枕もとの書棚のあちこちに、積読本が何冊も横積みにしていて、中にはいつ読んだかはっきりしない埃をかぶった本も見かけます。『吉田秀和全集第7巻』もそのうちの一つ。全集全巻は持っていないのですが(凄いことに全24巻も書いているのですよ。一冊、一冊が分厚い本を)、幾冊か何かの機会に購入したものが家にあり、今となっては必要な箇所を読む程度なのです。百科事典的に使っている。別な巻に記載がある事がパソコン検索で分かった時は、図書館で借りることにしています(横浜市図書館には全巻が揃っているのです)。第7巻は「名曲300選」と副題がついている通り、著者の耳で聞いた名曲を古い時代から順に300曲選定し、解説を付けたものです。古くはグレゴリアンチャントまで遡って、ピピンとかシャルルマーニュとか古い歴史上の名が出てきたり、オルガヌム、レオナン、ペロタンとなると、聞いたこともないし、troubadour、エレオノール、ブリュレとなると歴史上フランスとイギリス両方で王妃(公妃)となったのは二人しかいないあのエレオノールかな?歴史を先に読まないと音楽が分からないかな?などと疑心暗鬼になってしまい、ページを飛ばしてバッハまで一気に進もうとパラパラめくったのですが、途中オヤと目が留まった箇処があります。「ギョーム・ド・マショー」の名前。吉田さんはマショーの『ノートルダムのミサ曲』を傑作の一つに上げています。 私は昔からマショーのこの曲を聴いて、その現代離れした飄々とした響きが気に入っていたのです。吉田さんは、“その響きは近代の耳に親しみぶかくなっているところにもってきて、そうかと思ってきくと、全然規準を無視したような、はげしい不協和音もつかわれていて、そういう意味で、また、かえって現代的である”と言っていますけれど。(参考まで『ノートルダムのミサ曲』について、昨年のパリノートルダム大聖堂の火災の翌日書いた記事、及び翌月のラ・フォル・ジュルネの記事を文末に再掲しておきます)
マショーの後は、いくつか気になる名前、ジョスカン・デ・プレやパレストリーナやモンテヴェルディ、コレッリ、ヴィヴァルディ、ブクステフーデ、クープラン、パーセルなどの記述があったのですが、これは後日見ることにして一気にバッハの章に進みました。吉田さんは数多いバッハの曲から『平均律クラヴィール曲集(ここで記載の都合上、以下は平クと略記)』を名曲の一つに選んでいます。平クは一昨年、寺田悦子さんがバッハのこの曲とショパンの前奏曲の対比をするという大変面白い企画のピアノコンサートを開催され聴きに行きました(参考までこれも文末に再掲します)
吉田さんは、“ハンス・フォン・ビューローがこれをベートーヴェンのピアノソナタ集と並べて、前者を旧約聖書、後者を新約と呼んだのは、あまりにも有名な話”と書いています。平クは後にショパンに大きな影響を及ぼし、ジョルジュサンドとの休暇旅行にもバッハのこの楽譜だけを持って行ったくらいですから、後世の作曲家にとっては、宝物だったのでしょう。ショパンの影響を受けてスクリャービン、ドビューシー、ラフマニノフ、ショスタコーヴィッチ他も「24の前奏曲」を作曲している位ですから、その影響の大きさが分かります。その他バッハだけで幾つもの作品を名曲として言及しています。その一つ「ブランデンブルグ協奏曲」は来月工藤さん主演の全曲演奏会のチケットを持っているので、多分聴きにいくと思いますが、ついでに名曲として「無伴奏フルートソナタ集」も挙げて貰いたかった気もします。
この吉田さんの本は、膨大な知識と膨大な音楽鑑賞経験から、膨大な内容を書いているので、一朝一夕には解読出来ません。本を閉じる前に最後の方のページでちらと見た箇処に、吉田さんがベルリンで聴いたアルゲリッチの演奏会について述べた部分があって、バッハ『イギリス組曲』、ラヴェル『夜のガスパール』、シューマンの曲、ショパンの曲を聴いたと書いてありました。このプログラム構成は、先日来日公演したポゴレリッチの演奏プログラム構成によく似ていますね。ポゴレリッチはアルゲリッチをきっと尊敬しているのでしょう。
≪参考1≫
『パリノートルダム大聖堂火災』[2019.4.16.hukkats記事]
パリノートルダム大聖堂が焼けるなんて!!建築の詳細は知らなくて石造りだとばかり思っていました。故に燃える筈がないと。ところが上部の屋根構造には、多くの木材が使われていたのですね。そこまでは見なかった。テレビで速報を見た時、またテロかと思いましたが、そうではないみたい。12、13世紀に造られ長い歴史を誇る聖堂でどっしりとした存在感(ミラノでもケルンでもウィーンでもどこでも大聖堂はどっしりしていますが、パリのは特に安定感、安心感を感じた)、いろいろ懐かしく思い出されます。今回の火事で中にある様々な物はセーヌを挟んで北側の市役所に避難させたようですが、かって革命時にはセーヌを挟んで西南西にあるクリュニュー美術館に彫刻類を避難させ、それが今も同館で展示されています。(クリュニューのタペストリーは大きくて素晴らしかった。)またその界隈はソルボンヌをはじめとしたパリ大学群が集まっている。従って学生がつねに行き来し、パンテオン(霊廟)の前には多くの学生が腰をおろしたりたむろしている。少し南に下がるとキュリー記念館(博物館)があり、来訪者ノートに自分の名前を書きながら、「極寒のパリの冬で暖房もなく実験をし続けたのは非常に大変だっただろうな。ノーベル賞に輝いた、しかも二度も輝いたのは、神の思し召しかな」などと思った記憶が蘇りました。
かなり以前(二十年以上も前)に買ったマショーの「La Messe de Nostre Dame」のCDを聴きながらこれを書いています。焼死者が出なかったのは不幸中の幸いかも知れません。
「Agnus dei」では qui tollis peccta mundi miserere nobis (神の子羊よ、この世の罪を除き給え、哀れみ給え…hukkats訳)と続き、繰り返されます。これから修復の動きが本格化するでしょうから、神様もきっと許してくれることでしょう。この受難が早く復活につながることを祈ります。5月の連休のラフォルジュルネではマショーのミサ曲も演奏されるのでチケットはすでに買っておきましたが、聴き方が違ってきますね、こんな事件があると。
≪参考2≫
◎La Folle journéeラ・フォル・ジュルネ<その1> [2019.5.5.hukkats投稿記事]
10連休も後半となった一昨日、憲法記念日(5/3)に、ラフォルジュルネ音楽祭の初日に行って来ました。今年は5/3~5/5なのですが、4日と5日は家の予定があって3日しか行けないので、タイムテーブル記載の多くの演奏会から、どれを選んで聴こうかとかなり前から検討し、そもそもこの音楽祭の創立の経緯からしてフランス音楽を中心に聴いてみたいと思っていました。 ラフォルジュルネ音楽祭は、今では世界各地で同名の音楽祭が開催されるようになり、いわば本家家元のリヨンの分家が興隆して、東京もそのうちの一つといえます。
JournéeはDayの意味、Folle([仏]狂おしい、ばかばかしい)という語は、オペラ『椿姫』の第1幕、宴会のあとの最後近く(第5場)でヴィオレッタが歌う有名なアリア「È storano…(奇妙ね…)」、「Ah, fors'è lui…(そはかの人か…)」をこれまでにない愛を感じながら朗々と歌い上げた後、‘いやそんな筈はない、自分の様な女にはむなしい夢’と自虐的になって狂おしく歌うアリア「Follie! Follie…([伊]馬鹿馬鹿しい)」のFollie に通じる言葉です。従って人によっては、「(真のプロではない音楽家たちの)馬鹿馬鹿しいお祭り騒ぎ」とみなす人もいるかも知れません。でも現地の有楽町「東京国際フォーラム」界隈に行って人々の熱気を感じながら音楽を聴けば、決してそんなことはない、むしろこうした姿こそ音楽の目指す神髄ではなかろうかとも思えないこともありませんでした。兎に角年々参加者が増える一方で、5/3は絶好の天気だったことも有り、ガラス棟とホール棟の間の狭い広場は、多くの移動車出店と所狭しと並べられたテーブルや食卓、買う人食べる人、人垣を縫って通行する人々などによって埋め尽くされていました。今後、参加者がもっともっと増えたらどうするのでしょう?上野の文化会館地区やサントリーホール地区に移しても出来ないでしょうね。そもそも旧都庁のかの有名な丹下健三設計の第一本庁舎を取り壊した跡地の再開発として建てられた国際フォーラム、20世紀末に建設された建築としては、東は鉄道路線、西、南、北は大きな道路に囲まれている狭い敷地ながら斬新なデザインの建築物として話題となったものでした。ただこれらのホールは大きな展示や会議向けだったので、本格的な音楽ホールとして作られたのではないのです。当時、都庁で建設の基本計画段階から計画に携わった友人の故S君が、以前「音響もそれ程良くないし、本格オペラは設備を入れないので出来ない」と言っていたことを思い出します。21世紀に入って10年も経った頃であれば、高層ビルを建設して、中に多くのホールや広場的なフローアをつくるのも可能だったかも知れませんが。
それはさて置き、聴きたいフランス音楽をプログラムから探したのですが、5/3は意外と少ないのですね。ロシア音楽、特にラフマニノフやチャイコフスキーが人気の様です。工藤さんのflでメシアンやプーランクの演奏もあったのですが、チケットが早々と売り切れてしまいました。それで、「ヴォックス・クラマンティス」が歌うマショー他のコーラスを聴くことにしました。 このVox Clamantisというのは十数人(この日はM9+F5の14人)から成るコーラスグループで、中世宗教歌や現代音楽を主に歌っているエストニアのコーラス集団です。エストニアはもともと合唱が国技ともいえる程盛んな国で、旧ソ連に併合された時代にも、国民を挙げての合唱の力はソ連の圧政をはねかえし、独立する団結の源となったことは有名です。この日の会場は800人規模のホールに椅子を並べたものでしたが、ほぼ満席でした。開演になると、中央付近の2通路をグループ男女二手に分かれて、グレゴリオ聖歌(詩編150番よりアレルヤ)を歌いながら登場し登壇した。壇上で隊列を整え、マショーのノートルダム・ミサ曲の第1曲「Kirie」が始まりました。マショーは、ミサで唱える全文に対して音楽を付けて全6曲を作曲したもので、14世紀当時のみならず中世を通して、数多くのミサ曲に例をみない特異な存在とみなされている。このキリエはグレゴリオ聖歌(ミサ通常唱1番よりキリエ)と関係付けられますが、さらに高い音程でもっと単調なリズムがポリフォニックに繰り返されます。歌の最後が、タ~~タッ、と上り音階で終了するのが特徴。あのノートルダム大聖堂の大火事件以前だったら、非常に崇高な隔世の響きが清らかに耳に届いていたのですが、事件後の今となっては、おそらく人災である(山火事の様な自然発火はあり得ない)ので、人間の罪深さを‘神よ憐れみ給え、許し給え’と祈っているかのような悲痛な響きが感じ取られました。続いてルネッサンス時代のイギリスの作曲家ダンスタブルから1曲、ペロティヌス1曲 再度ダンスタブル「われ、わが園にくだりゆけり」、グレゴリオチャントをもう1曲、そしてマショー「ノートルダム・ミサ」の第5曲目Agnus Dei、ここで、4月17日に投稿した記事でも記した様に、あたかもノートルダム大聖堂の復活を祈るような叫びが、穏やかな調べの内にも感じられました。 最終曲はフランドル派のオケゲム作曲「死よ。そなたは矢で傷つけてしまった」は、オケゲムの先輩の死を悼んで書かれた挽歌。「死が矢で傷つける」、「音楽が黒衣を身にまとう」などの詩が厳俊でやや暗い4声の歌声に乗って響き渡りました。終演後大きな拍手が鳴り響いた。この様な通常のコンサートでは演奏されない古い宗教歌コーラス(私にとっては初めて聴く歌も多く)、しかも少人数のコーラスグループによる演奏が、かくも多くの人に受け入れられるとは、意外を通り越して驚きでした。我が国の合唱ファンの層の厚さを痛感しました。このようなタイプのコーラスグループの存在は、現在の日本では寡聞にして知らないのですが、ネットで調べると「フォンス・フローリス合唱団」「コーラスアンサンブルIRIS」「バッハアンサンブルコール」「女性合唱団フィオレンティーナ」「アルカデルト・コンソート」「横浜オラトリオ協会合唱団」「アンサンブル・ヴオワ」等々ヒットしました。しかし如何なる規模で、如何なるレパートリーを有するか、しかも中世の宗教歌を歌うかどうかは全く不明です。古い記憶を辿ると、確か半世紀も前に「FMC」という混声合唱団があり、パレストリーナ1本槍で毎年毎年全日本合唱コンクール(朝日新聞社主催)で金賞受賞を十年近くも続けて話題になっていたことを思い出しました。
≪参考3≫
『24の前奏曲における調の秘密~バッハから生まれたショパンの独創性』を聴いて[2018.6.3.hukkats記事]
6月初めバッハとショパンの24の前奏曲を聴いて来ました(6/2寺田悦子リサイタル、使用ピアノShigeru Kawai、atカワイ表参道)。ショパンの『24の前奏曲op2』の第13番から24番までの12曲と、それらと同じ調号を持つバッハの『平均律クラヴィール曲集第1巻(一部は2巻)』の前奏曲(Hugaを除く)12曲とを、交互に続けて演奏するという試みの演奏会でした。ご存知の方も多いと思いますが、バッハはハ長調から始めて同主調の長短2曲を半音づつ上げた調号で次々と作曲し、都合12(音)×2(長、短)=24曲作ったのです。それに対しショパンはバッハを参考にしながらも、独自の順番で前奏曲を作曲しました。即ちハ長調からのスタートは同じですが、次に同じ調号を持つ短調(平行調、この場合イ短調)の曲を作り、三番目はハ長調の音階と5度の音程を形成する属調(ト長調)の曲をという様に、平行調、属調を繰り返して24曲作曲したのです。演奏時間の都合なのかどうか今回はバッハのHugaを割愛し、ショパンの後半の12曲(13番~24番)に合わせた(同じ調号の)バッハの前奏曲中Preludeのみを、バッハ⇒ショパンの順に演奏されました。実は事前に音楽ソフト(バッハはグールド、ショパンはティベルギアン)で演奏曲目を順になぞって聴いてみたのですが、その時の印象は、「バッハとショパンのPreludeは、音は同じ音階に聴こえるが、曲としての響きは全く違ったもの!これをどのように関係付けるのだろう?関係付けられるものではないのでは?」というものでした。ところが最初の演奏、Prelude 13番嬰へ長調のバッハに続いてショパンの13番を聴いた途端、その疑念は消えました。何となめらかな曲の移行なのだろう!!まるで同じ作曲家の一つの曲を聴いているが如き自然でスムーズな流れなのです。次々と調号を変えて演奏されるPreludeはどれもこれも不自然さが無い。驚きと共に感動しましたね。よくよく考えてみると、事前のCDではグールドの個性的なノン・レガート奏法のバッハと、別人の演奏するショパン演奏では違って聴こえるたが当たり前、同じピアニストが纏まりのある曲想で通して演奏すれば見事一つの曲になるのだなーと感心した次第です。12曲のうち奇数番は長調で、特にショパンのPrelude13 ,17, 19, 21各番の長調は比較的ゆったりとした穏やで清明な曲でバッハの前奏はそれらを引き立てていた。15番のショパンは有名な「雨だれ」ですが、第一部の穏やかさと転調後の第二部の激しさ、穏やかさに戻る第三部を通して続く反復背景音、ショパンが24の前奏曲を完成させた雨期のマヨルカ島で、ジョルジュ・サンドが名付けたという「雨だれ」、これを聴いてふっとGigliola Cinquettiが歌う「雨」を思い出しました。全く関係ないですが。伴奏の反復音のせいかな?(実は昨秋最後の日本公演を聴きに行ったこともあって) 話を戻しますと、アンコールは9番ホ長調でした。これはバッハもショパンも同番号で同調号です。全体を通して同番号で同調号の曲は、1番(ハ長調)5番(ニ長調)9番(ホ長調)13番(嬰ヘ長調)17番(変イ長調)21番(変ロ長調)の何れも長調の曲です。ここで気付くことはこれらの番号は四つ間隔で現われるということ。別なルールで作曲した二人の曲の調号に、数学的な規則性が現れるのも平均律のマジックでしょうか?全体を通して大変面白く聴きがいのある公演でした。(個人的には最初の演奏『ショパン/ノクターンヘ長調op.15-1』が、表現力も音楽性も素晴らしく一番良かったと思いました。)