HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『映画鑑賞 ゴッホの見た永遠の未来』

   昨日勤労感謝の日(2019.11/23土)久しぶりで、映画館に行きました。何年か前は、結構映画は見ていたのですか、だんだんコンサートに足を運ぶ回数が増えてくると、一日24時間、1週間168時間には変わりがないので、結果的に映画を見る時間は少なくなってきました。実は先週、『オーバー・エベレス・・陰謀の氷壁』を見ようと思っていたのですが、友人から連絡があり、12月に一緒にその映画を見て、忘年会をやろうということになったのです(果たして12月まで上映しているかな?それが問題ですけれど)。そういう訳で、今日11月23日はコンサート鑑賞予定も無いし、映画を見てきたのでした(@チネチッタ)。タイトルは『永遠の門、ゴッホの見た未来』です。
 ゴッホが女性に惹かれる心や村人から疎まれ嫌やがらせや迫害を受け、精神療養所に入れられたりしながらも、如何にゴッホが絵を描くことに執着、没頭してきたか、絵の制作、特に写生が人生そのものだったかを、浮き彫りに描いてみせた作品でした。また主演のウィレム・デフォーが見事にゴッホになりきった演技をみせ、またゴーギャン役オスカー・アイザックや弟テオ役のルパート・フレンドが好演していました。テオが画商だったからこそゴッホが(死後でしたが)世に認められ、今日の名声を得ることが出来たのでしょう。またゴーギャンとの接触により、ゴッホが如何に触発されたかも表現で来ていた。
 ゴッホの作品は、以前オランダに行った時に、アムステルダムの「ゴッホ美術館」で
様々な作品を見ましたが、こんなに沢山の絵を描いたのかと驚いた記憶があります。
「ゴッホのベッドルーム」(ベッドの黄色が目立ちます)、世界的に有名な「ひまわり」(もちろん黄色が卓越色)「、ひまわり畑」(緑の葉の海原に浮かぶひまわりの花の黄色い群れが見事)「跳ね橋」(アルルに行った時その場所も見ました)などなど。黄色がゴッホは好きだった様です。映画でもその様に言っていました。そうした多くの絵の中で、収穫前のたわわに実った麦畑を描いた絵が一番印象に残りました。一面が黄色一色。最後にショップに寄って図鑑集を買ったのですが、その絵が表紙になっていました。やはり一番素晴らしい絵なのかと納得。 
 この映画は、米、英、仏合作の作品(監督ジュリアン・シュナーベル)なのですが、不思議なことにナレーションは英語で、会話の一部になるとフランス語、その他の時は英語となります。若い女性に突然声を掛けて、‘動かないで、じっとしていて’とゴッホが言うと女性は‘Pourquoi? Pourquoi?(何故、何故)’と聞き返す場面、これはフランス語の場面、後半でまた同じ場面が出ますが、そこでは理由が単に肖像を描くためだけではなかったことを仄めかしています。狂気だと周囲から排斥されて治療院に入っても、修道士との会話で、信仰心がゴッホは如何に強いか、絵を描くことが神の御心だという言葉には、精神の正常さは感じられず、ただ異常なまでの絵の制作への拘泥がその時代の周囲の人々には理解できず、ゴッホ本人の先進性、その絵の先進性は、遠くゴッホが未来を見つめていた、感じ取っていた、という解釈を映画ではしていました。
 折も折、上野の森美術館で『ゴッホ展』が一月中旬まで開催中なので、そのうち見に行きたいと思っています。