HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

金子三勇士・中野翔太ピアノリサイタル』Ⅰ部(前半)

 「みなとみらいクラシック・マチネ」と題したコンサートが、みなとみらいホールで開催されており、11月28日は、ピアニスト二人が、ソロ、2台のピアノ、4手(連弾)のプログラムでリサイタルを行うというので、聴きに行きました。前半第1部は、①ドビッシー作曲『ベルガマスク組曲より〈月の光〉』②モーツァルト作曲『2台のピアノのためのソナタ ニ長調K.448』③リスト作曲『ラ・カンパネラ』④ミヨー作曲『スカラムーシュ作品165b』演奏者は、金子三勇士(以下Mと略記)、中野翔太(以下Nと略)両名。金子さんは、家人の話しによるとNHKラジオ番組『クラシックパシオ』を担当しているそうで随分太いいい声だそうです。名前も珍しいので "サンユウシ”と読むのかと思ったら何と"ミユジ”と読むらしい。父親が日本人、母親がハンガリー人だそうです。 リスト音楽院出らしい。一方、中野さんは、ジュリアード出身で、我が国の多くの管弦楽団と共演している模様。
 さて①の演奏はM。静かな綺麗な音で、雲に見え隠れする月夜の幻想的な光景を想起させる演奏でした。欲を言えば、第2フレーズの速いテンポの主題はもっと強い音で弾いても良かったかも知れない。
 続いて②モーツァルト作曲『2台のピアノのためのソナタ ニ長調K448』。この曲はモーツァルトが教えていた女子生徒の練習のために作曲したもので、その子がモーツァルトに気がある様なのですが、モーツァルトはタイプでないので、出来るだけ彼女を近付けないために、1台での連弾を避けて2台とした、という説が有ります。ホントかな?いくら身分制の厳しい封建的な時代であっても嫌やだったら家庭教師をやめればいいに。余程報酬が高かったのでしょうか。
 さて演奏は、向かって右側がN、左手がK、聴いた印象は、音も合っていたし、テクニックも充分、モーツァルトらしさが出ていたと思います。ただ若干演奏が平易だったかな?事前にバレンボイムとアルゲリッチの録画の重奏を聴いていたのですが、二人は舞台に平行に二台ピアノを並べて、手前にバレンボイム、奥にアルゲリッチがすわり、互いに良く相手(の手)を見ながら合わせて弾いていました。メリハリのきいた素晴らしいDuoでした。今回の演奏会は、合間に二人(主としてK)のトークを挟んで進められたのですが、その中で、''向かい合ったピアノを二人で弾くときは相手が見えないので耳を欹てて合わせている”といった趣旨の発言があり、これはあくまで推測ですが、耳に相手の音が届く僅かな時間、それこそコンマ何秒か百分の何秒か分かりませんが、その時間の差が、演奏全体がメリハリのない様に聞こえる一因になったのではないかと思うのです。
 次の曲は③リストが『パガニーニによる超絶技巧練習曲第3番 変イ短調』を元に、ピアノ曲として作曲したもので、これはKが小さい頃から尊敬する自分の故郷ハンガリーの(音楽世界)の英雄、リストが作曲した曲ですから、得意中の得意の曲でしょう。これまで何百回、何千回と弾いて来たことか知れない、きっと。静かに鳴り響く鐘の様子を、澄んだ奇麗な音で丹念に表現し、後半の超絶技巧を要するパッセージも見事に弾き終えました。さすが、リスト音楽院出身者ですね。そこまでで一番の拍手と歓声が上がりました。文句なしの出来ばえでした。
 ところで前後しますが、かっての「リスト音楽院」は今は「リスト・フェレンツ音楽大学」と名称がかわり、建物も別な箇所にも増築され拡大されたのです。リストを慕って世界各地からピアノを志す若者達が集まるメッカの一つとなっている様です。アンドラーシ大通り近くの建物の脇には、ちょっとした緑地があり、リストの銅像やベンチがあって、憩いの場となっています。ブタペストに行った時に、その像を見て、リストの指の大きさ(長さ)に驚いた記憶があります。
 つぎの④ミヨーの曲は2台のピアノののための曲で、舞台に向かって右側がK、左手がNで弾きました。ミヨーは日本ではあまり聞かない名前ですが、「フランス6人組」と呼ばれる作曲家たちの一人で、ブラジルの音楽やジャズ的な響きも取り入れて作曲した模様です。デュオ演奏曲が結構あるみたい。  
 この10月に藝大奏楽堂のコンサートに行った時の「二つのヴァイオリンのための二重奏曲」が、ミヨーを聴いた初めでした。(2019.10.31の記事「藝大構内奏楽堂で催された演奏会を」参照 )その時も短い曲だった記憶力が、今回も10分にも満たない短い曲で、それ程印象的でなかった。でも速いテンポでリズミカルな舞曲のイメージは残りました。きっと演奏者にとっては面白い曲なのでしょう。