年以降になってやっとイギリスでも徐々にフランス印象派等の絵画が受け入れられる様になります。ナショナルギャラリー・オブ・ロンドンでは、海外の近代絵画を1900年までには、たった7点しか所蔵していなかったものが、1930年代までには、収集、寄贈などにより、フランス近代絵画の一大コレクションを築き上げる事になるのです。

 このゾーンでは、上で述べたフランス新古典主義派からバビルゾン派、印象派などの傑作12作品が紹介されています。その中から幾つか見て行きましょう。

 先ず目に留まるのは、艶めかしい裸体をくねらせているアングル作の『アンジェリカを救うルッジェーロ』です。

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カタイ(中国本土)の姫アンジェリカが下方に描かれている怪獣の餌食になろうとしているのを、騎士ルッジェーロが救出する構図です。我々日本人の目からすると姫は中国人らしからぬ風貌をしており、白人の様にも見えます。第一アンジェリカという名前からして西洋風です。シルクロードの民なのでしょうか?それともウィグル方面の非漢民族なのでしょうか?

 アングルはこの絵に先駆け、同じ題材で同名の絵画をパリ・サロン展に出品していますが、当時の評判は芳しくなかった。しかしその後公的コレクションの仲間入りし、現在はルーブル美術館所蔵です。同美術館には、もっと有名な『グランド・オダリスク』が、オルセー美術館には『泉』がありますが、何れもアングルの裸体描写の解剖学的精密さが特徴です。

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グランドオダリスク(ルーブル美術館所蔵)

 続いて風景画のコローの『西方より望むアヴィニョン』です。

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コローはフランスをたびたび訪れて風景を描写しており、ローマ教皇庁が分裂した時代(1378年~1418年)に、南仏アヴィニョンに教皇庁がローマ教皇庁とは別に置かれました。その堅牢な教皇庁の遺跡はこの絵の遠景からははっきり見て取れませんが、中央の横長の四角い建物がそれです。その右方がアヴィニョン市街地、左端には、アヴィニョンの橋が僅かに見えます。そうあの“アヴィニョンの橋で踊るよ踊るよ・・・”の歌で有名な橋です。参考までに、以前アヴィニョンに訪れた時の写真を掲載します。

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アヴィニョン教皇庁跡

 街もそれ程大きな市街地ではないですが、絵では右方に広がっています。街中に劇場がありました。アヴィニョンオーケストラの本拠地の模様。

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アヴィニョン音楽ホール

  次にピサロの『シデナムの並木道』の展示がありました。

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 ピサロがロンドン滞在中に描いたもので、田舎風景の樹木、道、家屋、歩行者、どれをとっても平穏な生活の息使いが感じられ仲々いい作品ですね。好きな画家の一人です。特にその白の使い方が。 

 続いてルノワールの『劇場にて』。

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 大劇場の桟敷席の中です。オペラ観劇なのか器楽演奏会なのかは不明ですが。桟敷席からは左方外に多くの聴衆が描かれ、その手摺の向きと聴衆の顔の向きから考えるとステージは左側彼方にあると思われます。従って桟敷は劇場のかなり後方の二階に位置し、二階席の最後列付近と、その後ろ上方の三階席最前列が描かれていると推察される。少女の手にした花束は、演奏会終了後に演奏者に捧げるためのものなのでしょうか?それにしてはタイトルの副題が、“初めてのお出かけ”ですから、通常初心者では、演奏者に花束を差し出すタイミングも分からないでしょう。不思議な花束です。ルノワールは日常生活のワンカットを画材にすることに長けていました。 

 最後はゴッホの『ひまわり』についてです。

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 「ひまわり」と言えばすぐ頭に浮かぶのはゴッホの絵か、ソフィア・ローレン出演の映画だと思います。ゴッホは尊敬するゴーギャンとの共同生活をフランス・アルルの家で行うのですが、その家の室内を飾るため、一連の「ひまわり」の絵を描いています。全部で7点の連作です。

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左上(個人所蔵)中上(焼失)右上(ミュンヘンの美術館所蔵)左下(東郷美術館所蔵)中下(フィラデルフィア美術館所蔵)右下(ゴッホ美術館所蔵)         

 そのうち今回展示されているのは、英国内にある『ひまわり』で、ゴッホ自身の署名が入った作品なのです。このテーマゾーン最大のスペースを取って、それらの比較が為されています。他の6点の内1作品が我が国の東郷美術館所蔵となっており、我々はいつでも見ることが出来るのはラッキーです。個人的好みを謂わせて貰えば、東郷美術館の「ひまわり」が一番気に入っています。展示作品と構図は同じですが、色彩が周りも花の色もより明るく感じられ、特に花の一部が赤っぽく描かれ色彩のバランスが非常に良いと思います。

 アルルはフランス・プロヴァンス地方にある古い都市、ビゼー作曲『アルルの女』は有名です。アルル滞在中ゴッホは黄色に魅せられたが如く、黄色を多用した絵を描きました。

その一例として『夜のカフェテリア』、『アルルの跳ね橋』を示します。

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ゴッホ『夜のカフェテラス』(クレラー・ミュラー美術館蔵)

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ゴッホ『アルルの跳ね橋』(クレラー・ミュラー美術館蔵)

 このカフェテリアは現存し、跳ね橋は当時のものとは別のものがかっていました。行った時に撮った写真も参考まで掲載します。

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現存する黄色い壁のカフェ

 

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アルルの跳ね橋

 ゴッホの黄色は本人も意図して使うことが多く、アムステルダムの「ゴッホ美術館」に行った時、展示されていた絵に目を見張りました。一面の小麦畑が黄色く色づき収穫を待つばかりの見事な田園風景の絵でした。その時購入した図録の表紙をその絵が飾っていたので、ゴッホの黄色を代表する絵なのでしょう。

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