HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

2020-06-01から1ヶ月間の記事一覧

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)22-5

<ミラノ十一月十二日>の続き④ スタンダールは、あるご婦人が紹介してくれたヴェネツアの名家出身のコルネール大佐が、愛想の良い青年だけれども既にあらゆる(戦功のあった者に付与される)十字勲章を得ていること、彼を見て、ニーナ夫人がヴェネツアに関…

東京文化会館でのテノールコンサートを聴いて来ました

今日(6月28日)15時から、5月に文化会館で予定され延期となっていたテノールコンサートが、コロナ対策を施して行われるというので聴きに行きました。東京文化会館が自粛で閉館し、自粛解除後の初めての演奏会だそうです。 公演名は、『テノールの饗宴』 東…

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)22-4

<ミラノ十一月十二日>の続き③ 前々回も書いた通り、この日(ミラノ十一月十二日)の記事は、6ページ以上に渡っているので分けて見ていますが、その続きです。前回、スタンダールは、多くの桟敷の中で最も好ましいと考えるニーナ・ヴィガノ夫人の桟敷に出入…

久しぶりにコンサート(サントリーホール)に行ってきました

ひと月前の先月25日に、東京では緊急事態宣言が解除され、今月12日には、東京アラートも解除、このところ、人々の活動は急速に活発化しています。音楽関係でも、無観客演奏会のネット配信が盛んに行われる様になり、コンサートに行けない我々の慰みになって…

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)22-3

<ミラノ十一月十二日>の続き② スタンダールが好んで出入りしているディ・ブレーメ氏の桟敷で会った人として、愛国者コンファロニエーリ氏、グリソストモ・ベルケティ氏、トレキ氏などの名を挙げ、“パリでは、この桟敷に匹敵できるようなものを僕は少しも知…

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)22-2

<ミラノ十一月十二日>の続き① 次にスタンダールはイタリアで一、二の哲学者と考えている、エルメス・ヴィスコンティ公爵に、前述のディ・ブレーメ氏の桟敷で出会ったことを述べ、哲学者についての話題に転じます。 “ナポリには~(略)~独特の哲学の一派…

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)22-1

<ミラノ十一月十二日> この日の記事は、日記の中でも長大級の6ページ以上に渡って、スカラ座の桟敷席で見聞きした様々な事柄について記述しているので、数回に分けて見てみます。 先ず “僕は毎日スカラ座のディ・ブレーメ氏の桟敷に行っている。それはまっ…

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)21

<ミラノ十一月十一日> この記事でもロッシーニに関する風評を記述しています。“今晩、親切なビアンカ・ミレージのところで、ある阿呆が音楽に口を出して、ロッシーニが一種の人殺しであることを僕たちに納得させようとした。この羨望の激しさは僕に強い喜…

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)⑳

<ミラノ十一月十日> 前回の<ミラノ十一月六日>の記事の次は<ミラノ十一月七日>、その次は<ミラノ十一月八日>と続くのですが、その内容が建造物見学と案内人について、借りた本の内容について、ミラノの城壁の散歩道や競技場での古代戦車競走について…

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)⑲

<ミラノ十一月六日> この日の記事は、スカラ座の近傍の通りに面した主だった建物の見どころ、及び近かくの広場に纏わる惨殺の悲劇について記しています。 “スカラ座の方からやってくると気付くサン・フェーデレ教会の側面はとても美しいが、ギリシャ的美の…

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)⑱

<ミラノ十一月五日> スタンダールは前回<十一月二日>の記述に続き、ドゥオモを毎晩午前一時頃に見に行っていると述べています。“美しい月に照らされて、この教会はこの世でもめずらしい心を魅了する光景を呈している”。“ドゥオモの半ゴティック様式の正…

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)⑰

⑰<ミラノ十一月二日><ミラノ十一月五日> 前後するのですが、前回の<ミラノ十一月三日>の記事の一つ前に<ミラノ十一月二日>の記事があったのです。これはドゥオモに関する内容で、<ミラノ十一月五日>もまたドゥオモについて書いているので、両日の…

スタンダール『イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)⑯

<ミラノ十一月三日> スタンダールは翌日が「聖カルロ」の祝祭日だと書き始めています。この「カルロ・ボッロメオ」は1538伊北部の貴族の家に生まれ、22歳の若さで叔父の教皇ピウス4世により枢機卿に任命、27歳でミラノ大司教に昇格しました。その10年後に…