明けましておめでとうございます。年末から東京近辺はいい天気が続いています。
大晦日にはベートーベンのシンフォニーを全曲聴いて来ました。疲れました(後日記録は書きます)。今年も様々な音楽が聴けますように!
『人気オペラ椿姫』
今年9月にミラノスカラ座が来日公演予定になっています。またまた『椿姫』もやる様です。ヴィオレッタ役はマリナ・レベカ。昨年11月にトリエステ・ヴェルディ歌劇場が来日した時、東京公演でマリナ・レベカがヴィオレッタを歌いました(参考:2019-11-08掲載記事『トリエステ・ヴェルディ歌劇場来日公演(東京)』)。我が国では右に出るものが無い位の人気オペラですね。外国歌劇場もその辺は承知で、演目に椿姫を持ってきている。昨年は1月に藤原歌劇団が『ラ・トラビアータ』を演じていて聴きに行きましたし、一昨年の9月には、ローマ歌劇場が来日、F.ドットのヴィオレッタで『椿姫』を演じました。この歌劇場公演はソフィア・コッポラの演出等でも話題となりました。演出と言えば、これは見ていないのですが、昨年11月に『新国立劇場オペラ椿姫』の演出も、ピアノにヴィオレッタが乗ったり横たわったりして話題になった様です。(ピアノとヴィオレッタの関係については、上記のローマ歌劇場公演の感想に若干論じたことがあるので、以下にそれを再掲しておきます。)
スカラ座公演は一体どんな演出になるのでしょうか?
再掲≪オペラ椿姫考≫
先日、来日中のローマ歌劇場日本公演初日(H30.9.9.)の椿姫を聴いて来ました(at 東京文化会館)。実は昨年10月に、今回とほぼ同じメンバーと内容で映画化されたものを、TOHOシネマズ日本橋で見ていたので、ある程度の予備知識は持っていました。一貫して「女流映画監督ソフィア・コッポラ演出の椿姫」「ヴァレンティーノの豪華衣装」と宣伝されたのも、主役(ヴィオレッタ:フランチェスカ・ドット/以下F.ドットと略記、アルフレッド:アントニオ・ポーリ/以下A.ポーリと略)のキャリアを考えればむべなるかなと思います。第一幕で深緑のドレスの上に薄いピンクのレースをはおり(映画ではもっと黒いドレスの記憶あり。照明のせいか?)、中央の螺旋階段を降りながら歌うF.ドットの声は、完璧な音程と澄んだ素直な音色で、さすが老舗歌劇場の選んだ新星の感がありましたが、「乾杯の歌」の掛け合いから「Estorano」のアリアまでは声がやや迫力に欠ける小じんまりした趣きで、オケピット近傍の私の席でこれでは、遠くまで声が通るのかしらん?とやや心配でした。体から迸る声のエネルギーがビリビリと感じられない、でもきっと場面を考え抑制していたのでしょう。次の「Follie!」では抑えていた相当な力を発散し、愛を受け入れたヴィオレッタのアリア、屋外のアルフレッドとの歌の掛け合いを声高らかに歌い上げ第一幕を閉じたのでした。一方A.ポーリも立ち上がりから次第にエンジンがかかり盛り上がって来て、ヴィオレッタから一輪の白椿を渡される二重唱では、切実な愛の訴えが伝わってきました。やはりヴィオレッタには白椿(Camelia Bianca)が似合いますね。椿姫の著者は何故、幾多の花の中から椿を選んだのか長年不思議に思っていましたが、“この花に香りがなかったため”だそうで(澁澤龍彦「バビロンの架空園」河出文庫47p)腑に落ちました。確かに結核の様な呼吸器疾患の患者の場合、強い香りの花は体に合わなかったのでしょう。ちょっと脱線しますが、今回大ホール一杯の観客層は一瞥した感じでは女性客が多い様に見受けられ、幕間のFoyerでは様々なドレスを身に着けたご婦人方が飲食・談笑に花を咲かせていました。中には和装の方がかなりおられて、様々なきれいな花をあしらった帯をきりりと締めておりました。おひと方だけ大きい白い椿花と小さめの赤い椿をデザインした帯を締められており、ああこの方はきっと椿姫の物語をよくご存じなのだナーと感心しました。話を戻しますと、第二幕、アルフレッドの「O mio rimorso ! O infamia(ああ自責の念!不名誉だ!)」 のアリアの最後「ah,l’onta lavero(恥を拭い去ろう)」の最後の最後‘~ro’をA.ポーリは、低い音(楽譜が無いのではっきりしませんがdo2の音か?)で歌い終わったのでした。アリア自体は相当力強くテンションが上がっていたのに最後の音が下がり“臥竜点睛を欠く”のきらい有り。これまで聴いた録音では、一オクターブ高い音で終わるのはベルゴンツィ、ポッジなどのテノール、低い方は今回のケース、ヴィラソンなど。やはり高い音Hich-Cで歌い切って欲しかった。盛り上がりも、聴衆の反応も格段に違っていたと思います。次に父ジェルモンの登場です。当初予定のジェルモン役
は予定では有名なレオ・ヌッチだったのですが、体調不良でアンブロージョ・マエストリ(以下A.マエストリと略)が代役になったそうです。代役はリスクが高い。代役を見事にこなし主力の座を勝ち取った例もあれば、代役の調子が悪く代役の代役を立てた例も近年ありましたね。A.マエストリは大きな体一杯からバリトンの心地良い太い歌を響かせ、聴衆からアルフレッドを超える様な大喝采を浴びていました。今回の公演の大きな収穫の一つではないでしょうか。ヴィオレッタに身を引く様に説得するジェルモンのソロ、二人の掛け合い、デュエットも良かったですが、特に素晴らしかったのは、交際をあきらめる様に説得された後のヴィオレッタの苦悩のアリアを、F.ドットは抑制のきいたしみじみとした歌声で心に滲みる演奏をしたのです。それまでで一番の拍手と掛け声がかかりました。大声を張り上げて朗々と華やかに歌いあげる詠唱曲よりもこうした場面の歌の方が、今のF.ドットさんには向いているのかも知れません。まだお若いですし、これから場数を踏んで観客の共感を少しずつ引き寄せ、ひと回りもふた回りも大きくなってローマの花、いや世界のプリマドンナに飛躍する素地は十分あると感じました。
一方コッポラさんの演出は随所に工夫が見られ、例えば第一幕の大階段を一流ドレスに身を包んだ背高かのヴィオレッタが下りてくるところは、あたかもヴァレンティーノのファッションショーを見ているかのようです。階下につながる階段は、玄関に通じるのが普通だと思いますが、敢えてサロン(リビング・宴会室)につなげ、次の乾杯の歌と宴会場面を盛り上げるアクセントとしている。それから第二幕第一場の窓の外の風景。映画を見た時は、緑の広々した緑地が映しだされ、“パリ郊外というよりはイングランドの田舎風景に似ているな”とやや違和感があったのですが、今回は空と雲の流れが映され、愛の巣の歌声の時には青空に白雲の流れ、ジェルモン登場後は不吉な赤身を帯びた空に黒っぽいネズミ色の雲を流し、不安な場面を象徴させていました。二幕二場では窓の外に花火も光り、パリの華やかな夜を象徴。またヴィオレッタの衣装は第一幕の黒緑から二幕一場で白、二場では赤のドレス、第三幕で白いネグリジェといずれもファッション性の高いもので、白赤緑の色により椿の木を象徴させたとも言えます。総じて衣装、演出とも大成功だったと言えるのではないでしょうか。最後に第三幕での瀕死のヴィオレッタが一冊の本を手に取るのですが、それを見て「聖書」かな?と思ったのですが、後でプログラムの説明を読むと「マノンレスコー」の本なのだそうです。そう、今回のローマ歌劇場のもう一つの演目の原作(アヴェ・プレヴォ作)の本です。これは椿姫の原作「LA DAMÉ AUX CAMELIAS」によれば、アルマン(オペラではアルフレッド)がマルグリット(オペラのヴィオレッタ)に贈った本であり、1ページ目に以下の様に書いてあったそうです。
MANON A MARUGUERITE
HUMILITÉ
Armand Duval
即ち意味は、「マルグリットへマノンをおくる。 Humilite (※仏語のアクサン記号は略)アルマン デュヴァール」 ここで太字部の意味は「謙虚」であり、英語のHumility に相当する。派手な生活の点で共通するマノンを読ませることにより、謙虚になって欲しいという意味か?「マノンレスコー」は椿姫より100年以上も前の本で、日本でいえば現代人が漱石や鴎外を読む様なもの。椿姫の時代にとっては古典とも言えるでしょう。きっと勉強好きなヴィオレッタは一字一句漏らさず精読したのでしょう。学ぶことに熱心であることは、(この場面はオペラ化されていないのですが、)原作中ピアノを学ぶ場面で分かります。
ヴィオレッタはピアノが大好きなのです。ピアノを習っている様です。ウェーバーの「Invitation a la vase(舞踏への勧誘)」を何回弾いても同じ部分(le passage en diese)で引っかかってしまいそこが弾けない。アルマンの友人ガストンに弾いてみて欲しいと頼み、再度挑戦するが同じ個所「re.mi,re,do,re,fa,mi,re」に来るとまた立ち往生してしまう。「diese」は♯であり、岩波文庫「椿姫」の注九五によれば、この曲は変記号だから“結局、これはデュマの誤りとしか思われない”と書いてあるが、著者は楽譜を見ながら小説を書いた筈ですから、間違う訳が無いのです。岩波文庫の方が間違っています。正解は、現在の楽譜では、変ニ長調の曲ですが、当時は嬰記号の楽譜が出回っていたではないでしょうか?即ち嬰ハ長調で書かれていたのでしょう。ご存知の様に変ニ長調と嬰ハ長調は「異名同音」で同一調です。ただ嬰ハ長調では、シャープが7個ついて運指がフラットよりやりずらくなるので、避ける傾向があります。確かに「re.mi,re,do,re,fa,mi,re」の七つの音符すべてが♯記号の影響下となり、しかもre mi が十六分音符でタラッタタタタタとなるので、椿姫にはかなり弾きづらかったのでしょう。“よく夜中の二時ごろまで(練習を)やる”というくらい熱心な椿姫でした。このピアノ好きの椿姫の場面をどこかに演出出来るといいのですが。さてこの位にして一つこれは脚本家への要望になってしまうのですが、干しブドウの砂糖漬けのボンボンが大好きである椿姫(オペラを見ながら良く食べていますね)、原作のマルグリットからオペラではヴィオレッタ(スミレ)と名付け直したついでに、「スミレの砂糖漬け(ウィーンのシシイの大好物)」のボンボン好きには直せないものでしょうか? hukkats | 2018年9月12日 (水)